_アルカディア策動_
_14_アルカディア_
アゼルは、目を覚ました。
木造の天井。
まずそれが目に映り、ゆっくりと上体を起こしつつ、辺りを見渡す。
全くもって見覚えの無い室内。
「……どこだ、ここ?」
部屋の中にあるものは、自分が寝ていたベッドと、その脇の簡素なサイドテーブル、小型の木製机と椅子、それと大して中身の入っていない本棚に、当たり障りのない小さな風景画。それくらいのもので、大した手がかりにはならない。
続けてアゼルはベッドから起き上がり、傍らにある窓の外へと目を向けた。
木造の民家がポツポツと点在し、少し離れた場所には広大な畑が広がり、更にその奥には鬱蒼とした森が広がっている。
「……どこだ、ここ?」
ゲヘナの周辺は広範囲に渡って荒涼とした荒地や砂漠が広がっていて、こういった光景はまず見られはしない。
多少距離のある内海の近辺まで行けば緑も豊かだが、そうだとしても何故そんなところにいるのか、見当もつかない。
アゼルはただ困惑し、とりあえずベッドへと腰掛け、記憶を辿ってみることにした。
しかし、ミンスキンのジャッカルとの戦闘の最後、全てが光に包まれた後のことは何も記憶にない。
「……セフィは、無事なんだろうか」
結局あの後、何がどうなったのか。
思わず最悪の事態を考えてしまいそうになったその時、ふいに部屋の扉が開き、アゼルの意識はそちらへと向けられた。
「おお、起きたのかい。具合はどうだい?」
恰幅の良い、蛙そのものといった風貌の男が現れ、陽気というか、暢気というか、そんな声でアゼルへと話かけてきた。
アゼルは困惑しながらもそれに答えようとするが、それよりも早く男は立て続けに言葉をまくし立てたため、言葉を挟むタイミングを逃してしまう。
「いやあ、驚いたよ。岸辺に打ち上げられてるあんたを見つけた時は、さ。てっきり水死体だとばかり思ったけど、まだ息があるもんだからまたビックリさ。あ、そうだ、今何か温かいもの持って来てやるから、ちょっと待ってな」
そう一方的にまくし立てると、男はそのまま引き返して行ってしまった。
「なんなんだ、一体」
アゼルが呆気に取られ、そう呟いている間に男はドタドタと足音を響かせ、また戻ってきた。
「ほら、残り物で悪いけどさ、とりあえず何か食って力つけないと」
そう言って男は手にした盆をサイドテーブルの上へと乗せた。
その盆に乗せられた、ゴロゴロとした芋のスープと、何やら薄く色の付いた飲み物をアゼルはじっと見つめる。
正直それほど腹は空いていないし、あまり旨そうにも見えない。
出された食事に手を付けるかどうかアゼルが迷っている間に、男はその大きな顔いっぱいで明るい表情を作り、アゼルへと更に勧めてきた。
「ん? どうした、食わないのか?」
「あ、いや、いただきます」
とりあえずアゼルは勢いに流されながらも、飲み物の杯を口へと運んでみることにした。
ハーブティーか何かだろうか。体には良さそうだが、独特の苦みがキツく、一口飲んだだけでもう十分だった。
そのまま杯を戻し、今度は匙を手にスープに挑んでみる。
不味いと言うほどではないが、味はとても薄く、具もモサモサした芋だけというのも物寂しい。
アゼルはどうしたものかと迷い、男へと視線を向けると、男は満面の笑みでそれに答えた。
「どうだ、不味いだろ? でも悪いけどさ、この田舎村じゃ、本当にそんなのしかないんだ。我慢してくれ」
「いや、そんな、十分だよ」
アゼルは多少申し訳ない気持ちを抱き、スープをもう一口すくって飲んでみるが、やっぱりもうそれで沢山だった。
とりあえず食事は置いておくとして、本題を切り出すことにする。
「なんか、よく分からないけど、世話になったみたいだな。助けてくれてありがとう。……それで、あんたは?」
男は椅子にドカッと音を立てて腰掛け、机に肘をついて寄りかかりながら、リラックスした様子でそれに答えて話し始めた。
