_6_コンプリケイション_
ゲヘナ。ビッグ・ツリー。
神経を苛つかせる濃いフォティア。住民の低い民度・衛生観念等から来る、汚泥溜まりのような環境。知性の欠片も感じられない喧騒。
「まるで獣の檻、だな」
小さな窓から見えるこの街のすべてを、ジグは嫌悪し、侮蔑した。
そこからゆっくりと振り返り、現在の仮の拠点である小さな室内を見渡す。
部屋の奥、ソファに不貞腐れるように横になる小さな雌猫、シシが目に入る。
そしてそれに心配そうに付き添う小鳥、ヨーラ。
なんとも滑稽な姿だろう。
もう教皇庁のネフィリムや、報告にあった”新手”との交戦で受けた傷はとっくに癒えているはずだ。
にもかかわらず、ずっとあの調子。よほどハラワタの煮えくり返る思いなのだろう。良い薬だ。
「随分としおらしい様子じゃないか、シシ」
ジグは笑いをこらえつつそう言いながら、飲み物を取りに戸棚へと向かう。
「……うるせえよ」
シシが掠れるような小声でそう答えるのを聞き、ジグはたまらずに声を上げて笑った。
しかし、その愉快な気分もすぐに消え失せてしまう。
戸棚のガラスに映る自分自身が目に映り、ジグはいつものように舌打ちをする。
ジャッカルそのものの顔。
獣人。類まれな能力の持ち主である自分が、連合社会において真っ当な成功を果たせなかった唯一にして絶対の理由。
さっさと戸棚を開けてしまい、ゲヘナの外から持ち込んだ唯一の飲み物を軽く呷る。
アルコールは好みではないが、この街のものを口にするよりはずっとマシだ。
さっさと仕事を済ませ、さっさとこんな掃き溜めは撤収しよう。
ジグは、改めてそう思う。
教皇庁が開発に成功したネフィリムは一体のみ。そこに新たに野良が一体加わったところで、こちらの数的有利は変わらない。その上でペクス、ピカクスの支援もあり、現地礼拝堂にも手は回してある。
孤立無援のネズミ数匹を追い込むなど、造作もない。
少しして、ふいに扉をノックする音が響き、ジグはそちらへと意識を向けた。
「すみません、ミンスキンの方々。ペクスの者です」
「入れ」
入室を許可してやると、やたらと無駄に図体のデカい岩人が、お辞儀をするように屈みながら室内へと入ってきた。
それから大男は室内をソワソワと不安げに見渡してから、落ち着きなく体の前で手をこすり合わせながら、ジグの方を向いた。
「見つけました。ダイバーの宿舎に居ます。白い肌の女の子。教皇庁職員のドワーフの男と、ダークエルフの女も一緒です」
男が上ずった声で報告をする。
「他には? そこは空き部屋か?」
「いえ、アゼルってウサギの半獣人のダイバーの部屋です。あと、その子分気取りのネズミ獣人のダイバーも一緒にいます。今のところはそれ以外の人影も、人の出入りも、ありません」
「監視は?」
「当然つけてます。全ての出入り口を入念に。ご命令頂ければすぐに動けます」
ジグはようやくこの不快極まりない檻を離れられることを喜び、自ら動き出そうとしたが、それよりも早くシシがソファから起き上がったため、一旦動きを止めた。
シシはジグとは視線を合わせず、岩人に向かい、低い声で言った。
「俺が行く。案内しろ」
「待ってよシシちゃん。私も行く」
すかさず隣のヨーラも不安げな様子で立ち上がり、背中の翼をケープのように体に纏わせながら、シシの後を追って歩き出した。
ジグはその様子を苦笑いしながら見送る。
「俺も手伝おうか?」
扉を出かかったシシの背中に、ジグは皮肉たっぷりに声をかけた。
「必要ない」
それに対してシシは振り返りもしないまま一言だけの返事をし、そのまま部屋を去っていった。
相変わらず窓際に立ち、外の風景を眺めていたガントが急に口を開き、他の皆がそれに注目した。
「潮時だな。場所を移すぞ」
