_7_イリテイション_


 土地勘に優れるコレが先導し、アゼルたちはとにかくひたすらに敵から逃げ続ける。


「このまま裏路地をデタラメに走りながら、南東区画に逃げ込みます! あそこは無気力な”タダ飯喰らい”どもの巣窟だから、こんな騒動にも、俺達にも、興味を示す奴はそう居ないはずっス!」


「頼む!」


 ガントはコレにそう答えつつ、上空を仰ぎ見る。

 敵の鳥人はまだ付いてきているが、少しずつこちらを見失うことが多くなっている。

 幸い、この街には上空から死角になるような雑多に込み入った小道は多い。逃げ切れる可能性は十分ある。

 しかし、だからといってまだ安心はできない。今はとにかく、走り続けるしかない。





「おっと、そんなに急いでどこへ行くんだい、アゼル君?」


 突然、前方の進路をふさぐ岩人の大男にそう呼び止められ、アゼルたちは足を止めるしかなかった。


「……ゴディ」


 アゼルは歯を食いしばり、その威圧的な姿を憎らし気に睨みつける。


 後方からはまだ大分距離があるが、例のネコ女も迫っている。


「リュゼ!」


 ガントが鋭くそう叫ぶよりも速く、リュゼは即座にネコ女へと向かい、ガント自身も岩人へと対処すべく一歩前に出ようとした。

 しかしその動きを、アゼルが遮る。


「ゴディ、急いでるんだ。あんたなんかに構ってる暇はない。そこをどけ」


 その言葉に対し、ゴディは嘲るような態度で答える。


「いつからそんな生意気が言えるようになったんだ? え?」


 ゴディはこれ見よがしに巨大な拳を握って見せ、威嚇するが、アゼルは無表情のまま動じる素振りを見せない。


「どけと言っているんだ。どかないなら……」


 アゼルのその言葉に激昂したゴディは、握った拳をそのままアゼルへと激しい勢いで振り下ろした。


「いい加減にしろよウサギちゃん! 少しは痛い目見ないと分からないようだな!」


 しかし、その拳はアゼルの体へは届かない。

 その手前でアゼルの小さな手によって受け止められ、それ以上は動かない。


 ゴディの顔から嘲笑の色が、みるみる内に薄れていく。


「……何? お前、アゼルだろ? アゼルごときが、なんでこんな」


 ゴディの困惑の言葉を最後まで聞かないまま、今度はアゼルがその手に力を込め、握り始める。


 途端にゴディの岩の塊のような拳にピキピキと亀裂が入り始め、ゴディの表情にはもう先ほどまでの余裕はなく、段々と恐怖に染まっていく。


「良いからどけって言ってるんだ!」


 アゼルがそう叫び、一気に力を入れると、ゴディの腕は曲がらないはずの方向へと勢いよく捻じれ、折れた。


 あたりにゴディの絶叫がこだまする。

 その場に崩れ落ち、痛みに狂ったようにのたうち回るゴディ。


 一方でアゼルもまた、自分自身の手を恐怖の表情で見つめる。

 そこまでするつもりはなかった。ほんの少し力を込め、ゴディの手を払いのけるだけのつもりだった。


 アゼルは、眩暈がする思いだった。

 もうこの体は、普通じゃない。


「いいから行け! 進め!」


 事態を呆然と眺めていたセフィとコレがガントの叫びで我に返り、走り出す。


「お前もだ! 早くしろ!」


 まだ呆然としているアゼルを急き立てながら、ガントもその後を追って走った。





「おい、お仲間たちに置いてきぼりにされちまったぞ、良いのか?」


 ネコ女の挑発に、リュゼは軽い調子で返す。


「あんたを一発でノしてすぐに後を追うから、ご心配なく」


 その返答を鼻で笑いながら、女は懐から何かを取り出した。

 リュゼは一瞬それを逆手に握ったナイフだと思い、咄嗟に身構えたが、飛び出したのはナイフとは別の代物だった。


 握りの先にあるのは刃ではなく、翆色に輝く液体を入れたシリンダー。

 女はその柄尻にある部品を、顎の付け根に押し当てた。


 その翆色の輝きに、リュゼは肝が冷えるのを感じた。

 トランサー。自分自身に使われている、人体に機械を埋め込んで制御する方式よりも先に研究がされていた、都度使い切りの特別に調合された霊薬による転化方式。

 しかしそれは、失敗規格としてお蔵入りになったはずだ。

 被験者への負担が余りにも大きすぎる上、使用を経るごとにそれは強烈な毒として体を蝕み続ける。一度や二度ならともかく、それを使った転化を繰り返せば、最終的には廃人へと陥ることになる。

