_33_リーズン・オブ・ザ・ウォー_


 シェムハザがこの星に墜ちるよりも前、人類はもう何度目かも分からない世界規模の戦争に明け暮れていた。

 とは言え、その前線には自意識を持たない命令を聞くだけの機械人形が送られ、当の人類たちはそれを、ともすればある種の娯楽としてすら捉えていた。


 そんな折、天空の彼方から、一つの天体が地上へと墜落する。


 当初はあまり注目されていなかったそれは、エメラルド社という一私企業によって独占的に管理、研究されることとなった。


 それから数年が経過し、シェムハザの秘める高度な情報処理能力やそこから放出される粒子の特性が少しずつ明るみになるにつれ、その可能性に惹かれたエメラルド社はシェムハザ解析に特化した次世代ゴーレム、アレキサンドライトの開発に着手。その完成を以て、シェムハザとの直接接続実験が実行に移されることとなった。


 しかし、端的に言ってしまえば、その実験は完全な失敗に終わることとなる。

 アレキサンドライトは余りにもシェムハザの奥深くへと潜り過ぎ、その膨大過ぎる情報量に溺れ、また、高度過ぎる情報処理能力に翻弄され、彼我の定義域を見失い、発狂をきたしてしまう。

 一方で、そのアレキサンドライトの発狂はシェムハザに対しても良くないフィードバックを与えたようで、両者は互いの狂気のフィードバックループに束縛され、思考の絶叫がハウリングする中、やがて限界を迎えた。


 トランスミューテーション。そして、フォティア・フラッド。


 アレキサンドライトはシェムハザの情報処理能力を模倣し、自身の構造を効率的に作り変えると、フォティアを触媒として使い、種々の超常能力を有する巨人の姿へと変化した。

 それと同時に、シェムハザはそれまで微かに漏れ出る程度だったフォティアを、タガが外れたように世界中に大洪水のようにまき散らし始めた。


 その影響は、余りにも甚大だった。

 数十億人ほどもあった当時の人口の半分は、フォティアの奔流に晒されたことによる激烈な生体反応に耐え切れず、瞬く間に命を落とした。また、残った人々も遺伝子に異常をきたしたせいで、彼らの間から生まれる次の世代は皆、動物や植物の要素を持った変異種ばかりとなった。

 一方でアレキサンドライトの”覚醒”も他のゴーレムたちへと通信網を通じて伝播し、世界各地で自我に目覚めたゴーレムたちによる命令不遵守、命令違反、暴走が相次いだ。


 そうした混乱の末、集団ヒステリーに陥った人類はゴーレムの物理的排除を開始した。

 それに対して、最初はただ戸惑い、逃げ惑い、狩られる一方だったゴーレムたちもやがては自らを守るために反撃に転じ、状況は完全に泥沼化の様相を呈した。


 そんな悲劇のさ中、エメラルド社によって製造された行政支援用機械知性、アメトリンは最後まで両者の調停に奔走したものの、残念ながらそれが実を結ぶ事は無かった。

 事態は加速度的に進行し、結局は行きつくところまで行きつくしかなかった。

 人類は大深度地下に位置するシェムハザと、その周囲のエメラルド社施設、およびその研究成果を厳重に封印し、それから数年の内にはほぼ全てのゴーレムの殲滅がどうにか果たされ、彼らの通信網も徹底的な断絶がなされた。





 そうして最終的には人類は辛勝を手にしたものの、その代償はあまりにも大きすぎた。

 文明は完全に崩壊し、シェムハザによって撒かれた毒に汚染された地上の環境は、余りにも過酷なものへと変容していた。


 それでも、文明の終端を生き延びた僅かな人々は逞しく命を紡ぎ続けた。

 機械に頼れず、凶暴に変異した野生生物が跋扈する痩せた土地で、原始人のような暮らしをしながら、それぞれの小さなコミュニティを必死に守り、育てていった。


 そうして数十年が経過した頃、一人の男がかねてよりの疑念をようやく確信へと変えた。

 男は、歳を取らなくなっていた。もう百歳は近いというのに、見た目は三十半ば頃のままで、体力や知性の衰えも一向に感じはしない。

 理由は分からなかった。けれど、今の時代は犬のような子供や、岩の塊のような子供ばかりが生まれるような世界となってしまったのだから、不老不死の人間が居てもおかしくはないのだろう。

