_22_ビー・イン・トランジション_


「おーおー、うじゃうじゃ居やがる」


 高い岩場の上に立つラケンが目の上に手をかざし、遠くを眺めて言う。

 その視線の向こうでは、巨大な昆虫の大群が蠢き、ひしめき合っている。


「……本当にあんなとこに突っ込まなきゃいけないのかよ」


 アゼルが心底嫌そうにゲッソリとした様子でボソリと呟くと、それに対してディットは挑発するように声を掛けた。


「怖気づいているのか、野良犬。だったらそこでじっとしていればいい。どうせ、貴様など居ても居なくても同じだからな」


「ああ?」


 その安い挑発にアゼルは乗せられ、ディットへと詰め寄ろうとするが、それをラケンが鋭く制止する。


「いい加減にしろ。お前らが面倒を起こしても、怒られるのは俺なんだぞ。人の迷惑を考えろ」


 そう言うとラケンは周囲のフォティアを集め始め、ディットとアゼルもとりあえずはつまらぬもめ事は中断し、それに続いた。


「そうだ、丁度いい。俺はサポートに回るから、お前ら競争をしてみろ。多く敵を潰した方が勝ち。負けた方はもう相手に突っかかるのは禁止」


「……それって、単にラケンさん、自分が楽したいってだけで言ってません?」


 ディットはあきれ果てた様子でそう指摘するが、その声はラケンの転化の衝撃によって、かき消されていった。


「はいはい、分かりましたよ。トランス!」


 ラケンに続いて、ディットもかき集めたフォティアによって全身を発火させ、巨大化していき、アゼルもそれに続いてネフィリムへと姿を変えた。





 巨人となったアゼルは、改めてその自分の新しい姿を見下ろした。


 クリューの血を受けたことで、その身体構造は更なる変化をきたしていた。

 大きさや体形は変化していないものの、甲殻の形状は多少変化し、その色合いも以前の単純な灰色一色から、明るい灰の部分と暗い灰の部分へとまだらに分かれるようになっていた。

 背中のマフラーもただ垂れ下がるだけだった状態から、蝙蝠の翼のような形状になり、普段はそれを肩の甲殻を囲うように配置しているため、マフラーというよりはケープのような見た目となっている。

 また、瞳の色もクリフォト系の赤紫色へと変化していた。


「どうかしたか、アゼル?」


 ラケンに声を掛けられ、アゼルはその赤紫色の瞳を見つめ返した。


 ラケンのネフィリム態は、上半身に関してはリフィーシュとほとんど同じ風だった。

 黒い肉体の上から白い鎧のような甲殻を纏い、巨大な鉈を両手に携えた姿。しかし、下半身は同じような色合いながら、その形状は巨大な蛇そのものだった。


 その隣に立つディットに関しては、リフィーシュをそのまま一回り小さくしたような純粋な人型で、得物も細身の長剣。特徴らしい特徴と言えば、腰の横にひときわ大きな甲殻が据えられているぐらいのものだった。


「別に。何でもない。さっさと始めて、さっさと終わらせよう」


 そう言うとアゼルは昆虫の巣へと向かって勢いよく飛び出し、ディットが慌ててそれに続いた。


「おい、卑怯だぞ! 合図も無しに!」


 アゼルはそのディットの抗議も無視し、ケープから大量のフォティアを吐き出し、それを大気に触れて変質させた上で発火させ、その魔法によって自身を弾かれたように一気に加速させた。


 この形態は、少なくとも魔法に関しては以前の形態よりも随分と強力なものになっていた。





 昆虫の巣の真上へと躍り出たアゼルは、翼を大きく開いて、最大級の力で火球を作り、それを巣へと叩きこんだ。

 地上で蠢く数十匹が一気に蒸発し、大爆発によって地面が抉られたが、その奥からも次々とグロテスクな昆虫が無数に湧いて出てくる。


「ったく、何匹いんだよ、気色悪い!」


 そうしてアゼルが尻込みしている隙に、追いついたディットが躊躇することなく、昆虫の群れへと一直線に飛び込んでいった。


「露払いご苦労、野良犬。どうせ勝負は僕の勝ちだ。邪魔になるだけだから、お前はそこでじっとしていろ」


 そう吠えるとディットは腰の横の甲殻を空中に放出し、それを魔力で自由に遠隔操作可能な武器として駆使しつつ、自身の手に持つ細身の剣も振るい、次々に敵を蹴散らしながら、巣の奥へと消えていく。


