_25_イーチ・トリートメント_


 アゼルが翼を広げ、湖の水面スレスレを飛沫を上げつつ滑空し、巨人となったガリウスへと迫る。


 ただでさえ巨大な胴体と同じぐらいに、異様に肥大化した両腕を持つネフィリム。

 トランス・ガリウスは余裕の態度で空中に制止したまま、その右腕を真っ直ぐに向かってくるアゼルへと向けた。


「……まったく、見え見えよ、アゼルちゃん。一定距離まで間合いを詰めたら急制動を掛けて、爆発を起こして飛沫と水蒸気に身を隠し、一気に死角から攻め込む。……でも、そんなので上手くいくと思ってるなら、甘すぎるわよ。予備動作が大きすぎて丸分かりだし、あなたのフォティア操作能力じゃそこまで綺麗に気配を隠しきることも無理。ノイズが大きすぎるもの」


 そう言うとガリウスは右腕の先端から散弾のような衝撃波を撃ちだした。

 アゼルは素早くそれを回避すると、ガリウスの周囲を旋回するように一旦距離を取ってから、改めて小細工抜きの真っ向勝負を挑んだ。


「ただ闇雲にフォティアを燃やしているだけじゃ駄目。戦いの中に流れるテンポを意識しなさい。その流れの中に予備動作を溶け込ませれば隙なんか無くなるし、テンポに鼓動を合わせれば、興奮に思考をかき乱されたりせずにクリアな思考で状況を捉えられるわ」


「うるせえよ、分かってるよそんなこと!」


 言葉ではそう言いながらも、心の中は変にザワつき、上手く集中ができない。

 アゼルはそれを自覚しながらも、右の翼に力を込め、それを剣としてガリウスに斬りかかる。

 しかしガリウスはそれを巨大な左腕で受け、容易くはじき返した。


「まったくもう、セフィ様のことが気がかりなのは分かるけど、だからこそいざって時のために今は訓練に集中しなさい」


 剣をはじかれた反動でアゼルは体勢を崩し、そこにガリウスの凶暴な拳の一撃が打ち込まれるものの、アゼルは咄嗟にそれを回避。そのままアゼルは再び距離を取ろうと翼を広げるが、ガリウスは見た目に似合わない俊敏さでそれを追撃してくる。


「好きな女の子のピンチに居ても立っても居られない男の子のいたいけな純情。可愛らしいとは思うけど、それとこれとは話が別。アゼルちゃんのこと、可愛いと思うからこそ、厳しく指導してあげるのよ。受け止めて、私の愛のムチ!」


 そう言いながらガリウスは高速でアゼルへと迫り、アゼルの全身よりも太い腕を猛烈な速度で振り回し、散弾の攻撃も織り交ぜつつ、アゼルを追いつめていく。


 アゼルの方はそれを必死で逃げ回りながら捌き、かわしていくものの、ガリウスの言葉が気にかかり、どうにも集中できない。


 好きな女の子。

 今まで、そんなことは考えたことも無かった。

 これまでの人生でそういった感情を抱く相手など居なかったし、そんな感情を抱く余裕も無かった。

 改めてセフィの事を考えても、セフィに対する感情がそういったものなのかはよく分からない。

 アゼルの中で、ただ漠然とモヤモヤとしたものだけが広がっていく。


「……俺が、セフィを好き?」


 言葉にしてみても、まったくシックリくる感覚はない。


「んもう、気が逸れてるわよ。今は私との訓練に集中しなさい。そんなんじゃセフィ様の本当のピンチにも役に立たなくて嫌われちゃうわよ」


「あんたが変なこと言うからだろ!」


 アゼルは動揺を振り払うように吠え、ガリウスへと反撃を仕掛けようと試みるが、相手の動きの方が早かった。


「隙があり過ぎよ、反省しなさい!」


 その言葉がアゼルの耳に届くよりも早く、巨大な拳がアゼルの腹へと叩きこまれ、更にそこに重ねるように衝撃波が打ち込まれる。そのままアゼルは猛烈な衝撃とともに水面に叩きつけられ、その湖水の奥へと沈んでいく。


「……あらまあ、やり過ぎちゃったかしら? 大丈夫? アゼルちゃん、息してる?」





 カストリアの西方、湖とは反対側の山肌を滑るように、巨人となったディットがレシアを追う。


 ネフィリムへとトランスしたレシアの肢体は異様に細長い上に、魔法を駆使してトリッキーな身のこなしをするため、ディットの必死の攻撃もまったく命中することはない。


「相変わらずヘッポコだな、お前。やる気あんのかよ」


 そう煽られたディットは雄叫びを上げ、剣先と二つのオマケそれぞれから光線を発射し、それで取り囲むようにレシアを狙うが、レシアはそれを魔法も使わずに最低限の動きで身をよじるだけでかわして見せる。


