対あり

 少しの間があった。

 何を言われても受け入れようと思っていた。

 黙ってスバルの言葉を待っていると。


「くくく……あっはははははは!!」


 スバルが馬鹿馬鹿しいというように笑い声を上げて、俺は眉をひそめる。


「は? なんだよ……」


「いえいえ。都合が悪くなると、好き、ですか。ふふ、本当に奏多くんは愚直でかわいらしくて笑えてくる」


 スバルは銀縁の眼鏡を外し、妖艶ようえんに微笑んだ。


「ダサいんですよね、奏多くん。きみはこんな人だったかな。つぐみさんを好きになって変わりましたよね」


 その姿に、首筋に氷を当てたような悪寒が走る。


「そうだ。今日カラオケ店で茹橋くんが、靴箱に手紙が入っていたと言っていましたが」


「はあ?」


 どうして今、そんなことを持ち出すのかと思った。

 けれど、こいつは脈絡のない話をするようなやつではない。俺は黙って耳を傾けた。


「奏多くんにだけ特別に、手紙の正確な内容を教えてあげましょう……。


『拝啓、茹橋様。


 つぐみ ゆゆさんより、貴方のことを気になっているとの相談を受けました。


 本人が恥ずかしがっていますので、老婆心ろうばしんながら、第三者からの告発をどうかご寛恕かんじょください』


 ……さて、手紙を出したのは一体誰だったと思いますか」


「え……」


 どうして、スバルが内容を知っているんだ?


 それに、手紙にしてはかたい言い回しだが、俺にとっては・・・・・・別に珍しくはない。

 そういった言葉使いをする人間を、毎日見ているのだから。


「どう、して……」


「どうして? くくく、本気ですか? あなたたちをくっつけるためですよ。そのためには、手頃な悪役が必要だっただけです」


「おまえなっ!」


 スバルの襟元につかみかかり、乱暴に引き寄せる。


「茹橋の勘違いのせいで、どれだけゆゆが怖い目にあったか! ゆゆだけじゃない、季枝だって巻き込まれたのに! どうしてなんだよ、スバル!?」


「ひとりだとなにもできないくせに、お膳立てしてもらって気に入らなかったからって暴れる。一体、どうしたら満足なんですか」


「違うっ!」


「黙れ!」


 スバルが手を払おうとして体勢が崩れた。

 乾いた砂に足を取られて、二人でもみくちゃになりながらスッ転ぶ。


 無様に後頭部を強く打ちつけた俺は、目をつむって歯をくいしばる。

 痛みに耐えながら、隣に転がっているスバルに言った。


「……だからって、人の気持ちをもてあそぶのは違うだろ……」


「きみは茹橋の肩を持つんですか。あいつは裁かれていいほどのクズだ」


「心配なのはおまえだよ! こんなことのために、おまえの心を汚して欲しくない!」


「きれいごとですね。話になりません」


 スバルが立ち上がろうとするが、俺はそれを許さない。

 腕を押さえ、股の間に膝を入れて組み伏せる。

 俺のほうがタッパがある分、マウントを取るのは容易たやすかった。


「なっ……!?」


「帰さねーよ」


「どうして……!」


 恨めしそうな目が寄越される。


「俺、おまえのことならなんでもわかってるつもりだった。こんなことするようなやつじゃないってことも」


「……」


「どうしてこんなことしたのか、納得するまで帰さない」


「……バカだな」


 スバルの口から悪態がこぼれた。

 体からすっと力が抜け、俺から目をそらす。


「……毎日うるさいから、早くくっつけばいいって思ったんですよ」


「は? 本当にそれだけ?」


「そうだよ。初恋初恋初恋初恋初恋初恋って女々しくてうるさい。最悪だ、気持ち悪い。……ねえ、手首が痛いです」


「え? あ、ごめんっ!」


 慌ててスバルから離れた。

 思っていた以上に力が入っていたらしく、スバルの細い手首にあざが残っていた。


 スバルは体を起こすと、長い前髪の間から俺を睨みつけた。


「……ほんとにガキだね。男女に力の差があることも知らないんだから。それとも目の前の人間はオンナじゃない・・・・・・・・・・・・・・って?」


「わ、悪い……。痛、かったよな?」


「痛いよ! ずっと痛くて」


 スバルが俺の胸元を叩く。


「ずっとずっと、ずっと!」


 彼女・・に、こんな悲痛な叫び声をぶつけられたのは、初めてで。


「心が、痛かったっ!」


 叩かれた場所よりも。


 そのもっと奥側の部分が、ズキンズキンと痛みを刻んだ。


「すば……」


 突然、胸ぐらをつかまれたかと思うと、目の前にスバルの顔があった。

 ……なんだよ、おまえって。

 泣いている顔もきれいなんだな。


 唇と唇がぶつかる。

 そんな形容がいちばんしっくりとくる不器用なキス。

 スバルの顔についていた砂が口の中に流れ込み、幾度かジャリッと傷つけた。


 理解は追いついていない。

 なんでもいいから、どうか、どうか。そうやって、静かに泣かないでくれよ――。


 俺のファーストキスは、鉄と砂の味がして。ロマンチックなんてひとかけらもなかった。

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