_5_ブレイクタイム_


 深い眠りの底から、アゼルは目を覚ました。

 天井。見慣れた景色。宿舎の、自分の部屋。


 寝ぼけた頭に、様々な記憶が流れ込む。

 巨人たちの戦い。翆色の血の少女。自分自身が巨人へと変わったこと。


「……あ、良かった。目、覚めました?」


 すぐ傍で声が聞こえ、アゼルはまだはっきりとは開いていない目をそちらへと向けた。


「……セフィ?」


 ベッド脇の小椅子に腰かけた少女が、翆色の瞳でまっすぐにこちらを見つめて嬉しそうに笑う。


 あれもこれも、夢ではなかったようだ。

 アゼルはベッドの上で上体を起こし、自分の体を見下ろす。

 巨人のものではない、元通りの体だ。

 ただ、どうにも全身に気だるい感覚がまとわりつき、頭の奥ではパチパチと火花が爆ぜる感覚が止まず、鬱陶しい。


「まだ体が馴染んでないんだ。もうしばらく横になっとけ」


 ふいに部屋の隅から別の声が聞こえ、アゼルはまだぼんやりとする頭をそちらへ向けた。

 あの教皇庁のドワーフが全身鎧姿のまま、腕組みをして窓際の壁に寄りかかっている。

 アゼルはドワーフの言葉を聞かず、そのままベッドに腰を掛けるように体勢を変えた。

 

「……なんであんたらがここに居るんだ?」


 アゼルは非難するわけでもなく、単純に疑問に思ったことを口にした。

 それに対し、ドワーフは皮肉めいた口調で答える。


「誰がお前をここまで運んでやったと思ってるんだ? 労働の対価だ。一晩部屋を間借りするぐらいは構わないだろう?」


 何を言うにも一々癪に障る言い方をする嫌な奴。

 アゼルはこのドワーフをそう心の中で評し、それ以上自分から何か言うのを止めた。

 そんなアゼルの様子をドワーフは鼻で笑い、続ける。


「お前と一緒に居たげっ歯類の獣人。あいつに案内してもらったんだ。あいつにも感謝しとけよ」


「コレ? 良かった、あいつも無事だったのか」


 アゼルは改めて部屋の中を見渡すが、コレの姿は無い。


「今はちょっとお使いに行ってもらってる。俺やセフィはこの辺じゃ目立ちすぎるからな」


 そう肩をすくめて言うドワーフと、自分の傍で朗らかに微笑む少女を、アゼルは改めて観察した。

 たしかにこの二人はこのゲヘナどころか、この大陸の何処へ行っても目立つ存在だろう。


「……で、あんたら一体何者なんだ?」


 そう聞かれ、ドワーフは腕を組んだまま指先で肩の紋章をコツコツと叩き、またも鼻で笑うような口調で答えた。


「見たまんまさ。教皇庁の人間だ。ニセモノじゃないからな」


 アゼルはただ黙って、その子供のように小柄な姿を見つめる。


「アルファルド。遺物保全管理局セフィロト対応チームのガントだ。よろしく、アゼル君」


「セフィ……ロト?」


 アゼルは思わずセフィを見るが、セフィは困ったような苦笑いを浮かべるだけだ。

 その代わりに、ガントが言葉を続ける。


「セフィロト。シェムハザのアンソス。堕天使が産み落とした、実の娘」


「堕天使の……娘?」


 アゼルはさっぱり話が飲み込めず、ただ言葉をおうむ返しするしかできない。


「……少なくともそう言われている存在だ。元々は西方の魔王の手元にあったらしいが、どういうわけかそれがネフィリムの研究開発情報とともに我が東方の連合軍の手へと渡り、連合軍の要請を受けた教皇庁で厳重に管理されつつ、軍・教皇庁共同でのネフィリム開発のために利用されていた……」


「ちょっと待った、それって俺みたいな無関係の一般人が聞いていい話なのか?」


 思っていた以上に込み入った話になりそうで、アゼルは尻込みし、”無関係の一般人”という言葉を強調しながらガントの話を遮り、聞いた。

 それに対し、ガントはただ肩をすくめるだけで相手にはせず、そのまま話を続ける。

 言外に、”今更無関係のつもりでいるのか?”とでも言われている気がして、アゼルは気が滅入るのを感じた。


「そしてその大事な大事なセフィが、ナーグプルからメフリーズへの移送中に護衛の軍がヘマやらかしたせいで賊に奪われ、その尻拭いで俺らまで動員され、決死の大捜索が行われるハメに陥った、と、そう言うわけだ」


