_15_ファミリー・タイム_


 それから数日が過ぎ、一週間が過ぎ、気が付けばいつの間にかに二週間が過ぎていた。

 

 この村ではいやに時間がゆったりと流れていく。

 その上、村の者たちはみな気の良い者ばかりで、よそ者のアゼルの事もすんなりと受け入れてくれた。


 アゼルは、その穏やかな新しい生活を心地よく感じている自分自身を、自覚していた。


「なかなか見込みがあるじゃないか」


 近くで作業をしていたペトルがどことなく嬉しそうにそう言い、アゼルは若干の照れ臭さを感じながら、畑作業を手伝う手を止め、それに答えた。


「よしてくれよ。こんなの初めてのことなんだ。見様見真似でやってるだけで、上手く出来てるはずがない」


「いやいや、見た目のわりに力はあるし、物覚えも良い。このままずっと居着いてくれりゃ、助かるんだけどな」


 ペトルの言葉をくすぐったく感じつつも、アゼルは苦笑いを浮かべる。


 大気の流れの影響か、ゲヘナより西方では東方よりもフォティアの濃度が高く、そのせいで作物を上手に育てるのも簡単にはいかない。

 それでもここの人々は、痩せた土地でも育つ芋を植え、危険の潜む森や内海で狩りや漁をし、どうにかこうにか、慎ましい暮らしを営んでいる。


 そんな状況だから、使い物になる男手は大切なのだろうし、アゼルとしてもその助けになりたいという気持ちもあったが、一方でやはりゲヘナへ戻らなければ、という気持ちも強かった。


「そうしたいのはヤマヤマだけどさ。俺、やっぱりゲヘナへ戻らないと」


「……そっか」


 それを聞き、ペトルが寂しそうに笑い、アゼルもつられて同じような笑みを返した。


 そんなゆったりとした時間が、アゼルの中に少しずつ迷いを生じさせていく。

 そもそも、ゲヘナへ戻る意味ってなんだろう?

 恐らくセフィは無事にゲヘナを脱出できただろう。しかし、それならば、もう自分の役目は終わりだ。元々住む世界の違うセフィと、それ以上関わり合いになる余地はない。

 一方で万が一にも脱出に失敗したのなら、今更何週間もかけて戻ったところで、どの道手遅れでしかないだろう。


 コレには約束を破って申し訳ないが、このままここで暮らすのも悪くはないのではないだろうか。

 アゼルの中で、だんだんとその気持ちが強くなっていく。

 初めて居心地が良いと思えた、この土地で。





 それから数時間が過ぎ、すっかり陽も天頂を越え、アゼルとペトルは昼休憩に入っていた。

 弁当を持って来てくれたペトルの奥さんと、まだヨチヨチ歩きの娘さんも合流し、皆揃っての団欒の時を過ごす。


 いつの間にかその独特の風味にも慣れたハーブティーを啜りながら、アゼルは何となく気になっていたことを、ペトルに尋ねてみた。


「……なあ、あんたたちは、もっと住みやすい場所に移ろうとかって考えたりは、しないのか?」


「別にないなあ。そりゃあ、ここの暮らしは楽じゃないが、生まれ育った場所だし、思い入れもあるしなあ。それに、余所へ移ったって、今より良い暮らしができるとも限らない」


 小魚の干物を頭から齧りつつ、ペトルがゆったりとした喋り方で答えた。

 それに対し、アゼルは更に踏み込んで質問を続ける。

 何も別にそんなことが本当に気になるわけでもなく、ただ話をしたいから、話を続ける。他人との会話をそういう風に行うというのは、アゼルにとって新鮮なことだった。


「魔王っていうのは、恐怖で民衆を縛り付ける独裁者だって聞いたことがあるけど、それが息苦しかったりはしないのか? いっそ連合に逃げようとか……」


「確かに魔王様は自分に従わない者はすぐに処刑台に送る厳しい方だって聞く。でも、逆に大人しく従ってさえいれば、しっかり面倒を見てくれる方でもある。少なくとも、都会の方じゃどうだか知らないが、こんな辺鄙な田舎じゃそこまでの息苦しさはないな。税が多少重たいな、ってぐらいで」


 それからペトルは口の中の物を飲み下してから、意地の悪い笑みを浮かべ、続けた。


「それを言うなら、連合はどうなんだい? 俺達みたいなのは、酷い差別を受けるって聞くが。連合へ逃げ込めば、ここよりマシな暮らしができるのかい? ……このアルカディアじゃあ、そういう差別なんかは無いぞ。キマイラも、イオスも、エルフも、皆等しく魔王様のしもべさ」

 

 そう言われ、アゼルは思わず黙ってしまう。そんな様子を見て、ペトルは明るく笑った。


 その笑い声が大きく響き渡る中、二人の会話に割り込んで、まだ幼いペトルの娘、リアがアゼルに話しかけてきた。

 

