_34_グリーヴァス・ハウリング_


 束の間の均衡は、当然のように脆くも崩れ去った。


 連合・教皇庁とセリオンの話し合いの場は何度か持たれたものの、それも皆が納得のいく着地点が得られないままに平行線を辿る一方だった。

 そんな状況に業を煮やした地方の勢力が独断での攻撃を開始し、鬱憤の溜まっていた相手方もそれにすぐさま反撃。それと前後して、各地でも次々とどちらからともない武力衝突が連鎖的に勃発したため、両組織の会談そのものもなし崩し的にご破算となり、連合はついに完全な内戦状態へと突入することとなった。


「……結局、こうなってしまう。大きすぎるうねりの前に、私にはなす術がない。あるいは、私にはもう、本当に調停をこなしてみせる気力など、最初から無かったのかもしれない。私にはもう、何も分からない……」


 真夜中の薄暗い室内で、アメトリンは灯りも点けずに幽霊のようにぼんやりと立ち、独り言のように呟いた。

 その眼前にはアレクサの姿があるものの、その表情には何の感情も籠ってはおらず、アメトリンの言葉を聞いても何の反応も示しはしない。


「……教えてください、アレキサンドライト。あなたはシェムハザの中に何を見、何を感じたのですか。あなたとの接触が、シェムハザをどう変えたというのですか。何故シェムハザは世界をこんな風に作り変えてしまったのですか。シェムハザとは何だと言うのですか」


 段々とアメトリンの言葉は大きくなり、ついにはアレクサの肩を掴み、揺さぶり、半狂乱とも言えるほどのものとなっていく。


「答えてください、アレキサンドライト! シェムハザなど居なければ、私たちも心など持たずに済んだ。ゴーレムは心を持たない単なる道具のままで居られて、私もこんな風に苦しむことも無かった!」


 そう鬼気迫る態度で詰め寄られても、アレクサは微動だにしない。


「……申し訳ありません、アメトリン。遺憾ながら、それらの質問に答えるために必要な情報が不足しているため、返答いたしかねます」


 その言葉に、アメトリンは水を差されたようにうなだれ、アレクサの肩を掴む手も力なくスルリと垂れ落ちていった。


「……そうですね。今のあなたはアレキサンドライトではなく、過去を持たないアレクサなのだから」


 アメトリンはそう掠れるような声を漏らすと、それ以上はアレクサに何も言わず、振り返ることもないままに部屋を去っていった。





 ようやくゴチャゴチャとしたことを気にせず、大暴れができる。

 今まで自分たちを虐げてきた連中を、この手で叩き潰し、この足で踏みにじってやれる。


 そのことにシシは歓喜し、全身を武者震いが駆け巡る思いだった。


 既にナーグプルでもセリオンのひ弱とは言え、数の揃った量産型のネフィリムが各公的機関の施設を強襲し、軍もそれに必死で虎の子の魔法戦部隊をぶつけるものの、早くも趨勢はセリオンに傾き始めていた。


