_32_アット・ザ・フェスティバル_


 実際のところ、教皇とセフィの会談は教皇庁組織の引き締めとして機能し、枢機卿団もいい加減に肚を決めて事態への積極的介入に乗り出した。

 けれどそうした活動も虚しく、セリオンはペクスという武力の存在を大っぴらにした上で、あくまでも既存の体制である連合評議会と連合共同軍、そしてエノンズワード教の無条件の即時解体と、セリオン主導での新体制の確立を望み、そこからの一切の譲歩を認める素振りも見せなかった。

 当然、それに対して評議会と軍はそれぞれにニュアンスの差はありつつも反発。特にタカ派が優勢になりつつある軍においてそれは顕著であり、連合社会は一触即発の空気の中、ギリギリのところで均衡が保たれ、奇妙な静けさが広がっていた。


 首都ナーグプルにも流石にそうした不穏な空気は拡がり始めており、千年祭も前倒しでの終了が決まり、時間は早々にその最終日の昼過ぎとなっていた。





 窓から外の光景をぼんやりと眺めているセフィに対し、リュゼがそっと声を掛けて言った。


「行ってくれば?」


「え?」


 突然声を掛けられて動揺して振り返るセフィに、リュゼは言葉を続ける。


「今の状況で私らが出来ることなんて無いしさ。こんなとこでジメジメしてたって仕方ないし。外の空気、吸ってきなよ」


 セフィはその言葉に改めて窓の外へ目をやると、迷った素振りを見せる。


「けれど、良いのでしょうか。そんなことをしている場合ではない気が……」


「こんな時、だからでしょ。息抜きはちゃんとできるときにしておかないと、いざって時にパワー出ないよ? ねえ、ガント?」


 突然話を振られたガントは頭をリュゼへと向け、そのままリュゼには答えずにポラートン課長へと、言葉をタライ回しするように声を掛けた。


「ですって、課長」


「……まーた君はそうやって人に責任を押し付けようとする」


「大丈夫ですって、課長。もしセフィに何かあれば、どうせ課長一人の首じゃ釣り合いなんてとれやしないですし」


「今まで黙ってましたけど、私、これまで君の冗談を面白いと思ったこと、ただの一度もありませんからね?」


 ポラートン課長はウンザリしたようにそう言うと、咳払いをして調子を整えてから、改めて話を戻して言った。


「けれどまあ、良いんじゃないですか。今の内に思い出作りと言うのも。アゼル君が一緒なら、何事かあっても、大事にはなりえないでしょうし」


「……え? 俺も行くのか?」


 ふいに課長の発言に自分の名前が飛び出し、アゼルは虚を突かれたように声を上げた。

 そんなアゼルのことを、室内に居る皆が白い目で見つめる。


 訳も分からず、そんな周囲の態度に慌てたアゼルは、思わず目が泳ぎ、その先でセフィの視線に掴まり、それに引き寄せられた。

 そうして二人はそのまま奇妙に無言で見つめ合い、それから数秒して、セフィがためらいながらといった様子で口を開いて言った。


「……アゼルは、私と一緒じゃ、嫌ですか?」





 外では、相変わらず多くの人々が祭りの最終日を盛り上げ、楽しんでいた。

 けれどやはり、それぞれの表情は微妙に固く、不安を押し殺すように無理をして騒いでいるような感じさえ漂っていた。


「……やっぱり、帰った方が良いのでは?」


 通りを行く大道芸のパレードを眺めるセフィが、あまり乗り気ではない様子で言った。

 それに対してアゼルは少しの間青い空を見上げ、それからセフィを安心させるように笑顔を作って、答えた。


「大丈夫だって。今も偉い人達が知恵を絞ってなんとかしようとしてくれてるんだ。たかが半日ぐらい、俺達が肩の力を抜いたってどうってことは無いさ。俺は、そうしたい。せっかくだから、俺はこの時間を楽しみたい。……ナーグプルは初めてなんだ。セフィは慣れてるんだろ? 色々案内してくれないか?」


