_4_エノンズワード_


 黒い巨人の攻撃は白い巨人に真っ向から受け止められ、逆にそのまま羽交い絞めにされてしまう。


「ふざけるな! 放せ!」


 黒い巨人は必死で暴れ、拳や膝で白い巨人を打つが、むしろ敵はより強い力で体を締め付けてくる。甲殻がピキパキと嫌な音を立て、ギリギリと背骨が軋む。

 このままではマズい、なんとかしなければ。そう思った瞬間、ふいに敵の力が緩んだ。


 そのまま敵は力が抜けたようにその場に膝をつき、同時に軽い破裂音とともに白い煙のようなものを吐き出し始めた。みるみるうちにその巨体が溶けるように萎んでいく。


「……時間切れか?」


 黒い巨人はほくそ笑むような声音でそう言い、油断なく身構えながら様子を見守る。

 すぐに煙は霧消し、その中から一人のダークエルフの女が姿を現した。

 女はすぐさま黒い巨人の足元をすり抜け、セフィロトの方へと向かって走り出すが、もう体力も残っていないのだろう、その動きは鈍い。


「馬鹿だな。行かせるわけないだろ。今楽にしてやるよ!」


 黒い巨人は楽しげにそう言い、女を踏み潰すべく振り返るが、その視線の先にあるものに気付き、絶句した。


 ネフィリム。


 眩い金属光沢を放つ、全身銀色のつるりと滑らかな体躯。

 それが、翆色の瞳を光らせながら、こちらを睨んでいる。


 その足元では、セフィロトが翆色の傷口を押さえながら、その巨体を見上げている。その傍にはウサギの少年の体は見当たらない。


「……そんなバカな!」


 霊薬として加工も調整もしていない、原液のままのセフィロトの血を飲んでネフィリムに転化する?

 そんなバカな話があるはずがない。


 けれど、それが実際に目の前に存在する以上、それはそれとして対処するしかない。

 銀のネフィリムは興奮した様子で、態勢を低くした。


「なんだよ、やるのか? 邪魔する気なら容赦しねぇぞ」


 そう言って身構えた瞬間、既に敵は目の前まで迫っていた。


「……速い!!」


 速いなんてもんじゃない。なんてスピードだ。

 頭の中でそう考える一瞬の間にも、敵は猛烈な速度で拳を打ち込んでくる。

 到底回避は間に合わない。真っ向から受けるしかない。


「っ!!」


 激烈な衝撃と痛み。

 悲鳴を上げる暇もなく、敵は更に連続で殴りつけてくる。

 どうにかそれを防御し続けるが、長くは持たない。


 焦りが募る中、甲殻がもう限界だという瞬間になってようやく、黒い巨人は付け入る隙に気付いた。

 興奮し、我を忘れた様子の敵の攻撃は激しいが、テンポは単調だ。

 なんとかそのタイミングの隙をつき、素早く攻撃を受け流して距離を取る。


 そのまま敵は振り返り、またも素早く攻撃を仕掛けてくるが、黒い巨人も今度は油断なくそれをかわす。


「クソっ! こんなの相手してられるか!」


 素早くセフィロトの居た方に視線を向けるが、ダークエルフの女共々、既に通路の向こうへと逃げてしまったのだろう。その姿は見えない。


「チっ!」


 黒い巨人は銀のネフィリムを警戒しつつ、崩れた壁の向こうへと一旦退くことを決めた。


 衝撃波を敵の足元に数発飛ばして牽制しつつ、一気に壁の向こうへと飛び込む。

 敵はすぐに追ってくるが、黒い巨人はそのまま元の獣人の女の姿へと戻り、近くの通路へと逃げ込んだ。

 銀の巨人もそれを追おうとするが、その通路は巨人に潜り込めるような広さはなく、我を忘れた巨人は転化を解くことすらも考えられないようだった。


「……ったく! 冗談じゃねえよ!」


 女は暗い通路を敗走しつつ、大声で愚痴を吐き出す。

 得体の知れないガキにコケにされ、セフィロト奪取にも失敗した。

 悔しさと怒りから、一旦はこのままもう一度セフィロト奪取に挑もうかとも思ったが、結局は一度地上に戻って態勢を立て直すことにした。


 どの道、連中はそう易々とゲヘナを出ることはできない。

 ゲヘナに居る以上は、機会はどうとでも作れる。


「……どいつも、こいつも! 全部ブッ潰してやるからな!」





 ゲヘナの地上。不安定な蓋部構造の上に作られた、と言うよりもいつの間にか勝手に建てられた小屋が無計画・無秩序に拡張され続け、結果として出来上がった街、ビッグ・ツリー。その片隅にある小さな礼拝堂。

 そこに一歩足を踏み入れた瞬間、リュゼはそこを気に入った。


 こじんまりとした空間ながら、必要なものが過不足なく揃えられ、隅々まで丁寧な手入れが行き届いている。

 また、都市計画もへったくれもないビッグ・ツリーの雑多な構造ゆえ、陽当たりは悪く、全体的に薄暗いものの、辛うじてステンドグラスには陽が当たり、そこからの光で堂内は神秘的な雰囲気に包まれていた。


