純愛とキスフレ

「どうぞ、適当に部屋にいてください。お茶を持っていきます」


「う、うん、おじゃまします……」


 スバルの家は、うちから徒歩15分くらいの近所だ。

 チャリで行けばすぐだから、ガキの頃からよく遊びに来ていた。

 高校生になってからもスバルが部屋で勉強している横で、ゲームしたり漫画読んだりして過ごすこともよくあった。


 だけど。

 だけど、だよ!

 あんなことがあった翌日に部屋に入れるとか、何考えてんだ?

 もしかして昨日あやふやな感じで帰ったから、きちんと話し合おうってこと?

 なるほどね。

 俺をここに閉じ込めて「誠意ある返事をしないと出られない部屋」を作り上げたというわけか。

 わははははははは! Oh,ゴッド……。


 でもさぁ。

 これで俺が「スバルとは付き合えない」って断ったら、今後の関係ってどうなるんだ?

 だってあいつが俺と一緒にいたのは、俺のことが好きだったからで。

 それは友人じゃなく、異性として。

 受け入れなければ、俺と一緒にいる意味なんて、あいつにとってはなくなって……。


「嘘だろ、マジか」


 ぽつりと声に出してみて、余計に虚無感に包まれた。


 男女の関係は単純明快。

 好きだから一緒にいて、好きじゃなくなったら一緒にいられないってだけだ。

 男と女の友情はどちらかが恋愛感情を持てば終了と相場は決まっている。

 実際に何度か経験もしてるしな。

 お互いの理解がないと成り立たず、飴細工くらいもろい。


「なんだよ、それ……」


 俺はスバル自身のことを嫌いになったわけじゃないのに。

 もう今までみたいに、一緒に遊んだり笑ったりできないのかよ。


「どうかしました?」


「んんんっ!?」


 ノックもしないでスバルがドアを開けた。

 そりゃ、自分の部屋だからノックもしないんだろうけどさ!


 飛び出しかけた心臓を押さえる俺を怪訝そうに一瞥して、スッと音も立てずに部屋に入ってくる。

 いつもと変わらないスバル。

 一方、気持ちが置いてけぼりな俺。

 むしろ憂鬱、だ。

 これからこいつと、決別の話をするんだから……。


「ちゅ」

「いや、何してくれてるの!?」


 突然ダイレクトキッスをかましてきた親友バカの肩を押し返し、目の前にある淡麗な顔に向かって抗議した。


「嫌でしたか?」


「い、嫌とかじゃなくてっ!」


「じゃあもう一回」


「んっ!?」


 そう言って、再びスバルが軽く唇を寄せてくる。


「ぷっ、ちょっと待てえ!? この展開はおかしい! いや、おまえのことが嫌とかじゃないんだけど、俺には好きな子がいて」


「よく知ってます」


「だからっ、こーゆうのはまずいというか!」


 抗議しながら俺はスバルから距離を取る。

 スバルは表情を崩さず、首をかしげる。


「しかし、つぐみさんとは付き合っていないわけですし……」


「ああ付き合ってないよ! けど!」


「フリーなら構わないでしょう。それにもう何度かしてしまったわけですし、時すでに遅し?」


 はああ〜!?

 こいつ賢いと思っていたけど、頭がおかしいでーーーーすっ!!!


「俺、おまえが何を考えてんのかぜんっぜんわからなくて怖いわ!」


「私は奏多くんが好きです」


「それはっ! そ、付き合いたいという意味で……か?」


「ええ。あわよくばそう思っていますよ」


 いつもの無表情でスバルは頷く。

 混乱しているのは俺だけらしい。


「だ、だったら。申し訳ないけど俺は好きな子がいるから付き合うことはできない」


「はい、わかっています。私は付き合えと言うつもりはありません。その上で、私が奏多くんと何をしようが、誰も知ることはありません。あなたが口外しない限りはですが」


「ス、スバル……?」


 スバルがにじり寄ってくる。

 俺はさらに後退を試みるが、ベッドに背中を打ってこれ以上は下がれないことを知った。

 肩に手が置かれる。


「キスくらい、外国ではあいさつじゃないですか」


 スバルの顔が近づき、思わず目をつむる。

 だが。


「ひゃっ!?」


 思わぬ冷たい小さな感覚を首筋に感じて、背筋がぞくりとする。


「ふふ。奏多くんは可愛いですね。真っ赤」


「うっ、やめ、ろって……」


 めちゃくちゃ不覚で、穴があったら頭から飛び込みたいくらいには恥ずかしかった。


 余裕を含む笑みを浮かべながら、首筋の濡れたところを指でつつとなぞるスバルは、まるで白い蛇のように妖艶だった。


「ふーん。本当に? やめていいんですか?」


 耳元に、脳を溶かすような甘い声がささやかれる。


 俺の反応を伺うようにして、額にキスが降る。

 そしてまぶたに。鼻の頭に。耳に。


 このままこいつの好きにさせていいのか……?

 いや、いいわけねーから!


