_29_ファイアリング_


 近日中にも事態は大きく動き出す。最早計画はセフィロトを奪取して利用どうこうという段階でもなく、ミンスキンもそれに備え、首都ナーグプルへ移動を開始する予定になっていた。

 しかし、それまでには半日ほどの隙間が生じ、ジグは時間を持て余し、郊外の自然公園へと足を運んでいた。


 加速度的な事態の進展にも一向に無頓着で蒙昧な市民たちによる、千年祭の飾りつけや催し物の舞台設営の準備などがここでも慌ただしく行われているものの、そこは街の中心部の喧騒に比べればずっとマシで、落ち着ける環境だった。

 それからジグは手近なベンチに腰を下ろし、何を注視するでもなく、ただぼんやりと目の前の光景を眺め続けた。


 そんなジグの視線がしばらくして、少し離れた場所に位置する、ひとつの建物の存在に気付き、そこに据えられた。

 教皇庁の施設にしては飾り気の無い、無骨な白い大きな箱型の建物。

 アルデバランの研究施設。


 今もそこにセフィロトが居るのは分かっているが、迂闊に手を出すことはできない。

 今ヘタに動けば全体の計画に支障をきたすのは理解しているし、組織のまとめ役であるアメトリンからも釘を刺されている。


 しかし、ジグの内心では、このまま失敗を失敗として残し続ける事に対する忸怩たる思いと、アメトリンの態度が堅実な慎重さからのものではなく、ただ土壇場で臆病風に吹かれて及び腰になっているだけなのではないかという疑いが渦巻いてもいた。


 いずれにせよ、ジグはそうした鬱屈としたものを腹の内に抱えながらも、それを表には出さず、ただじっと座り、じっと風景を見つめるだけだった。





 そうしてしばらく時間が経ってから、少し離れた場所でちょっとした騒動が発生した。


「……お前、今なんて言った。もう一度言ってみろ!」


「ああ、何度だって言ってやるよ、この犬野郎!」


 祭りの準備作業中に何かあったのだろう。エルフの若者と、壮年の犬系の獣人が激しく喚き、取っ組み合いのケンカを繰り広げている。

 その周囲では面白がってはやし立てる者、制止の言葉を投げる者、ただ慌てふためくだけの者、それぞれだったが、皆に共通するのは、そのケンカを他人事として遠巻きにするだけで、直接的には誰一人介入しようとはしないことだった。


 ジグはその馬鹿騒ぎをしばらく無表情に眺め、それからふいに立ち上がると、その輪に向かって歩いていった。


 ただ無責任な言葉を喚くだけの野次馬を掻き分け、ジグがケンカしている当事者たちの前に立つと、その二人は突然の闖入者の姿に虚を突かれたように動きを止めた。


「……どうした? 続けろよ」


 そのジグの言葉に、ケンカしていた二人は戸惑うように視線を交わし、露骨に狼狽えた様子を見せる。


「え、いや。あんた、誰? ……止めに入ったわけじゃ、ないのか?」


 その獣人の言葉に、ジグは嘲るように薄い笑いを零す。


「止めやしないさ。俺だってこういう馬鹿なエルフ連中には腹が立っているんだ。思う存分、続けろよ。……あんたが続けないなら」


 ジグはその先は言葉にせず、固く握った拳をエルフの若者に飛ばすことでそれを代わりとした。


 エルフは馬鹿みたいに勢いよく吹き飛び、地を転がると、野次馬たちはそれを助けるどころか、磁石が反発でもするようにサッとその周囲から飛び退いた。

 次の瞬間、しばしの静寂を打ち破るように、周囲に甲高い悲鳴が連鎖し始めた。

 ジグはその悲鳴の中、周囲の野次馬達の中のキマイラ一人一人と目を合わせていく。


「……お前たちの中にも、溜まりに溜まったものはあるのだろう? 全部吐き出してしまえ。声を張り上げろ、拳を振り上げろ。”汝の欲するところをなせ”。お前たちを縛り付けていた鎖を、お前たち自身で引きちぎれ」


 そう言うとジグは手近なイオスを無言で力いっぱいに殴りつけ、駄目押しの言葉を放った。


「……さあ、俺に、続け!」





「はあ? 暴動?」


 ガントからの報せに、リュゼは思わず素っ頓狂な声を上げた。


「近場の自然公園で種族間のちょっとしたケンカをきっかけに、それを何者かが扇動して大騒ぎに仕立て上げたらしい。すぐに軍が治安出動したが、その”何者か”が巨人に変身して応戦。もう滅茶苦茶な有様のようだ。……というわけで、リュゼ、お前、ちょっとお手伝いに行ってこい」


「はいはい。連中、最近大人しくしてると思ったら急に来たね。まったく、物騒な世の中だこと」


 そうぶつくさ零しながらリュゼは即座に部屋を飛び出し、一方のガントはセフィへと駆け寄る。


「セフィ、万が一ということもある。今の内に軍の施設に移るぞ」


 その指示を受け、セフィは最後にもう一度窓の外の風景に目をやってから、歩き出した。


「……ネフィリム。私の血のせいで、世の中がおかしくなっていく……」





 敵のネフィリムはミンスキンのジャッカル一体のみ。

 とは言え、それだけでも十分すぎるほどの脅威な上、その周囲を取り巻く暴徒の数は時間を経る毎に新たな賛同者を巻き込み、その数を増していく。軍の小規模な即応部隊ではすぐに手も足も出ない規模となり、要請した応援が到着するまでの間、彼らはただ遠巻きに暴徒の後を追いかけるので精一杯だった。


