_セリオン蜂起_

_27_アトルバーン_


 街の小さな広告屋。その三人兄弟の末っ子として、男は産まれた。

 上の二人は成長するとすぐに家を出ていき、必然的に男が家業を継ぐことが期待された。


 男は本心では考古学の道に進みたかったものの、その学問はエノンズワードの教義に沿わない研究は許されない、自由の束縛された茨の道であるということと、自分にはそれほどの才能も無いという自覚から、素直にその道は諦め、大人しく家業を継ぐことにした。


 しかし、結果的にはそれで良かったのだろう。

 男は生来的な人当たりの良さから顔が広く、嘘や傲慢さを嫌う実直な性分からも、彼の言葉は皆から信用された。そんな彼の性分と才能を周囲の商売人たちは好み、喜んで仕事を依頼した。


 そうして瞬く間にその仕事の規模は大きく、広くなり、街一番の実業家となった男は、街中の商店や企業のまとめ役のような立場へと担ぎ出されることとなった。

 家業の広告屋は既に個人の資質に依らない強大かつ堅固な組織として成長していたため、男はその役目を快く引き受け、そのための組織をすぐさままとめ上げた。


 その組織もまた、目覚ましい成長を続け、やがて街を飛び出し、周囲の他の街々にも勢力を伸ばし、気付いた時には連合評議会にすらも大きな影響力を及ぼせるほどに肥大化していた。


 その頃には齢五十を超えていた男は前線を退き、かつての夢に再び向き合うことにした。

 しかし、擦れた大人となってしまった男には、どの考古学の書籍や資料にもエノンズワードの教義によって塗り潰されてしまっている部分がある事が鼻について仕方なかった。


 男は、ただ真実を求めた。

 様々な事情から、今なお禁足地扱いとされているゲヘナ。そこになら、まだ手付かずの前暦文明の痕跡が残されているかもしれない。

 男は欲に負け、彼にしては極めて珍しく、わがままを言うことにした。

 男はギルドの金と立場を使い、連合評議会に圧力をかけ、禁じられたゲヘナ遺跡の発掘を認めさせようとした。

 腐敗した評議会の懐柔は簡単だったものの、教皇庁は中々首を縦には振らず、結局は激しい政治的駆け引きの末、幾つかの条件と引き換えに、男の望みは果たされることになった。

 そうしてピカクス社が設立され、遺跡の発掘は開始されることになった。


 少なくともこの段階においては、”絶対中立かつ純粋な考古学への貢献を目的とした遺跡発掘調査”という名目は、男の本心そのものだった。





 そうして男は専門家を引き連れ、我先にと遺跡へと潜った。

 そこは見たことも無い前暦の遺物の宝庫であり、それらの宝が結局は教皇庁に没収されるとしても、男はそこにただ立てるだけでも十分すぎるほどの歓喜に震えた。


 しかし、男はその先で、ついにそれらを発見してしまった。

 厳重に不活性化され、封印されている完全なゴーレムと、半壊した別のゴーレムの残骸。そして、翆色の不思議な質感の材質で縁取られた碑文のようなもの。


 それを見つけた瞬間、男の中でまたも欲が爆発した。

 発掘を監督する連合軍や教皇庁、それらの組織そのものの懐柔は難しくとも、今この場に居る者たち数人程度ならどうとでもなるだろう。


 男はそれら発見物を自分のものとして、持ち帰ることにした。





 それからもピカクスによる発掘作業は囮として継続させつつ、男は手に入れた碑文、エメラルド・タブレットの解読に没頭した。


 エノンズワードの検閲を免れた前暦の叡智の結晶。

 男はそこに記された終端戦争の真実に衝撃を受け、今の改暦世界を縛る大いなる欺瞞を知った。


 男はそれから迷わずゴーレムの封印を解き、それを目覚めさせた。

 艶やかな長い黒髪を持つ、美しい女を模した人形。

 そのゴーレムは、自分自身の経験として、惨たらしい終端戦争の記憶を語った。


 それらの真実を知り、男は、決断した。

 世界に蔓延る欺瞞と傲慢をすべて拭い去り、この星に住むすべての知性を呪縛から解放し、自由にする。


 そのために男は警備会社という隠れ蓑を纏った武装組織を形成し、それを発言力の後ろ盾とする思想集団、セリオンを用意した。





「もうすぐすべての準備が整うよ、アメトリン。後は君の選択次第ですべて動く」


 暖かな風が吹き行く草原にぽつんと立つ邸宅のテラス。

 安楽椅子に腰かける老人が、穏やかな口調で隣に立つ黒髪の女性へと語り掛ける。


「……私はただ、かつての悲劇により散っていった同胞たちの名誉を回復したいだけです、アトルバーン閣下。セリオンにはあくまで抑止力、”交渉手段”のひとつであってほしい。私には過剰な暴力を実際に行使するつもりはありません。けれど、怒りに沸き立つセリオンは、その範疇を逸脱し始めている……。私の与り知らぬところで、隠れてコソコソと、あろうことかネフィリムなどというものまで用意していた。また同じ過ちを繰り返すことになりそうで、私はそれが怖い」


「セリオンがそういった性質の組織となったのは、それに参加する者たちそれぞれの意識がそうさせているからだ。連合に虐げられてきた者たち。その被害者意識の強さ。穏便な解決では満たされない、激しい怒りの矛先。”汝の意思することをなせ”。最早セリオンという実体を得た激情は止まらない。君にできることは、今度こそその手綱を握り、然るべき調停を果たすか、それともすべてを投げ出し、役を降りるか。それは君の自由だ。好きに選択したまえ」


