ヘイトゲージMAX

「瀬戸、おまえイラつくんだよ」


 低くねちっこい声に、俺は視線を戻した。


「急にゆゆちゃんとつるんで俺の邪魔をしやがって。ああ?」


「別に俺が誰と友だちになろうが、茹橋くんにとやかく言われる筋合いはないと思うんだけど」


 言い返されると思っていなかったのか、茹橋は片頬をひくりと上げて目を剥き出した。

 悪いけど俺、その程度の威嚇は別に怖いと思わねーんだよ。


「いいか、瀬戸。一度しか言わねえ。ゆゆちゃんは俺に気があるんだ、邪魔者はおまえだ。あの女は俺のものになるんだから、即刻手を引け」


「気がある? 初耳だな」


「おまえはバカか? 俺と話していて楽しそうだったろう。おまえが入って来てから、いろいろおかしくなったんだろうがよォ!!」


 中学のときから思ってたけど、恋愛脳って滑稽だよな。

 俺もこんな感じなのか?

 そうじゃないと信じたいが。


 離れた場所に転がっている俺のスマホが、ピカピカと光るのが目に入った。


 よかった、壊れてはいないみたいだ。

 あれを拾って、さっさとこんなところ退散したいところだけど。


「もし、嫌だと言ったら?」


「俺のこと、なめてんの?」


 表情が消えた茹橋の顔が俺の目の前に迫った。

 でかい。2メートルはありそうだ……とか考えていると、一発、腹に拳がぶち込まれた。

 少しよろけはしたが、どうにか膝をつかないようには耐えられた。


「そいつらが俺についてきているのは、どうしてだと思う?」


 茹橋があごをしゃくって、俺の後ろを示した。

 どうしてヤンスたちがヤンスなのかって?

 は? なんそれ、哲学か?

 それとも、暴力だけでの支配が現実的じゃないなら。茹橋といることであいつらに、なにか別にメリットがあるというのか?


「俺が柔道で人を殺したという噂は知っているか?」


「噂だろ。信じてねーよ」


「あれが真実だとしたら?」


 茹橋が再び間合いを詰めてきた。

 はっとして頭をかばうと、気を抜いていた脚に蹴りが入った。


「ぐうっ!」


「まあ嘘だけどよ。ヤッて半殺しくらいだな。さすがに人は殺さねえ……けどな?」


 地面に膝をついてしまう。

 骨は折れてなさそうだけど、いってえ。


「俺なら揉み消すことができるんだよ、人が死なない限りの事件はなあっ!」


 避けられない体勢から一発、えぐりこむようにアッパーが入った。

 一応腕で受け止めたが体格差は歴然。

 地面に転がりながらヤンスたちを見ると、全員気まずそうに目をそらした。いやいや、おまえらなにを尻拭いされたんだ。


「さあ博識な瀬戸くん、問題だ。おまえの数メートル後ろの壁が崩れているよな?」


 茹橋は俺を見下ろして、うすら笑いを浮かべる。


「そこから人間が落ちると、どうなると思う?」


 乱暴にシャツの後ろ襟をつかまれた。

 そして、小さなコンクリート破片の上をずるずると引きずられる。


「いやいや、待てって。さすがにそんなの、茹橋くんたちだってタダじゃ済まねえぞ?」


「ちなみに俺は今、家にいることになっているけどな」


「は?」


「俺のことタダの脳筋バカだと思っていたか? ギリシア神話なんかは知らねえが、日常で使うべき頭は回る。だからあいつらも俺についてくる」


「ああすっげえ、普通にこれ死ぬやつじゃん。足場に引っ掛かればワンチャン助かるかもね、うれしいなぁ」


 地面にへばりつきながらビルの下を眺めて、負け惜しみの軽口を叩いておく。


「ふん。土下座して靴を舐めるか、あの世で後悔するか選ばせてやる」


 首の後ろを引き上げられ、地面から少し浮き上がった。

 ああ。嫌なんだけどな……こーゆうのっ。


「っ!」


 肘で思いっきり茹橋のみぞおちを打ち、振り向きざまに顔面中央に一撃をぶち込む。よろけたところでもう一発、内膝を狙って蹴り込んだ。


「て、てめえ!?」


 鼻血が落ちないように顔を押さえて、茹橋が後ろに距離を取った。

 痛む拳をプラプラ振りながら、俺は茹橋に笑いかけた。


「人を傷つけるなって俺のミューズに言われていたから反撃もしなかったけど、殴られた分のお返しくらいはさせてもらおっかな」


 思った通り。

 手加減したつもりはなかったが、体格のいい茹橋はふらついている様子がなかった。


 でも俺も、相手を無効化できると期待していたわけじゃない。

 少しでも時間が稼げれば、それで良かったから。


「ゆ、茹橋くん、誰かが上がって来てる!」


「なん……だと?」


 ヤンスCの報告に、茹橋たちはみっともなく慌てる。


「瀬戸ー!?」


 俺の名を呼ぶ声に、茹橋が鼻を押さえたまま俺をにらみつける。


「集団リンチに証拠隠蔽いんぺい? おまえらマジで臭うんだよ、昭和臭がよお!」


 転がりっぱなしだったスマホを拾い上げる。

 はっと、ヤンスAが目を見張った。


「おまえ、人を呼んだのか!」


「昭和くんらは知らねーかもしれないけど、友だちと居場所を共有できるアプリがあるんだよ。便利っしょ?」


 声がどんどん近づいてくる。

 茹橋とヤンスたちは、じりじりと後ずさる。


「おまえらの好きなマンガの世界では男らしく戦いで決着をつけるかもしれねえけど、ここは令和だし、俺は全力で警察を呼ぶからな!」


「チッ、覚えてろよ!」


 茹橋は捨てゼリフを残すと、全員で階段を降りて行った。

 だから、その昭和臭いセリフチョイスはわざとかよ?


「あ、いたいた瀬戸! なんだよグループメッセに『わりぃ、俺死んだ』って残すだけ残して!」


「げ、血だらけ!? 大丈夫か?」


 少しして、わらわらと人が上がってきた。

 去年同じクラスだった悪友と交友のある空手部部員らが集まった。

 通称、胸板厚めグループにメッセを送って正解だったぜ。


「俺の血じゃないから平気ー。ちょっとした組織に襲われて絶対絶命だったわぁ。みんなありがとう、助かった〜」


 ホッとして、キていた足がもつれてその場にへたり込む。


 みんなが心配して怪我をチェックしてくれている中、少し離れていたスバルだけが渋い表情で俺の姿を眺めているのが目の端に映った。

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