_21_ドーター・オブ・ザ・フォールン_


 クリューの問いかけに、アゼルは少し間を置いてから、素直に答えた。


「……シェムハザの、娘、って聞いた」


「そうね、シェムハザの娘。そう喩えて言われているわね」


「喩え? じゃあやっぱり、それって嘘なのか?」


 その言葉に、クリューはまたも馬鹿にするように鼻で笑った。


「じゃあ、そこから教えてあげる。……正確には千二百年ほど前の話よ。この星に未知の天体が墜落したの。最初それは単なる隕石だと思われていたけれど、すぐにそうではないことが分かった。宝石のような煌めきを放ち、未知の特性を持つ粒子状物質を放出する、不可思議な幾何学構造の物質。その煌めきの向こう、内部構造を複雑に反射する光の経路のパターンには明らかな法則性が存在し、そのパターンはより大きな法則性に従い、複雑に組み合わさり、常に変化し続けているようだった。……つまりは、その隕石は幼稚な言い方をすれば、”思考する宝石”だったわけね」


「思考する、宝石?」


 アゼルは突然突飛な方向へ飛んだ話についていけず、その言葉の意味も上手く咀嚼することはできないまま、ただ口の中で転がすだけだった。


「それ自体が生き物なのか、あるいは異星人か何かの造った道具のようなものなのか、それすらも分からないまま、一人の女科学者が、その研究にのめりこんでいった。まるで狂ったように」


 そこまで聞き、ふいにアゼルの脳裏にカルシィとの会話が蘇り、その時聞いたおとぎ話に出て来た名前を、アゼルは思わず口にしていた。


「セラハ」


 それをクリューは肯定も否定もせず、ただ決まった台本を音読するような無感情な声で、話を続ける。


「その女科学者は、ある時、宝石の発光パターンの中に固定され、繰り返されているものを発見した。それはすぐに解析され、ヒトの遺伝子情報に酷似していることが判明した。元から倫理観よりも好奇心を取るような性格だった女は、迷わずその情報を基に、タンパク質合成を行った。その結果誕生したのが、”堕天使の娘”」


「……セフィ?」


 アゼルは何一つ訳が分からないまま、堕天使の娘、という言葉にだけ反応し、言葉を発した。


「セフィロト・アンソス。シェムハザによって独自に解釈され、再構築されたものと思われる、セラハを模したヒトのシェムハザベース翻案体。実際のところ、シェムハザがどういう意図をもってそのコードを吐き出したのかは分からない。そもそも、シェムハザに”意図”が存在するかどうかすら分からない。……何れにせよ、セラハはそのシェムハザからの贈り物に狂喜し、更に研究に没頭していった。そして、”予備”をもう一つ作ることにしたの」


 そう言ってクリューは、おもむろに薔薇のトゲを指先に刺した。

 そこからじわりと赤い血が滲み、すぐにそれが赤紫色に発光し、独特のフォティアの匂いを放ち始める。


「ヒトのシェムハザベース翻案体であるセフィロトに対し、それを更にヒトベースに再翻案した存在。……当時セラハは妊娠していて、その胎児を遺伝子操作することで、それは作られた」


 クリューの無感情の赤紫色の瞳がまた自分へと向けられ、アゼルはただ言葉も無く、それを見つめるしかない。


「クリフォト・アンソス。それが誰のことだか、分かる?」


 アゼルが混乱し、何も言えないでいると、クリューはふいに表情を変え、懐に忍ばせていたナイフを手に、アゼルへと襲いかかってきた。


 完全に想定外の展開に、アゼルは咄嗟に対応が追い付かず、クリューに押し倒される形で薔薇の咲き乱れる中へと背中から倒れこんだ。

 体のあちこちにトゲが刺さり、苦痛に身悶えるが、倒れこんだ姿勢が悪かった上、クリューにそのまま馬乗りになられたため、なかなか体を起こすことができない。

 力を込めれば込めるほど、薔薇のつるが体を締め付け、トゲが深く肉を裂く。


「シェムハザ、セラハ、セフィロト。そんなわけの分からない連中に運命を捻じ曲げられ、そんな化け物として産まれ落ちるはめになった誰かさんの気持ち、あなた、分かる?」


「……放せ!」


 いい加減に埒が明かないと、手加減せずに一気に力を込めてクリューを弾き飛ばそうとしたアゼルだったが、それよりも早く、クリューに先手を打たれてしまう。


 クリューはアゼルに馬乗りになったまま、その手にしたナイフでアゼルの喉笛を、一気に横に切り裂いた。

 アゼルは絶叫を上げるが、その声は喉の裂け目からヒューヒューと間の抜けた音にしかならず、次いで、血の溢れるゴボゴボという音に塗りつぶされていく。


「大丈夫よ、安心しなさい。ネフィリムがそれぐらいで死にはしない。血だって噴き出すほどではないでしょう?」


 

