_24_ワット・フォー_


 一連の騒動に対する懲罰として、アゼルは拘禁処分を言い渡されていた。

 薄暗い地下牢獄で一人、ただ時間が過ぎるのを待ち続ける。


「俺は、何者でもない」


 冷たい岩壁に寄りかかって座り、ディットから言われた言葉を口の中で繰り返す。


 ただ運が良かっただけ。ただ状況に流されているだけ。

 改めて考えれば、何もかもがその通りだった。


「俺は、何者なんだ?」


 ゲヘナに居た頃には疑問にも思わなかったこと。疑問に思うことからすら逃げていたこと。


 けれど、その答えは余りにも明白だった。

 親の顔も知らない、どの種族からもあぶれた混血のキマイラ。

 もう何も残ってはいない遺跡に潜り、何も見つけられずに手ぶらで帰るだけの、何の役にも立たないゲヘナ・ダイバー。


 ネフィリムとしての自分は稀有な存在なのかもしれないが、それにしたって結局はセフィからもらった力でしかなく、自分自身で掴み取ったものではない。


「……確かに俺は、何者でもないな」


 そんなことを考えつつ、アゼルは目の前の鉄格子をぼんやりと見つめる。

 今の自分の力なら、これぐらいは簡単に破れるだろう。けれど、それに何の意味がある?


「力だけがあっても、何の意味もない」


 脳裏に、クリューのために懸命に努力するディットの姿が浮かぶ。

 自分の進むべき道をはっきりと見定め、その道を自分の力で切り拓く。

 力の使い道というのは、そういう風にあるべきものなのだろう。


「俺も、ああいう風になれるのかな」


 自分は、何のためになら、頑張れるのだろう。

 そう考えたアゼルの脳裏に、今度はセフィの笑顔が浮かんだ。


 アゼルはその意味を探るが、どうにもはっきりとはしない。

 その血に命を救われたからか、自分の陰に隠れ、怯えた姿を哀れに思ったからか、あるいは、一度は見捨てた後ろめたさが今も尾を引いているからか。


 結局は納得のいく意味は見いだせないまま、アゼルはそれからも堂々巡りの思考を続けるしかなかった。





「やあ、調子はどうだい、トランス・アゼル」


 ふいに鉄格子の向こうから呼びかけられ、考えに没頭していたアゼルはそれに驚き、顔を上げた。


「……カルシィ? 何の用だ?」


「君がしょぼくれているんじゃないかと思ってね。励ましに来た」


「余計なお世話だ」


 そう言って視線を逸らすアゼルの姿にカルシィは微笑み、その場に屈んでアゼルと目線を合わせた。


「私はね、トランス・アゼル、君は特別な存在だと思っている。君こそが、これからの世界にとって絶対的な意味のある存在だと」


「は?」


「セフィロトの血をそのままで受け入れ、続けてクリフォトの血まで何事もなくすんなりと受け入れてみせた。奇跡的と言っていいほどの高い適合性を持つ存在。君という存在はこれからも絶えず変貌を遂げていくだろう。そして君は、全ての人類を次の段階へと移行させるための先駆者、導き手となってくれるに違いない」


「だから何の話だよ。あんたの話はいつも訳が分からない」


「そのために私は造られたのだから。この星に突然降臨したシェムハザの存在を利用した、人類の人工進化。その可能性に魅入られたセラハ自身は、例の大洪水によりとうの昔にこの世を去ったが、それでも私は今もここにいる。そして、君という存在を得た」


 カルシィはそうまくし立てると鉄格子を掴み、その奥のアゼルの顔をまじまじと見つめた。

 アゼルはその異様さに怯み、思わず身を強張らせる。


「私に見せてくれ、トランス・アゼル。”ヒトの次”を。その先にある可能性を」


 アゼルが訳も分からず何も言えないでいると、少ししてカルシィはひとつ息をつき、ゆっくりと立ち上がった。


「まあそういうわけだ。私は君に多大な期待を掛けている。そんなところでウジウジといじけていられては敵わない。立ち止まっている場合ではない。さっさと奮い、立ち上がり、全力で駆け出してくれ」