その態度に、アゼル自身も少し肩の力が緩むのを感じた。
「俺はペトル。この村のまとめ役みたいなもんさ。で、あんたは? 何であんなとこをプカプカ浮いてたんだ?」
「俺はアゼル。ゲヘナに居たはずなんだけど、多分、街の基盤の崩落に巻き込まれたんだろうな。その後何が起きて、何でここに居るのかはよく分からない。ここって、どの辺なんだ?」
具体的な部分は避け、ざっくりと説明してみせると、それを聞き、ペトルは少し驚いた表情を見せた。
「ゲヘナ? ゲヘナ、ってあれかい? ネアグラの海とカスピカの海の間の辺りの、堕天使が眠ってるっていう」
「そう。そのゲヘナだ」
「……ここはネアグラ海の西岸あたりのスリナってとこだ。あんた、それじゃあ、あのだだっ広い内海をプカプカと溺れて意識の無いまま横切ったってことかい? よく無事だったな」
ペトルは驚きつつも、呆れたような複雑な表情を見せるが、話に驚いているのはアゼルも同じだった。
「……待った。それじゃあ、ここは”西方”なのか?」
「? そうだよ、ここはゲヘナのずっと西の方だ」
「いや、そうじゃなくて、ここは”魔王境”の中、なのか?」
ペトルはきょとんとした表情をしながら、何を当然のことを言ってるんだと言わんばかりの口調で、言葉を続けた。
「うん。ここは魔王クシストロス様の治める国、アルカディアの東の端っこだ」
魔王境アルカディア。
よりにもよって、何故そんなところに流れ着いてしまったのか。アゼルは思わず頭を抱えた。
「世話になっといて悪いけど、俺、急いでゲヘナへ帰らないと」
連合と魔王境は何百年もの昔からずっと冷戦下とも呼べる状況にあり、双方の間にはまったく交流もなく、東方人のアゼルにとってそこは完全に未知の異世界だった。
そんな場所に長居をしたくはないというのもあるが、セフィたちのことが何より気掛かりというのもあり、アゼルはとにかくゲヘナへ戻ろうと、ベッドから腰を上げた。
「ちょ、ちょ、待ちなって。そんな体で何言ってんだ」
しかし、ペトルが慌てて体いっぱいで止めてきた為、アゼルは勢いに負けて、またベッドに腰を落としてしまう。
「体ならもう大丈夫だよ。おかげで何ともない」
意図的に明るい表情を作り、軽く力こぶも作ってみせてアピールするが、ペトルの表情はせいぜい半信半疑というのがいいところだった。
実際、冷静に考えればこの状況で元気どころか、命があることすらもおかしいのかもしれないが、それでも自分自身の感覚としては何の問題も感じられないのは本当のことだった。
それも、ネフィリムとなった影響だろう。自分の体がどんどんと人間離れしていくことにアゼルは多少の恐怖に似た感情を抱くも、今はそんなことを気にしている場合でもなかった。
「いや、大丈夫って、お前さんさあ。そもそもゲヘナまでどうやって帰るつもりだよ。こことあそこの間にゃ、馬車の通う街道なんてないし、休憩や補給に使えるような街や村だってそうロクには無いんだぞ」
「大丈夫だって、その辺はどうとでもするよ」
今のこの体なら、実際にどうとでもできるだろう。
アゼルの方には少なくともその自信はあったが、当然それではペトルは納得はしなかった。
「でも、まあ、もう二、三日ぐらいはゆっくりしていきなよ。それぐらい様子を見て、それでも大丈夫そうならこっちも納得するからさ。このまま見送って、折角助けた命に無駄死にされてもこっちの寝覚めも悪いってのもあるし。な、もう何日かだけ」
ペトルに心底心配した様子でそう言われてしまうと、アゼルとしてもどうにも決心は鈍ってしまう。
「……分かったよ。それじゃあ、あと数日だけ、厄介になるよ」
アゼルが迷いつつもそう答えると、ペトルはその大きな顔いっぱいで、ニッコリと笑ってみせた。
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