「……あぜう、いなくなっちゃう?」


 服の袖を引っ張られ、父によく似た丸い大きな瞳でじっと覗き込まれると、アゼルは咄嗟に答えることができず、曖昧な笑みで返した。


「駄目よ、リア。アゼルを困らせちゃ。……私だって、アゼルがこのままずっと居てくれれば嬉しいけれど、でも、ゲヘナに戻らなければいけない用事があるんでしょう? あまり長く引き留めるわけには、いかないわよね」


 奥さんにまでそう言われ、アゼルは心が揺らぐのを感じていた。

 いっそ、事の顛末の確認とコレへの挨拶のためだけに一度ゲヘナへ戻り、それからまたここへ戻ってきて、ここでずっと暮らすというのもありかもしれない。


 それを相談しようと、改めて言葉にしかけたとき、森の方から村の若者が血相を変えて走ってきたため、アゼルは出しかけた言葉を飲み込み、そちらへと意識を集中した。





「ぺ、ペトル! 大変だ、ま、魔獣が、出た!」


 若者が息を切らして、途切れ途切れに吐き出す言葉を聞き、ペトルの表情が衝撃を受け、目に見えて青ざめていく。


「よりによってこんな人里近くにか!? ケナン、お前はすぐに村に戻って皆を避難させろ。アゼルはエマとリアを連れて一緒に避難してくれ。その間、俺が囮になって時間を稼ぐ」


「や、止めとけペトル! 危険だって!」


 ケナンがそう叫び、制止するのも聞かず、ペトルは森の方へとそのまま駆けて行った。


 魔獣。西方の濃いフォティアの影響を受け、凶暴化した、野生生物の突然変異した異形。

 そういった化け物が魔王境には跋扈していると噂に聞いたことがあったが、アゼルはこれまでその実在については半信半疑だった。

 しかし、どうやらそれは実在し、しかもあろうことか、この村の平和を脅かそうとしている。


 アゼルは、怯えて震えるリアをしっかりと抱きしめながらなだめるエマを見つめ、少し迷ってから、決意をした。


「ごめん、俺はペトルを助けに行く。奥さんとリアは先に避難しててくれ」


「駄目よアゼル! 危険すぎる。あなたにまで、もしもの事があったら……!」


 パニックに陥りそうな夫人をなだめ、励ますように、アゼルはしっかりとした声で続ける。


「大丈夫。俺も魔獣と似たようなもんだから」


「え?」


 顔いっぱいに疑問符を浮かべる夫人を村の方へと押しやりつつ、アゼルはペトルを追って走り出した。


「とにかく大丈夫だから、俺に任せてくれ!」





 森に入ると、すぐにその姿が目に入ってきた。

 淀んだフォティアをまとう異形。岩人よりもさらに一回り以上大きい、熊の面影の残る変異体。両腕は異様に肥大化していて、特にその爪は太く伸びており、体の節々からはトゲトゲとした角のようなものが飛び出している。


「おら、こっちだ、化け物!」


 その魔獣から必死で逃げつつ、村とは違う方向へと走るペトルの咆哮が聞こえ、アゼルはそれに追いつこうと全力で走りながら、周囲のフォティアをかき集める。


「トランス!」


 ペトルへと追いつき、その獰猛な爪で襲いかかろうとする魔獣へと、アゼルは転化しながら体全体で体当たりを仕掛けた。

 それをまともに食らい、藪や低木を吹き飛ばしながら地面を転がる魔獣を警戒しつつ、アゼルはペトルへと向き直って言った。


「こいつは俺に任せてあんたも逃げろ!」


 しかし、ペトルはその光景に腰を抜かし、気が動転してしまっているようで、その場を動こうとはしない。

 アゼルは仕方なく、ペトルを護るように立ちはだかりつつ、起き上がろうとする魔獣へと向いた。


 改めてその姿を確認すると、変身前に見たのとは少し印象が違う。

 三メートルほどの巨体と言えど、流石にネフィリムと比べると子供のようなものだ。

 

 魔獣は興奮した様子で雄叫びを上げると、一直線にアゼルへと突進してきた。

 アゼルは瞬時にマフラーに力を込め、その突進を受け止めつつ、横へと流した。

 しかし、魔獣はそのまま態勢を整え、すぐに再度攻撃を仕掛けてくる。


「悪く思うなよ。可哀想だとは思うけど、村を護るためなら……!」


 アゼルは覚悟を決め、その右手にフォティアを集中し、強化。一気に魔獣の体へと打ちこみ、その胴体に大きな風穴を開けた。

 魔獣は大きな音を立てて大地へと倒れこみ、そのまま絶命した。

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