_16_ストレンジャー_


「……ふう」


 魔獣を倒し、変身を解いたアゼルはひとつ息をつき、むせかえるような血の臭いに吐き気を我慢しつつ、ペトルへと近づいた。


「大丈夫か?」


 アゼルの差し出した手を、ペトルは恐怖に怯え、今にも泣き出しそうな表情で、無言でじっと見つめるだけだった。


「……そりゃそうだよな。いきなりあんな化け物になったのを見ればな」


 アゼルは差し出した手と視線を下げつつ、ペトルの反応を待たずに続けた。


「やっぱ俺、出ていくよ。今までありがとう。元気でな」


 そんなアゼルの別れの言葉も届いていない様子のペトルは、いきなり体勢を変え、アゼルに跪き、手を組んで祈るようなポーズを取って見せた。


「あ、あなた様が誓約騎士様だとは存じ上げませんで! これまでのご無礼の数々、どうか平にご容赦ください!」


「は?」


 突然の展開に、アゼルは理解が全く追いつかず、素っ頓狂な声を上げるしかない。


「本当に、本当に、何も知らなかったんです! いや、俺はどうなってもいいから、せめて村の者たちのことは、どうか、どうか……!」


 ペトルが額を地面にこすりつけてまで謝りはじめ、アゼルはもう何が何だか分からないまま、慌ててそれをやめさせようとする。


「待ってくれ! 何の話だ。俺はそのナントカ騎士なんてのは知らない。とにかく、落ち着いてくれ!」


 それからしばらくの間、まともな会話にならない状態が続いた後、ようやくペトルはどうにか落ち着きを取り戻し、話し始めてくれた。


「……なんだ、俺、てっきり、その。いきなりアゼルが巨人に変身なんてしたもんだから、てっきり」


「よく分からないけど、そのナントカ騎士ってのも、巨人になるのか?」


 その質問に、まだ息の上がったままのペトルは、額の泥と汗をぬぐいながら答えた。


「誓約騎士、だ。魔王様直轄の、精鋭部隊、らしい。俺もよくはしらないけど、その方たちは凄まじい力を秘めた恐ろしい巨人に変身するとかで……」


 そこまで聞き、アゼルは以前にガントが言っていたことを思い出した。

 セフィは元々、西方の魔王のもとに居た。それがネフィリムの開発情報とともに東方へと渡った。

 それが本当なら、魔王がネフィリムの部隊を持っているのも不思議ではないのかもしれない。


「……まあとにかく、俺はそんなのとは何の関係も無い。そんな畏まる必要なんてないんだ。今まで通り普通に接してくれ」


「あ、ああ……」


 まだ混乱し、完全には納得のいっていない様子のペトルを無理やりに立たせ、アゼルはとりあえず村へと帰ることにした。





「ああ……! ペトル、アゼル、よく無事で!」


 村に帰った二人を、エマが涙ながらに迎えた。

 そんなエマを抱きしめ、安心させるように、ペトルがゆっくりと話しかける。


「おう、もう大丈夫だ。魔獣はアゼルが退治してくれた」


 ペトルは誇らしげにそう言い、アゼルの背中を叩いてみせた。

 しかし、周囲に集まる村人たちはそれに歓声を上げることもせず、今も怯えた表情を崩さずにいる。


「おいおい、どうしたみんな。今言ったのは本当のことだぞ。もう安心して大丈夫だ」


 ペトルが皆に聞こえるように大きな声でそう告げても、皆の態度は変わらない。


「……アゼルが、巨人に変身したって聞いたぞ」


 静寂の中、誰かがぽつりと呟く声が、辺りに響いた。


「ああ、その事か。心配するな。アゼルは誓約騎士様とは違うらしい」


「でも、巨人は巨人だ。……化け物だ」


 また別の誰かがそう言うのが聞こえ、その瞬間、ペトルは顔を真っ赤にして、声のした方へと叫んだ。


「誰だ、今言ったのは! 何が化け物か! アゼルはアゼルだ! 誰のお陰で救われたと思ってるんだ。こいつが居てくれなきゃ、今頃俺達どうなっていたか!」


 そう吠えるペトルから村人たちは視線を逸らし、何も答えはしない。


「どうした! 何を黙っている! アゼルが巨人に変身するからって、それが何だって言うんだ。言いたいことがあるならはっきり言え!」


 尚も激昂して大声でまくし立てるペトルを、アゼルは制止して言った。


「良いんだ」


「何が良いものか! こいつらがこんな恩知らずどもだったなんて、俺は!」


「俺が良いって言ってるんだから、良いんだよ。俺は大丈夫だから、気にしないでくれ」


「しかし……」


 ペトルはそれでも納得のいかない様子ながら、大きくため息をつき、歯を食いしばってそれ以上の言葉は飲み込むことにしたようだった。


 その状況にばつの悪さを感じたのだろう。村人たちは一人、また一人と、無言でその場を去り始めた。

