_10_アタッキング_
高台に位置する、ゲヘナ南東ゲート。
その手前までは無事にたどり着き、アゼル達は一旦様子を窺うことにした。
ガントたちが前方のゲートの様子を観察する一方、アゼルは後ろを振り返る。
そこからは夕陽に染まるビッグ・ツリーの全景が見渡せ、アゼルはふいにこの街に流れ着いてからこれまで起きたことを思い出した。
「……別に、しみじみ振り返るような大したことなんて、何も無いな」
それから、自分の手をじっと見つめる。
いつの間にか、体にまとわりついていた不快な違和感は消えている。
アンソスの血を受け、ネフィリムへと転化した体。
それで、自分の何が、どう変わったのだろう。
その手を、力いっぱいに握る。
「何も変わっちゃいない。俺は、俺だ」
「ここ以外のゲートは全部封鎖されています。現在、ゲヘナへの出入りはここを通るしかない。それなのに、この静けさ。いくらなんでも、妙ですね」
コレの言葉に、ガントは黙って頷く。
周囲にはまるで人気が無い。元々出入りの少ない辺鄙な場所にある門とは言え、行き交う一般人の姿は勿論、警備の姿すらも全く見えない。完全な無人。
「罠、だよね、当然」
リュゼの言葉にもガントは頷き、もう一度周囲を確認してから、決心したように言葉を吐き出した。
「当然そうだろうが、他に手も無い。とにかくここさえ越えれば後はどうとでもなる。ネフィリムどもがコレに指定した場所へ行ってるのを祈って、試すだけ試してみるしかない。アゼル、リュゼ、頼むぞ」
その言葉に、アゼルとリュゼは頷いて返す。
「行くぞ」
ガントの言葉で、全員が警戒しながら門へと歩き出した。
門まで何事もないままあと少し、というところまで来て、その奥に人影があるのに気づき、ガントはすぐにその足を止めた。
ミンスキンの猫と鳥。そしてもう一人、初めて見るジャッカルの男。
そのジャッカルがおもむろに大げさな拍手をしながら、コレへと視線を向けた。
「協力ありがとう、コレ君。よくここまでそいつらを連れて来てくれた」
その言葉に、コレが顔面蒼白になりながら、仲間たちへと叫ぶ。
「ち、違う! 俺、そんなこと!」
慌てふためくコレの肩をアゼルは優しく叩き、諭すように言った。
「大丈夫。誰もお前のことを疑ったりなんかしちゃいない」
コレは少し落ち着いた様子で他の一人一人の顔を見、それぞれが頷いてみせたことでようやく安心したようだった。
それを眺めていたジャッカルが嫌味な笑い声をあげ、それをかき消すようにガントが苛ついた声をあげた。
「随分と回りくどいことをする男だな。悪趣味が過ぎる。お前がミンスキンのリーダーか」
「いかにも」
ジャッカルはそう言うと、一歩一歩、妙に芝居がかったゆったりした動きで近づいてくる。
ガントはそれを警戒しつつ、後方へ視線を飛ばす。
いつの間にか、黒ずくめの男たちの姿で逃げ道は奪われている。
「アゼル、リュゼ、トランスしろ。後方のペクスどもを排除して、また街の中に逃げ込んで態勢を立て直す」
しかし、アゼルはそのガントの指示を遮り、ジャッカルへと向かい、前へ出た。
「くっだらねえ。もうこれ以上コソコソ逃げ回る必要なんてねえよ。あいつらブッ倒して、そのまま進めば良いだけだろ」
そんなアゼルの無謀な発言に、ガントは怒号で返す。
「何のつもりだ! 自惚れるな。あのジャッカルも恐らくネフィリム。二対三で勝ち目があるはずがない!」
「やってみなけりゃわからないだろ」
「アゼル!」
ガントの制止も聞かずに歩き出そうとするアゼルの手を、突然にセフィが掴んで止めた。
アゼルはそれに驚き、足を止めてセフィへと振り返る。
「セフィ?」
「駄目ですアゼル。危険です。行っては駄目」
心配そうに見つめるセフィを、アゼルは微笑んで諭す。
「大丈夫だよ、あんな奴に負けやしない。猫と鳥だって敵じゃない。安心しろって。これでもう、全部終わりにするから」
そう言うとアゼルはセフィの手を振りほどき、ジャッカルへと向かい、歩き出した。
「ほう、向かってくるつもりなのか」
無知というものは恐ろしい。
けれど、さっさと仕事が片付いてそれはそれで助かりもする。
ジグは向かってくるアゼルの姿を眺め、そう思いながらも後方の部下たちへと釘を刺しておく。
「手は出すなよ。手本を見せてやる。しかと学べ」
それを聞き、シシが面白くなさそうに返事をする。
「勝手にしろよ」
その反応をジグは鼻で笑いつつ、再びアゼルへと向き直った。その姿はもう、すぐ目の前にある。
「先に聞いておくが、こちらに付く気はないかね?」
「は?」
「私たちは、キマイラの、……いや、全種族の平等な権利を守るために戦う覚悟を決めた組織だ。君とて権力者たちの欺瞞による被害者の一人だろう。その横暴に思うところは無いのかね?」
