きみが抱えるもの

 スバルと別れて、あたしは夜の渋谷を恵比寿方面へと歩く。

 歩きながら何度目かのため息。

 困った……と言うのは少し語弊があるように思う。


 今までにも男子に告白をされたことはあった。

 いつもうれしいと思う反面、どこか気持ち悪くて、ぞわぞわして。目の前の男子のことを直視することができなくなった。


 だけど下北沢のマックであたし、頬が一気に熱を帯びて、体が震えるくらい驚いたの。

 呼吸を忘れるくらい、その瞬間が特別だった。


 ……奏多くんに好きだと言われたのは、すごくうれしかったんだ。


 だけど、踏ん切りがつかない。

 絶対に大丈夫だってわかっていても、一歩前に進む勇気が出ない。

 傷つくのが怖いんだと思う。

 自分は奏多くんを傷つけているくせに。


 でも、あたしなんて。

 思ってたのと違ったって幻滅されるかもしれない。

 それに奏多くんは素敵な人だから、初めて恋をする相手はあたしみたいに面倒臭い子じゃない方がいいのかも……なんて、考えてしまう。


 こんな気持ちで、あの人を受け入れることなんてできない。

 自信がないよ……。


「どうしよう……」


 それに、最後にスバルが残した言葉が、ずっと頭の中でリフレインしてる。


友人の恋敵・・・・・になるのはいささか面倒なので、口を出させていただきました。あなたが決着をつけてくれたらうれしいです、つぐみさん』


 あれって……あれってそういう意味、だよね?

 全然気づかなかった。


 スバルのこと、そんな目で見たことがなかったから思ってたんだけど……。

 あたし、スバルのことが羨ましかったんだよ。

 恋人じゃなくても奏多くんのそばにずっといられて、大切に思われているんだから。


 ああ、ほら。

 こんなこと考えるなんて、奏多くんにもスバルにも失礼だし最低だ。

 どうしてあたしは、こんなことすら・・・・・・・うまくできないんだろう。




  ◆◇◆◇◆◇




「そーなの!?」


「うん。それで14番は伝説の番号って言われてるんだって。プロ野球おもしろいだろ? 興味あるなら夏に神宮球場行こうぜ」


「えっ、うん、行く! 行きたい!」


 恵比寿の小さな公園で、ジュースを飲みながらだらだらと話していると、季枝の機嫌も落ち着いてきた。無事に涙も引っ込んだみたいだ。


「さーて、遅くなったな。今度こそ帰ろう」


 夏の夜はせっかちだ。

 すっかり薄暗くなった公園を見渡して、腰掛けていた石のオブジェから立ち上がる。


「あのさあ、奏多ぁ」


「うん?」


 隣に座っていた季枝に袖を引かれる。


「もし振られたらどうするの?」


「えっ、そーなのかっ!?」


「あ、もしだよ、もし!」


「なんだ、びっくりした。脅かすなよ。俺、そうでなくても今センシティブなのに」


「ご、ごめん……」


 しかし何か言いたげに、チラチラと見られる。

 ほ、本当になんでもないんだよな? 怖いんだけどぉ!?


「……あたし、男が大嫌いなんだ」


 その告白は何の脈絡もなく、突然だった。

 はっとして、彼女のハーフパンツの制服に目がいく。

 初めて聞いたけど、季枝の行動を見ていると「やっぱりか」という思いが強かったから、別段そのことに驚きはしなかった。


 ただ。

 彼女の口から話してくれたことに、俺は驚いていた。


「中学のとき、あたしに告ってきた男がいたんだ。断ったらそいつ、男集めて、集団であたしにひどいことして……っ! 助けてくれたのがね、ゆゆだったの」


「そうだったのか……」


 うつむく季枝を慰めようとして、はたと気づいて手を止める。


「もしかして、俺のことも嫌だったか? 無理してたのか?」


 その問いに、季枝は目をそらして唇を引き結んだ。


「ごめん、俺知らなくて。デリカシーないことばかりして、ごめんな?」


 季枝に迂闊に近づくこともできない。

 俺ができるのは、ひたすらに謝ることだけだった。

 だけど。


「……っ!」


「えっ、おおおっ!?」


 季枝が俺の胸目掛けて思いっきり抱きついてきた。


 思ってもみなかった行動に、俺は思いっきり地面に尻餅をついた。

 もちろん季枝も一緒に転んだけれど、なんとかかばって俺の胸の中におさまっている。


「だ、大丈夫か? ヒザとか擦りむいてない?」


「……うん。ごめん」


「いや、うん。びっくりしたけど。あ」


 思わず抱き止めてしまったのに気づいて離れようとするが、なぜかさらに強く抱きつかれた。

 さすがに、女子に押し倒されるわけにはいかないから踏ん張ったけど。


「離れないで。大丈夫、だから。あたし、奏多のことは平気だから!」


「季枝……?」


 そうは言うけど。

 肩を抱いていると、小さく震えているのは伝わってくる。


「ねえ。ゆゆなんてやめなよ」


 ぽつり、と。

 熱湯のような痛みを伴う熱い言葉が一滴。

 季枝が頬を当てている胸元から広がっていく。


「奏多はあたしのこと、嫌?」


 舌足らずな甘い言葉。

 綿を飲み込んだような息苦しい嫌悪感と、逆立ちしたときのような重いめまいに襲われる。


「嫌とか……そういうんじゃ……」


「良かった。あたしには奏多しかいないもん」


 季枝が俺の胸元にうずめていた顔を上げた。


 静かな夜の公園で、俺たちは互いの心を探るように見つめ合う。

 季枝の今にも決壊しそうに濡れた瞳が、俺を責める。

 シャツを握る手から、熱が伝わってくる。


「ねえ奏多、聞いてほしいの。あたし、あたしは奏多のこと――」


 ポケットの中が震えた。しかもかなり長い。


「ちょっとごめん。……家から電話だ」


 季枝から離れてスマホの通話を押した。

 すぐ、女性が騒ぐ声が耳に投げ込まれる。

 相槌を打ちながらしばらく話を聞いていると、相手は満足して電話を切った。


「だ、大丈夫? なんかすごい声が聞こえたけど……」


 季枝が少し離れたところから、気遣うような視線を向ける。

 俺はスマホをポケットにしまうと、カバンを手に取って笑って見せた。


「悪い悪い。だいぶ遅くなったからおまえん家も心配してるだろ。とっとと帰ろうぜ」


「あ…………うん」


 わかりやすくしょんぼりと肩を落とす季枝。

 だけど、俺が親に早く帰れと電話で叱られたと思ったのか、季枝は素直にカバンを取って来た。


 電話はウザかったけど、話がさえぎられてどこかホッとしていた。

 彼女に何を言われるかは、なんとなく想像がついていた。

 ――本当に俺は、どうしようもない男だと思う。



 それから季枝を家に送るミッションを果たしたところで、スバルからのメッセに気づいた。

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