「っ、みくびるなよ!」


 スバルの手首をつかんで、体重をかけて床に押し倒した。

 はからずとも昨夜と同じ体勢になったことにたじろいでしまう。

 スバルは一瞬ぽかんとしていたけれど、すぐに余裕そうに口角を吊り上げた。


「へえ。どうするつもりですか?」


 挑発的な瞳に射られる。


「俺……俺は……。っ!」


 悔しい。

 どうしてこんなことになっているんだろう。

 なあ、スバル。

 どうしてなんだよ。

 誰かを好きだという感情を知らなかったころだったら。

 大事なおまえのために、もっと違う未来を考えられたかもしれないのに。


「……ごめんなさい。きみを泣かせるつもりはなかった」


 すっと、白い手のひらが伸びてきた。

 俺の頬に優しくそれが触れて、何度も撫でた。


「ねえ、奏多くん。ひとつ私と賭けをしましょう」


 手の冷たさが、ほてった顔を冷やしてくれる。


「キスには精神を安定させる効果があるんです」


 彼女ささやくような優しい声が、頭の中に染みわたっていく。


「奏多くんが彼女ができるまで、私とキスをしましょう。お互いにとってメリットしかないと思うんです」


「それは……」


「彼女ができるまで、周りの人にバレなければ奏多くんの勝ち。私は身を引くし、迷惑はかけません。バレたら私の勝ち。全ての責任を取りましょう。ちなみに私、医師になるつもりなので将来有望ですよ。お買い得物件だと思います」


 薄く、彼女らしい微笑みを浮かべる。


 返す言葉を選んでいると、大音量で電話が鳴った。

 ドアの前に落ちていた俺のスマホに二人同時に視線を向ける。

 俺が手を伸ばす前にスバルが足で蹴り、手の届かないところへ飛ばした。


「なっ!?」


「大事な話に邪魔は入れさせませんから」


「っ!」


 誠意ある返事をしないと出られない部屋は、あながち間違いじゃなかったらしい。


「ちなみに了承されなかったら、私にはどれだけでも奏多くんを困らせる手段はありますので」


 …………どのこと?

 一体、いつのどれをカードにする気だ!?

 というか、そんなの交渉材料にするかよ、悪魔かこいつ!?


「あなたを救いたい。これは私なりの純愛なんだけど、ダメ……かな?」


 急にしおらしく、長いまつ毛を見せつけるように伏し見がちになるスバル。


 ……参った。

 女の子にそんな顔をされて、強く出られる男なんているのかよ。


 静かにスバルに抱き寄せられて、再び唇が重なり溶け合った。


 ――本意じゃない。


 けど。


 どうやら俺は、拒否ができない……らしい。



 そしてその頃、こことは別の場所での話。



……


…………


………………



「せっかくゆゆが誘ってるっていうのに! スバルとの約束じゃなかったらぶっ飛ばしてたわよあいつ」


「あはは。穏やかじゃないぞ、きーちゃん」


 あれからあたしは追いかけてきてくれたきーちゃんと、渋谷のガストで話し込んでいた。


 今日、奏多くんが元気なかったのって、やっぱあたしのせいだよね。

 あたしが返事をしてないから、きっとモヤモヤしてるんだ。

 だから本当は、今日その話をしたくて声をかけたんだ。結構勇気出したんだけどな……。


「ねえ、きーちゃん。あたしね。奏多くんのこと、きちんと向き合ってみようかなって思ってるの」


「えっ!? まじ、で……?」


 きーちゃんの丸い目がさらに丸くなる。

 あたしが今まで誰も好きになれなかったこと、その理由。きーちゃんには話していたから、びっくりするよね。


「うん。奏多くんなら大丈夫かなって」


「ど、どしたのゆゆ? 今まで告られてもどこの大企業だよってくらいお祈りしまくってたじゃん!?」


「ちょっと、言い方っ! やっぱり、思い立ったときのテンションで伝えたほうがいいよね。うん、ちょっと電話してみる!」


「ガ、ガチ? え、あんた、なにそれ。だ、だって。恋……できなかったじゃん」


 恋をするのが怖かった。

 失敗して、誰かを苦しめたくなかった。

 あたしのために、何かを失わせたくなかった。

 ……だけど奏多くんなら。


『ゆゆが好きだ』


 恋が初めてだって、カミングアウトしてくれた奏多くんなら。

 真っ直ぐに想いを伝えてくれて、あたしの気持ちを大事にしようとしてくれている彼なら。

 もし失敗したって、奏多くんなら。不器用な恋でも一緒に楽しんでくれそうだって思ったから。


 耳元で呼び出し音が鳴り続ける。

 ……出ない。


 スバルは多分、奏多くんのことが好きだ。

 だからって、あの二人が急に接近することはないと思うけど。二人が今、何をしているのかはちょっと気になる。


「ゆゆ……」


「きーちゃん、あたしねっ」


 いちばん伝えたい相手に届かないのが、すごくもどかしいけれど。


「きっと、恋、したんだと思うっ!」


 あたしは、今にも胸からあふれ出しそうな思いを、ファミレスの中心で叫んだ。





純愛とキスフレ

一部 完

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