 その言葉にセフィも吹っ切れたように、照れた笑顔を返した。


「……そうですね。本当のことを言うと、私、ずっとこういう風に遊ぶのに憧れていたんです」



 セフィに見つめられ、アゼルは胸が高鳴るのを感じていた。

 今もその感情がどういったものか、はっきりと言葉にはできないでいるものの、アゼルはそれを焦るつもりも無かった。


「行きましょう、アゼル」


 そう言ってセフィはアゼルの手を取り、駆け出した。

 アゼルもその手を離さず、同じペースで走り出す。


 こうして一緒の時間を過ごしていれば、焦らずとも答えはその内勝手に見つかるだろう。





 それから二人は様々な出し物を見物し、出店を冷やかし、名所を見て回った。

 そうしてあっという間に時間は過ぎ行き、いつの間にか陽は翳り始めていた。


 二人は一旦休憩することにして、大きな池のほとりの公園へ行き、そこのベンチに腰を掛けることにした。


「……お揃いの小物を買って、一緒にクレープを食べて……。えっと、あとは、何かあったかな?」


 いつの間にかセフィはすっかり心の底から祭りを満喫していたようで、それをアゼルは微笑ましいような、呆れるような、そんな複雑な心境で見つめていた。


「あっ、すみません。なんか、私だけ盛り上がってるみたいで。アゼルはつまらなくないですか?」


「大丈夫、俺も楽しんでるよ。正直、こういうやたらと賑やかなのって初めてだから、なんか目が回りそうな気分ではあるけど」


「そうですか、良かった」


 セフィはそう微笑みながら言うと、また何か興味を惹かれるものを見つけた様子で立ち上がり、駆け出した。

 アゼルがその先を目で追うと、何やら細長い風船をねじって色々な形にする芸をしている人の姿が見えた。


「アゼルは座って居てください。アゼルの分も貰ってきますね」


 俺の分はいいよ、とアゼルが答えるよりも早くセフィは走り去ってしまった。

 アゼルは疲れたようにため息をつくと、ベンチの背もたれへと深く身を預けた。


 それからすぐに、セフィと入れ違いになるように一人の身なりの良い老人がアゼルへと近づき、頭の上の帽子を取りながら声を掛けてきた。





「……隣に座っても、よろしいかな?」


 そう聞かれ、アゼルは咄嗟に視線だけを動かして周囲のベンチを確認した。

 その全てとは言わないまでも、結構な数が空いている。わざわざ既に人の居るベンチに座ろうとする必要は無いはずだ。


「……どうぞ」


 アゼルはその老人を警戒しつつそう答え、自身はベンチから立ち上がって席を譲った。

 それに対して老人はニッコリと微笑むと、アゼルの行為を制するように手を振り、言葉を返した。


「座って居たまえ。私は、君の隣に座ってもいいか、と聞いたのだよ。暇を持て余す老人というものは、若者との会話に飢えた生き物なのだよ。少しぐらい付き合ってくれてもいいだろう?」


 そう言うと老人はまたも屈託なく笑い、それに調子を崩されたアゼルはそのまま老人に付き合うことにした。


「……近頃何かと物騒だが、君は今の世界の有様をどう思う?」


「どうって……言われても」


 いきなり変な話を振られ、アゼルは何と答えていいか分からず、口ごもった。


「単なる世間話さ。堅く考えなくてもいい。何でもいいから、君の率直な意見を聞きたいんだ」


「……正直、気に食わない。どいつもこいつも、威勢の良い綺麗ごとをまくし立ててるくせに具体的にその先をどうしたい、ってのが見えてこないって言うか。結局、そんな建前に隠して、自分だけが不幸なつもりで、身勝手なワガママを喚いてるだけだろ、って思う。……俺なんかが偉そうに言えた事じゃないのかもしれないけどさ」


「そんなことは無いさ。君は実に賢明なものの見方をしていると、私は思うよ」


 そう言うと老人はアゼルに微笑みかけ、アゼルはよく分からないながらも褒められた事にまんざらでもなく、照れ笑いと苦笑いが混じったような表情を浮かべた。


「そうだ。正しくその通りで、そうした欺瞞と傲慢、それこそがこの世界を蝕むものの正体だと、私は思う。……ところで、私は昔、君が生まれるよりも大分昔に、ゲヘナ遺跡に潜ったことがある」


 老人の話は途中で変な方向へと跳んだが、多少警戒心の薄れてきたアゼルは、その話にも軽い相槌を打って乗っかった。


「へえ、俺もつい最近まで、ゲヘナに居たんだ。ダイバーをやってた」


 その言葉に老人は頷き、先を続けた。


「そこで私は、あるものを見つけた。そして、そこから終端戦争の真実を知った。……君は、シェムハザが実は堕天使などではなく、隕石だった、と聞いたらどう思う?」


 それにどう答えるべきかアゼルは迷い、曖昧な愛想笑いを浮かべるだけに留めた。


 この男はそこで何を手に入れたのだろう。何を知っているのだろう。どこまで知っているのだろう。


 アゼルが再び不信感を抱き始める一方、老人はアゼルの反応を気にせずに言葉を続ける。


「君が西方でエノンと言う男と、カルサイトと言うゴーレムから、何処まで聞き及んでいるのかは分からない。だから、一からおさらいをしよう」


 老人はそこで一度言葉を切り、咳払いをしてから、改めて終端戦争に関する話を始めた。

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