瀬戸奏多は恋に落ちる

 いうて俺らなんてまだ、17年しか生きていないのだ。


 男子の思春期は平均12歳らしい。

 思春期前に好きな人ができるヤツも中にはいるだろうけど、男女を意識し始めてからはたった5年とかだぞ、17歳って。


 恋愛脳はまだ5歳。

 ほぼキッズじゃん。


 そりゃ、会話をしてれば女子の誰が「かわいい」とか「エロい」というのが話題に出ることもある。


 でも「好き」とか「付き合いたい」となると、俺にはよくわからん。

 だってさ?

 あんま関わらない女子より、仲いい友人の方が絶対に大事じゃね?


 それを「男子のくせに意気地がない」とか「瀬戸くんは冷たい」とか、ガムテープを剥がした跡みたいにねちょねちょ言われても、知らんがなと思うわけ!


 でもさー。

 そんな感情が一瞬で裏返ることもあるのだから、恋愛ってのはエグいよな。




「よっしゃ! ついに2年も終わったかぁ。明日から寝放題で遊び放題っ!」


「重いよ奏多かなたくん。それに、きみは春休みに補講があったはずでは」


 高2最後の帰り道、夕方と呼ぶにはまだ早い時間。人でごった返す渋谷の街を、俺と宍戸ししどばるは肩を寄せ合って歩いていた。


 ドチャクソ真面目な親友は、迷惑だという色を隠すことなく、銀縁のメガネフレームを指先で上げながらにらんでくる。


 ひどくね?

 だから俺は、わざと肩を抱いて引っ付いてやるのだ。


「あーやだやだ! うっせーんだよスバルは! いんだよ少しくらいサボったって、進級は決まってんだし。おっ、あの人の頭、ウンコに似てね? ばちぼこに草るわー」


「小学生ですかい」


「あれ、シッ!!」


「……ああ、レトリシャンですね」


「なんでレトが!?」


 よく知っている前奏が耳に飛び込んできて、俺たちは立ち止まった。


 渋谷スクランブル交差点を囲むビルを見上げれば、いつもCMが流れている街頭ヴィジョンがライブ映像に切り替わっていた。

 そこに映るのは、スリーピースバンド「RHETORICIANレトリシャン」。


 インディーズの彼らを知っている人間は、この街でも多くはないだろう。


 最初こそ、みんな何が起こったのかと頭を持ち上げていたが、そのまま見入っている人や写真を撮っている人は少数で、あとはすぐに興味を失って日常に戻っていった。


 だけど、レトの本領はここからだ。


 軽快なEDMに力強いヴァイオリンのが重なり、空気を震わせたとき、人々が気持ち良いほど一斉に天を仰いだ。


 男性ボーカルの高い声とエレクトロサウンド、そしてクラシックのちぐはぐなはずの音がスナップボタンのごとくパチンパチンと気持ちよく融合していく。

 日本にまだ少ない、ヴァイオリンの入ったバンドRHETORICIANレトリシャン

 それは、俺が陶酔しているイットなアーティストである。


 代表曲『パンドラの箱』に耳を傾けていると、顔の前にハンカチが差し出された。

 なんだよと眉をひそめた瞬間、頬の丘陵を何かが滑り落ちる。

 慌てて頬をこすれば、手の甲が湿った。


 げ、嘘だろ……。


 曲が落ちサビに入ってドラムのキックだけが残り、ボーカルの声が渋谷の街に、天啓のように降り注ぐ。


 あ、だめだ。止まんね。


 渋谷のど真ん中で、音楽聴いて泣いてる男とかキモすぎるっ。


 せめてスバルに見られないように顔をそらすと、信号を待つ人々の隙間に現れたダッフルコートの女子高生に目が奪われた。


 みんながスマホをいじっている中、彼女だけ凛と前を向いていた。


 緑のマフラーで顔は半分ほど隠れていたけど、その目には涙が浮かんでいた。


 耳の上で結わいた白い細身のリボンが、彼女の感情の動きを見せつけるかのように、ひらりひらりと風に泳ぐ。

 涙が落ちないよう、彼女が少し上を向いてまぶたを閉じた。


 その横顔が。

 その立ち居振る舞いが。

 渋谷の雑踏の中でたったひとつの神聖なもののように見えたんだ――。


 これほどガン見していれば当然なんだけど。

 ふと彼女と視線がぶつかった。


 その瞬間、俺の視界からその子以外のものが消えた。


 渋谷にいるはずなのに、世界が真っ白になる。

 レトが奏でる旋律の上に、俺と彼女の二人だけが立っていた。


 彼女は恥ずかしそうにコートの裾で涙を拭うと、ぐるぐるに巻いたマフラーを少し下にずらした。


『す き ?』


 形の良い唇が、二文字をかたちどる。


 言葉は理解しているのに、声の出し方がわからない。

 俺が固まっていると、彼女はすっと細い指先で宙をさした。

 そして、涙がこぼれ落ちるのも構わず、目がなくなるまで破顔した。

 それが、とても美しくて――。


「奏多くん、信号変わりましたよ」


「え? あ、うん」


 スバルの声と共に、意識が渋谷に引き戻された。

 促されるまま、俺は歩き出す。

 振り返ると、彼女はまだその場に立ち止まっていた。

 制服は……うちの学校?


「なあスバル」


「はい?」


「俺、春休みの補講出るわ」


「どうしたんですか、急に。熱があるのでは?」


 まさかこの短時間に心が入れ替わったわけじゃないけど、熱なら出ていた。


 今まで感じたことのないほど体が熱くて、沸騰した中身が今にもこぼれそうで。心音がずっとやかましい。


 名前も性格もまったく知らないあの子に、学校に行けば会えるかもしれない――。


 初めての感情に興奮していた俺は、この思いを逃さないようにこっそりと拳を握りしめた。

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