_30_ニュー・オブジェクト_


「調子に乗るなよ、ダイバー崩れの野良犬が!」


 ジグが怒りを露わに、アゼルへと猛攻を仕掛ける。

 しかし、アゼルはそれを微動だにしないままに、ピンポイントに魔法防壁を展開することで難なく防いで見せる。


 それがしばらく続いた後、ジグは明らかに狼狽えた様子で一旦距離を取った。

 それに対し、アゼルは素早く翼を広げ、一瞬の内に空いた距離を埋めた。


 そして、それに反応の追いつかないジグが息を呑むのと同時に、その喉元ギリギリへと刃と化した翼の先端を押し当てる。


「……何だよ、なんだかんだあの変人どもに鍛えられた甲斐はあったんだな」


 アゼルはそう小さく呟くと、身動きの取れないでいるジグの腹を蹴り飛ばし、尻餅をつかせた上で、それを翼を畳んだ無防備な姿で見下ろした。


「どうする? まだやるか?」


 ジグは狼狽し、判断しかねている様子で、ただ唸り声を上げるだけだ。


「だったら、さっさと尻尾巻いて逃げろよ。そんで、たかが野良犬如きにおちょくられたって恥を抱いたまま、ずっと日陰で生きてろ」


 その言葉にジグは狂ったように雄叫びを上げ、勢いよく跳ね起きると、アゼルへと鋭い尻尾の突きを仕掛けた。


「貴様! 何もかもから逃げて、根無し草をやっているような輩が何を! 確かにお前のような半端者には、真っ当な努力すら無視されるキマイラの苦悩など分かりはしない! 貴様の方こそ、消えろ!」


「……だからうるせえっつってんだよ! 自分自身の腐った性根を棚に上げて! お前みたいな奴が居るから! お前みたいなのがゴチャゴチャと自分勝手な事を喚くから、本当に真っ当に生きてる人たちが迷惑するんだって、理解しろ!」


 ジグの尻尾をほんの少しの動きだけでかわしたアゼルは、固く握った拳でカウンターを見舞った。

 その直撃をもろに顔面に食らったジグは、、翆色の血をまき散らしながらよろめき、大きな音を立てて地面に崩れ落ちた。


 そのまま怒りと憎しみに唸り声を上げ、悶えるジグへと、アゼルは冷ややかな声で再び告げた。


「消えろ!」


 それに対しジグは、負け犬の遠吠えそのものといった叫びを上げ、アゼルに背を向けて全力で走り去っていった。


 その姿がすっかり視界から消え去ってから、アゼルは周囲を見渡した。

 あれだけ威勢よく騒いでいた暴徒たちは、今では皆意気消沈し、治安維持隊によって身柄を抑えられている。


「……あんた、ちょっと見ない内にどうしちゃったの?」


 リュゼが茫然とした様子でそう話しかけると、アゼルは肩の力を抜いた様子で巨体をフォティアへと還元し始めた。


「疲れたから後だ。とりあえずセフィたちのところに案内してくれ」






「お前、本当に生きてたのか。何処で何してた」


 リュゼに案内されて軍の施設へと移動したアゼルを、まずガントがロビーまで出迎えて言った。

 その表情は相変わらず鎧の奥で見ることはできないが、その声には明らかな喜びが滲んでいて、アゼルとしてもそういう風に迎えられることはまんざらでもない心境だった。


「まあ、色々あって。西方の魔王のとこに居た」


「なんだよそれ、面白そうな話じゃないか。部屋に案内するから、ゆっくり聞かせろ」


 そう言って手招きして歩き出したガントの後を追ってアゼルとリュゼも歩き出すが、通路の奥から駆け寄る人影を見つけ、三人は一旦足を止めた。


「アゼル!」


 セフィが、涙を浮かべた目をまっすぐにアゼルに向け、走ってくる。


「すぐに連れて行くから、部屋で待ってろって言っただろ。まったく」


 苦笑いしながらそう言うガントの横をすり抜け、セフィはアゼルの前までたどり着くと、息を弾ませ、両手でアゼルの手を取り、強く握りしめた。


「アゼル! ……良かった、あなたが生きていてくれて、本当に良かった……!」


 激しい息遣いの合間合間に差し込むようにそう言うセフィの目からは、大粒の涙がはらはらと零れ落ち始める。

 

