_23_ホット・ブラッド_


 満月の明かりにぼんやりと照らされた夜更けの庭園。クシストロスはそこに足を踏み入れた瞬間、先客の存在に気付き、足を止めた。


「……こんな時間に何をしている?」


 そう声を掛けられたクリューは、視線はガラス越しの満月を見つめたまま、ボソボソとした感情の無い声だけで答えた。


「別に。中々寝付けないだけ」


「そうか」


 それきりクシストロスは黙り、クリューに近寄るでもなく、この場を去るでもなく、ただじっとその場に立ち続けている。

 それに対してクリューは苛立ったように視線を向け、先ほどよりは多少はっきりした声で言葉を投げかけた。


「何? 何か用?」


 そのクリューの鋭い視線をクシストロスは無表情に見つめ返し、少し迷った様子を見せてから、ポツポツと話し始めた。


「……何か必要なものはないか? あるいは、何か不自由していることとか」


 その言葉に、クリューは露骨に苛立ちを強め、顔が紅潮していく。


「何も欲しくない! 私のことは放っておいて! 今更なんのつもり? 勝手に人を危険視して千年も封印しておいて、必要になったからって今度は勝手にたたき起こして。罪滅ぼしか何かのつもりなのかもしれないけれど、言っておくけど、そんな必要なんて全くないんだから」


 一気にまくし立てたクリューはそこで一旦言葉を切り、大きく深呼吸をし、興奮を抑えてから、改めてクシストロスへと冷たく言い放った。


「あなたは、私の父親なんかじゃない」


 クシストロスはその言葉を無表情に受け止め、それからひとつため息をついてから、扉の方へと踵を返した。


「……ここは冷える。あまり長居をし過ぎて体を壊すなよ」


 クリューはその言葉に何の反応も示さず、また視線を月へと戻し、それをぼんやりと無表情に眺めている。

 クシストロスもそれ以上は何も言わず、扉を閉め、去っていった。





「あーあ、一昨日の疲れがまだ取れないわ。陛下ったら、最近人使いが荒いんだから」


 誓約騎士たちが久しぶりに全員揃っての休息に浸る中、ガリウスが岩のような肩を揉みながら言った。

 その様子を、レシアがケラケラと笑いながら茶化す。


「いい加減トシなんじゃないスか? あたし、全然平気だし」


 その軽口にガリウスが怒り、更にそれをレシアが小馬鹿にし、いつもの茶番が繰り広げられていく。

 そんな光景はいつものこととして気にも留めない様子で、リフィーシュが世間話を続ける。


「確かにこのところ魔獣退治の出動が頻繁だが、それだけ東方の状況が要注意ということだろう。いざ東方で事が起きれば、我々が即応できるように今の内にこちらの足元を固めておこうというお考えなのだろう」


 そのリフィーシュの言葉に、アゼルが怪訝な表情を見せる。


「東方の状況が要注意、って?」


「セリオンとかいう反社会運動の拡がりが加速しているらしい。先般、セフィ様の滞在するメフリーズにおいても、ちょっとした暴動があったようだ」


 そう口にしてから、リフィーシュは自分が口を滑らせたことに気付いた様子で、慌てて取り繕うように言葉を続けた。


「とはいえ、メフリーズは連合有数の都市だ。軍の大部隊も駐屯し、治安の維持も万全だ。件の暴動もさしたる怪我人も出さずにすぐさま鎮圧されている。セフィ様の身には万が一にも危険は無いだろう」


