_31_アゲインスト・コラプス_
連合首都ナーグプルへと入ったアゼルたち一行は、そのまま教皇庁遺物保全管理局アルファルドの本拠施設にてくつろぎ、旅の疲れをほぐしていた。
アゼルは手持無沙汰でぼんやりと窓の外を眺めるが、その向こうの街中の風景は、ついに始まった千年祭真っただ中で、賑やかな盛り上がりを見せている。
「……まったく、こうして見てると、セリオンがどうとか、内紛がどうとか、まるで夢みたいに感じるな」
アゼルがその光景に皮肉交じりの言葉を零すと、傍で椅子に深く腰を掛けてリラックスした様子のガントが、それに対して言葉を返した。
「流石に首都の警備は厚いからな。ここじゃ暴動らしい暴動もまだ起きちゃいない。こんなとこに引き籠っていれば、評議会の連中だって危機感を持てなくて当然かもな」
そのガントの言葉に、今度はリュゼが口を挟んで言った。
「そういう問題? 単に誰も責任取りたくなくて、決断をタライ回しにしてるだけでしょ」
「どっちみち、当事者意識の欠けた愚図どもという点では同じ事だ。そして、そんな連中を代弁者として選んだ市民たちも、当然なんの責任も無いということはない。外でバカ騒ぎに興じてる連中はもちろん、お前もな。嗚呼、素晴らしきかな民主主義」
「あーあ。連合籍じゃないヘイヴン人は他人事だと思って好き勝手言って下さる」
リュゼは呆れたようにそう零すと、すぐに調子を戻し、話題を変えた。
「で? 争いを止めるったって、具体的にこれからどう動くの?」
それに対して、ガントが何かを言うよりも先に、セフィの言葉が飛んできた。
「教皇聖下とお会いして、話を聞いて頂くことはできないでしょうか」
ガントはそのセフィの顔を無言で見つめ、続きを促す。
「現在の状況を改めて俯瞰すると、ギルドとヘイヴンという強大な後ろ盾を有するセリオンが評議会に揺さぶりをかけ、軍はそれを警戒しつつも、その身内は、慎重派と強硬派に分かれ、主導権を争い始めている。このままでは、連合は完全に瓦解してしまう。それを抑えるためには、まずは、教皇庁という足場を固めるのが先決だと思うのです。その上で、教皇庁全体として統一した働きかけを行えれば、軍にも評議会にも、まだ強い影響を与えることは可能かと」
セフィはそう一気に言い切ると、ガントの反応を待つように黙った。
それに対し、ガントの方は部屋の反対側の大きめのデスクについている樹人へと向いた。
「……ですってよ、ポラートン課長」
「ガンティオー君。それって、私の名前で進言しろって言ってます?」
「いや、そういう話なら、まずはこの課の意見の統一ってとこから始めないと、ってことですよ。別に課員一同とかでも良いですし」
「まあ実際、セフィロトさんの考えは面白いといえば面白い。それに、どの道責任を取るのは私ですし、まあ、良いんじゃないですか?」
ポラートン課長は不承不承という態度でそうブツクサ返すと、樹皮のような肌質の頬を掻き、その振動で、髪の代わりに生えた頭の葉っぱがワサワサと揺れた。
アゼルは改めてその姿を珍しく思い、見つめる。
樹人はかなり数の少ないキマイラで、西方でも滅多に目にしなかった。
それが曲がりなりにもキマイラ差別の根強い東方で、それも教皇庁の課長職に就いているのだから、うだつの上がらなさそうな見た目の雰囲気とは裏腹に、実際にはかなり優秀な人物なのだろう。
「リュゼリアリス君も、それで良いんですよね?」
「もちろん」
ポラートン課長に聞かれ、リュゼは至って軽い調子でそう答えた。
そんな二人のやり取りを、アゼルはまたも不思議そうに見つめながら聞いた。
「リュゼリ……、何だって?」
その質問に、ダークエルフの女はあっけらかんとした態度で答える。
「大げさな名前でしょ? 私の本名。私、こう見えて実は結構良いとこの箱入りお嬢様だったりするのだ。どうだ、恐れ入ったか、ガハハ」
「……見えねー」
とにもかくにも、その意見はすぐにまとめられ、上へと送られた。
教皇庁全体にも強い危機感が蔓延していたこともあり、それは何の問題も無く受理され、セフィの教皇への接見の日取りは最優先で組まれることとなった。
そしてまた、その接見には、セフィの要望により、アゼルも同伴することとなった。
「……これまで、色々と大変な思いをしたようですね、セフィ。そして、アゼル」
大きな窓から温かい陽光が差し入る貴賓室。
その中央には茶が三組用意された小さなテーブルと椅子が用意され、アゼルとセフィは案内されたそこへと着き、教皇へと向かった。
教皇ユーシリアと言う人物は、何処ぞの魔王とは違い、想像した通りの人物だった。
穏やかな微笑を浮かべ、ゆったりとした純白の衣装と高貴で上品な雰囲気を身にまとう、老齢のイオスの女性。
流石のアゼルも、その雰囲気に思わず気圧され、身が縮こまる思いを抱いた。
「……大体の話は聞きました。今、連合を襲いつつある、争いを止めたいのだと」
