_8_キープ・エスケイピング_


「ヨーラ!」


 実の姉妹のように寄り添って生きてきた相棒が、危機に瀕している。

 シシはすぐにその助けに飛び込もうとするが、その前に教皇庁の白いネフィリムが立ちふさがる。


「行かせないよ!」


 こんなのを相手にしている暇は無い。

 シシは逸る気持ちを堪えつつ、一旦動きを止め、周囲のフォティアを激しく発火させる。


「うるせえんだよ、雑魚が!」


 ありったけの力をかき集め、一気に敵に向けて衝撃波としてぶつける。


 敵も瞬時に魔法による防壁を展開し、防ぐが、シシはすかさずそこへと全体重をかけた体当たりを仕掛け、敵もろとも地面へと倒れこむ。


 そのまま馬乗りの体勢で敵を抑えつつ、その無防備な顔面へと更に衝撃波で追い打ちをかける。一発、二発、三発……。とにかくもう邪魔をされないよう、ありったけの駄目押しをしておく。


 敵の顔面の甲殻が砕け、その悲鳴が響くと同時に、前方からもヨーラの悲鳴が聞こえてくる。

 シシは白いネフィリムの無力化は済んだと思い、すぐさまヨーラの援護へと走ろうとするが、その足が後ろから引っ張られ、その場に倒れこんでしまう。


「……どんだけしぶといんだ、お前!」


 しかし、それで流石に限界だったようだ。

 白い巨体が煙を吐き出しながら、萎んでいく。


 この隙にいい加減にトドメを刺しておくべきなのかもしれないが、こちらとて、もうそれほど長くは巨人の姿ではいられない。

 それに、まだ敵は残っているのだし、こんな事を考えている一瞬の間にも、その敵にヨーラが痛めつけられている。

 シシはすぐさま態勢を立て直し、ヨーラへと向かって走った。





「……ちっくしょう!」


 自分の無力さに、思わずリュゼは叫びを上げた。

 どうにか力を振り絞り、巨体を維持しようとするが、無駄な努力だった。

 すぐに力の全てはフォティアへと還元され、大気の中へと溶け込み、消えていった。


「……アゼル!」


 まだネフィリムになったばかりの少年に、二体のネフィリムの相手は荷が重すぎるだろう。

 すぐに助けに行ってやりたいが、今はもう起き上がることすら難しい。

 こんなことに巻き込んでしまったことを申し訳なく思いつつ、リュゼはそちらへと視線を向けた。


 しかし、その先で起きている光景に、リュゼは絶句した。

 二対一にもかかわらず、アゼルは劣勢どころか、逆にその二体を一方的に圧倒している。


 両肩からそれぞれ伸びるマフラーのような薄膜を使い、それを武器として、盾としてさまざまに利用し、けして洗練された動きではないながら、獰猛に獲物を嬲り続ける狼の戦い、狩りそのものの動き。


「な、なんなの、あいつ……!」


 リュゼは、思わず胸に手を当て、その中に埋められた機械の存在を確かめる。

 そして、敵の使ったトランサー、その注射器を思い出す。


 アゼルは、そうした道具の助けも無しに、そのどれをも超えた力を見せつけている。


「あれが、本当のネフィリム……?」


 とはいえ、元々訓練されているわけでもなく、極度の興奮の中、消耗を考慮しない無茶な動きを続けるせいで、その動きはすぐに疲労の色を見せ始める。


 その隙を二体の敵は見逃さず、連携して牽制を仕掛け、そのまま猫が鳥に掴まる形で上空へと飛び上がり、そのまま逃げ去っていった。


 後に残されたアゼルはただ、獲物を逃がした悔しさからか、遠吠えのような雄叫びを上げるだけだった。





「大丈夫か?」


 アゼルの差し出した手を取り、リュゼはどうにか立ち上がる。


「うん。ありがと、あんたが居てくれなかったらヤバかったよ」


 リュゼは疲れた様子で笑顔を見せ、感謝の気持ちを示すが、それを聞くアゼルの顔には何の表情も浮かんではいない。


「……別に」


 アゼルはつれない返事をしつつ、辺りを見渡す。

 周囲の建物はあちこちが崩れ、その瓦礫の向こうでは野次馬たちがそれぞれに好奇や非難の視線を向けつつ、何やら囁き合っている。

 そのくせ、こちらと目が合えばすぐに逸らし、黙る。


「なんか言いたきゃはっきり言えよ!」


 そりゃあ、こんな街中で突然化け物に変身し、暴れれば、周りからはそういう態度を取られるのは当然だろう。実際に物的な被害も出しているのだし、むしろこちらからまず頭を下げるべきでもあるのだろう。