 しかし、アゼルはその言葉を聞かず、真っ直ぐに出入口の方へと歩いていく。


「おいアゼル、何処へ行くつもりだ」


「成り行きに流されてこんなとこまで来ちまったけど、元々はすぐに東方に戻るつもりだったんだ。それを今になって思い出した」


「馬鹿を言え、誰がそんな許可を出した」


 アゼルはそのままそれ以上何も言わずに部屋を出ていき、リフィーシュも珍しく慌てた様子でそれを追って部屋を出ていった。


「……隊長でも、あんなポカミスすることってあるんスね」


 後に残された者たちは呆気に取られてそれをただ見送り、ガリウスと喧嘩していたレシアもそれを中断し、意外そうにそう言葉を零した。


「隊長だって疲れてんのさ。お前らが迷惑ばっか掛けてるせいでな」


 ラケンがそう肩をすくめて茶化すと、レシアは露骨に困った様子で言葉を返した。


「うわー、止めてくださいよ、そういうの。あたし、責任感じちゃう」


「”そんなこと、全く思っちゃいません”って、顔に書いてあるぞ」


「え、嘘、マジっスか? あたし、嘘つくの上手い方だと思ってたんだけどなぁ」





「おいアゼル! 落ち着け、セフィ様のことは心配ないというのは本当だ。時期が来ればお前が活躍する機会もあるだろう。しかし今はその時ではない。わきまえろ」


 リフィーシュはアゼルの腕を掴んで連れ戻そうとするが、アゼルはそれを強引に振り払い、そのまま長い廊下を突き進んでいく。


「あんたらの思惑なんて知ったことか。俺がどうするかは、俺が決める。俺の居るべき場所は、俺が決める。あんたらに口出しされる謂れはない」


 それだけ言い、前進を続けるアゼルの視界の先に一人の少女の姿が見えてきた。

 クリューが廊下の先で、立ちはだかるように待ち構えている。


 アゼルは脇へ寄り、それをやり過ごそうとするが、クリューの方も同じ方へと寄せて、尚も立ちふさがってくる。


「なんだよ?」


 アゼルが苛立ちを滲ませた声で尋ねると、クリューはそれを挑発し、嘲るような態度で逆に尋ね返して言った。


「どこへ行こうというの? あの女のところへ? 何故? 何のために?」


「お前には関係ないだろ」


「あなたにも関係ない」


「あ?」


「あの女が、あなたにとって何だというの? あなた、あの女の何を知っているというの? ロクに知りもしないくせに、何をどうしようというの? 何ができるつもりでいるの?」


「うるせえよ」


 アゼルはそれ以上クリューを相手にせず、強引にその体を押しのけた。

 その際、思ったよりも力が入ってしまったようで、クリューは壁に体を打ちつけ、押し殺したような小さな悲鳴を上げた。


 アゼルはそれも気にせずそのまま歩いて行こうとするが、次の瞬間、何者かがその肩を背後から強引に掴んで振り向かせ、強烈なパンチをアゼルの頬へと繰り出した。

 予想外の攻撃をまともに食らい、アゼルは吹き飛ばされながらも攻撃の来た方へと視線を飛ばし、その相手を確認した。


「ディット! この野郎!」


 床に転がるアゼルを蔑むように、ディットは冷めた視線を投げかけ、怒りを必死に抑えるような声音で言葉を吐き捨てた。


「貴様、今クリューに何をした」


「何がクリューだ! 何が誓約騎士だ! 何が魔王だ! そんなの俺にはなんの関係ねえし、こんなとこにいる理由だってない!」


 そう吠えつつアゼルはディットへと突進し、二人は取っ組み合い、一体となって壁を打ち破り、城の外の空中へと飛び出していった。

 そのまま二人は空中で巨人へと姿を変え、湖の上空で激しい衝突を繰り広げ始めた。


「あーあー、よくやるよまったく。暑っ苦しいたらありゃしない」


 壁に開いた穴から二人の闘いを覗き込み、レシアが呆れるように言うと、その横からガリウスも同じように他人事めいた感想を漏らした。


「若いのよ。あるいは青いと言うか、とにかく元気が有り余って仕方ないのね、羨ましい」


 更にその横ではリフィーシュが青い顔で頭を抱えてうなだれ、壁に力なく寄りかかっている。


「……隊長、大丈夫スか?」


 レシアの大して心配そうでもない声にも、リフィーシュの反応は鈍い。


「眩暈がする。頭痛もだ。……まったく、誰が責任を取ると思っているんだ、あの問題児ども」


「ご愁傷さま」





 ディットのオマケを翼で払いつつ、一気に肉薄し、アゼルはディットの本体へと翼の剣で斬りかかった。

 それはあっさりと剣で受け止められてしまうものの、そのまま力任せに翼を押し込み、鍔迫り合いの形となる。


「僕はお前のことがずっと気に食わない! 何もかもが中途半端で、まるで自分というものを持たず、ただ状況に流されるだけ! セフィ様に選ばれた? 偶々運が良かっただけのことだろう! 貴様自身は何者でもない! そんな貴様ごときが東方へ行って何になる! 何ができる!」


 アゼルは瞬間的に力を抜いて敵の剣を逸らせ、勢い余って飛び込んできたディットへと、膝蹴りを飛ばす。


「うるせえよバカ!」


 しかしその膝蹴りも容易くかわされ、体勢を整えたディットの反撃をまともに食らってしまい、アゼルは猛烈な勢いで湖面へと衝突し、その奥へと沈んでいった。

 完全に頭に血が上ったアゼルはすぐさま浮上し、派手に水しぶきを上げながら急上昇。そのままディットへと体当たりを仕掛けるが、ディットはそれを真っ向から受け止め、魔法の衝撃波によって完全に勢いを相殺してみせた。


 アゼルはすぐに翼を使い、フォティアを操作しようとするが、魔法の練度はディットの方が上だった。

 アゼルのすぐ目の前でディットの剣の周りを二つのオマケが高速で回転し、膨大なフォティアが渦を巻いて収束していく。


「消えろ、野良犬」


 そう吐き捨てると、ディットは一気にフォティアを発火させ、細い見た目とは裏腹に恐ろしい貫通力を持つ光線を放出した。

 それは瞬時にアゼルの脇腹を刺し貫き、アゼルはその燃えるような痛みに苦しみつつ、光線に触れた湖水が爆発した水蒸気の中へと消えていった。

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