 アゼルはそんな勝負などはどうでもよかったが、挑発を軽く受け流せるほどに大人というわけでもなかった。

 アゼルもディットに続き、巣の奥へと突撃していく。


「調子に乗るなよ、この野郎。邪魔なのはお前の方だ、すっこんでろ」






 地下の巣へと潜ったアゼルは翼を腕に沿わせ、剣のようにして敵を一刀両断にしていくが、ディットの方も剣と”オマケ”を使い、一匹一匹、着実に潰していく。

 そうして二人は同じペースで敵を屠りながら、猛烈な勢いで巣の奥へと突き進んでいく。


 ついには一番奥底であろう場所へと辿り着いたが、その広大な地下空間の真ん中には、ひときわ大きな一体の昆虫の姿があった。


「こいつがここの親玉か?」


 これを倒せば終わりだろう。アゼルは改めて力を翼の剣へと集中させ、その敵へと一気に斬りかかった。

 それは真っすぐに敵の背中に直撃するも、その甲殻はあまりにも堅牢で、ただ表面を滑るだけでダメージは通りはしない。


「なんだこいつ! 堅すぎる!」


 そう言って一旦距離を取るアゼルと入れ替わりに、今度はディットが攻撃を仕掛けていく。

 敵の吐き出す強酸を掻い潜り、一気に肉薄。邪魔な脚をオマケに相手させつつ、その柔らかい腹に剣を突き刺し、そのまま上へと切り裂きながら引き抜いた。


 しかしそれでも、敵は相応のダメージを負っているはずにも関わらず、怯むことなく獰猛な鉤爪のような腕を振るい、ディットへと襲いかかる。ディットもそのまま追撃を重ねようと構えを取るも、その瞬間、敵の背中が開き、開いた翅が激しく振動し、耳障りな大音響を洞窟中に響かせた。


 その音が聴覚を破壊し、振動が甲殻を砕く。アゼルとディットはその場に崩れ落ち、あまりの苦しみに身動きを封じられてしまう。その隙に敵はディットへと間合いを詰め、その鉤爪を振りかざした。

