_17_リフィーシュ_


「……ほう」


 女は飛び退いて距離を取りつつ、巨人へと変身するアゼルを見つめながら、興味深そうに呟く。


「さんざんコケにしやがって。エマにまであんなことして、タダじゃおかねえぞ」


 そう言うとアゼルは一歩一歩、女との距離を詰めていく。

 女の方もそれに押されるように、アゼルに向き合ったまま後退し、村の中央広場の方へと移動していく。


「このリュゼやミンスキンどもと似たフォティアの感じ。お前、どうせ誓約騎士とかっていうのなんだろう。お前も変身しろよ、そのままの姿を嬲ってもスッキリしねえから」


 その余りにも恥知らずな言葉を、女は鼻で笑った。


 次の瞬間、女は何も言わずに背中の大剣を抜き、巨大なアゼルへと斬りかかった。

 アゼルはそれを紙一重でかわすが、それは余裕の現れなどではなく、むしろ油断していてどうにかギリギリで回避に成功した、ということのようだ。

 その巨体から溢れるフォティアの匂いから、そういった内心の動揺が駄々洩れなことにも、女はまた鼻で笑う。


 続いてアゼルは背中のマフラーのような薄膜からフォティアを放出し、力を溜めるが、その所作も無駄が多く、洗練とは程遠い。


 しかしながら、その放出されるフォティアの量と質の良さには驚かされる。

 セフィロト系の純粋にして完全なネフィリム。

 その未だ磨かれていない、原石そのものといった才能の形。


「なるほど、これは鍛えがいがありそうだ」


 女はそう呟くとアゼルのマフラーによる突きを軽くかわし、一気に跳び上がり、その顔面へと強烈な蹴りを叩きこんだ。


 そのまま落下の途中で更に魔法による衝撃波を放ち、顔の痛みによろめいていたアゼルの無防備な体に追い打ちを仕掛けた。


 アゼルが地響きを上げて地面に転がるのと同時に女は着地し、そのまま素早い動きで剣を構えて再び跳び上がり、一直線にアゼルの胸の中心へと剣を深々と突き立てた。


 アゼルの絶叫が響き、その巨体がフォティアへと還元され、萎んでいく。


「く、クソ……!」


 それでも意識は失っていないようで、胸の傷もすぐに塞がっていく。

 女はそのしぶとさを称賛でもするように薄く笑みを浮かべ、その胸の傷にかかとを落とし、踏みつけた。


「ただ降って湧いた力に振り回されているだけだな。とてもネフィリムの力を使いこなせているとは言えない」


 女はそう言うと、アゼルを踏む足に更に力を込めていく。

 アゼルの叫び声が一層大きくなるが、それに被せるように更に大きな悲鳴がふいに聞こえ始めたため、女はその方へと視線を走らせた。





 数人の村人たちが焦った様子でこちらへと走ってくる。

 その奥には、ネフィリムよりも一回り大きい熊の魔獣の姿。


 その光景に、アゼルは絶句する。


「き、昨日のはまだ子供だったのか……。他に親も居たんだ……」


 自分が退治したものよりもずっと大型で、爪や全身の角もより大きく、凶暴な見た目をしている。それが怒り狂った様子で畑を踏み荒らしながら、一直線に村へと突進してくる。

 あんなのが暴れたら、この村はあっという間に壊滅だろう。


 アゼルは村を守るためにそれに立ち向かおうとするが、もう立ち上がる力も残されてはいなかった。


「ちょうどいい。そこで見学していろ」


 頭上から女騎士の声が聞こえ、その足がアゼルの胸から離れた。

 そして、そのまま女は魔獣へと駆け出し、叫んだ。


「トランス!」





 黒い肉体を白い甲冑のような甲殻で覆い、大剣を携えたネフィリム。

 その女騎士をまさしくそのまま巨大化したような巨人が、その巨体からは想像もつかない軽やかな身のこなしで魔獣へと接近し、その力任せの攻撃をまるで舞うようにいなしていく。

 流れの中で的確に魔法による攻撃や防御も差し込んでいるようだが、その動作も限りなく自然で、アゼルが魔法を使うときのような溜めの動作も存在しない。


 すぐに魔獣はその場に崩れ落ち、その戦いとも呼べないような一方的な討伐作業はあっという間に片が付いた。


 それからネフィリムはため息でもつくように肩を揺らすと、アゼルの方へと振り返った。

 その瞳の色はアゼルやリュゼが変身したときの翆色とは違い、赤紫色に輝いている。

 それをアゼルがぼんやりと見つめている間に、巨人はもとの女騎士の姿へと戻り、アゼルのもとへと戻ってきた。


「さて、用は済んだ。一緒に来てもらうぞ、アゼル君」


 女はそう言うとアゼルを無理やりに立たせ、肩へと軽く担ぎ上げた。

 そのまま去ろうとする女騎士へと、ペトルが息を切らせながら走り寄り、膝をついて縋ったため、女は溜め息とともに足を止めた。


「なんだ?」


「待ってください騎士様! 魔獣を退治してくださいましたことは感謝しております。けれども、アゼルを連れ去ることはどうか。そいつが何者で、何をしでかしたのかは知りませんが、決して根は悪いヤツなんかじゃないんです。どうか、寛大な措置を……」


