二人の天使の演奏会

 つぐみに抱きつくなんて、う、羨ましすぎる!!!


 ……という気持ちを抑え込み、泣きわめく女の子をなんとかなだめて渋谷キャットストリートの小さな公園まで連れて行った。ベンチに座らせて、ようやく肩の力が抜ける。


 俺たちの高校は、アパレルの路面店が並ぶ通りの路地裏にある。

 おそらく女の子は、買い物に夢中になった母親とはぐれてしまったとか、そういうところだろう。


「ママー! ママぁー! うえーん!!」


「大丈夫だよー。きっとママも、すぐに迎えにくるよ」


 泣きやまない幼稚園くらいの女の子の前にしゃがみ込んだ鶫は、目線を合わせて優しく声をかけている。

 子どもウケの悪い自覚がある俺は、何もできずに女の子の隣に座っているだけだ。

 この時間、すげー気まずい。


「なあ、鶫。俺、この辺ぐるっと見てくるわ」


「うぅ、瀬戸くんがいなくなっちゃったら不安だよぉ」


 なにそれかわいい。

 俺は一生ここにいることにした。


「オマエさ、どこでママとはぐれたの?」


「うわああああああ! ママぁぁああーーー!!」


 このガキ、なんで俺が声かけたら大泣きなんだ!? 失礼だな!!


「あっ、そうだ!」


 いいことを思いついたとばかりに、鶫がパチンと手を合わせる。

 一体なにを始めようというのだろうか。

 彼女は俺の怪訝な視線など気にせず、優しく女の子の両手を自分の手で包んだ。


「あなたはお歌、好きかな?」


 泣き顔で小さくうなずく女の子に微笑むと、鶫は地面に置いていた小さな箱に手をかけた。


 中から楽器を取り出す。

 よく手入れが行き届いた、てらてらと艶めく茶色のボディ。


 ああ、やっぱり。

 初めて生で見たけど、ヴァイオリンってそんなに艶っぽくて、美しい形をしているのか。


 思わず見入っていると、彼女はそれをすっと顔の側に掲げた。


「じゃあ、いっくよー!」


 こつんとあごで楽器を押さえたのを合図に、重厚なヴァイオリンの音が一矢いっし、春の空気に放たれた。


 顔を涙でぐしゃぐしゃにした女の子も、何がはじまったのかと、ぽかんとしている。


 彼女が紡ぐ力強く伸びやかな一音一音が、肺のあたりをビリビリと振るわせる。


 ――すごい。


 初めて聞いた感動がそうさせるのか、ヴァイオリンの良し悪しはわからないけど、カッコいいと思った。


 俺はなぜか、彼女と交差点で目が合ったときのことを思い出す。


 その時に感じた、近いのに遠いような――切なくて苦しい気持ちが、写し紙のように蘇る。


「あ! きらきらぼしだ。セイちゃん知ってるそれ!!」


 泣いていた女の子は立ち上がると、手を上げて飛び跳ねる。

 それを見て、鶫は微笑んだ。


 彼女が一曲弾き終わったとき、無邪気に手を叩く女の子につられて俺も気づけば拍手をしていた。


「せいかーい、きらきらぼしでした。すごいねー! じゃあセイちゃん、次は歌ってもいいよ」


「うん! うたう!」


「よーしノリがいいねー! じゃあさ、お兄ちゃんも一緒に歌ってくれるかな?」


 チラリと視線が向けられる。


 ん、お兄ちゃん?


「あれ、それって、俺のこと?」


「ヴァイオリン弾いてると、歌えないから。よろしくね!」


「……マジで?」


 まだ誰もやるだなんて言ってないのに、鶫の前奏が始まった。


 嘘だろ、容赦ねえな!?