それを聞いたリュゼは手早く準備を済ませつつ、ガントへと疑問を投げかけた。
「どこへ?」
「動きながら考える」
そんな二人の様子に困惑しつつ、コレも質問を飛ばす。
「ど、どうしたんスか?」
「ペクスの連中の動きが変わった。いい加減に感づいたようだな。巻き込んじまっておいて悪いが、お前たちもどうするか考えろ」
「ど、どうするか、って、どういう?」
「俺たちと来るか、ここに残って無関係だとシラを切るか、それとも連中に俺たちを売るか」
ガントの言葉が本気か冗談かつかめず、コレは乾いた愛想笑いを返すしかない。
「あ、あのう。この後もご一緒してお手伝いさせて頂いたら、何か具体的に良いことあったりだとかそういうことは、そのぉ……」
コレが言葉を選びつつ遠まわしに褒美を要求するのに対し、ガントは手短に返答をする。
「この状況下で無事ここを出られりゃ大手柄だ。それに対して教皇庁も連合も感謝はするだろうさ。その感謝がどういう風に表されるか、までは責任持てないが」
「十分です! 頑張ります! よろしくお願いします!」
コレは目を輝かせ、意気込みたっぷりに立ち上がるが、まだアゼルは俯き黙り、ベッドに腰掛けたままだ。
「アゼル?」
セフィが不安げに声を掛けるが、それでもアゼルは何の反応もしない。
なんなんだ、この状況。
なんでこんな訳の分からない事態に巻き込まれてるんだ、俺は。
アゼルの頭の中を、葛藤が渦巻く。
一体、どうしろって言うんだ。
そもそもこいつらとは成り行きで一緒になっただけだ、仲間でもなんでもない。ついて行く理由なんてない。
そんな思考を読んだように、ガントが焦れた様子で声を掛けてきた。
「一応老婆心から言うけどな、今のお前の体は貴重極まりない生体サンプルだ。ヘタすりゃセフィにも匹敵するレベルの。それがあんな連中に捕まったらどうなるか。俺らと一緒に来て、連合と教皇庁の庇護下に収まった方が大分マシだと思うがな」
アゼルはそれにも返事をせず、じっと自分の掌を見つめる。
巨人、ネフィリム。自分は本当にあんな化け物に変身したのだろうか。何もかもが夢か幻だったんじゃないのか。
ふいにその視界に、白い手が差し出される。
アゼルはゆっくりとその先へと、視線を上げた。
エメラルドのように輝く瞳が、じっとこちらを見つめている。
「行きましょう、アゼル」
アゼルの思考は未だに様々な可能性で乱れ、何一つ意味のある結論へと結びつきはしない。
それでもその体は自然と、セフィの手を握っていた。
アゼルがゆっくりと立ち上がると、セフィは柔らかな笑みを浮かべた。
「行くぞ」
ガントはもう待っていられないという風で、先頭に立って慎重に様子を窺いつつ、部屋を後にした。
アゼルもその後について、慣れ親しんだ住処を離れ、歩き出した。
翼を大きく広げ、夕陽に赤く染まる空を高く飛び、街を俯瞰するヨーラが合図を送ってよこす。
鳥の脚のようにか細いその腕が忙しなく動き、地上の人込みを掻き分けながら早足で移動するシシが、それを目を凝らして確認する。
どうやら既に敵は感づき、裏口の監視数名を排除し、移動を始めたらしい。
ペクスの有象無象ども、もっと上手くやれないものなのだろうか。
そう腹を立てつつ、シシは上空のヨーラへと大きく手を振り、その動きで『分かった。そのまま目標から目を離さず誘導してくれ』と合図を送る。
「ったく。なんでこうも無駄に人が多いんだ。ノイズに邪魔されて感応通信もロクに機能しない」
勿論、それを応用したセフィロトの位置の感知も難しい。
思わず舌打ちとともに愚痴をこぼすが、それは敵も同じなのだし、こちらにはヨーラの目がある。
「せいぜい逃げ回るがいいさ、ネズミども」
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