 先ほど吹き飛ばされたエマも駆け寄り、一緒になって頭を下げる。

 必死に懇願する夫婦を眺め、女騎士はまたも溜め息をついた。


「何を勘違いしているんだ。アゼルは陛下の大切な客人なのだぞ?」


 その言葉に、ペトルとエマがきょとんとした表情で顔を見合わせる。


「きゃ、客人? クシストロス様の? ど、どういうことで?」


「で、でも、それなら何故あんな乱暴な真似を?」


 エマの疑問に女騎士は笑い、肩のアゼルを揺すって見せるが、アゼルは気を失っているようで反応を示さない。


「あれは、彼が客人として迎えるに値するかどうかを確かめる、私なりのやり方、というだけだ。貴様には付き合わせて怪我をさせてしまって悪かったな」


「い、いえ、怪我などはしておりません。大丈夫です」


「そうか。いずれにせよ、私はこのまま王都へと戻るが、すぐに部隊をひとつこの村へと派遣する。まだ他にも獣が数頭うろついていないとも限らんし、それ以外でも魔獣の死骸の片づけなり、畑や建物などの修復なり、何かあればしばらく好きに使ってくれて構わない。要りような物があれば、その者たちに伝えてくれれば融通もしよう」


 ペトルとエマは全く状況が理解できない様子で、ただ目をパチパチとさせるだけだ。


「い、いえ、そんな滅相もありません。そんなにまでしていただかずとも……」


「貴様らはアゼルを助け、これまで保護してくれていた。この少年には、それだけの意味がある。貴様らの行いにも、我が魔王としては相応の恩を感じているというわけだ。自らの行いに対する当然の報いである。つまらぬ遠慮などせず、胸を張って受け入れればよい」


 夫妻は最早絶句し、完全に身を硬直させてしまっている。

 その様子に女騎士は苦笑いを浮かべながら、踵を返し去っていった。





「……あれ?」


 大きな振動を受け、ふいにアゼルは意識を取り戻した。


 ぼやけた目をこすり、辺りを見渡す。

 とても狭い室内で、目の前にはあの女騎士の姿がある。

 室内全体を揺らす振動は小刻みに続き、すぐ傍の窓の外の風景は流れるように後ろへ過ぎ去っていく。


「馬車の中か?」


「目覚めの気分はどうだい?」


 そのニヤニヤとした女騎士の表情に苛立ち、アゼルは窓の外へと視線を外しながら答えた。


「最悪だよ」


「それは良かった」


「なんでこんなのに俺は乗せられてるんだ。ペトルたちに何かしたんじゃないだろうな」


 そう言いながら詰め寄るが、女は余裕の態度を崩しはしない。


「あの村の今後については、君のこれからの態度次第だな。彼らに恩を感じているのなら、精々大人しくしておくことだ」


 その言葉にアゼルは険しい表情で歯を食いしばり、結局それきり黙ることにした。


 しばらくの間、ただただ馬車の転がる音と振動だけが響いた後、今度は女騎士の方から口を開き、話しかけてきた。


「リフィーシュだ」


「あ?」


「私の名だ。そういえば、まだ言っていなかったな、と思ってな」


「あっそ」


 そう言ってつまらなさそうにそっぽを向くアゼルに対し、リフィーシュは気にせず話を続ける。


「君はセフィ様に選ばれた存在だ。その事に陛下は多大な興味を示され、君にお会いになりたがっておられる」


「セフィ……様?」


 セフィが元々魔王のもとに居たということは、そういう扱いをされていたとしてもおかしくはないことなのかもしれない。

 今思えば、セフィの立ち居振る舞いには確かに高貴な雰囲気のようなものがあったようにも思える。


「別に俺はセフィに選ばれたとか、そういうわけじゃない。単に成り行きから、あいつの血で、助けてもらったってだけだ」


「経緯はどうあれ、君の体はセフィ様の血をそのままで受け入れ、同化した。その結果にこそ意味がある」


 アゼルはひとつため息をつき、以前から疑問に感じていたことを、リフィーシュへと投げかけた。


「……結局、ネフィリムってなんなんだ? セフィって、何者なんだ? 本当にシェムハザの娘なのか? そもそもシェムハザ自体、何者なんだ? 千年前に降臨した堕天使……、そんなのが本当にセフィの親だって言うのか?」


 次々とまくし立てるアゼルの目の前へとリフィーシュは人差し指を立て、その言葉を遮った。


「正直なところを打ち明けるなら、私とて大したことは知らない。何しろ、陛下自身と、セフィ様含め陛下に特別近しい方々には秘密が多い。まるで家族のようにも見えるが、実際に家族なのかすらも、魔王直轄部隊隊長の私ですら知りはしない」


「魔王の、家族?」


「……まあとにかく、このアルカディアにおいては、魔王クシストロス様の御意思こそが唯一無二にして、絶対だ。臣民は皆すべて、ただその言葉に従い、知るべきことだけを知り、すべきことだけをしていれば良い。お前も心しておけ」


「まったく、何がどうなってるんだよ」


 アゼルは諦めたようにそれきり質問を止め、座席の背もたれへと深く身を預けた。

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