 それに対し、アゼルはセフィと再会したら色々と言いたいことや聞きたいことがあったはずなのに、いざこうなるとその全てが頭の中で急に薄れ、何の言葉も出てこなくなってしまった。


 だからアゼルは、用意していた言葉の代わりにセフィの手を強く握り返し、それからセフィを安心させるような声で、改めてゆっくりと言葉を紡ぎながら言った。


「……大丈夫、俺は生きてる。……生きて、ここに居る」





 それからアゼルとガントたちはそれぞれに別れてからの事を話し合い、情報を共有した。

 

「で? アゼル、お前、これからどうするんだ? 俺たちについてナーグプルまで来るのか、それともゲヘナへ戻るのか? あるいは、そのまま西方に付くのか?」


 一通りの話が終わり、そう聞いてきたガントに対し、アゼルは曖昧な返事をする。


「よく分からない。俺はただ、セフィともう一度会いたくて。それだけで東方に戻ってきたんだ。その後のことなんて、考えてなかった」


「え? 私に会いたいって、それって、どういう……?」


 思わずそう聞き返すセフィに対し、ガントが素早く割り込み、話を軌道修正した。


「はいはい。そういうのは後で二人だけで好き勝手やってくれ。今はとりあえず今後の方針固めを優先だ。で、アゼル?」


「あ、いや、だから、俺はセフィ次第だ。セフィが俺を必要としてくれるなら、俺はセフィの傍に居る。この力は、セフィのために使いたい」


 アゼルはそう宣言すると、それからセフィの方を向いて続けた。


「一応言っておくと、魔王は大分お前のことを心配していた。多分、場合によっては力ずくでも連れ戻すこともあるかもしれない。お前は、どうしたい?」


 その質問に対し、セフィはしばらく俯いて考えに耽り、それから頭を上げると、はっきりとした声で話し始めた。


「私は、この争いから逃げるわけにはいきません。この争いには、私の血が利用されてしまっている。本来魔王は東方の情勢を安定させるための助けとして私を遣わせたのに、状況はその真逆を行ってしまっている。私には、この争いを止める義務があります」


「別に、セフィのせい、ってわけじゃないでしょ。そんな義務なんて感じる必要ないんだよ?」


 リュゼが優しく諭すように言葉を掛けるが、セフィはそれに対して首を横に振り、続ける。


「義務という言い方がおかしいのなら、単なる私のワガママとして聞いてください。いずれにしても、私はこの争いを止めたい」


 それからセフィは真っすぐにアゼルの瞳を見つめ、尋ねた。


「私と、一緒に来てくれますか、アゼル?」


 それに対し、アゼルはしっかりと頷いて答えた。





 ジグが上からの指示を無視して迂闊な行動をし、挙句、無様にも尻尾を巻いて逃げ帰って来てから、既に一週間ほどが経つ。

 ナーグプルまでの道中も、そこにたどり着いてしばらく経つ現在も、ジグはずっと苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、歯を食いしばるように黙りこくっていた。