「――あれ?」


 同じ曲のはずだが印象が違って、俺は一瞬だけ眉を寄せた。

 鶫はニコニコと笑顔のままだ。

 耳をすませてみる。

 なるほどなあ。

 さっきは音を伸ばすような弾き方だったが、今度は跳ねるようなポップな曲調にアレンジされているらしい。


「きーらーきーらっ! ひーかーるーっ!」


 女の子はそのリズムに合わせて、楽しげにぴょんぴょんと飛び跳ねた。


 そのとき突風が吹いて、俺たちの周りにピンクの花びらが舞い散った。


 まるで桜が渋谷の片隅で踊り歌う、天使たちの演奏会を祝福するように。


 その奇跡みたいに美しい光景に、俺はしばらく見惚れていた。



……


…………


………………




 街中でこれだけ派手に歌っていたら、それはそれは目立つわけだ。

 きらきらぼし6回転目でついに母親が現れ、女の子を連れて行った。


「ありがとー、がっきのおねえちゃん! きらきらぼしのおにいちゃん!」


 そして、泣いていた女の子も、去り際にはすっかり笑顔になっていたものである。


「良かったね、お母さん見つかって」


 ヴァイオリンをケースにしまいながら、鶫が思い出し笑いを浮かべる。


「瀬戸くんが盛り上げてくれたおかげだね。ありがとう、きらきらぼしのおにいちゃんっ」


「ふっふっふっ。まあな、これくらいチョロいもんだぜ!」


 最後のほうは俺も高まって即席ダンスを披露したら、女の子も歌うのをやめて手を叩いて喜んでくれてたしな。


 まーそのときに母親が早足で来て、すげー怖い顔で、女の子の手をひったくるように引いて連れて行ったんだけど。


「でも鶫こそすげーな。ヴァイオリンの演奏って初めて生で聴いたけど、素直に感動した」


「ふふふん。きらきらぼしって、ヴァイオリンを始めたばかりの人から弾ける、やさしい曲なんだよ。おちゃのこさいさいだぜ!」


 鶫は張った胸をぽんっと叩いて、わざとらしく得意げな顔を見せる。


 学校で、誰にでも優しくて明るい彼女は、外でも変わらない。


 本当にスバルが言うように、彼女は無理していい人を繕っているんだろうか?


「?」


 などと考えていると、笑顔のまま鶫が首をかしげた。

 ピッと上がった口角は、無理に上げているようには思えない。


 あー、やめだやめだ。

 こんなの、疑うとキリねーもん。なんの根拠もない話で悩むなんてバカみたいだ。


 それに、誰だって裏のひとつやふたつなんてあるだろう。


 俺は、自分が見て、感じたことだけを信じよう。


 そう決めてしまえば、グチャグチャしていた心がスッと軽くなった気がした。


「っと、そういえば鶫、レッスンの時間は平気か?」


「うわっ! どうしよう、まずいかも!!」


「荷物持つから。急ぐぞ!」


「ありがと、瀬戸くんっ」


 彼女の結構な重さのバッグを拾って、小走りになる。

 隣をついてくる彼女と交わす会話は、学校を出たときよりも自然になっていてうれしかった。




  ◆◇◆◇◆◇




「なんと、隣の席ですね」


「……」


 翌日の席替えで「絶対に鶫の隣にしてください」と念を込めたのに。

 そう人生はうまく運ばないらしい。


「なんだ、スバルかー」


「おや、なにか不満でも?」


「いや、知らないやつよりマシだけど」


「マシですか、へえ。それはそれは」


 スバルは鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまった。

 あっ、やべ。思わず大失言しちまった。

 まー、あとで謝ればいっか……。

 でもさー、期待してた分、俺もショックがでかいんだよなぁ……はあ。


「おーい瀬戸くん、プリント取ってよ!」


 前の席にせっつかれて、のそりとスバルから視線を移す。


「……あ」


「ん? なに?」


 前の席の女子が首をかしげる。


つぐみ、さん?」


「うん、鶫ゆゆです! チームきらきら星が集合しちゃったねーなんて。これからよろしくね」


「! よろしくっ!!」


 プリントを受け取ると、彼女がいたずらっぽく微笑んだ。

 そのあまりの無邪気さに目がくらむ。


 さっきの言葉、ばちこりに撤回ッ。

 むしろ俺の人生、追い風が吹いているような気がするっ!!

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