_20_クリュー_
城内の屋内訓練場か何かだろう施設。
そこにアゼルは連れ込まれ、木製の模擬刀をその手に強引に掴まされていた。
「いいな、場所が場所だ。転化は無し。魔法も無し。胴に一撃入れば決着とする」
結局審判役として同行するはめになったリフィーシュがルールを説明しつつ、ディットへ釘を刺す。
「時間は十分もあれば満足だろう。私も暇じゃない。お前らなぞにそれ以上の時間はやれんぞ」
「勿論、それだけあれば充分ですとも。さあ、来い野良犬! ハンデだ、先手は取らせてやる。どこからでもこい!」
ディットがそう吠える向こうで、残る隊員たちがゾロゾロと固まって見物しているのが見える。
「……見世物じゃねえんだからさぁ」
この意味不明な状況に呆れながらも、アゼルはとりあえず剣を構えてみる。
いずれにせよ、一勝負付き合ってやらなければ、このディットとかいうヤツの気は済まないのだろうし、アゼルとしてもここまでのあれやこれやでずっとストレスは溜まりっぱなしで、そのはけ口が欲しかった気分でもある。
更に言えば、自分を野良犬呼ばわりするような不躾に遠慮をしてやるような義理も無い。
やるからには、全力で潰す。
「何がハンデだ、馬鹿にしやがって。なめんじゃねえぞ」
アゼルはそう低く呟くと、一気に床を蹴り、ディットの懐へと飛び込んだ。
アゼルとディットが目まぐるしく剣を打ち、捌き、一進一退の激しい攻防を繰り広げる中、それを観戦しているレシアが、呆れるように吐き捨てて言う。
「うっわ、ひっでぇスね。何あれ」
その隣で同じく観戦しているガリウスも、それに同意するように零す。
「そうねえ、アゼルちゃんはまあともかく、ルーキー君もあれじゃあ、ルーキー扱い卒業はまだまだ先みたいね」
「っていうか、ルーキーってあんな暑っ苦しいヤツでしたっけ? もっとこう、ジトーっとしたイメージだったんスけど、あたしん中じゃ」
「ほら、あれでしょ、あの子、クリュー様にぞっこんだから。影響受けちゃってんのよ。あの子が入隊したのって、セフィ様が東に行ったあとだから、直接はセフィ様の事知らないし、色々真に受けちゃってるんでしょ。それで、”セフィロト系”に対して無駄に執着抱いちゃってんのよ」
「そんなもんスかね? なんかメンドくさ。……あーあ、クリュー様ってそんなミリョク的なのかなー。あたし、そういうのよく分かんねえや」
レシアはそう言うと退屈そうに大あくびをかき、大きく背を反らせて伸びをした。
そうしてようやく、レシアはそのすぐ背後でアゼル達の試合を観戦している、もう一人の姿に気が付いた。
「……まったく、そういう話は、本人の聞いてない所でやってもらえないものかしら」
黒い大きなフードを目深にかぶった少女が、呆れたような声でボソボソと呟くように咎めて言うものの、当のレシアにはまったく悪びれる様子はない。
「あれ、居たんスか、姫様。珍しいスね、こんなヘンピな場所にお見えになられるなんて」
「……別に。偶々近くを通りかかったら、何か騒々しかったから、覗いてみただけ」
「ふーん……」
この訓練場は実際に城内の辺鄙な場所に存在し、明確な用でもなければ通り掛かるような場所ではない。
けれど、流石にそんな野暮な指摘をするほど、レシアも迂闊ではなかった。
少女がそれ以上何も言葉を続けず、試合を見つめているだけなので、レシアもそちらへ視線を戻し、黙っていることにした。
クリューが、この闘いを観ている。
その事に気付いたディットの胸に、熱い炎が燃え盛る。
敵の野良犬はしぶとく粘り、中々その胴へと打ち込める隙を見せないが、早くも息が上がり始めている。所詮は素人だ。
ディットは薄くほくそ笑んでから雄叫びをあげ、一気に勝負を決めるべく、猛攻を仕掛けた。
激しい連撃で敵の剣を打ち払い、一気にその胸の中心へと鋭く剣先を刺しこむ。
「これで終わりだ、野良犬!」
敵はその攻撃を認識できているが、反応が追いつかないようで、その悔しさだけが瞬く間に表情に滲んでいく。
ディットがその優越感に震える中、アゼルはその剣先に強く胸を叩かれ、その場に激しく倒れこんだ。
「僕の勝ちだ! 見てたかい、クリュー!」
ディットは勝利の雄叫びを上げ、黒いフードの少女へと駆け寄ろうとするが、それに水を差すように、リフィーシュの声が場に響いた。
「何を勘違いしてるんだ、この未熟者」
呆れて大きくため息をつくリフィーシュに、ディットは訳が分からずに抗議する。
「何がです? 僕の一撃は綺麗に決まりました。文句の付けようなど無いでしょう?」
まだ呆れて何も言えない様子のリフィーシュに代わり、それまで黙って観戦していたラケンが苦笑しつつ、簡潔に説明をする。
「ギリギリ時間切れだ。惜しかったな、ルーキー」
「あーあ、つまんねーの。仮にも誓約騎士ともあろうものが素人相手に引き分けてやんの」
