_18_クシストロス_


 その後もアゼルを乗せた馬車はひたすらに走り続け、幾つかの険しい山々を越えた末、ようやくその街の姿が視界に入ってきた。


 周りを山々に囲まれた湖。その西岸から突き出た半島の周囲に、その街はあった。


「あれが西方の首都、我が魔王のおわすカストリアの街だ」


 リフィーシュはどこか誇らしげにそう言うが、それは西方の首都と聞いて想像するよりはずっと小規模な風景だった。流石に元居た、たかが発掘拠点でしかないビッグ・ツリーとは比較にならない大きさとは言え、これぐらいの都市ならば東方にも幾らか存在はする。


 しかし、その街の中心からは少し離れた場所、半島のへりの近く、湖の丁度中心の辺りには、桁違いにひときわ大きな建物の姿があった。

 大小無数の尖塔の歪な集合体。なんとも攻撃的で、威圧的な風貌の異形の城。

 あれが、魔王の居城だろう。

 そうして改めて全体を見渡すと、背の低い建物が敷き詰められた半島の街は、まるで魔王城へと続く、絨毯の敷かれた道のようにも見えてくる。


 しばらくして馬車は街へと入り、魔王城へと続く幹線道を真っ直ぐに進んでいく。

 アゼルはそれに揺られながら、窓の外の光景をただぼんやりと眺め続ける。


 残忍な魔王のすぐ傍とはいえ、流石にそんな場所に住む資格のある者たちの街だからだろうか、住民たちの表情は別に怯える風でも、暗いというわけでもなく、相応の活気に溢れている。

 ただ、種族の構成は東方とは真逆のようだ。

 イオスやエルフもチラホラと見かけはするが、住民の殆どはキマイラだ。

 とはいえ、それもキマイラの一言で片づけるのもためらわれるほどに、それぞれが全く別種の動植物などの要素を持った見た目をしている。


 すれ違いざま、商店の店先で、トカゲの女がエルフの少年を叱りつけているのを見かけ、アゼルはそれに衝撃を受けた。

 こんな光景、東方ではまずありえない。

 東方でもキマイラがエルフよりも上の立場に就くということは無い事も無いが、少なくとも人前でキマイラがエルフを露骨に叱責することなどは社会的に許されはしない。


「西方では、魔王の存在のみが唯一絶対。そのもとでの、種族平等……」


 その魔王とはどういう人物なのだろう。

 アゼルはそんなことを想いつつ、視線を馬車の進む先へと向けた。

 天を突き刺すように、高くそびえる城。


「すぐにわかる、か」





 城へと着いたアゼルはまず湯浴みをさせられ、それから軽い食事を済ませ、その後数時間何も無い部屋に放置されたあげく、夜遅くになってようやく、魔王との謁見へと案内された。


 リフィーシュによって通された場所は、想像していたような玉座のある大広間などではなく、こじんまりとした普通の部屋だった。

 いかにも高価そうな調度品が幾つかある以外には大した派手さも無く、窓際に大きめで実用的な机が据えられていることからも、ここが客を招くためのような場所ですらなく、単なる執務室そのものであることは明白だった。


 その机の向こうには、椅子の背もたれにゆったりと身を預ける一人の男の姿があった。

 三十半ばを過ぎたぐらいの年頃だろうか。けれど、いやにくたびれたように見え、見た目以上の年齢を感じさせもする。

 魔王は不老不死だとかいうおとぎ話じみた噂もあるが、その姿を見れば、それもともすれば本当の事なのかもしれないと、アゼルは変に納得しそうになった。


 一方でその体格は細くもなく、太くもなく、背も高くもなく、低くも無く、どこにでもいる普通の壮年男性といった雰囲気だ。服装も、仰々しいマントや王冠なども着けておらず、変な幾何学模様が刺繍されたつなぎのようなものを着ているだけだ。

 少なくともその身なりに関しては、おとぎ話に出てくるような魔王像とはかけ離れている。


 けれど、その他にもう一つ特別際立った特徴があり、それがこの男が魔王そのものかはともかく、特別な存在ではあるのは確かだという最大の説得力になっていた。

 白い肌と、短い耳。

 髪はくすんだ赤茶色をしていて、瞳は青く、翆色ではないものの、その身体的特徴は余りにもセフィを彷彿とさせた。


 そしてもう一人。男の傍で机のへりに腰を掛け、愉快そうに薄い微笑をたたえながら、こちらを窺う女の姿もあった。

 男と同年代だろう女。この女も見た目はともかく、変に年齢不詳の雰囲気をまとっている。

 そして当然というか何と言うか、この女もセフィと同じだった。

 それも、同じ過ぎるほどに。見れば見るほどにセフィそっくりなことに、アゼルは思わず困惑する。

 他人の空似というレベルではない。セフィがそのまま歳を取ればこうなるだろうという見本そのものといった風貌。髪の色も同じクリーム色で、唯一違うのはその青い色の瞳ぐらいのものだ。