 シシにとってはその静寂は堪らなく心地良いもので、余計な茶々を入れてその静寂を崩すつもりも更々なく、シシ自身も黙ってその時間を謳歌していた。


 けれど、その満足感が表情に漏れ出てしまっていたのだろう。それを目ざとく見つけたジグが低く唸るような声で、咎めるように言葉を吐いた。


「……何を笑ってるんだ」


 シシは内心、しまった、と思いつつも、手遅れながらも表情を引き締め、何でもない風を装ってそれに答えた。


「……笑ってねえよ」


 そのあからさまに取り繕うような言葉にジグは全く納得しない風で、座っていた椅子を立ち上がり、真っ直ぐにシシの座るソファへといやにゆったりとした動きで近づいた。


「何がおかしい?」


 シシの目の前まで来たジグがその胸倉を掴んで詰め寄ると、シシの方もいい加減に頭に血が上り、ジグの手を払うとその場から立ち上がって声を張り上げた。


「笑ってねえっつってんだろ! 被害妄想もいい加減にしろよ!」


「貴様!」


 二人の醜い言葉の応酬は、すぐに取っ組み合いへと発展した。


「止めてよ、二人ともお願いだから落ち着いて!」


 その段階になって、それまで部屋の隅で固まるように事態を静観していたヨーラも流石に止めに入るが、二人はまったく冷静になる素振りも見せず、更にヒートアップしていく。

 遂にはジグが握り拳を振り上げたが、それと同時に部屋の扉が開き、咄嗟に二人は動きを止め、そちらへと意識を向けた。


「……何をしているのです? まったく、騒々しい」


「……アメトリン。何の用だ? 呼んだつもりは無いが」


 ジグが面白くなさそうな表情をして振り上げた拳を下ろしながらそう言うと、アメトリンの方はその意趣返しの言葉も気にせず、部屋の奥へと入ってきた。


 その後ろから一緒になって、もう一人別の人間も入ってきていた。

 銀色の髪。白い肌に短い耳。やけに無表情というか、それを通り越して感情そのものが存在しないかのように、固い表情をした少女。


 シシはその見知らぬ姿を不審に思うものの、この状況で下手に口を開くほど迂闊でもなく、ただ黙って衣服の乱れを整えた。


 丁度シシとジグの間、三角形になるような位置まで来たアメトリンはジグの質問には答えず、後ろを振り返って同行者へと話しかけた。


「さあ、アレクサ、自己紹介を」


 そう言われた少女は一歩前に出ると、視線を真っ直ぐにジグへと向け、表情と同様、感情のまったく籠らない平坦な声で、自己紹介を始めた。


「アレクサと申します。ただいまを以てミンスキンに参加させて頂きます。よろしくお願いいたします、隊長」


 その言葉を聞き、ジグは訝しむ表情で少女を値踏みするように眺めると、ふいに何かに気付いた様子で視線をアメトリンへと移し、聞いた。


「どういう事だ? こいつは……」


 ジグが言い終わらない内に、アメトリンがそれに被せるように答えた。


「ゴーレムです。それがどうかしましたか? あなたは教皇庁の欺瞞も打ち破ろうとしているのでしょう? それとも、あなたは彼らの嘘を今も信じるのですか? ……ゴーレムは危険な存在などではありません。アレクサも強力な味方となってくれるでしょう」


「しかし、だからと言って……。今頃になって急にこんな道具を使えと寄越されても、こちらにも都合というものがある」


 その言葉に、アメトリンの表情が微かに険しくなる。


「アレクサはあなたの対等な”仲間”です。物扱いすることなど、私が許さない。その事、重々承知しておきなさい」


 アメトリンははっきりとした口調でそう告げると、アレクサへと視線を戻した。


「ではアレクサ、よろしく頼みます。どうか彼らの助けとなってやってください」


「了解」


 その無機質な返答にアメトリンは一瞬だけ悲しそうな、あるいは寂しそうな表情を見せると、そのまま他の者たちに軽く会釈で挨拶をして、アレクサを残して部屋を去っていった。





 アレクサはそれからもただジグの目を無表情で真っ直ぐに見つめ、黙ってその場に立ち続けるだけだった。

 

「……どうした? 何か言いたい事でもあるのか?」


 その視線に怯んだようにジグが尋ねると、アレクサはそれに対して即座に端的な答えを返した。


「対処すべき行動指針が設定されていないため、待機しております、隊長」


 その返答にジグは大きなため息をつくと、ウンザリした様子で追い払うように手を振りながら、アレクサに指示を出した。


「そこに立っていられると邪魔だ。部屋の隅にでも移動し、そこで別命あるまで思う存分待機し続けているがいい」


「了解。別命あるまで、部屋の隅にて待機を継続」


 そう復唱し、アレクサは如何にも機械的な動きで部屋の隅まで歩いていくと、直立した姿勢のまま動きをピタリと止めた。


 ジグはそれをしばらく眺め、また大きくため息をつくと、シシとヨーラの方を振り返った。

 それに対し、シシはただ肩をすくめるだけで、ヨーラの方はただポカンとした間の抜けた表情を見せるだけだった。


 一方で、ジグの方も先ほどまでの怒りは何処かへ消え去った風で、心底ウンザリした様子で疲れをありありと滲ませている。


「まったく、どいつもこいつも、バカバカしい」


 ジグは吐き捨てるようにそう言い放つと、部屋を出て行った。


「……あれ、終端戦争で暴れた機械人形、なんだよね。本当に危なくないのかな」


 ジグが出て行ってからしばらくして、ヨーラが不安そうにシシにそう尋ねると、シシはピクリとも動かないアレクサをぼんやりと眺めながら、それに答えた。


「知るかよ。何だっていいさ、もう。なるようになるだろ」

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