レシアがもう一度伸びをし、つまらなそうにその場を去ろうとし、他の見物人たちもそれに続く。
「く、クリュー……!」
ディットは情けない声を上げ、クリューを縋るように見つめるが、クリューの方はそれを相手にしない風で、フンと鼻を鳴らすだけで、そのまま何も言わずに去っていった。
後に残されたディットが惨めさに震える中、その背後でアゼルが痛みに呻きながら立ち上がる。
「命拾いをしたな! 実戦だったら貴様は死んでいた! そのことを忘れるなよ、野良犬!」
ディットはそう捨て台詞を吐き捨てると、そのままアゼルの顔も見ないまま、その横を通り過ぎ、訓練場を後にした。
「……なんなんだよ、ほんと、どいつもこいつも!」
後に残されたアゼルは腹の底から大声で喚くが、それで心が晴れるようなことは、これっぽっちもなかった。
その翌朝、目が覚めたアゼルは、胸の痛みに思わず顔をしかめた。
「……ったく、まだ痛むのかよ。くっそ、あのバカ、憶えてろよ」
そう悪態をつきながら起き上がろうとしたアゼルは、すぐ傍に人影があることに気付き、まだぼやける目をこすった。
「……セフィ?」
一瞬そう見えた気がしたが、改めて見ると、そこに居たのは昨日の黒いフードの少女だった。
多少幼く、カルシィほどではないにせよ、セフィによく似た顔。
耳の形は、大きなフードと長い髪に隠れてよく見えないが、恐らく短いのだろう。
髪は魔王のものをもっと明るくしたようなオレンジ色をしていて、瞳はリフィーシュのネフィリム態と同じ赤紫色をしている。
その変に眠たそうに半開きの目が、アゼルのことをじっと見つめている。
「……今度、私のことをあの女と勘違いしてみなさい、殺すわよ」
「は?」
いきなり据えた目で物騒なことを言われ、アゼルは思わず呆気に取られてしまう。
「いつまでボサっとしているの? 早く着替えて、ついてきなさい」
少女はそう言うと、踵を返して扉の方へと歩き出した。
その姿を、アゼルはまだ呆然として固まったまま、目の動きだけで追う。
「聞こえなかったの? いいわね、早くなさい。命令よ」
そう言うと少女は扉を閉め、部屋の外へ出ていった。
アゼルは訳も分からず頭を掻くが、どうせ無視してもロクなことにはならないだろうと観念し、着替えを始めることにした。
すぐに着替えを済ませて部屋を出たアゼルは、待っていた少女が無言で歩き出したため、自分も黙ってそれについて行くことにした。
まだ慣れない複雑な城内を、何処にたどり着くのかも知らされないままに連れ回され、アゼルは段々と苛立ちを感じ始めていた。
しかし、いい加減に付き合いきれないとはっきりそう言って去ろうとした瞬間、大きな扉が開かれ、目の前に思いがけない光景が広がったため、アゼルは吐き出しかけた言葉を思わず飲み込んでいた。
色とりどりの薔薇が咲き乱れる、小さな屋内庭園。
何羽かの小鳥も放され、その羽ばたく音や囀りが響き渡る中、少女は扉を閉め、庭園の真ん中へと歩いて行った。
とりあえずアゼルもそれを追いつつ、上を見上げる。
ガラス張りの天井の向こうでは、眩しい青空が広がっている。
「青空って、やっぱ青いんだな。なんか、久しぶりに見た気がする」
西方に来てからは落ち着いて空を見上げることなど無かったし、ゲヘナの空は濁っていて、とても澄んだ青空などと呼べるようなものではなかった。それよりも前に見た青空となると、何時の頃だっただろうか。
しかし、そんな感傷に浸るには、やはりあのガラス天井は邪魔くさい。
改めて周りを見渡せば、四方を壁に囲まれているというのも、どうにも圧迫感がある。
目の前を飛び行く小鳥を見つめ、まるでこの庭園そのものが鳥籠のようだと、アゼルは思った。
そうこう考えている内に、アゼルの足は少女へと追いついていた。
少女は立ち止まり、黙ってじっとガラスの向こうの空を見上げている。
「……クリュー、だったか? 何で俺をこんなところに?」
このところずっと、誰かに何かを質問してばかりいる気がする。
そして大抵の場合、その質問に満足のいく答えが返ってくることはない。今回もそうだろう。
アゼルはそれを認識していながら、他にどうしようもなく、また質問をした。
それに対し少女はいやにゆっくりと頭を動かし、またも据わった目でアゼルを見つめ、少ししてからポツポツと言葉を吐き出し始めた。
「そうよ、皆は私のことをそう呼ぶ。クリュー、って。あの女がセフィ、って呼ばれるように。ねえ、私の本当の名前、分かる?」
アゼルはただ黙って、首を横に振る。
少女はそれを鼻で笑い、言葉を続ける。
「あなた、アンソスって、何のことか、知ってる?」
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