「いい加減にしろよ、カルトども!」


 白い巨人となったリュゼが暴徒たちの前にそう言って立ちはだかると、それまで威勢の良かった暴徒たちは我先にと黒い巨人を盾にするように、その後ろ側へと回った。


「恐れることはない。諸君の言論は私が護る。言葉を止めるな。足を止めるな。何人も、我々の正義を不当に弾圧することなどできはしないのだから!」


 黒いネフィリムはそう吠えると、一気にリュゼへ向けて突進を仕掛けた。


「自分勝手なことをベラベラと!」


 リュゼはその突進を真っ向から受け止め、その腹へと重い膝蹴りを見舞った。

 敵はそれによろけ、その隙にリュゼは追撃として相手の背中へと力いっぱいに拳を振り下ろした。

 それもクリーンヒットするも、敵は大したダメージは受けていない様子で受け身を取ると、素早い動きで間合いを取った。


「逃がすか!」


 間髪入れずに更なる追撃を重ねようとするリュゼだったが、今度は先ほどとは打って変わって、暴徒たちの方がジグの盾となるように立ちはだかったため、その光景に怯んだように足を止めてしまう。


「……どうした? 彼らはキマイラだぞ? 気にせず、その強大な力で思う存分、蹂躙し、抑えつけはしないのか? 貴様らが今までずっとしてきた事だろう? 何を今更戸惑う?」


 余裕の態度でジグが一歩一歩ゆったりと進むと、暴徒もそれを護るように一緒に前進する。

 リュゼの方はそれに押されるようにジリジリと後退しつつ、絞り出すように吠えるしかなかった。


「……卑怯だぞ、お前」





 そうして両者は一定距離を保ったまま、しばらくの間ジリジリと移動を続ける中、丁度その中間の地点に、ふいにどこからともなく突然に人の姿が出現した。


「え? あ、あれ? どこだここ?」


 それが何者か気付いた瞬間、リュゼは思わず間の抜けた叫び声を上げていた。


「アゼル!? あんた、生きてたの? ていうか、どっから出て来たんだよ!」


「リュゼ? いや、だって俺、今、クシストロスのとこに居て……。それで……、一刻も早くセフィのとこへ行かなきゃ、って思ったらなんか急に体が……。え、何だよコレ?」


 互いに混乱し、まったく会話が噛み合わない中、リュゼはすぐに頭を切り替え、今現在とりあえず優先して対処しなければいけない方へと意識を戻した。


「アゼル! よく分かんないけど、また頼りにしていい? とりあえず手伝って!」


 そう言ってジグに対して身構えるリュゼの足元で、アゼルはまだ状況を理解していない様子で、リュゼの視線を追って振り返った。


 その先にある黒い巨体を視界に捉えたのだろう。

 アゼルの纏う雰囲気が瞬時に変化し、その周囲にフォティアが急速に集まっていく。


「あんたらまだこんなこと続けてたのか。なんかいまいちよく分かんねえけど、いいぜ、任せろ。……トランス!」


 そう叫んだ瞬間、アゼルの体は眩い光に包まれ、巨人への転化はほんの一瞬の内に完了した。





「な、なんだお前、その姿」


 リュゼはその以前とは一変したアゼルの巨人態を見て戸惑う。

 一瞬、アゼルに似た別人なのではないかとさえ思うものの、その体から発せられるフォティアの匂いには確かにアゼルの面影が強く残っている。


「まあ、色々あったんだよ。後で落ち着いてから説明する。とりあえずこれだけ先に聞いとくけど、セフィは無事なんだろ?」


「ぶ、無事。今は多分、ガントが安全な場所に避難させてるはず」


「ガントも無事か、良かった。……よし、じゃあ、さっさとこいつぶっ潰すか!」


 そう威勢よく宣言するアゼルだったが、その胸元へと暴徒の一人が石を投げてきた為、一旦視線をそちらへと落とし、その姿を見下ろした。


「貴様、獣人だろう! 何故そちらへ付く! そいつらは俺たちの敵なんだぞ!」


 その雄叫びに、他の暴徒たちからも同意の声が次々と上がり、アゼルは呆れたような調子で言葉を返した。


「……都合の良い時だけ仲間扱いしやがって。俺はそんなあんたらみたいなキマイラ扱いすらロクにされてこなかった、”半端な雑種”なんだぞ。冗談じゃねえぞ、まったく」


「いずれにせよ、虐げられてきた側の人間だろう。こちらへ来い! お前の居場所はこっちだ。ともに連合を打倒し、真の平等社会を作るんだ!」


「くだらねえっつってんだよ!」


 そう吠えるとアゼルは暴徒たちに魔法の衝撃波を放ち、彼らを吹き飛ばし、一掃した。


「お、おい、何やってんだアゼル! 一般市民相手だぞ!」


 突然のアゼルの行動にリュゼは慌てふためくものの、アゼルの方は至って落ち着き払った様子で、リュゼの言葉に答える。


「大丈夫だよ、あれぐらいで死にゃあしねえよ。ちゃんと加減はしてるから。……ったく、何が一般市民だよ、冗談じゃねえ」


 確かにその通りのようで、人々はうめき声をあげながらもヨロヨロと立ち上がり、巨人たちから離れていく。


「……随分と魔法の扱いに上達したようじゃないか、アゼル。しかし、俺のことをさっさとぶっ潰す、などと抜かしたのは思い上がりだな。呼ばれてもいないのにノコノコ出てきておいて調子に乗っていると、痛い目を見るぞ」


 相変わらず余裕しゃくしゃくといった態度で居るジグに対し、アゼルも挑発に乗ることなく落ち着いて、それに向かって構えを取る。


「まんま雑魚のセリフだな。いいから掛かって来いよ」

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