 リフィーシュが馬車の中で言っていた、魔王の家族という言葉を思い出す。

 少なくとも同じ種族ではあるのだろうし、この女がセフィの母親だと言われればすんなりと納得もしてしまうだろう。

 けれど、それではセフィがシェムハザの娘という話はどうなるのだろう。

 シェムハザは今もゲヘナの地下で眠っているはずだ。

 あるいは、それは嘘か何かで、この女こそがシェムハザなのか。


 アゼルの頭の中を疑問符が駆け巡るのを察したのか、女はクスクスと笑いながら、口を開いた。


「私はシェムハザではないよ、トランス・アゼル。セフィの母親でもない。私とセフィの関係は……。困ったな、どう例えれば分かりやすいんだろうね、エノン?」


 女はそう言うと、男の方を向いて、そう尋ねた。

 エノン。

 はっきりとそう聞こえた。東方で信じられている神の名前。

 なぜ西方の魔王が身内からそう呼ばれるのか。魔王がその名前を貶めるために、自らの別称として騙っているのか、などとも一瞬思うが、そんな話は聞いたことがない。対外的に喧伝しないのなら、そんなことに何の意味があるのか。


 アゼルが依然混乱し続ける中、男は女の言葉に対し、つまらなそうに一言ぼそりと呟くだけで返した。


「知るか」


 それに対し女はケラケラと笑い、またアゼルの方を向いて喋りかけてきた。


「まあいい。とにかく、私のことは気安くカルシィちゃん、とでも呼んでくれたまえ。隣の仏頂面はエノンくん。そういうわけで、よろしく、トランス・アゼル」


「トランスは余計だ。俺の名前は単なるアゼルだ」


 アゼルがそう訂正するのと同時に、男も抗議するような声音で言葉を発した。


「クシストロスだ」


 男はそう言うと居住まいを正し、アゼルの目をしっかりと見据え、本題へと入って言った。


「セフィが随分世話になったようで、感謝している」


 男は手ぶりでアゼルにソファに座るよう促しながら言った。

 アゼルはそれを無視し、その場に立ったままで会話を続ける。


「別に、そんな大したことはしちゃいない。むしろ俺の方があいつに助けられたんだ。……それよりあんた、何でそんなことまで知ってるんだ? セフィとはどういう関係なんだ?」


 今度は男の方がアゼルの問いを無視し、そのまま自分の話を続けた。


「いずれにせよ、セフィは無事にゲヘナを脱出し、現在は連合軍の庇護下に戻っている。とはいえ、それで事態は万事解決、とはいかない。東方情勢は尚も予断を許さない状況であり、その中にあって貴様という存在は野放しにするには余りにも危険すぎる」


「何の話だよ、こっちの質問に答えろ」


「というわけで、貴様の身柄は俺の方で抑えておくことにした。明日からはリフィーシュの部隊で訓練を受けさせてやる。その成長次第では、戦力として使う事も考えてやる。せいぜい努力することだな」


「だから何を勝手に言ってんだよ! 聞けよ人の話!」


 頭に血が上り、男に向かっていくアゼルを、後方に控えていたリフィーシュがすぐさま抑え込んだ。

 その様子を眺めていた男は呆れたように溜め息をつきながら、追い払うように手を振り、それを受けてリフィーシュはアゼルを羽交い絞めにしたまま一礼し、部屋を出ていった。





 扉が閉じられてから、クシストロスはまた溜め息をつき、背もたれへと勢いよくもたれかかった。


「……まったく、これで満足か?」


 魔王が嫌味ったらしく尋ねると、女はそれにも動じず、笑いながら答えた。


「いやあ、興味深いね。アンソスの組織との桁外れに高い適合性を持った人間。少なくとも、私の求める存在の雛型とは十分に言える。数万年は待つ覚悟でいたけれど、まさか、たかだか千年程度で出現するなんてね」


 高揚し、とても嬉しそうに言葉をまくし立てるカルシィに対し、魔王は呆れた様子で鼻を鳴らしてみせた。

 そんな魔王の態度に、カルシィの笑顔は更に明るさを増していく。


「エノン、君だって彼に興味はあるんだろう? セフィが見初めた男の子だ。”お父さん”としては気にならないはずはないだろう?」


「くだらん」


 そう短く言うと魔王は椅子から立ち上がり、寝室へと移ろうと歩き出した。


「二度と、その顔で、その声で、そんなふざけた事をぬかすのは止めろ。不愉快だ」


 扉を開けながら険しい表情でそう釘を刺す魔王に対し、カルシィはただ肩をすくめるだけだった。


「その言葉、もう千回は聞いてるよ」


「それに三百六十五を掛けておけ、一日一回は言っている」


 魔王はそう言うと音を立てて扉を乱暴に閉め、去っていった。

 後に残されたカルシィも、呆れたようにため息をついてから机を離れ、部屋を去っていった。

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