_28_シチュエーション・ゴーズ・オン_
メフリーズ郊外に位置する、教皇庁神学研究調査局、通称アルデバラン所有の施設のロビーを訪れた男が、目当てのドワーフの旧友の姿を片隅の小さな食堂の中に見つけ、屈託の無い笑顔を浮かべて近づいた。
「……よう、久しぶりだな。随分と息災なようじゃないか」
「冗談抜かせ。この数か月で何度死にかけた事か」
「その割には元気そうだ、ってことさ」
そう返されてフンと鼻を鳴らすガントに対し、男はその向かいの席に着き、給仕に飲み物を注文した。
それが済むのを待ってから、ガントは本題を切り出した。
「悪いが、お前の大好きな中身の無い世間話は割愛だ。今あるだけの情報をくれ」
「相変わらずつまらん男だな、お前は。往々にして、漏れてはいけない機密情報というものは、そうした下らない日常会話の端々に潜むものなんだぞ? 俺達なりの戦術、というやつさ」
「レジェディ、悪いが、俺はお前のスパイごっこに気持ちよく付き合ってやれるほどガキじゃない」
ガントの皮肉に対しても、線の細いエルフの優男は薄い笑みを顔に張り付けたまま、ただ肩をすくめるだけで答えた。
「仕方ないな。……分かってるだろうが、フォーマルハウト職員として正式に開示する情報じゃないからな。あくまで出所不明の未確認情報、単なるうわさ話、だ」
「分かってるよ。迷惑をかけるつもりはない」
「つもりは、ね」
それから男は給仕の持ってきた茶を一口啜り、一転して真面目な表情を見せ、話を始めた。
「良いニュースと悪いニュースがごちゃ混ぜに存在している。セリオンがトランサーの量産に入っているというのは事実のようだ。しかし、どうやらそれは適合確率を上げるために性能を犠牲にしたものらしい。当初想定していたほどの脅威とはならないかもしれない」
「しかし、全容の知れない相手を見くびるのは危険だ」
ガントの言葉にレジェディは頷き、続ける。
「そっちは? 今もこの施設でセフィちゃんに協力してもらって、色々やってるんだろ?」
「こっちも良い報せと悪い報せの混在だな。やはりネフィリムの増産は難しい。霊薬をどれだけ改良しても、適合に失敗したときの人体への悪影響が余りにも大きすぎる。中々リュゼの時のような好条件が揃うのを期待するのも難しい」
「何処ぞの地下カルトどもみたく、危険な人体実験をホイホイ繰り返すわけにもいかんしな」
「そう言えば、その線は? 奴ら、相当回数の人体実験はしているはずだ。不審な失踪事件なんかを追えば、何か奴らの根幹に繋がる情報が出てきたりは……」
そのガントの指摘は、レジェディが首を横に振った事で途中でかき消された。
「俺達のごっこ遊びと違って、軍のプロ連中は無能じゃない。が、芳しくはないようだ。……まあ、そのためのミンスキンなんだろうな。素性の知れないキマイラばかり集めた傭兵部隊。連中は、本来”連合市民”としては存在しないはずの者たちだ。存在しないはずの者たちが影でどうなろうが、そうした事件自体、存在のしようがない。存在しない事件など調べようが無い」
その言葉に、今度はガントが鎧の奥で溜め息をついた。
「連合社会の闇、だな。……話を戻すぞ。ネフィリムの増産そのものは難しいが、一方でその研究課程で得られたデータは対ネフィリム戦で有効活用できるし、軍の魔法戦部隊の戦力強化にも繋がる。敵がどれだけの戦力を擁するか次第だが、こちらも全くの無力というわけでもない」
「……結局のところ、最悪、大規模な衝突となれば、どうなるかは蓋を開けてみなければ分からないな。そう言えば、もう一つ。最近、アトルバーンがヘイヴン入りしたようだ」
「目的は?」
「さあ?」
それからの一瞬の沈黙の後、ガントが呆れるように声を絞り出して言った。
「やっぱり役に立たんな、フォーマルハウトは」
「そう言うなよ。こっちだって本業の広報活動の片手間にスパイごっこやってる身なんだ。権限や手段がかなり限定されてる中ではよくやってるつもりなんだがな」
「まあ、いい気分転換にはなったよ。また何かあれば知らせてくれ」
そう言うとガントは立ち上がり、レジェディも茶の残りを一気に飲み干すと、それに続いて席を立った。
「ああ。リュゼとセフィちゃんにもよろしく言っといてくれ。それと、ナーグプルに戻ったらあのワサワサうるさい課長さんにも」