 クリューが妖しい笑みを浮かべ、赤紫色の瞳で見下す中、アゼルは燃えるような痛みと怒りに耐えつつ、どうにか力を込めようとするが、まったく上手くいきはしない。


「……私はあの女を許さない。だから、私はあの女から奪うの。あの女のものは全て」


 そう言うとクリューは今度は自身の掌を切り裂き、赤紫色に光るそれを、アゼルの喉へと押し付けた。


 次の瞬間、アゼルの全身に燃えるような猛烈な感覚が駆け巡った。

 セフィの血を飲んだ時と同じような、全身の細胞、その一つ一つが発火するような感覚。


「あんたがあの女のものだって言うのなら、私はあんたのことも奪う。セフィロトの血をすべて駆逐し、あんたを、クリフォトの血で呪縛する」





「クリュー! 何をしているんだ!」


 突然の怒号が庭園中に響き、クリューはゆっくりとそちらへ視線を向けた。


「……ディット」


「答えろクリュー! そいつと何があった!」


 ディットが興奮し、怒りに肩を震わせながら駆け寄る中、クリューは軽くため息をついてアゼルから離れ、立ち上がった。


「……あなたには関係ないでしょ」


「関係ある! 僕はクリューの騎士だ。君を守る義務がある。だから、教えてくれ」


 そのままディットはクリューへと近寄り、その傷ついた手を触ろうとするが、クリューはそれを力いっぱいに払いのけた。


「触らないで! 私はあんたに守ってほしくなんかない! 私に構わないで!」


 クリューはそう声の限りに叫ぶと、そのまま庭園を後にしていった。

 後に残されたディットはしばらく放心していたが、やがてまだ苦しみ悶え続けるアゼルを憎らし気に見下し、その脇腹を蹴飛ばした。


「図に乗るなよ野良犬。クリューの血を受けたからといって、お前が誓約騎士に相応しいなどということは、決してない!」


 そう吐き捨てると、ディットもアゼルを残し、去っていった。


 今度は一体何に巻き込まれてるんだ、俺は。

 アゼルはそう全力で叫びたかったが、それを実際の言葉として発するには、まだしばらく傷を癒す時間が必要だった。





「……いいのかい? クリューが色々とベラベラ喋ってしまったようだけど」


 夜半、カルシィとクシストロスの他には人影のない娯楽室。

 コーヒーのカップを手に窓辺に立つカルシィが軽く笑いながら、椅子に座って無表情にチェス盤を見つめる魔王へと、言葉を投げかけた。

 魔王はその言葉に鼻を鳴らしつつ、手の中でひとつの駒を弄ぶ。


「問題ない。どうせろくに理解しちゃいないだろう」


「ずるいなあ。こっちは気を利かせて、わざわざ言葉を選んで回りくどく口を滑らせた、っていうのに」


「カルサイト、お前はもう何も余計なことは言うなよ。これ以上つまらぬことに気を取られたくはない」


「分かってるさ」


 カルシィは愉快そうに声を上げ、コーヒーを一口啜ってから、魔王の向かいへと座った。


「相変わらずだな。人形の分際で、そんなものを飲んで見せて何になる?」


「意味など無いさ。意味の無いことなど、世の中に幾らでも溢れてる」


 その言葉に魔王はまた鼻を鳴らし、黙って盤上に駒を並べていく。

 そして、そのまま二人は合図も無いままに、勝負を始めた。


「……思ったよりもセリオンの動きが早い。所によっては、表立って大々的に布教活動を行っている場所もあるようだ。裏取りはまだだが、トランサーの量産も始まっているとの情報もある。まだまだ絶対数は少ないとは言え、市民の中にも同調する動きは広がりつつある。いくらギルドとヘイヴンが背後に存在するとは言え、ここまでとは思わなかった。油断し過ぎたな」


「連合は?」


「評議会は右往左往するだけで頼りにはならん。それに対して、軍は相当カッカしているな。むしろそこが火種にすらなりかねん勢いだ。そんな状況下で、教皇庁も身の振り方に迷っている、といったところか」


「それで? 西方の恐ろしい魔王様としてはどうするんだい?」


「アルカディア軍として正面から介入すれば泥沼だ。それでは元も子もない。……まったく、だからこそ自衛のための戦力を増強するために、セフィまで派遣してやったというのに。あろうことか、技術もろとも敵に奪われるとはな。まるで話にならん」


「いっそ、東方も自分で統治すれば良かったのに」


 カルシィが笑いながらそう言うと、魔王は駒を動かす手を止め、視線を盤上から動かし、カルシィを睨みつけた。


「世界の全ての面倒を見るなど、俺ひとりの手には余る。だから環境変動の落ち着いた東方は連合や教皇庁といったお膳立てだけを整え、後のことは住民たちの自治に任せ、俺はより劣悪な環境の西方の統治に集中する。それもこれも、全部お前が提案したことのはずだが?」


「そうだったっけ?」


 カルシィが挑発するように嫌味な笑みを浮かべてみせると、魔王はそれに対して舌打ちをし、ゲームへと戻っていった。


「チェック」


 カルシィの駒が魔王の陣地へと深く切り込み、勝負を仕掛ける。

 それに対して魔王は少し考え、一つの駒へと手を伸ばした。


「しかし、まだ手はある。奥の手というものは、何時だって手元に忍ばせておくものだ」


 その駒を活用し、カルシィの一手を無効化する。


「トランス・アゼル」


 カルシィはその伏兵の活躍に笑みを浮かべ、魔王もその言葉に黙って頷く。


「あいつが早いところ使い物になってくれたら、助かるのだがな……」

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