「……分かっています。すべては私の罪。今更何もかもを無かったことにはできない。私にできることはただ、これから先の未来を少しでも良いものにするよう行動することだけ。……けれど、それでもやはり考えてしまうのです。あの時、シェムハザさえ墜ちなければ、と」


 アメトリンの長い黒髪が風に舞うのを老人はしばらく無言で見つめ、それから懐中時計を取り出し、その針の示す時間を確かめると、ゆっくりと椅子から立ち上がった。


「君の決断はとりわけ重要だ。しっかりと迷うことも大事だろう。けれど、時間は決して待ち続けてはくれない。そのことは肝に銘じておきなさい」


「……彼女を、目覚めさせるのですか?」


「ああ、そろそろだ。ちょっと迎えに行ってくる。しばらく留守にするから、後の事は頼む」


 そう言うと老人は軽く手を掲げて挨拶すると、歳の割にしっかりとした足取りで去っていった。





「我々の技術力にも限界はあります。流石にすっかり元通りとはいきません。特に知能機械の復元が難しく、いわば記憶喪失のような状態は続いています」


 青白い肌のドワーフ技術者の説明を受け、全身気密服を着込んだアトルバーンが満足気に頷く。


「それは、回復不可能なのかね?」


「いえ、記憶情報そのものは無事なようです。ただ、それを参照するための索引のようなものが傷ついているようでして。時間さえ掛ければ再構成は可能だとは思われます」


「ふむ」


 アトルバーンはその説明にまた頷きながら、眼前の姿に見入った。


 何も着けていない、裸の銀髪の少女。

 しかし、よくよく注目してみれば、それが実際には人間ではないことが見て取れる。

 白い肌、短い耳。人種が今のように分かれる前の、前暦の人間を模して造られた人形。ゴーレム。


 南方大陸のドワーフ地下国家、ヘイヴンへと預けられていた半壊状態のそれは、修復にようやく一応の目処がつき、再起動の時が迎えられる運びとなった。


「さあ、起きなさい、アレクサ。始祖たるネフィリム。今、世界は再び、君を必要としている」


 そのアトルバーンの呼びかけに応えるように、少女の形をした機械がゆっくりと目を開ける。


「……ここは? ……私は?」


 寝ぼけたようにぼんやりと辺りを見渡す少女を安心させるように、アトルバーンはただ黙って、穏やかな笑みを浮かべた。





 それからアレクサは諸々の最終確認と衣服を着せられるために移動され、アトルバーンはその間用意された部屋で待つことを辞退し、その場で待つことにした。


「どうでしょう、お役に立てましたかな?」


 来賓を放置するわけにもいかず、同じくその場に残ったヘイヴン総督、ガルフェスが沈黙を避け、取り繕うように言う。


 アトルバーンは、その前暦の人間の幼形成熟とでも言うような姿を一瞥だけして、それからゆっくりと自然な動きで視線を逸らし、答えた。


「ああ。満足しています。本当によくやってくれました」


「いえいえ、閣下には普段から何かと便宜を図って頂いておりますからな。これで少しでも日頃の恩がお返しできたのなら、本望というものです」


「それはお互い様でしょう。あなた方の技術には、大いに助けられている。これからも持ちつ持たれつということで、よろしくお願いしたい」


 その言葉にガルフェス総督はいやに明るい笑顔をして、頷いて見せた。


「……おっと、思ったよりも時間が掛かってしまっているようだ。申し訳ないが外せない用がありまして、これ以上はお付き合いさせていただくことが難しい。一旦失礼させて頂きます」


「いや、気にしないでください。あなたは現役でお忙しい身だ。暇な隠居老人のことなど放っておいてくれて構いませんよ」


 それを聞き、総督は笑顔で軽く会釈をし、その場を去って歩き出した。

 しかし、その傍らに黙って付き添っていた秘書か何かであろう者は、その場を動こうとはしない。


 年齢不詳、性別も若干女性的ながら、極めて中庸的な見た目。

 安全装置として、自律思考機能の大部分に厳重な枷をはめられた奴隷、ゴーレム。

 その感情のまったく籠らない、死んだ魚のような目を、アトルバーンも同じく無表情に見つめる。


「……君は、ゴシェナイトと繋がっているのかね?」


 アトルバーンがそう尋ねた瞬間、そのゴーレムの瞳に光が宿り、その表情が妖しく笑うように変化した。


「私は、今、ここにおりますわ、閣下。ヘイヴンの何処にだって、私は遍在しております」


「そうか。次にここに来るときは、君にお土産を持ってくるつもりだ」


「まあ、それは楽しみ。期待してお待ちしておりますわ」


 次の瞬間、そんな二人の小声でのやり取りは距離的に聞こえていない様子で、ガルフェス総督が苛立った声でゴーレムを呼ぶ声が響いた。


「おい、どうした、アルディ。さっさと来なさい」


 それに対し、ゴーレムはすぐに元の死んだ表情に戻り、アトルバーンに向かって深く頭を下げると、如何にも機械的な動きをしてガルフェスの後を追って歩いていった。


 アトルバーンはその光景に小さく鼻を鳴らすと振り返り、それからもしばらくアレクサを待ち続けた。

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