 それらのことが頭では分かっていても、感情が追いついていかない。


 更に何か吠えようとするアゼルを、リュゼが制止する。


「いいから。……とにかく、今はガント達に急いで合流しよう」


 リュゼがなだめるような声でそう言うと、アゼルは不承不承といった態度で野次馬達から踵を返し、駆け出した。





「クソ! クソ! クソ!」


 シシの絶叫が、室内に響き渡る。


 こうして喚いているだけなら鬱陶しいだけで、さしたる問題とまでは言えない。

 しかし、この調子で物に当たり始めたりなどして、備品や、部屋そのものを破壊されでもしたら、それは流石に困る。


 ジグは、荒れ狂うシシをたしなめることにした。


「無様を晒すのはこれが初めてではないだろう。何をそんなに荒れる必要がある?」


「……」


 シシは恐ろしい形相でジグを睨むが、それ以上は何も言わず、黙りこくった。


 実に効果てきめんだ。ジグはようやく静かになった部屋に満足し、微笑んだ。


「……ごめんね、シシちゃん。私が足引っ張っちゃったせいで……」


 ヨーラが、消え入るような小さな声でそう言うと、シシは先ほどまでとは打って変わってとても穏やかな声音で言葉を返す。


「別にお前が悪いんじゃねえよ。あのクソったれどもが全部悪いんだ。……それより、腕、大丈夫か?」


「うん、もう平気」


 シシが心配してくれたのが嬉しいのだろう。ヨーラは明るい声でそう答え、戦闘で痛めた方の腕を労わるようにさすった。


 ジグはその様子を眺め、皮肉っぽく薄く笑う。

 既に痛みなど、消え去っているくせに。


 ネフィリムの回復力は驚異的だ。腕が折れようが、脚がもげようが、修復には大した時間は掛からない。

 とはいえ、相応の体力の消耗は蓄積するため、全くのノーダメージ、というわけには当然いかないが。


 それからジグは二人から視線を逸らし、戸棚の奥の物資へと意識を向けた。

 外から持ち込んだ物資の残りは、もうそれほど多くは無い。

 いい加減に、いつまでも遊んでいても仕方ない。


「以降は、俺が直接指揮を執る。お前たちは見学でもしているといい」


 まあ、出来損ない相手でも慰労というものは必要だろう。

 あれでもセリオンの人体実験を生き延びた貴重な駒だ。こんなところで使い潰すわけにもいかない。


「……了解」


 ジグの指示を受け、シシは短く返事をし、不貞腐れるようにそそくさと部屋を出ていった。当然、ヨーラもその後にぴったりと付くように部屋を後にする。


 それから、一人部屋に残ったジグは窓の外へと目を向け、意地の悪い笑みを浮かべた。


「……さて、そろそろネズミが毒餌にかじりついた頃だろうか」


 



「うわっ! ここネズミいんじゃん。ほらそこ、そこ!」


 ビッグ・ツリー南東区画の一角に位置する小さな倉庫。そこにリュゼの声が響く。


「騒ぐなよ。俺達の方が後から来たんだ。先客のお邪魔になったら失礼だろ。静かにしてろ」


 ガントの軽口が続き、セフィの苦笑いと、アゼルのため息がその更に後に続いた。


「へいへい。……で? このあとは?」


「……とりあえずはコレの偵察の結果を聞いてからだが、いずれにせよ、このままゲヘナ外縁へは向かう。それで、ミンスキンに見つかる前にどこか警備の薄い場所を狙って突破できればな。それで一気にアフラトあたりまでたどり着ければ大勝利なんだが。流石にあの辺じゃギルドも派手には動けまい」


「どうだか」





 アゼルは、精神的にも、肉体的にも、とても疲れた様子をしている。

 その責任が自分自身にあると思い、セフィはいたたまれない気分だった。


「ごめんなさい。私のせいで、大変な思いをさせてしまって」


 そんなセフィをアゼルは少しの間無表情に眺め、それからゆっくりと首を横へ振った。


「俺は一度はセフィの事を見捨てたんだ。そんな風に謝られる謂れはないさ」


「……もしも、そのまま見捨ててくれていれば、あなたはこんな目に合わずにすんだのに」


「その方が、良かったって言うのか?」


「別に、そういう……わけでは……ない、ですけど……」


 歯切れ悪く答えるセフィを見て、アゼルは小さく噴き出す。


「あの後戻ったのは、俺の意思だ。その後でお前を庇って死にかけたのも、俺自身でそうしたこと。お前が責任感じる必要なんて無いし、むしろ俺はお前の血を分けてもらったおかげで命を繋ぎとめることができたんだ。感謝するのはこっちだよ」


「そう……でしょうか。そう言っていただけると、救われます」


 そのやり取りのあと、アゼルは明るく微笑んだ。

 自分を元気づけようとしてくれているのだろう。セフィはそう察し、それに応えるべく、自分も多少ぎこちないながらも笑顔を返した。


「安心しろよ。乗りかかった船だ。ちゃんと安全な場所まで送り届けてやるから」


 そのアゼルの言葉と表情に、セフィは自分の心が安らぐのを感じていた。

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