「はい一発」


 レシアはそう言うとぬるりとディットの懐へと滑り込み、腕部のトンファーのような武器でディットの顎へアッパーを決めた。

 あまりの痛みに悶え、よろけるディットに対し、レシアはそれを呆れたように眺めて言葉を零した。


「耐えろよ、それぐらい。お前今、隙だらけだぞ」


 それからディットは痛みを無理やり押し殺すように吠え、レシアへと剣を振りかざした。

 レシアはそれを軽く受け止め、そのまま鍔迫り合いが始まる。


「お前、威勢だけは良いけどさ、どうにも空回りしてるっていうか。この間、姫様もそんなこと言ってたぞ」


「クリューが? 僕の事を? 具体的に教えてください! なんて言ってたんです?」


 血相を変えて聞いてくるディットにレシアはまたも呆れ、その無防備な腹へと蹴りを叩きこむ。


「集中しろっつの!」


「ふげっ!」


 ディットはそれをまともに食らい、のけ反るが、レシアはそこに容赦なく追撃を重ねる。


「……お前の気持ちが重たくてしんどいとか何とか。少しは姫様の迷惑も考えてやれよな」


 ディットは必死にレシアの攻撃を捌き続けるが、その言葉を聞いた瞬間動揺し、またも直撃を食らってしまう。


「ふぐっ!」


「だから集中しろ、って言ってんだろ」


「そんなことよりも! 今の本当ですか? クリューが、僕のことを迷惑に感じているって!」


 レシアはそんなディットに喝を入れるべくもう一発お見舞いするが、ディットはそれに耐え、尚も食い下がってくる。


「今言ったこと、本当ですか? 揺さぶりを掛けてるつもりで適当言ったなら、承知しませんよ!」


 その勢いに圧され、レシアはたじろいだ様子で数歩後退する。

 その空いた距離を埋めるように更にディットが踏み込み、それに更にレシアが後退る。


「ほ、本当だって。言ってた言ってた。何で私にそこまでしてくれるのか分からなくて気色悪い、とか何とか。……ん? あれ? そんな言い方だったっけ? そんなような話だった気はするけど、どうだったっけ? あれあれ?」


 肝心なところで記憶があやふやなようで、レシアは首を傾げ始めるが、一方のディットはその話にショックを受けたように、その場に崩れ落ちてしまう。


「……そ、そんな。僕が、そんな」


「おーい、どうした? 大丈夫かー?」


 うなだれ、何かをブツブツ言っているディットにレシアは声を掛けるが、一向に反応は返ってこない。

 それからレシアは困ったように唸り、ディットへのフォローの言葉をかけ始めた。


「……まあ、なんだ。心のキビ、っつーの? そういうの、あたしもよく分かんないけどさ、でも、多分それって戦闘と同じだろ。ただ闇雲に攻撃一辺倒じゃ駄目っつーか。相手をよく見て、相手が何を感じて、何を考えてるかも読んで動かないと駄目っつーか」


「……相手の気持ちも考える? そんな当たり前な事にも気付かないで、僕はただ自分の気持ちを押し付けることしかしてこなかった?」


 ディットはそれから考え事に耽るように黙りこくってしまい、レシアは困り切った様子で地団太を踏み始める。


「もういい加減にしろよ、ワケわかんねーな! 訓練中だぞ、起きろ、戦え、殴らせろ!」





 夜中、いつものように庭園を訪れたところ、先客の姿があることに気付き、クリューは足を止めた。

 その人物もクリューの姿に気付いた様子で、黙って背中を見せ、反対側の出入り口へと歩いていく。


「……逃げるの?」


 その言葉に、クシストロスがゆっくりと振り返る。


「俺が居ては邪魔だろう」


「別に」


 クリューはそう言うと、それ以上はクシストロスを気にしない風で、ぼんやりと月明りに照らされる薔薇の花を見つめ始めた。

 クシストロスはそれからひとつだけ溜め息をつくと、黙ってその場に立ち尽くし、クリューの姿を見つめる。


 そうして二人は微妙な距離を隔てたまま、しばらくの時間を黙って過ごした。


「……ひとつ、聞きたいんだけど」


「……なんだ?」


 クリューはそれから少しだけ迷った風に沈黙してから、改めて質問を続けた。


「あなたとセラハ。どういう風だったの?」


「どう、とは?」


「どういう風に出会って、どういう風に仲良くなっていって、それから……」


 その質問に、クシストロスはまたも溜め息をつく。


「またカルサイトが変なことを吹き込んだのか?」


「そういうわけじゃないわ。ただ、なんとなく」


「……別に、どうという話ではない。よくある話だ。少年時代、同じ空間で、同じことを学び、同じ時間を過ごした。気付いたら、一緒に居る時間が増えていった。それだけのことだ」


 遠い昔のことを思い出すように目を細めるクシストロスを、クリューはただ無表情に見つめる。

 その視線に気づいたクシストロスは我に返った様子で、取り繕うように咳払いをしてみせた。


「何故そんなことが気になる」


「なんとなくって言ったでしょ。理由なんてないわ」


「そうか」


 それきり二人の間を再び沈黙が包み込み、時間だけが過ぎていく。


 しばらくしてから、ふいにクリューが掠れるような声で呟いた。


「……もしも、もしも、シェムハザなんていなくて、私も普通の人間としてあなたたちの間に産まれていたとしたら……」


 そのままクリューの声は、掠れて消えていった。

 また少しの間沈黙が流れ、今度はクリューの言いかけの言葉に答えるように、クシストロスが言葉を発した。


「……すまないと思っている」


 その言葉に、クリューは顔を紅潮させ、大声を上げた。


「私が聞きたいのは、そんな言葉じゃない!」


 クリューは怒りを露わにクシストロスを睨みつけるが、クシストロスの方はそれに動揺することなく、その視線を真っ直ぐに受け止める。


「……お前が自分自身をどう捉え、俺との関係をどう解釈しているにせよ、けれど、俺の方は、お前のことを、大切な娘だと思っている」


 それに対しクリューは何か言い返そうとするも、結局その言葉は飲み込み、黙って俯いた。


「どうあっても過ぎた時間は戻せない。何もかもがこじれてしまったし、その上、俺はこの千年で否応なしに他に守らなければいけないものも沢山抱いてしまった。すべてをお前の思うようにはしてやれないが、それでも……」


 クリューは俯いたまま、そのクシストロスの言葉を遮り、震える声で言った。


「……分かったから。分かってるから、もう何も言わないで」


 そう言うとクリューはそれきり何も言わず、足早にその場を去っていった。


 後に残されたクシストロスは、また大きなため息をついてから、クリューの去った方向とは反対の出入り口へと歩き出した。

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