「……で、俺はその騒動に巻き込まれて、命を落としかけて、セフィの血を飲んで化け物になることで助かった、と?」


「ネフィリム、だ。まあ、助かったのはこっちもだな。おかげでセフィも奪還できた。感謝はしている」


 そうは言うものの、その言葉には全然感情がこもっているようには聞こえない。


「……で、これから俺はどうなるんだ?」


「ん? さあな?」


 アゼルの切実な疑問に対し、ガントは全く興味の無い他人事というような態度で言葉を返した。





「たっだいまぁー」


 それっきり沈黙が支配していたアゼルの部屋に、飛び切り明るい声とともに一人の女が入ってきた。

 ガントの同僚の、ダークエルフの女。


「おう、リュゼ。おかえり」


 ガントもそれに軽い調子で答える。


「何がただいま、おかえり、だよ。お前らの部屋じゃねえだろ」


 アゼルの当然の抗議に対し、女はただあっけらかんと笑って見せた。


「あ、もう目、覚めたんだ、早いね。私のときなんか、初めて転化した後は一か月ベッドの上に逆戻りだったのに」


 私のとき? こいつもネフィリムとかいうのなんだろうか。

 そう思ったアゼルの脳裏に、白と黒の巨人の姿が浮かぶ。順当に言えば、白の方だろう。

 それを確認するためにアゼルは話しかけようとしたが、それよりも早くガントの方が女、リュゼに話しかけたため、アゼルは口をつぐむことにした。


「で? どうだった?」


「うん。思ったよりもずっと立派な礼拝堂だったよ。お祈りもちゃんとしてきた」


 リュゼが明るくそう答え、ガントはそれに対して呆れるように頭を振った。


「そういう事を聞いてるんじゃない、って分かってて言ってるだろ、お前」


「あはは、冗談だって。怒んないでよ」


 リュゼが朗らかに笑い、ガントが大きくため息をつく。

 どうやらこのダークエルフは、皮肉屋のドワーフよりも一枚上手らしい。


 それからリュゼは、少し真面目な調子に切り替え、言葉を続けた。


「神官に会ったけど、なんか様子が変だった。何かに怯えているというか、警戒してるというか」


「大方、プロキオンあたりの抜き打ち視察とでも余計な勘違いをしたんじゃないのか?」


「かもね。でも、敵に先手を打たれた可能性もある。脅迫か、買収か、あるいは既に敵がなり替わってたりして」


 茶目っ気混じりにそう言うリュゼに、ガントは黙って頷く。


「どうする? もうちょっと調べてみる?」


「それこそプロキオンかベテルギウスあたりの仕事だろう。放っておけ。無暗に藪をつついて蛇を出す意味もない。……とはいえ、そうなるとゲヘナ離脱は独力での決行か。楽ではないな」


 リュゼはただ黙ってガントの言葉を待つ。

 結局のところ、意思決定権はドワーフの方にあるらしい。





 しばらくして、ガントが何かを言いかけたその時、また別の人間が室内へと入ってきた。


「すんません、お待たせしました!」


 コレだ。両手には食い物だろう、何か良い匂いのする大袋を下げている。

 その匂いを嗅ぎ、アゼルは初めて自分がいかに空腹かに気が付いた。


「あ、アニキもやっと起きたんスね。アニキの分もちゃんとありますよ、ささ、皆さんどうぞ」


 そう言ってコレが袋の中身を机の上に広げると、アゼル、リュゼ、セフィの三人はすぐさまそれに群がったが、ガントは一人窓際から動こうとはしない。

 そんなガントに対し、コレは申し訳なさそうに弁解した。


「すみません、ガントの旦那。ちょっとこの辺じゃドワーフの方向けのものは……」


「いや、気にするな。自前のものが十分にある。気持ちだけありがたくもらっとくよ」


 そんなやり取りを、アゼルは肉の串焼きを頬張りながら眺めた。


 ドワーフが南方の地下世界に籠って暮らすのは、彼らが地上をフォティアに汚染された”穢れた地”として忌避しているかららしい。

 そのため、ドワーフがなんらかの理由で地上で活動する際は、全身を密閉した鎧に身を包み、水も食料も、その全てを専用の容器に予め密封されたものを鎧に繋いで、そこから鎧の中で細い管越しに摂ると聞く。


 どうしてこのドワーフはそんな不便な思いをしてまで地上に居るのか。

 そう思う一方、エノンズワード教の直接的な影響圏にないドワーフたちは、前暦文明の技術を独自に継承しているとも聞く。実はあの鎧を着ての生活も、見た目よりはずっと高度で快適なものなのかもしれない。


「なんだよ、何人のことジロジロ見てるんだ」


 視線に気づいたガントにそう声を掛けられ、アゼルは口の中のものを水で流し込んでから返事をした。


「ドワーフが珍しいんだよ。……中には鎧を着ずに地上で暮らすドワーフも居るって聞くけど、あんたはそうしないのか?」


「それは故郷を捨てた連中だ。フォティアに体を曝したドワーフは、二度と裸足で故郷の土は踏めない。まあ、それでも防護服を着こめば故郷へ入ること自体は許されるが、結局は親類にすら後ろ指をさされ、出ていくしかなくなる。……ただ単に、俺はそれだけの覚悟も決まってない、未練たらしい軟弱者ってだけさ」


「ふーん」


 よくは分からないが、まあ、事情はそれぞれなのだろう。

 それ以上深くは聞かず、アゼルは会話を切り上げ、食事へと戻った。

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