まだ話の途中にも関わらず、アゼルはそれを不躾にも遮り、吠えた。
「くだらねえ、って言ってんだろ! お前らの屁理屈なんか知るかよ。そんなの俺には関係ない」
その知性の感じられない返答をジグは鼻で笑い、アゼルを払いのけ、先に進もうとする。
しかしアゼルは道を譲るどころか、更に立ちふさがり、ジグの体を押し戻した。
「君には関係ないことなのだろう? 道を開けて、どこへなりとも消えたまえ」
「セフィだって関係ない」
「何?」
「セフィだって、お前らのつまらない駄々に巻き込まれる筋合いはないだろ。お前らの方が消えろ」
そう言うと、アゼルは興奮した様子で身を震わせ、周囲のフォティアを急速にその体へと纏わせ始めた。
「仕方のない。口で言って分からないのなら、体で分からせるしかないか」
ジグも数歩後退して間合いを取りつつ、懐から注射器を取り出し、それを自身の首元へと運ぶ。
「トランス」
「あのバカ!」
ガントはアゼルの行動を非難する声をあげつつ、リュゼへと視線を送る。
しかしリュゼは後方のペクスを警戒し、迷っているようだ。
「セフィとコレは俺で面倒見る。お前は気にせずアゼルのお守りに行け!」
「なだめて一緒に遁走? それとも……」
ガントは改めて周囲を確認し、数瞬の思考の末、それに答える。
「突破だ!」
「よしきた!」
その指示を受け、リュゼは威勢の良い叫びを上げ、胸の機械へと指示を送り、走りながら転化を開始する。
「トランス!」
すぐさまその体が巨大化し、地響きを上げながらジャッカルへと疾駆する。
獰猛に襲い掛かる狼を、ジャッカルはあしらうように軽く受け流す。
「余りにも動きが直線的すぎる。当てる気があるのか?」
ジグは狼に対してそう挑発するが、狼は我を忘れたように興奮し、答えは返ってはこない。
「発するフォティアの色も濁りきっている。完全に制御不能に陥り、単純な闘争本能のみで動いているのか。本当に獣そのものだな」
ジグはそう嘲りながら、またも考え無しに仕掛けられたマフラーの攻撃を腕で弾き、そのまま懐へ飛び込み、その胴体の真ん中へと蹴りを浴びせた。
狼は激しく地面を転がるが、見た目ほど大したダメージは無いらしい。
すぐさま起き上がり、体勢を低くしたまま、またも突っ込んでくる。
「懲りない奴め」
そう言い、身構えるジグに、教皇庁の鎧のネフィリムが別方向から同時に仕掛けてきた。
ジグは咄嗟にその両方を最小限の動きでかわすが、鎧は狼を囮にしつつ、確実にジグの懐深くへと接近する。
「動きさえ止めれば!」
鎧はそう叫ぶと、一気にジグを抱き留めた。
「放せ!」
狼から視線を離さないまま、鎧を引きはがすべく肘で敵のあちこちを殴るが、敵はまったく怯む様子を見せない。
「今の内だ、アゼル! 思う存分やっちまえ!」
鎧がそう叫ぶと同時に、狼は高く跳び上がり、そのまま勢いを付けた跳び蹴りを仕掛けた。
それを胴体にモロに食らい、胸の甲殻が派手に砕け、ジグは余りの痛みに絶叫を上げてしまう。
「いい加減にしろよ雑魚ども!」
敵に一撃を許してしまった怒りが、ジグの頭を染め上げる。
尻の甲殻を引き伸ばし、先端が鋭い矢尻のようになった尻尾を展開する。
それを鎧の背後へと回し、その背中を一気に貫く。
甲殻の砕ける感触と、肉を抉る感触。それに続いて女の絶叫とともに、その締め付ける力が緩み、ジグは素早く敵の拘束を振り切った。
そして、またも真っ直ぐ向かってくる狼も尻尾で逆に真っ向から突き刺し、そのまま力任せに振り回してから、放り投げた。
そうしてジグは一旦呼吸を整え、砕けた胸を汚れを払うように軽くはたき、尻尾をしまった。
そんな獣丸出しな格好をいつまでも続けるのは、恥でしかない。
「俺にこんな見苦しい道具まで使わせるとは、なかなかやるじゃないか」
皮肉めいた口調でそう言いながら、改めて敵の様子を確認する。
足元に転がる鎧はまだヨロヨロと立ち上がろうとしているが、その腹を思いきり蹴飛ばしてやる。
鎧はそのまま地面を何度か転がり、しばらくして止まってから、煙を吐き出し始めた。
次に狼へと目を向ける。
すでに意識が無いのか、完全に身動きをしていない。
「……それなのに転化が解けない? それほどまでに馴染んでいると言うのか?」
一体どれだけ高い適性の持ち主なのだろう。
「大人しく俺の駒になっていれば良いものを。しかし、そうはならないと言うのなら、後顧の憂いとなるものは、今の内に摘み取っておくしかないな」
ゆっくりとその狼へと近づき、その無様な姿を見下ろす。
「残念だよ、アゼル君」
ジグは笑いながらそう言うと、狼の胸の甲殻に開いた穴を、力いっぱいに踏みつけた。
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