「ああ。それじゃあ、また」
それから、施設内の自分たち用にあてがわれた部屋へと戻ったガントを、リュゼが退屈した様子でソファに寝転がりながら迎えた。
「あ、もう戻ったの? どうだった? デート」
「悪いな。そういう下らない茶化し方をする奴は無視することに決めてるんだ」
そう言うとガントは別の椅子へと腰掛け、室内に居るもう一人の姿へと視線を送った。
窓際に立ち、その向こうの景色を心ここにあらず、といった雰囲気で無表情に見つめるセフィ。
「もう、ずぅーっとあんな感じ。まったく、あいつも生きてるんだか、死んでるんだか、それだけでもハッキリしててくれりゃ、セフィも多少は気持ちの整理がついただろうにさ」
軽い口調とは裏腹に、リュゼはセフィの事を心配そうに見守りながら、そう言った。
「あいつに生きていてほしいと思うのは、俺達だって同じだろう。でなければ後味が悪すぎる」
「へえ、意外。あんたにもそういう人間的な感情ってあったんだ」
「……お前、俺を何だと思ってるんだ?」
呆れてそう聞くガントに対し、リュゼはキョトンとした表情を見せ、何かを言おうと口を開いた。
それに対し、ガントは掌を素早く差し出してリュゼの言葉を遮り、止めた。
「いや、答えなくていい。どうせロクな答えじゃない。聞いた俺が馬鹿だった」
それに対しリュゼは鼻を鳴らし、肩をすくめてみせると、ソファの中でモゾモゾと動き、大きな欠伸をした。
窓の外では、改暦千年祭を間近に控え、その準備が慌ただしく行われている。
それを苛立つように眺めつつ、ジグはただ黙って長い廊下を目的地へと歩き続ける。
その途中で、黒ずくめのペクス構成員たちが数名、固まって談笑しているのに遭遇し、ジグはその内容が自分の失敗を嘲るものだと気付いたが、わざわざ相手にはせず、黙ってその横を通り過ぎることにした。
ゲヘナでの失敗以降、こうしたことは目に見えて増えた。
当然、内心面白くはないが、それだけの失態を演じたことは確かなのだから、ジグとしてはただ歯を食いしばって耐えるしかなかった。
自分たちは、過酷な選抜を突破した選りすぐりだ。
セリオンの中心に立ち、それを導く立場だ。
あのような無様な失態など、あってはならないことだ。
ジグは頭の中に反響し続ける嘲笑に苛立ちながら、とうに痛みの消えた胸の傷を鷲掴みにした。
「アゼル……!」
単なる下賤なゲヘナ・ダイバー如き。そんな輩に受けた屈辱。
ジグの肚の中では、今もアゼルへの憎悪が激しく沸き立っていた。
なんとか気を鎮めつつ、ただ足を動かしていると、ようやく目的の部屋へと辿り着き、ジグはその扉の向こうへと入っていった。
「ジグ? どうしました? 呼んだおぼえはありませんが」
長い黒髪をした、いかにも聖女とでもいった雰囲気の女。
組織としてのセリオンの指導者、というか、それこそ象徴といった存在。
俗な見方だが、この女の容姿や雰囲気もまた、セリオンという思想を急拡大させた要素のひとつなのは確かだろう。
ジグはそんなことを考えながら、黙って部屋の奥へと踏み入っていく。
「……量産型とは別に、強化型のトランサーがあると聞いた。それをミンスキンに回してもらいたい」
女は訝しむ視線をジグに投げかけつつ、慎重に言葉を選ぶようにそれに答えた。
「……あれは、失敗です。全て破棄させました」
この女は、余りにも嘘をつくのが下手すぎる。
その清廉さも人気を支える重要な要素なのだろうが、実際のところ、セリオンに本当に必要なものは、より狡猾で、より強靭な精神だろう。
この女にはそれが無く、自分にはそれがある。
ジグは内心でそう思いつつも、今はまだそれを表に出す時ではないということぐらいは弁えていた。
「……まあ、いいでしょう。しかし、いざ事が動き出せば、どうしたって力は必要になる。何もかもが理想通り、とはいかない。清濁併せ持つ覚悟も、あなたには必要だ。そのことは、重々承知しておいて頂きたい」
「……分かっています。私とて、伊達や酔狂でこの立場に在るわけではありません」
その返事にジグは微かに鼻を鳴らし、それ以上は何も言わずに恭しく頭を下げ、部屋を退出していった。
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