 そして、すぐに皆居なくなり、後にはアゼルとペトル一家だけが残された。


 それからしばらくの無言の後、まだ興奮の収まらない様子のペトルを横目に、エマがアゼルを励ますように言った。


「皆、突然の事で混乱しているだけなのよ。分かってあげて」


 アゼルはそれに、夫人の目を見据え、しっかりとした声で答えた。


「大丈夫、分かってるよ」


「とにかく、あなたはこの村を、私の大切な人を救ってくれた。かけがえのない恩人よ。どうか胸を張っていてちょうだい」


 そう言って夫人は柔らかく笑い、アゼルもそれに応えるように、笑顔で返す。


「別にそんな大げさなことじゃないさ。……ただ、なんか疲れたな。もう帰ろう」






 次の日、アゼルはペトルの手伝いを休み、部屋と荷物の整理をすることにした。

 ただただその作業を無心で続けていると、いつの間にかリアが部屋の扉に寄りかかり、その様子を見つめているのにアゼルは気付いた。


「どうした?」


 アゼルが穏やかな口調でそう尋ねると、リアはよたよたとした足取りでアゼルのもとへと近づいてきた。


「あぜゆ、どこかいく?」


 昨日の昼食時の会話を思い出し、リアは自分が村を出ていくことを心配しているのだろうとアゼルは考え、それを否定して安心させようとした。

 しかし、その言葉を口にするよりも前に、それは不誠実なことなのではないかと思い、言葉を飲み込んだ。


「……分からないな。ずっとここに居たい気持ちもあるけど、どうなんだろうな」


 アゼルはそんな踏ん切りの付かない、ありのままの気持ちを正直に話したが、リアはそんなアゼルの顔をきょとんとした表情で見つめるだけだった。


「あぜゆ、おさんぽ、いこ」


 その言葉に、アゼルの顔が思わずほころぶ。


「なんだ、そういう意味か。勘違いしてたよ。いいよ、行こう」


 アゼルは苦笑いを浮かべながらリアの手を取り、部屋を出ていった。





 エマに断りをいれ、家を出たアゼルの前に、一人の見知らぬ人間の姿があった。


 黒い装束の上から白い甲冑とマントを着けた、かなり大柄の女性。

 純血のイオスのようだが、その背丈は岩人やエルフの成人男性ほどもあり、背中には、その背丈ほどもあるむき出しの大剣をぶら下げている。


 アゼルがその存在を訝しんでいると、ふいに神経がチリチリする感覚とともに、頭の中で声のようなものが響き渡った。


『お前が、アゼルだな?』


「……誰だ、あんた?」


 咄嗟にリアを背中に庇いつつ、アゼルはその女を警戒し、問いかけた。

 しかし、女はそれには答えず、薄い笑みを浮かべながら、アゼルへと近づいてくる。


『お前の力を試してやる。今ここで転化してみせるがいい』


 またも頭の中で声が響く。

 異変を感じて外へ出て来たエマへとリアを預け、アゼルも女へと一歩近づく。


「お前は誰か、って聞いてるんだよ。答えろ」


 女はそれには答えず、地を蹴り、一瞬でアゼルの懐へと跳び、その首を掴みあげた。

 足が地面から離れ、首が締め上げられる。アゼルは息苦しさに悶え、闇雲に女を蹴り、その腕を引きはがそうと藻掻くが、女はそれにも全く動じることはない。


「早くしろ。私も暇ではない。使い物にならなければ、邪魔になる前に始末しておけ、と陛下のお墨付きもある。大人しく従った方が身のためだぞ」


「おやめください、騎士様!」


 エマの叫び声が響き、一瞬だけ女の力は弱まったが、アゼルが抜け出せるほどの隙とはならなかった。


「アゼルは、この村の恩人です。事情は分かりませんが、どうか、手荒なことはご容赦ください」


「下がっていろ。分かっているだろうが、私は陛下の勅命を受け、ここでこうしている。邪魔をすれば、ロクなことにはならんぞ」


 エマは突然の事態に動揺し、目に涙を滲ませながらも、その言葉にも怯まずにアゼルへと駆け寄ろうとする。


「警告はしたぞ」


 周囲のフォティアが微かに震え、次の瞬間にはエマの体は吹き飛ばされていた。


「エマ!」


 アゼルは必死に叫び、拘束を抜け出そうとするが、喉からは掠れるような音だけが零れ、酸素の欠乏により、段々と体から力が抜けていく。


「どうした? このまま死んでもいいのか? さあ、転化してみせろ、アゼル」


「言われるまでもない、そんなに見たけりゃ、思う存分見せてやるよ」

 

 その言葉も掠れた音にしかならないが、アゼルは残る力を振り絞り、全身の細胞を転化させていく。


「トランス!」

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