 ディットはどうにかそれを回避することに成功するも、続けて酸の攻撃が浴びせられ、その直撃を受けてしまう。

 ダメージを負った甲殻のひび割れから酸が肉を焼き、猛烈な痛みがディットを襲った。


「ディット!」


 アゼルはどうにか立ち上がると翼を広げて飛び出し、尚も続く敵の攻撃からディットを救い出し、距離を取った。


「おい、大丈夫か」


 そのボロボロの姿に心配して声を掛けるアゼルに対し、ディットは痛みを堪えるように呻く声で答える。


「お前に心配される筋合いなんかない」


 ディットはそう言い放ち、よろけつつも立ち上がり、また敵へと向かおうとする。


「……僕はクリューの騎士なんだ。クリューを守るために、誰よりも強くなる。こんな虫ケラごときに手こずってなんかいられないし、お前なんかにも負けはしない」


「何をそんなにこだわってるんだよ。無茶しないでお前は退いてろ。後は俺がやる」


「馬鹿言え。誰がお前に勝ちを譲るもんか」


「だから勝ち負けとか言ってる場合かよ」


 またいつもの応酬が始まろうとするものの、そこに敵の酸攻撃が飛び込んできたため、二人は咄嗟に別々の方向へと跳んで逃げた。

 次の瞬間、またも敵の背中が開き、翅の振動が始まる。


「二度も同じ手を食らうかよ!」


 アゼルは咄嗟にかき集められるだけの力をかき集め、光の槍を作り、それを一気に敵の背中へと投擲した。

 槍はそのまま敵の柔らかな翅を切り裂き、その体の奥へと突き刺さる。

 しかし、それでも敵の動きは止まらない。

 もう余力の無いアゼルは、声の限りにただ叫んだ。


「ディット! 今だ、トドメを刺せ!」


「言われるまでもない!」


 その言葉にディットは地を蹴り、一気に敵の真上へと跳び上がった。

 敵は咄嗟に背中を堅い鞘翅を閉じて守ろうとするが、消えずに残ったままの魔法の槍が邪魔となり、完全には閉じきらず、少しの隙間が残された。

 ディットは残る力を振り絞るように、その隙間へと急降下し、そこに剣を突き立てた。

 そして、雄叫びを上げつつフォティアを発火させ、その剣へと力を注ぎ込み、一気に解放。敵を内部から爆発させた。





「おう、お疲れさん、二人とも」


 ヘトヘトになりながら地上へと戻った二人を、手ごろな石を腰掛けにして休憩しているラケンが軽い調子で迎えた。


「結局あんた、何にもしてねえじゃねえか」


 アゼルの呆れたような声にもラケンは動じず、ヘラヘラと笑いながら答える。


「してたさ。お前らの仕事は雑だからな。その取りこぼしをプチプチとしらみつぶしにしていくのは骨が折れたよ」


「ホントかよ」


「ホントさ、人を疑っても良い事なんかないぞ。……で、どうだった? 競争の方は」


 そう言われ、アゼルとディットの二人は思わず顔を見合わせた。


「お前、数は憶えているか?」


 ディットにそう聞かれても、そもそもそんな勝負にまともに付き合うつもりもなかったアゼルはただ首を横に振るだけで答えた。


「……正直、僕も詳細な数は飛んでしまった。最後の大物にしても、どちらの手柄というものでもないだろう。……癪ではあるが、ここはまたも引き分けということでどうだろう」


「勝手にしてくれ」


 そんな二人のやり取りを、ラケンは苦笑いを浮かべながら茶化す。


「珍しいじゃないか、ルーキー。お前がアゼルに対してそんな殊勝な態度を取るなんて」


「勝負事は公平でなければ意味がない。それに、僕だって誓約騎士です。その矜持は強くもっているつもりです」


 その言葉をラケンはただ鼻で笑い、入れ替わりに今度はアゼルがディットへと声を掛けた。


「なあ、前から思ってたんだけど、なんでそんなにクリューの騎士、ってのにこだわるんだ?」


「ふざけているのか。誓約騎士なのだから、当然のことだろう」


「でもこのオッサン、全然そんな感じじゃないだろ。こんなんだし」


「おいこらアゼル。副隊長を捉まえてこんなんとはなんだ、こんなんとは」


 アゼルはそんなラケンの抗議も無視し、言葉を続ける。


「それに、リフィーシュだって、レシアだって、ガリウスだって、そんなにはクリューに対してのこだわりはあんまり無いように思うし。というか、そもそも誓約騎士って魔王直轄で、クリューの専属騎士ってわけじゃないだろ? 何でお前はそんなに”クリューの騎士”ってことにこだわるんだ? 何かあるのか?」


「く、くだらん! お前にそんなことを答える義理はないだろう。行きましょう、ラケンさん。仕事は終わったんだ、さっさと帰りましょう」


 そう言うとディットはフンと鼻を鳴らし、後方で待機している馬車の方へと一人で歩いて行ってしまった。

 残されたアゼルはとりあえずラケンに視線を送るが、ラケンはそれに肩をすくめてみせるだけだった。

 そのままラケンも立ち上がり、馬車へと歩き出したので、アゼルも黙ってその後を追って歩き出した。





 帰り道、アゼルはじっと自分の手を見つめていた。


 新しい体、新しい力。それで何が変わったのだろう。何が変わらないのだろう。


「俺は、俺だ」


 思わず口癖のようになっている言葉を呟くが、どうにもしっくりこない。

 セフィと出会ってから、何もかもが絶えず目まぐるしく変化していく。


 俺はまだ、俺のままなんだろうか?

 そもそも、”俺”って、一体なんなんだろう?


 アゼルはそのまま目だけを動かし、疲れて眠っているディットを観察した。


「クリューの騎士、か」


 結局その動機はよく分からないままだが、何がそこまでこの少年をひたむきにさせるのだろう。

 アゼルがこれまで出会ってきた人々は、自分自身を含めて皆、目的もなくただその日を生きているだけの者たちで、こういう風ではなかった。


「俺には、こいつみたいにガムシャラになれるものって、何も無いな」


 そう言葉にした瞬間、アゼルの脳裏にセフィの笑顔が浮かんだが、アゼルはその意味が分からず、いい加減に答えの出ない堂々巡りの考え事は止め、自分も少し眠ることにした。

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