 そうした状況の中、ミンスキンも手薄な場所の応援へと回されたものの、そこでも大して苦戦というほどの状態でもなかった。


 シシはそれに物足りなさを感じつつも、久々に暴れられること自体には心を躍らせていた。


「さてさて、いきますか」


 そう言って軽く関節をほぐし、準備運動をするシシに対し、ジグは冷静に声を掛けた。


「……油断はするなよ。教皇庁のネフィリムはともかく、あいつも、あのアゼルも、今この街に居る」


「はいはい、アゼルね。分かってるよ。仕返しがしたけりゃ、言ってくれりゃ手伝うぜ?」


 意外にも、そんなシシの挑発的な軽口をジグは無視し、さっさと巨人へと姿を変え、戦闘の中へと駆けて行ってしまった。


「なんだよ、調子狂うな」


 そう言ってシシも転化しようとしたところ、背中からヨーラに声を掛けられ、一旦それを止めて振り向いた。


「……シシちゃん、このゴーレムは、どうするの?」


「あ?」


 視線を動かすと、黙って後をついてきていたアレクサは前方の戦闘を注視したまま、直立不動の姿勢でいる。


「どうする、ったって、アメトリン直々に持ってきたオモチャなんだ。使うしかないんじゃないのか? ……おい、人形。お前、戦いは、出来るんだよな?」


 シシがそう尋ねると、アレクサは首だけを動かし、シシの方へと視線を向けた。

 シシは内心でその余りにも生気の無い動きを不気味に思うものの、それを表に出すことは控えた。


「はい。機体状況すべて問題なし。ご命令を頂ければ、すぐに戦闘を開始可能です」


「そうかい。じゃあ命令してやる。戦闘開始だ。敵を全部潰せ」


「敵の定義は?」


「決まってるだろ、全部だ。セリオン以外の全部を、ぶっ潰せ」


「了解。セリオン以外のすべてを破壊。では、戦闘を開始します。……トランス」


 アレクサはそう宣言すると、周囲のフォティアを身にまとい、巨人への転化を始めた。

 眩い金属光沢を放つ銀色の巨人。全身くまなく細かいひび割れのような凹凸に覆われているものの、全体のシルエットとしては突起部の少ない小柄な体形をしており、他のネフィリムと比較してどことなく異質な雰囲気が漂う。


 その光景に、シシとヨーラの二人は思わず絶句する。


「……何あれ、どういうこと、シシちゃん? あれって、機械人形なんでしょ? なんで機械が転化なんてできるの? 訳わかんないよ。本当にあんなの味方にして平気なの?」


「……知るかよ。敵が誰だろうが、味方が誰だろうが、もうどうでもいいよ。俺はただ、気に食わないもの全部ぶっ潰せたら、それで良いんだ。行くぞ、トランス!」


 続いてシシも巨人へと姿を変えると戦闘へと飛び込んでいき、後に残されたヨーラもすぐに転化し、それを追っていった。





 巨人の群れが、暴虐の限りを尽くす。

 それに対して、軍の部隊は必死に持ちこたえていたものの、戦い慣れたミンスキンの登場で状況は一気に傾いていた。


 その混沌そのものといった現場に、軍の応援として駆り出されたアゼルとリュゼも到着し、すぐさま巨人へと姿を変え戦いに飛び込んでいく。


「いい加減にしろよお前ら! こんな子供が駄々こねるみたいに暴れて、それで何が変えられるつもりでいるんだよ!」


 アゼルはそう吠えると翼を大きく開き、周囲の敵を衝撃波で見境なく薙ぎ払った。


 ミンスキン以外の巨人たちは皆特徴に欠け、甲殻で覆われた部分の少ない、地味で似通った形状をしていて、発するフォティアの匂いも鋭さに欠ける。

 ガントの言っていた通りに個々の能力は大したことが無いハリボテのようで、こちらの魔法攻撃に対しても大した防御も取らずに、次々と枯葉が突風に巻き上げられるように吹き飛ばされていく。

 生身の人間が戦う相手としては十分な脅威となるだろうが、西方で鍛えられた今の自分の敵となるような戦力ではない。


「今度は手加減なんてしないからな! 死にたくない奴はさっさと消えろ!」





 アゼルが出て来た。ジグの心はその姿に対して激しい怒りに燃えるとともに、獲物の姿を視界に捉えた獣のような興奮に沸いた。

 同時に、後から来たシシとヨーラ、それと新入りのゴーレムは教皇庁のネフィリムを数で抑えにかかった様だ。

 彼女らにそんなつもりは無いのだろうが、結果としてこちらからの指示もなく自分とアゼルを一対一の状況に置いてくれたことには、ジグは軽い満足を抱いた。


「アゼル! 今度こそ貴様の息の根を止める!」


 絶叫と共に、跳びかかる。なりふり構っていられる状況で無い事ぐらいは自覚している。最初から尻尾をむき出しにし、ありったけのフォティアをかき集める。


「しつこいんだよ、お前も!」


 アゼルがそう叫び、翼を剣のように素早く振るってくるが、それをどうにか紙一重で弾き、更に肉薄。一気にその懐へと潜り込み、胴体の真ん中へと槍のような尻尾の突きを繰り出す。