「……そういうわけ、って、どういうわけだよ。本当、何なんだよあんた、一体」


 カルシィはそれには答えず、ただニッコリと微笑んで見せると、牢屋の鍵を開け、そのまま去っていった。

 後に残されたアゼルは、ただただ茫然とするしかない。


「……けどまあ、ウジウジしてたって仕方ない、ってのはその通りか」


 アゼルはそう呟くと大きく深呼吸し、ゆっくりと立ち上がった。

 そして、そのまま開かれた鉄格子をくぐり、牢屋を後にした。





 訓練場でひとり、黙々と剣を振るうディットを、扉の陰からクリューが見つめる。

 一心不乱に訓練に没頭するディットはその存在にまるで気付かない様子で、クリューの方もしばらくしてから黙ってその場を去ろうとしたが、そこにやってきたレシアと思わず目が合ってしまい、咄嗟に視線を逸らし、俯いた。


「あれ、姫様またいる。何か御用?」


「別に。何でもないわ」


 そう言ってそそくさと去ろうとするクリューに対し、レシアは訓練場内にディットの姿しか無い事に気付き、茶化すように言葉を続けた。


「ははーん。さてはディットの奴が気になるんですな?」


「そんなんじゃないわよ、バカ」


「あれ、姫様、なんか動揺してません?」


「してないわよ!」


 思わず声を荒げそうになり、クリューは慌てて口元を抑えつつ、声を小さくして続ける。


「……そんなんじゃなくて、ただ、なんであいつ、あんなに私なんかのために必死になるんだろう、って」


「やっぱ気になってんじゃないスか」


 意地の悪い笑みを浮かべるレシアに対し、クリューは咎めるように睨みつける。

 勿論、レシアの方はそれをこれっぽっちも気にもしない様子でいる。


「うるさい。……あいつ、前に言ってたの。自分は元々路地裏で物乞いをしながら野垂れ死ぬか、犯罪に手を染めて処刑されて死ぬかの二択の人生だったのを、私の血の誓約によってそこから掬い上げられた、って。その恩があるから、私に尽くすんだって」


「それはまあ、あたしも同じスね。適合確率の恐ろしく低い誓約の儀式を受けたのだって、自分なんて生きる価値が無い、別にそれで死んだってどうでもいい、って思ってたからだし。でも結局そのおかげでこうして良い暮らしもさせてもらってるし、本当に心の底から感謝しています」


「嘘でしょ」


「そんなに分かります? あたしの嘘」


 クリューはその態度に呆れたようにため息をつき、気を取り直して話を続ける。


「いずれにせよ、それで忠誠を誓うべきは私ではなく、エノンに対して、でしょう? 実際、チャランポランなあなたはともかく、他の皆はそうなのだし」


「うん、まあ、そっスね」


「それに、あいつ、こんなことも言っていた。私が寂しそうにしていたから、傍に居てあげようと思った、とか」


「うわ、何それ、キショク悪!」


「別に寂しくなんてないのに。ねえ、私、外からはそんなに哀れに思われるほど、惨めそうに映っているのかしら?」


「それ、惨めとかってのとは、なんか違くないスか? よく分かんないけど」


 そう言われてもどうにも納得のいかない様子で、クリューは視線をディットへ戻し、その姿を見つめる。


「ま、良いんじゃないスか? 守ってくれるって言うんなら、別にややこしく考えずに、守ってもらってりゃ。正直あたし、羨ましいですもん。あたしも誰かに守ってほしい、って言うか、三食昼寝付きで養ってほしい、っつーか」


「あんたねえ……」


 呆れ果てて二の句も継げない様子のクリューに対し、レシアは軽く笑い、場内へと歩き出した。


「それじゃ、あたし、何時までもサボってると怒られちゃうんで。そろそろ失礼します」


 そう言ってレシアが手を小さく振って挨拶する一方、ディットはようやくクリューの姿に気付き、駆け寄ろうとする。

 しかしレシアはそんなディットの首根っこを掴み、場内へと引きずり戻していく。


「姫様はお忙しいんだから迷惑かけちゃ駄目だろ、ルーキー君。おまえはあたしの訓練に付き合うの」


「え、でも僕、もう切り上げる時間なんですけど」


「え、何? 聞こえない」


「……分かりましたよ、もう。僕、疲れてるんだから、手加減ぐらいはしてくださいよ?」


「聞こえなーい」


 そうして二人は取っ組み合いを始めたため、クリューはもう少しだけそれを眺めてから、静かにその場を去っていった。

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