彼女を奪還せよ

  ◆◇◆◇◆◇



「聞いてよ。コイツさぁ、こないだカラオケで、泣きながらションベンをグラスに入れてさー」


「えーーそれ言う!? それ言っちゃう? マジ勘弁っすよ〜、茹橋ゆではしくっぅ〜ん!!」


「あ、はは……」


 黒板前で下品な話をしているグループを、俺は自分の席からガン見していた。

 隣の席で静かに文庫本を読んでいたスバルが、無表情のまま顔を上げる。


つぐみさん、また茹橋ゆではしくんたちといるね」


「困ってる顔もかわいいよな」


 頭に文庫本が降ってきた。

 って、角かよ!


 スバルが言うように、最近、鶫の近くにクラスでも目立つ男子グループのリーダー、茹橋がウロウロしている。


 目立つというのが、あいつの風貌。

 格闘漫画に出てきても違和感ないくらいデカい逆三角形の体つきで存在感がある。


 噂では、なんかの試合で力加減を間違えて人を殺した、なんて囁かれているが……まあこれはひどい噂だし、本人に同情する。

 その周りを、数人の柄の悪そうな茹橋ヤンスの取り巻きたちが、鶫の逃げ場をなくすようにがっちり囲んでいる。


 控えめに言って……すげぇ羨ましい!


「俺もさぁ、好きな子の逃げ場をなくして……壁ッドーン!ってやりてぇナァ。なーなー、なんとかなんねーの、スバ」


「誰がドラえもんですか」


「そこまで言ってないぞ? スバえもん」


「きみは自分の発言にもっと責任を持ったらどうでしょう」


 茹橋はわざと大声を出して、おもしろおかしく仲間の男子をおとしめる発言を繰り返す。男子たちが爆笑する中、鶫は困った様子で苦笑いをしていた。


「なあなあスバル。あーゆうのどう思う?」


「他人を落とした品のない会話、センスは0。ただただ不快ですね」


「へへ、さすがズッ友! 失敗談で笑い取りたきゃ、自虐でもしとけっつの!」


 俺は机に手をついて立ち上がる。


「よし! つうわけでスバル、ちょっとゴミ掃除してくるぜ」


 ぽきぽきと指を鳴らしながら、満面の笑みで黒板前へ歩き出す。

 こうなった俺を、親友が止めるはずもない。


「つーぐみー!」


 俺の声に、前にいたイカツいグループが一斉に振り返った。違う違う、おまえらじゃない。


「あっ、せ、瀬戸くんっ」


 鶫がほっとするように、表情を緩ませる。

 そんな顔を見せてくれるなんてうれしい。惚れちゃう。いやもう惚れてましたがな〜ってことで、よーしパパちょっと張り切っちゃうぞ〜。


「なんだ、おまえ」


「おまえじゃなくて、瀬戸な」


 教卓の上に座った茹橋が、俺を睨みつける。

 なにそれ。山のボスザルのつもり? はは、うける。

 ボスザルに同調するように、茹橋ヤンスたちもぞろりと俺を囲んで睨みつけてきた。


「鶫にノート見せてもらう約束してたんだ。もう連れて行っていい? 聞いてたら中身も品もない話してるだけみたいだし」


「……は?」


 茹橋の眉がぴくりと動く。


「なんだテメエ! ひとりでやってろよ……アヒャッ!?」


 俺につかみ掛かろうとヤンスAが伸ばした腕をひょいっと引いて、後ろへ軽く流す。そのまま勢い余って、頭を机の角にぶつけていた。ご愁傷です。


 ヤンスたちが驚いている間に、俺はボスザルの前に立つ。

 うわー、腕っと! こんなのに殴られたらひとたまりもなさそうだ、いやまじで。


「いいよな?」


「……」


 茹橋の前から堂々と目を見る。

 でかい身なりのくせに不安定な教卓の上で、カッコつけてあぐらをかいている茹橋はかなり隙だらけだ。

 それを本人も自覚しているんだろう、なにも言わない。


「オマエ調子に乗ってんなよ!」


 空気を読まないヤンスBに肩をつかまれた。ヤンスCも俺の腕を乱暴につかむ。


「ぼ、暴力はやめてーーっ!!」


 悲鳴に近い叫び声が教室に共鳴し、困惑したヤンスらの動きが止まった。

 叫んだ鶫は、真っ青な顔で唇を震わせている。


「……おい、離してやれ」


 茹橋ゆではしが絞り出すような低い声で命令すると、ヤンスたちは舌打ちして俺から離れた。

 そいつらを一瞥して、俺は鶫の肩に触れる。


「大丈夫か?」


「うん。ご、ごめんね、大きな声出して。瀬戸くんが傷つくと思ったら、あ、あたし、怖くて……」


 鶫に触れた部分から、小さな震えが手に伝わってくる。


「おい、瀬戸」


 不快な声に呼ばれて、チラリと視線だけ向ける。


「次はないからな。おまえはオカマ野郎・・・・・とイチャついていればいいだろ」


 茹橋が下世話に口元を緩めた。

 俺はゆっくりと半身を引き、茹橋をにらみつける。


「おい。それは誰のこと――」


「えっと! 瀬戸くん、ノートだよね、行こっか?」


「……おう」


 鶫が割って入って来てくれたおかげで、我に返ることができた。

 一秒でも遅ければ、茹橋に飛びかかっていただろう。


 鶫を引き離せたら、こいつらにはもう用はない。

 俺たちは茹橋たちに背中を向けて、自分の席に戻った。

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