教皇が茶を一口啜り、そう言うと、セフィはそれに頷いて答えた。
「はい。そのために、聖下の御威光で教皇庁全体を今一度強く束ね、現実の見えていない者たちを正しく導いて頂きたいのです」
「分かっています。枢機卿団もそれは同じ。彼らは有能です。それに、評議会、セリオンという立場、種族の違いがあれど、結局は皆同じ人間同士なのです。教皇庁がその間に立つことで、調停の場を持つことも可能でしょう。大丈夫ですよ、セフィ。教皇の名に懸けて、醜い紛争など、絶対に起こさせはしません」
「はい!」
その教皇の言葉に、セフィの表情は明るくなるが、その隣でアゼルは、露骨に訝しむ表情を見せる。
「……もし、話し合いがこれっぽっちも成立しなかったら? 俺のこれまでの人生で、そういう事は何度もありました。そうなると結局は、拳で無理やり言う事を聞かせるか、諦めて相手せずに背を向けるか……。けれど、この件には逃げ場なんて無いでしょう。そうなると、結局のところ選択肢は一つだけです。そうなった場合、教皇庁はどう動くつもりなんですか?」
そのアゼルの質問に、教皇は励ますように穏やかな笑みを強め、答えた。
「心配はありませんよ、アゼル。セリオンに参加する者たちも、同じ人間なのです。種族の違い、見た目の違いで差別され、そのことで激しい怒りを抱こうとも、その核となる魂は善なるものであることは絶対です。評議会の者たちにしても、欲にかられ、目が曇ってしまっているだけで、その心の奥底には正しい資質が眠っているはず。彼らの間に入り、調停に立つものが根気強く冷静であるならば、話し合いが成立しないことなどありえません」
その言葉にもアゼルは納得することができなかったが、とりあえずはもう何も言わずに黙っていることにした。
この老女は本心からそう言っているのだろうが、現実がそう甘いはずがない。
そもそも、教皇庁もセリオンの標的であるはずなのに、この人物はまるで自分たちが完全に中立的な立場に在るかのように喋っている。
当事者意識の欠けた、中身の無い綺麗ごと。危機の本質から目を背けての、現実逃避。アゼルは、改めて東方を蝕んでいるものを目の当たりにしている心境だった。
「お前も酷いヤツだよな」
エルフの友人にそう言われ、ガントは顔を上げた。
「何が?」
「実際に教皇庁を動かしているのは六人の枢機卿団だ。俺の立場で言うのもなんだが、教皇そのものは飾りとしての象徴でしかない。セフィちゃんをそれに会わせて何になる?」
「教皇が象徴であるなら、セフィもそうだ。西方の魔王から遣わされた、シェムハザの娘。教皇とセフィの会談というのは、それだけで内外に対する牽制として機能する。会談の内容どうこうではなく、会談そのものに意味がある」
「まあ、どの道手遅れかもしれん。評議会はとっくに機能不全に陥っている。元々このところ、市民の間には連合そのものへの帰属意識は薄かったが、ここに来てそれも加速している。地方ではもう、それぞれの種族は独自のコミュニティを形成し、固まり、他の種族を排斥し始める所まで出てきている。事によれば、連合対セリオン、エルフ・イオス対キマイラ、などという単純な二極構造では収まらない事態にもなりかねん」
「まったく、皆そんなに他種族の事が嫌いかね? 俺は別にお前がエルフだろうが、魚人だろうが、樹人だろうが、気にしないが」
「そりゃあ、お前はハナっから他人に興味の無いヤツだからな。俺は、お前がドワーフじゃなけりゃ良かったと思うよ。そうすりゃ、そのいかにも洞窟モグラらしい根暗でネチネチした言い回しも多少は穏やかだったろうしな」
「差別用語を口にしたな? フォーマルハウトに正式に抗議するからな、次の人事評価を楽しみにしていろよ」
そのガントの真面目ぶった言葉に対し、レジェディはただ肩をすくめるだけで答えた。
それも別段気にせずにガントは調子を戻し、質問を続ける。
「……まあ、冗談はさておき、ドワーフと言えば、ヘイヴンの方には何か新しい動きは無いのか?」
「特にこれと言って。故郷を捨てた地上ドワーフから得られる情報は古いものばかりだし、お前以外の鎧を着た連中は皆口が堅い。なんなら、お前がちょっくら帰省がてら情報集めしてきてくれよ」
そのレジェディの冗談半分の頼みに、今度はガントの方が肩をすくめる。
それに対し、レジェディは鼻を鳴らして続けた。
「まあ、新しい事と言えば、この状況自体が新しい事、だな。ずっと南方の地下にこもっていたドワーフが、ここに来て急に連合の情勢にちょっかいを出し始めた。何かあるのは確かだ。……なあ、やっぱ今の話、本気で頼めないか?」
レジェディは改めて真面目な声音でそう言うと、ガントは少し考えるように黙ってから、答えた。
「考えておくよ」
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