ヘイトゲージ

「ゆゆちゃ……」

「奏多くん、この動画もう観た?」


「ゆゆ」

「奏多くん! 次の授業でねっ」


「ゆ……」

「奏多くん奏多くん、奏多くーん!」


 うちのクラスでは、茹橋ゆではしプレゼンツワード「ゆゆ」の下の句が「奏多くん」であることが常になりかけて、俺的には最高じゃねーかもっとくれと思っていたけど、そのまま茹橋が大人しくしているはずもなかったのである。そんなわけで。


「おいぃ……瀬戸ぉ……」


「おいすおいす、なに茹橋くん?」


 笑っているつもりだろうけど全然笑えてない、余裕のない茹橋がとうとう俺の席までやって来た。

 ゆゆと季枝が引き気味で俺たちを見比べる。


「俺も話に混ぜてくれるよなあ?」


 そう来たか。A組内親和条約を結ぼうって話ね。

 悪いけど顔がポコチン奴に、ゆゆを近づけさせねーぞ。


「オッケー、ちょうどみんなの意見を集めていたんだよなー」


「はあ?」


 俺は席を立ち上がると、背後にゆゆたちを隠した。


「ほら俺、倫理選択しているんだけど、課題があってさー。ギリシア神話について洗い出していたんだけど、茹橋くんはどの話に興味あるの?」


「ちょ、なに言ってんだおまえ……」


「あたしはナルキッソスかな! 美しくも悲しい物語で、透明感があって好み」


 意外にも、ゆゆが背後から顔をぴょこりと出して加勢してくれた。


「ナルキッソスはナルシストの語源と言われている話だな。センスいいぞ、ゆゆ」


 親指を立てると、同じように返してくれる。ラブい。


「そうだな、茹橋くんは牧人の神・パーンなんてお似合いなんじゃねーか?」


「プッ」


 スバルが隣で吹き出した。

 牧人の神・パーンは上半身は毛深い人間で下半身はヤギの醜男だが、性欲はすこぶる旺盛で、かわいいニンフから美少年まで見境なく追い回し、逃げられると爆裂な自慰で発散。しかし自分の行動に邪魔が入れば即ブチギレて、世界に恐慌を引き起こすはた迷惑な神ちゃんである。


