_9_インデュースメント_


「……うへぇ、もうそこら中にペクスの連中がウロついてやがる」


 目立たぬようボロ布を纏い、俯いてフラフラとした足取りで南東区画を歩くコレが呟く。


 それに、普段はボンヤリと何もせず、生きているのか死んでいるのかもはっきりしないここの住民たちも、今はどことなくピリピリとしているようだ。

 まあ、直接自分たちが狙われているわけでは無いにせよ、黒ずくめの武装警備員たちがそこら中を闊歩していればそうもなるのだろうが。


「この様子じゃ、あの倉庫もそう長居はできないかな。早く戻って伝えないと……」


 コレはそこで一旦立ち止まり、周囲を警戒した。

 これまで同様、生気の無い風を装いつつ、なるべく小さな動きで監視や尾行がついていないかを確かめる。


 何も問題ない。

 そう思って歩き出したコレを、路地裏から素早く伸びた腕が捕まえた。

 

「……!」


 驚き、すぐさま抵抗しようとするも、コレはそのまま物凄い力で引っ張られ、路地裏へと放り込まれてしまった。


「……へ、へへ、お、お元気そうで何よりですね、ゴディの旦那」


 薄暗い路地。後ろはすぐに袋小路で、前方は岩の巨体で塞がれている。

 コレはもう、どうしようもないと分かりつつ、愛想笑いを浮かべながら後退するしかない。それをゴディがニタニタとした笑みを浮かべつつ、ジリジリと壁際へと追いつめていく。


「なーにが”お元気そうで”だ。お陰様でそうお元気でもねえよ」


 ゴディは包帯を巻かれ、添え木を当てられ固定された腕を見せつけるように前に出しながら、更にコレへと詰め寄る。


「へ、へへ、そいつはどうも、ご愁傷様……」


 背中が壁に触れる。もうこれ以上は下がれない。

 それでもゴディは止まりはしない。手を伸ばせば届く距離になってようやく足は止まったものの、それでも上体を曲げ、覆いかぶさるようにして顔を近づけ、睨みつけてくる。

 コレはもう、その視線から逃げることしかできない。


「なあ、お前、何か勘違いしちゃいないか?」


「か、勘違い、って何のことです?」


 ゴディが何を言いたいのか全く分からず、コレはただ曖昧に言葉を返すしかない。


「実際のとこ、俺たちゃ何も悪党ってわけじゃない。な、分かるだろ? 俺とお前の仲なんだ。そりゃあ、仕事柄ちょっとした”小言”や”指導”をしたことは何度かあるさ。でも、俺は心根は善良な人間だ。それもお前なら分かってくれてるはずだよな」


 こいつ、どの口がぬかしやがるんだ。

 コレはそう心の中で思うものの、当然そんなこと口が裂けても言えるわけもなく、ただ乾いた愛想笑いで返すしかない。


「ペクスの同僚たちだって皆、実際は気の良い連中ばかりだよ。ミンスキンの方々だってそうさ」

 

 そこまで変に穏やかだった口調が、急に変わる。


「翻って、連合はどうだ? 教皇庁は?」


 コレは話の展開が読めず、不信感を露わにゴディの顔を見つめるが、ゴディは変に不格好な柔和な笑みを浮かべながら、話を続ける。


「加盟全種族の平等を謳う連合は、俺達キマイラを実際はどう扱っている? キマイラ差別根絶が改めて宣言されてから一世紀。何が変わった? ……そうだ、何も変わっちゃいない。キマイラの反乱なんてもう三百年も前の話なのに、連合の実権を独占するエルフとイオスどもにとっては、俺たちは未だに同じ人間という扱いじゃない。連中は俺達をただの動物としか思っちゃいない」


 コレの返事も待たず、滔々と話し続けるゴディに、コレは先ほどまでとは違う恐怖を抱き始める。

 暴力に対する恐怖から、理解不能な精神に対する恐怖。

 ゴディは、こんな男だったか?


「エノンズワードにしてもそうだ。連中は武器となる道具も教義を盾に規制し、連合軍にだけ治安維持のための特例として独占的に提供する。自分たちに対する正当性のある反抗さえ抑えつけ、既得権を守るためだ。そんな奴らが正義か? いいや、あいつらこそ悪だ。そして、悪党は、倒されなければいけないんだ」


 ゴディは、お世辞にも頭の回転の良い男ではない。

 誰がそんな空っぽの頭に、こんな物騒な思想を植え付けた?