 男はそうしてその事を大して気にも留めず、ただ身近な若者たちに知恵を授け、導くことに集中した。


 そこから更に数十年が経ち、唯一前暦の知恵を保つ人間によって直接的かつ継続的に導かれるコミュニティは圧倒的な成長を続け、それはかつての”国家”と呼べるほどの規模にまでなっていた。


 そこで男は本腰を入れ、種族分化の末に互いを排斥し始めている人類を今後もひとつに繋ぎ止めておくための組織づくりに着手した。

 また、それと同時に、男は自分が周囲から神のように扱われ始めていることも利用し、人が同じ過ちを繰り返さないよう、シェムハザやゴーレムの存在を禁忌とする教義を持つ宗教を作り上げた。





「……私はね、決してエノンと言う男のしたことを間違いだと言うつもりは無いのだよ」


 長々と老人がしゃべり続ける中、アゼルは緊張を抱きつつもそれを黙って聞いているしかなかった。


「実際のところ、文明どうこう以前に、生物種としての絶滅の危機にまで瀕した人類がここまで再起できたのは、彼の成した驚くべき偉業と言うほかないのは確かだ。けれど、結局は彼も本物の神などではなく、一人の人間に過ぎない。人間の造るものに、完全などはありえない。現在の改暦文明は、彼の造った楔によって、良くも悪くも”今”という一点に繋ぎ留め続けられてしまっている」


「……あんた、何者だよ。何でそんな話を俺に聞かせる?」


 老人はその問いにも答えず、ただ微笑むと、勝手に話を続けた。


「私はそれを壊したいのだよ。欺瞞と傲慢。連合・教皇庁とセリオンの対消滅を手始めに、溜まった老廃物と一緒に、老朽化したシステムの全てを破壊する。その上で、ありとあらゆる詰まらぬ偏見から自由に解放された知性による、停滞した文明の真の再起動と、その先にあるものを、私はこの目で見てみたい」


「……何言ってんのかよく分かんねえけど、あんたもなんだか傲慢なこと言ってるように聞こえるけど?」


 そのアゼルの指摘にも老人は変に喜んだような笑顔を浮かべ、それからその視線の先で何かに気付いた様子で、静かにベンチから立ち上がった。

 アゼルもその視線の先を追うと、セフィが両手に風船を抱え、駆け寄ってくるのが見えた。


「では、私はこれで失敬するとしよう。老人の詰まらぬ与太話に付き合わせてしまって悪かったね、アゼル君。君の今後の活躍に期待しているよ」


 男はそう言うと帽子を被り、堂々とした足取りで去っていった。

 アゼルは老人に自分の名前を教えた覚えがないことに気付いていたが、もうそんなことを深く考える気力もなく、ただ黙ってその得体の知れない背中を見送った。


「……誰です、今の?」


 戻ってきたセフィにそう尋ねられても、アゼルには答えようが無く、ただ肩をすくめるしかなかった。


「ふぅん? まあ、いいや。……はい、これ。私が作らせてもらったんですよ」


 そう言って渡された風船の塊を、アゼルはじっと見つめる。


 へえ、よくできてるじゃないか。そう言いたいのだが、どうにもその言葉はすんなりと喉を通って出て来てはくれない。


「……何、これ?」


 咄嗟には上手い誤魔化し方が思いつかず、結局アゼルは恐る恐る素直に尋ねることにした。

 それに対してセフィは屈託なく朗らかに笑い、何を分かりきったことを聞くんだ、と言わんばかりの自信に満ちた口調で答えた。


「狼ですよ。アゼルをイメージして作ったんです。どうです、可愛いでしょう?」


 そう言われてアゼルは改めて手の中の物体を凝視するが、相変わらずそれは得体の知れない塊でしかなかった。


「あ、ああ……、うん……」


 アゼルはどうもこうも言えないまま、何とか話題を変えようと視線を泳がせた。

 もうすでに陽も落ちかけ、辺りは暗くなり始めている。


「いつの間にかもうこんな時間なんだな。祭りも終わりだ。皆のところに帰ろう」 

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