 茹橋くんをはじめスバル以外のみんなはよくわかっていなさそうだったけど、おそらく雰囲気からバカにされているのは感じたようだ。

 話を切るように、ドンッと手近な机がグーで叩かれる。


「瀬戸ぉ、調子に乗ってんじゃねーぞ」


「わりーわりー、哲学のほうがよかった? 誰思想? ルソー?」


「てめえ」


 せっかく韻まで踏んでやったのに、胸ぐらを掴まれて怖い顔を寄せられる。


「や、やめてっ!!」


 ゆゆが叫んで、俺たちの間を引き裂いた。


 茹橋くんは俺をにらみつけると、肩を怒らせて自分の席へと戻って行った。

 不機嫌さをあらわにどっかり座ると、周りのヤンスたちがクラス中に聞こえるように俺の悪口を言ってなだめている。


 なんかこーやって見ると、取り巻きも茹橋と似たようなつまんなさそうなやつらばっかだな。


「ゆゆっ!?」


 季枝の声で振り向くと、ゆゆがその場にしゃがみこんでいた。

 呼吸が早く、顔を蒼白にしている。


「ごめんね、きーちゃんのが、きついのに、あたしっ」


「そんなの関係ないから! 保健室にっ!」


 季枝がゆゆの背中をさすっているところに、スバルが入っていく。


「鶫さんしゃべらないで。息を整えましょう」


 スバルがゆっくりと息を吐くように促し、それに応じるゆゆ。

 数回繰り返すと、ゆゆの発作のような症状はおさまった。


「ゆゆ、大丈夫か?」


「もう大丈夫ですよ。ただの過呼吸でしょう。鶫さん、椅子に座りましょうか」


 スバルが差し出す手をゆゆが取り、椅子に誘導する。

 その光景はなんというか……。


「なによこれ、宮殿が見える」


「わかる」


 季枝と俺はそれを立ち尽くして見ていた。

 俺にあんなことは絶対にできん。ハンカチがあったらぜひ噛みたい。


「てか、奏多って何気に学があるんだ。ムカつく」


 視線を明後日に向けた季枝に、隣で腕にパンチされた。痛くはない。


「ん? 赤点の教科の方が多いけど」


「は? だってさっき小難しいこと言ってたじゃん! ゆゆが頭いいのはわかるけどさあ」


 小難しい、ね。

 あれは中二病というか、オタク冥利というか。


「そういえば、ゆゆもレト好きだよな」


「えっ!? ……あ、レトリシャン? えっとなんで知ってるの? もしかして奏多くんも?」


 口元にハンカチを当てたゆゆが、ぱっと目を輝かせた。

 すると、顔をしかめた季枝が俺たちの間に割り込む。


「おい奏多、なんでゆゆの好きなアーティスト知ってるの? ストーカー? クソだなおまえ」


「そこまで言うかよ! ゆゆ、好きなバンドに影響されたってヴァイオリン習ってるだろ。日本にヴァイオリンが入ったバンドって少ないんだよ。実は俺も好きなんだけど、レトリシャンの世界観が、神話や哲学から作られてるんだ」


 ゆゆのぽかんとした顔を見つめながら、渋谷の運命的な出会いを思い出す。


 ゆゆは覚えていなくても、恋を知らなかった俺が一瞬で彼女に惹かれた物語のようなあの時間は、俺にとっては確実に特別だった。


 うん。いつか絶対に、好きって伝えよう。

 それでお付き合いして、結婚して……幸せな家庭を二人で築けるといいな……。


「え。なんでコイツいきなり涙目になってんの。きも……」


「気にしないでいいですよ栗生くりゅうさん。奏多くんはレトリシャンのことなら5秒で泣けるんです」


 スバルてめえは覚えてろよ。




  ◆◇◆◇◆◇




 はい。あんなんで解決するとは俺も思ってなかったけどねーー!

 とはいえ、靴箱を出た瞬間連行されるとも思わなかったわ。


「おーい、初めて腕組まれる相手はゆゆが良かったんだけど?」


「黙れよ、んなこと知るかっ!」


 両腕をガッチリと体育会系男子二人にホールドされて、気持ち悪い硬さが脇腹に当たってもぞもぞする。


 学校を出てどうするのかと思いきや、近くの廃ビルへと歩かされた。

 しばらく階段を登り、屋上に着くと、そこで待っていた男子の前に突き出される。


 うちの学校、制服をはじめトランスジェンダー対応とかうたって最先端ぶってはいるけど、ガラがいいわけではない。

 だとしてもだよ。

 暴力支配ってなんすかこれ。時代錯誤がすぎるでしょ。


「あれぇ、茹橋くんじゃん。はーん、茹橋くんって昭和のマンガとか好きそうだねー。あっ俺も好きだよ。湘南なんとか組とか、クローなんとかとか。あれ、クローなんとかは平成か?」


 両腕を押さえていた男たちが、俺から離れて後ろに下がった。

 最小限の動きで後ろを確認。

 階段の前に3人、退路を塞ぐように立ってんな。


「……最近、SNS広告で出てくる昭和のマンガを読んだんだけど、それがおもしろくてさー。レンタルおっさんするヤンキーの話なんだけどぉ」


 喋りながら横目で状況を確認する。

 半壊した廃ビルの屋上。

 7階分くらいは登った記憶がある。


 屋上の周りはシートで覆われているため、やりたい放題仕様ってわけか。

 俺の前には茹橋ひとり、後ろに3人……で相手は全部。


「えーっとタイトルなんだっけなー。ちょっと待ってねー絶対に茹橋くんも気に入ると思うからさー」


 スマホを取り出してスルスルと操作していると、後ろにいたヤンスAにはたき落とされた。

 スマホはカーリングのようにくるくる回りながら、3メートルほど地面をスライドする。


 おいふざけんな。それ、俺の持ち物の中で一番高価なやつだぞ。

 下は小石まみれのアスファルト。

 画面が割れてたら弁償してもらうからな、絶対にだ。


 

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