 用のあった神官は留守にしているようで、リュゼはとりあえずエノン神を象った像の前に立ち、瞳を閉じて胸の前で手を組み、祈りを捧げた。


 それからゆっくりと目を開け、改めて堂内を見渡していると、決して広くはない堂内には不釣り合いな大きさの絵画が目に入った。


 前暦の文明を終わらせた凄惨な終端戦争と、その後に残された人々の前にエノン神が顕れ、訓戒の言葉を授ける様子を描いたものだ。





 前暦文明において、人々はゴーレムと呼ばれる機械人形を造り、使役・酷使し、自分たちは享楽的で自堕落な生活を送っていた。

 そんなゴーレムたちを哀れに思った天使シェムハザは、エノン神の制止も聞かずに地上へと降り、ゴーレムたちに”真の知恵”を授け、人間たちからの独立のための蜂起を唆した。


 その結果、人類とゴーレムたちとの間に戦争が勃発した。

 ゴーレムに頼りきりだった人類はそれに裏切られたことで集団ヒステリーに陥り、一方では知恵に目覚めたばかりのゴーレムたちには統制の取れた戦略などはなく、ただただ混沌だけが世界を飲み込んでいった。


 そんな愚かな地上の騒動に怒ったエノン神は、地上の悪しき者たちをすべて洪水で洗い流し、シェムハザを罰としてゲヘナの地の底へと封印した。

 それからしばらくして、荒廃した世界で絶望の只中にあった生き残った人々の前にエノン神は顕れ、二度とこのような悲劇を繰り返さないための幾つかの教訓を授け、今後人々が進むべき道を示した。


 それから千年が経とうという現在も、エノンズワード教はその教えを守り、広め、一方ではゴーレムの再来となりうるような危険な技術を厳重に選定し封印・管理している。


 リュゼは、そういった教皇庁の仕事に携われることを心の底から誇りに思っていた。

 リュゼにとって、エノンズワードに殉じることこそが、生きる目的、歓び、そのものだった。


 先天的に心臓に病を抱え、生きて大人になれはしないだろうと言われていたこの体が、今もこうして健在で、しかもベッドの外に出て元気に動き回れるのは、神様への祈りが通じ、教皇庁にこの特殊なフォティア適性を持つ体を必要とされたからに他ならない。

 かつてエノンズワード教に、エノン神に、消えるはずだった命を救われた身だ。

 この命は、その恩に報いるために使わなくてはいけない。





「……おや、珍しい。礼拝の方ですかな?」


 ふいに声を掛けられ、リュゼはその方へと顔を向けた。


「どうにもこの街には信心深い人は少なくて。たまにこうして人が訪れてくれると、本当に嬉しいものですね」


 ここの神官だろう。人の良さそうなイオスの初老の男性。

 買い物にでも行っていたのだろうか、手には小さな袋をぶら下げている。


 神官は改めてリュゼの格好を見て、その肩の紋章に気付いたようで、少し表情を変えた。

 それに対し、リュゼは意識して明るい声と表情を作り、言葉を返した。


「どうも、お邪魔してます。連絡が行ってると思いますけど、アルファルドの者です」


「ああ、これは失礼しました。遺物保全管理局の方でしたか。ええ、ええ、話は伺っております。特別な御用でこちらにお越しになられるので、何か要請があれば手伝いをするように、と」


 リュゼはその神官の態度に小さな違和感を感じ、咄嗟に頭の中でフォティアを”発火”させた。

 即座に感覚が一段クリアになり、周囲を漂うフォティアの色というか匂いというか、そういったものが感じ取れるようになる。


 ネフィリムほど特異なものではないが、相応に高い適性を持つ者だけが可能なフォティアを介した種々の奇跡、俗に言う”魔法”の一種、”感応通信”。

 シェムハザの吐き出すフォティアは大気に希釈されつつ、ここゲヘナから世界中に満ちている。

 それは人の神経系と相互作用することで微妙に変質するが、それによって情報を媒介させることも可能で、魔法使い同士でなら、指向性を高めてフォティアを操作することにより、多少の距離を隔てての思考対話すらも可能となる。


 この神官は魔法使いではないが、むしろそのおかげで相手に気取られることなく、一方的に相手の無意識に発する情報だけを読み取ることができる。

 とはいえ、訓練された能力者の発する情報ではないので、曖昧な感情表現といった程度のものでしかなく、上辺の声音や表情に表れるものと大して違いはない。

 しかしながらそれは実際の声音や表情とは違い、取り繕って作られたものではないのだから、判断材料としては十二分に意味のあるものだ。


 この神官は何かに怯え、こちらを警戒している。


 それが分かれば十分だった。理由などはどうでもいい。理由がどうあれ、今は百パーセントの信頼のおけない相手を頼る余裕はない。

 

 リュゼは改めて明るい笑顔を見せ、社交的な態度を崩さないようにしつつ、この場を去ることにした。


「いやぁ、それが大体の用事はもう済みまして。そちらのお手を煩わせることもなさそうなんで、とりあえずその辺のご挨拶だけでもと思って寄らせて頂いただけです。それじゃあ、お騒がせしてすみませんでした。同僚を待たせてるんでこれで失礼します」


 それを聞き、神父が内心でホッと胸をなでおろすのを感じる。


「そうですか。せっかくお越しいただいたのに、大したおもてなしもできず申し訳ない」


 そう言う神父の脇をリュゼは愛想笑いと会釈と共に通り抜け、礼拝堂を後にした。

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