 そんな代物がどういうわけか敵の手に渡り、使われている。


 リュゼは思わず乾いた笑いを上げ、相手に尋ねた。


「冗談でしょ? こんなとこで転化するつもり?」


 周囲は建物で囲まれ、騒ぎに興味を持った野次馬たちも集まってきている。

 こんなところで巨人同士が戦えば、被害は大きくなりすぎる。


 しかし女はリュゼのそんな心配を鼻で笑うようにグリップの引き金へと指を掛け、一気にそれを引き絞った。

 シリンダーの中の液体が、一気に女の体内へと飲み込まれていく。


「トランス」


 女が皮肉めいた笑みを浮かべながらそう宣言すると同時に、その体は即座に膨張し、巨大化していく。

 もうリュゼの顔からは笑みが消えていた。


「冗談でしょ……」





 何か意味のあることを考えようとすれば、途端にパニックに陥りそうで、アゼルはただ我武者羅に走り続けることだけに集中した。

 しかし、それでも背後から爆音が響き、思わずその足は止まってしまう。


 振り返る視線の先には、二体の巨人。リュゼと、あのネコ女の変化した姿。巨人。ネフィリム。


「いいから走れ! 止まるな!」


 ガントの怒号が響き、アゼルは反射的に元の方向へと向き直り、走り出そうとした。


 しかし、今度はその進行方向に突然空から別の巨人が物凄い勢いで地響きとともに降り立ったため、またも足を止めることになった。


 黒い甲殻のネフィリムが威嚇するように大きく翼を広げ、鳥のような頭が甲高い声で叫ぶように吠える。。

 腕は鋭い爪を持つ鳥の脚のような形態をしており、上半身全体で一つの鳥のような形をしつつ、下半身は尻尾のある獣のような形をしている。

 巨人というよりは、グリフォンと言った方が近い見た目だ。


「あの鳥人!? こいつもネフィリムか! 何体いやがる!」


 ガントは咄嗟に下がりセフィを庇うが、前と後ろを塞がれ、他の脇道も無い。


「……アニキ?」


 ソワソワと前と後ろを交互に見て震えるコレが、一人アゼルの異変に気付いた。


「……なんなんだよこれ。意味わかんねえよ……」


 ボソボソと呟きながら、アゼルはゆっくりと鳥のネフィリムへと前進を始める。


「アゼル? どうしたんです?」


 セフィもその様子に気付き、声を掛けるが、アゼルはそれにも反応せず、ただ真っ直ぐに歩き続ける。


「アゼル、止めろ! その体じゃまだ無理だ!」


 ガントがアゼルの行動を察し、止めようとするが、逆にそれと同時にアゼルは一気に鳥へと向かってスピードを上げ、走り出した。


 その姿が翆色の光に包まれながら膨張していき、鳥はそれに対して威嚇するようにもう一度大きく吠えた。





「……速い!」


 アゼルの転化は、ほんの数秒で完了した。

 すでに幾度とない実験・訓練を経て安定稼働しているリュゼとさほど変わらない転化所要時間だ。


「こんなにも早く馴染むものなのか……。初めての転化からまだ丸一日も経っていないんだぞ」


 それに、見た目もリュゼとセフィから聞いたのとは大分変化している。

 全身は大小様々な形状・大きさの甲殻に覆われ、つるりとしている印象はない。

 その色も銀と言えば銀かもしれないが、金属光沢は薄く、どちらかと言えばマットな灰色という感じだ。

 そして、全体はどことなく狼を思わせるフォルムをしており、興奮からか姿勢を低くし、落ち着きなく体を震わせる様子もその印象を強くさせる。


 ガントが呆然と見守る中、巨人へと転化したアゼルは、鳥へと襲いかかった。


 二体はそのまま取っ組み合いの形になるが、パワーではアゼルの方が上らしい。

 アゼルはそのままジリジリと一歩、また一歩と力ずくで敵を道の端へと押し込んでいく。


「早く行け!」


 そのアゼルの叫びで、ガントはようやく我に返った。

 素早くセフィを庇いながら、二体の脇を走り抜けていく。

 コレも状況に戸惑いつつも、すぐに二人の後を追って走った。





 セフィたちが無事通り抜けたのを確認し、アゼルは改めて敵へと攻撃を仕掛けようと向き直った。

 しかし、その余所見が隙となってしまい、敵に先手を打たれてしまう。


 組み合ったままの状態で、敵はそのクチバシを大きく開き、何かを仕掛けてきた。

 魔法による、超音波攻撃。


 アゼルは至近距離からそれをモロに受けてしまい、思わず敵から離れ、頭を抱えて苦しんだ。

 その無防備な姿に敵はすかさず爪による攻撃をしかけ、アゼルはそれも食らってしまい、胸に深いキズが刻まれてしまう。

 しかし、それは見た目ほどの大したダメージではなく、アゼルはすぐに立ち直り、反撃へと転じた。


 敵はまたも爪の攻撃を仕掛けてくるが、アゼルは今度は素早くそれをかわし、逆にその前腕を掴み、その手に一気に力を込めた。

 鈍い感触が続き、敵のか細い腕は折れ、力なく垂れた。敵のそれまで以上に甲高い悲鳴が響く。

 その悲鳴に被せるようにアゼルは雄叫びを上げ、追撃を仕掛けようとするが、敵は怯えたように素早く後退し、そのまま上空へと逃げようと羽ばたいた。

 アゼルは咄嗟に手を伸ばすが、すでに手の届く距離ではない。


「逃がすかよ!」


 それでも雄叫びを上げ、更に目いっぱい手を伸ばすと、それに呼応するように肩から翆色に光るマフラーのような膜が伸び、敵へと襲いかかった。

 敵は必死にそれからも逃れようとしたが、アゼルはそのままマフラーの動きを自在に操り、敵を搦めとり、勢いに任せて地面へと叩きつけた。


 鳥が絶叫を上げ、痛みに悶えながら、また空へと逃げようとするが、恐怖で体が上手く動かせないらしい。翼をバタバタと忙しなく動かすが、体は一向に浮き上がりはしない。


 その哀れな姿に、アゼルは獲物を狙う獰猛な狼のようにゆっくりと、しかし油断なく、近づいていく。

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