「セリオン、だ」


「え?」


 突然耳慣れない言葉が飛び出し、コレは思わず反応をしてしまう。


「セリオン。俺達の正義だ。連合と教皇庁の欺瞞と傲慢を打ち壊し、清浄化し、真の平等な社会を実現する。その正当性が、お前にだって分かるだろ? キマイラのお前になら」


 どう答えても、どういう反応が返ってくるかが全く読めない。

 コレは何も言えず、最早愛想笑いを浮かべる余裕すらなく、ただ黙るしかない。


 そんなコレに、ゴディは何かを差し出した。

 コレは、自分の胴体ほどもあるゴディの掌から恐る恐るそれを受け取り、確認した。

 雑に描かれた、手書きの地図。


「その正義の実現のためには、あのセフィロト、っていうのが必要なんだ。そこに連れて来てくれ」


「う、裏切れ、って言うんスか。仲間を……」


 ゴディは、変な薄い笑みを崩さない。


「裏切る? 何を言っているんだ? アゼルはお前のことなんてなんとも思っちゃいない。あいつはいつもそう言ってるだろ? 教皇庁の連中だってそうだ。今言ったようにあいつらは俺達キマイラの敵なんだ。な? それに、なんだったら今だって俺は暴力で無理やりお前に案内させることだって出来る。でもそうはしない。なんでか分かるだろ?」


 コレは、意識して固く口をつぐみ続ける。

 それに対してゴディはフフンと小さく笑い、一歩後ろへ下がると、無事な方の手を上げた。

 コレは思わず日常的に振るわれてきた暴力を思い出し、反射的に小さな悲鳴を上げ、身構えるが、その手はコレの肩を軽くポンポンと叩いただけだった。


「じゃあ、信じてるからな。よろしく頼むぜ」


 ゴディはそう言うと、コレの返事も聞かず、表通りの方へと去っていった。


 直後、コレは急に張りつめた緊張が解け、ヘナヘナとその場にへたり込んでしまう。

 それからゆっくりと、自分の手の中の紙切れに目を向ける。


「セリオン……」


 その言葉をもう一度口の中で唱えてみる。


 自分は、思いのほかとんでもない事に首を突っ込んでしまったのではないか。考え無しに行動し過ぎてしまったのではないか。

 コレは今更ながらにそう思い知りながら、とりあえずは仲間の待つ倉庫へと戻ることにした。





「おう、おかえり。どうだった?」


「え? え、ええ、まあ……」


 倉庫に戻ってすぐにガントからそう声を掛けられ、コレは思わず狼狽の色を示してしまう。

 ひとつ咳払いをし、声の調子を取り繕いながら話を続ける。


「もうそこら中をペクスが駆け回ってます。ここも長居はできないかと」


「そうか」


 ガントはなんでもないようにそう返すと、リュゼの方へと向いた。

 その表情は兜の奥にあって、読むに読めない。


 ガントからの視線を受けたリュゼは小さく頷いてそれに答え、ガントは更にそれに頷いて答えてからコレへと向き直り、言った。


「何があった?」


 コレは咄嗟には何も言葉を返せなかった。

 とりあえず取り繕うように何かを言おうとした瞬間、リュゼが落ち着いた口調で説明をした。


「悪いけど、魔法であんたの心に触れさせてもらった。まあ、その様子見てるだけで何かあったな、ってのは分かるけどさ。一応、ね」


 コレは俯き、考え込む。

 どうするべきなのか。全部打ち明けるか、それとも適当な話をでっち上げて誤魔化すか。魔法を使ったとはいえ、具体的なことまでは探れないから言葉で聞いてるはずだ。まだやり過ごすことはできるかもしれない。


「言え」


 ガントが短い言葉で鋭く、催促をしてくる。


 コレは俯いたまま目を固くつむり、それから意を決して、全てをありのままに打ち明けることにした。





「なるほどな」


 一通りの説明を受け、地図の描かれた紙片にも目を通したガントが呟く。


「セリオン。なんかそういうカルトが地方を中心に蔓延り始めてる、ってのは耳にしたことがあるが、なるほどそう繋がるか。で? お前はどうするつもりだったんだ?」


 ガントからそう問われ、コレは咄嗟に、裏切るつもりなどなかった、と大声で釈明しようとした。

 しかし、その言葉を寸前で飲み込み、自問する。本当にそうだったか?


「……分かりません」


 さして広くはない倉庫に、ガントの籠った溜め息の音が響く。


「で? どうすんの?」


 しばらく続いた沈黙を破り、リュゼはいつも通りの明るい口調でガントに聞いた。

 ガントはもう一度小さくため息をついてから、それに答えた。


「どうもこうもない、予定通りだ。しかし、指定された場所の近辺は論外として、それを回避するにもルートの選択肢はかなり絞られる。当然敵も複数のバックアッププランは用意しているはずだしな」


 そう言うとガントはコレへと向き直り、続けた。


「となると、土地勘のある人間の助けは必須だ。またお前に頼めるか?」


 これですっかり切り捨てられると思っていたコレはその言葉に驚き、思わずガントを見つめる。


 それから少し迷い、ゆっくりと、しかしはっきりと、答えた。


「はい。任せてください」

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