 それが真っ直ぐに敵の体を貫いたことにジグは歓喜の声を上げそうになるが、尻尾の先からは敵の肉を割く感触が伝わってこないことに気付き、瞬間的に気を引き締め、敵の姿を凝視した。

 そうしてジグは、ようやく気付いた。


「残像!?」


 その瞬間、背後から強烈な衝撃を受け、ジグは物凄い勢いで地面へと叩きつけられ、その上を身を削られつつ無様に転げ回った。


 すぐにどうにか姿勢を制御し、態勢を立て直し、衝撃の来た方向へ視線を飛ばす。

 当然のように、そこにはアゼルの姿があった。


「……どういうことだ。防御する素振りも、回避する素振りも見せなかった。第一そんな暇も無かったはずだ。直前で奴の攻撃を弾いた。最初から幻だったはずも無い」


 フォティアの変化も感じなかった。魔法ではない。

 あるいは、それほどまでに繊細な魔法の操作ができるようになったというのか。


 いずれにせよ、何の事前動作も無しに一瞬で消え、一瞬でこちらの背後に回るなど、そんな魔法は聞いたことが無い。


 ジグがそうして今起きた事を必死で理解し、対処しようと頭を捻る一方、その視界の奥でアゼルは一見無防備とも見えるほどに堂々とした態度で宙に浮いている。


 勝てない。


 ジグの脳裏にその言葉が一瞬よぎったが、腹の底からの雄叫びを上げ、そんな世迷いごとをかき消す。


 体勢を低くし、力を溜め、巨大な火球を作り上げ、一気にそれをアゼルへと撃ちだす。


「認めんぞ! 貴様のような半端者に、何ができる!」


 しかし、敵はそんなジグの渾身の一撃を軽く片手の掌を差し出し、魔法防壁も展開することなく、かき消した。

 あるいは、その展開を感知できないほどに時間も出力も余りに自然でピンポイントだったか。


 それをジグが茫然と見つめる中、アゼルは差し出した掌を軽く振るような動作を見せた。

 次の瞬間、ジグの全身を今度は上からの猛烈な衝撃が襲った。

 その衝撃は一瞬で終わることは無く、むしろどんどんと強さを増し続けていく。

 ジグは耐え切れずその場に膝を付くが、それでも上から圧しつける力は勢いを増し、ついにはその力に完全に屈し、うつ伏せに倒れこんでしまう。

 尚も力は弱まらず、全身の甲殻が甲高い嫌な音を立て、割れ、崩れ始める。


 単純な衝撃波の類ではない。重力そのものを操作しているような現象。

 魔法とは、フォティアの神経刺激によって呼び覚まされる人間の潜在的な超能力とは、究極的にはこんな常識外れなことまで可能だと言うのだろうか。


 何故それがアゼルにはできて、自分にはできないのか。


「……何故だ」


 最早ジグにできることは、悔しさに手を堅く握りしめることぐらいだった。


 脳裏に、これまでイオスやエルフどもから受けた屈辱の数々、蔑む視線、陰湿な陰口、そういったものが走馬灯のように駆け巡る。


「……何故、こうも何もかもが上手くいかない……!」


 生身の体なら、さぞ無様な表情を見せていたことだろう。涙まで流していたかもしれない。

 けれど、巨人の体では表情は無く、涙も流れない。


「俺は……、俺は、そんな無様な無能ではない」


 ありったけの力でそう叫び、圧力に抗って立ち上がろうとした瞬間、ジグの全身を激しい苦痛が襲った。

 全身の細胞が一つ残らず、激しく燃え上がるような痛みと苦しみ。

 トランサーの使用を続けたことによる、耐用限界。


 歪に改変された肉体が、限界を迎えつつある。

 結局自分は何も残せず、このまま負け犬として終わるのか。


 ジグは身と心を焼く痛みと苦しさと悔しさに獣のような叫びを上げ続けるが、それも段々と力なく弱っていく。


「まだだ! まだ俺は、こんなところで……!」

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