第四章  〈石の目の魔女〉


「この前アデルちゃんに調合してもらった軟膏がよく効いてな。切り傷がすぐに治ったんだ」

「そうなんですか? よかった」

「うちの子も胃が弱くて、しょっちゅうお腹を壊してたのだけど、最近はずいぶん落ち着いたわ。むしろあの甘酸っぱいシロップが大好物で、最近は仮病まで使うようになっちゃったんだから。困ったものだわ」

「まあ。ありがとうございます」

 店を訪れた客と世間話をするのが、最近のアデルの日課となりつつある。開店二日目にやってきた老爺も通い詰め、今やすっかり常連だ。開店してすぐのころは知らない人間と話すことにずいぶんと気後れしたものだが、忙しく日々を過ごすうちにすっかり慣れてしまった。

「じゃあ、また三日後に買いに来るわ」

「はい、ありがとうございます。またおいでくださいませ」

 リリン、とドアベルを鳴らして最後の客を見送る。いつもより早い時間だが、アデルは店の扉の外に「閉店」の看板を掛けることにした。

「今日も忙しかったですねえ」

 すっかり看板猫が板についたノアが、売り上げの銅貨を数えながらしみじみと呟く。アデルは雑巾で棚や台を掃除しながらそうね、とうなずいた。

「もちろん繁盛するのはありがたいことですけど」

「……でも、このままでいいのかしら」

 ホウキを手に、床を掃き清めながらアデルはぽつりとつぶやいた。

「え? 何か言いましたか、アデル」

 独白にも似た主人の小さな囁き声を聞き損ね、ノアが顔を上げる。

「わたしは、本当にこのままでいいのかしらって思うの」

「どうしてです?」

「だってわたし、この町に、というか師匠に弟子入りしに来たのよ。それなのに魔女としての勉強も何もしてないわ」

「何もしてないというわけではないでしょう。薬草の調合だって、調べないでできるわけではありませんし。お客さんの要望を聞いて改善したり、改良を重ねたり試行錯誤してるじゃないですか」

「それはそうだけど……」

 それでも、これで良いのだろうかという疑問は消えない。なるほど薬草の知識は勉強すればするほど身につく。だが、母や叔母がアデルに求めていたであろう、魔女としての才能とはまったく別だ。

(わたしはいまだに、自分には何ができるのかということさえわからないでいる)

 魔女の血統を持つ家に生まれながら、手を使わずにものを動かすこともできないし、未来を予知したり、ひと粒の種から花を咲かせることもできない。

 わたしという魔女の力。魔女としてのわたしの存在。それがきっと、どこかにあるはずなのに。

(見つけられなければ、わたしはきっと家に帰ることもできない……)

 このままトロイメンで薬草屋を営む魔女として暮らすのも、あるいは可能なことなのかもしれない。だけどそれは、本当にアデル自身の望みなのだろうか。

(もともとは、それしかできることがないから始めたことだった。薬草の勉強は嫌いじゃないし、誰かの役に立てるのは素晴らしいことだわ)

 けれど、けれども。自分のなかに迷いがあることも、またたしかなのだ。

(魔女であることを、証明したい?)

 それも、どうなのだろう。魔女であることを証明して、母の待つ家に帰りたいのだろうか。

(わたしはどんな魔女になりたいの? ううん、その前に、わたしは本当に、魔女でありたいの?)

 そう考えたとき、ふっと頭に浮かんだのは〈石の目の魔女〉のことだった。カレッサから聞いた、かつてこの町で猛威を振るっていたというひとりの魔女。

 パトリシア師匠のもとにいたが、離反し、敵対し、敗れたという魔女。すばらしい才能の持ち主だったという。そんな魔女なら、きっと確固たる信念と自信を持っていただろう。もし道を誤らなければ、アデルは今ごろ彼女に会うことができただろうか。

(なにを考えてるの)

 恐ろしい魔女に会いたいだなんて。アデルはため息をつき、表の店から奥の住居へ続くドアを開け――、その場で硬直した。開いた扉の向こうは見慣れた部屋ではなく、まったく異質の空間だったのだ。

「……え?」

「な、なんですか、これ!」

 アデルとノアはそれぞれに驚きの声を上げた。

 目の前に広がる部屋はかなり広いらしく、奥へ続くにつれ薄暗さがどんどん濃くなっている。足元の床は、互い違いに並べられた白と黒の正方形のタイル地だ。その床が闇のなかへまっすぐに続いている。

 アデルは思わずうしろをふり向く。背後はまちがいなく自分の店だ。戸口の向こうだけが、切り貼りしたかのように見覚えのない場所とつながっている。

「どっ、どうなってるんでしょう、これ」

「わ、わからないわ」

 ノアがうろたえたようにきょろきょろと前後を見回すが、アデルにだってわからない。

「でも、とにかく進むしかないみたい」

 思い切って一歩、床に足を踏み出してみた。その瞬間、アデルが踏み出した足元からぱあっとまばゆい色が広がった。またたく間に空間が明るくなり、そこに恐ろしいほどの蔵書量を持つ書架が整然と並んでいるのがはっきりと認識できた。明かりが灯されたわけではないのに、床や天井、それから壁一面を埋め尽くす書物の背表紙までもが、自ら光を放っているかのようにはっきりと読める。

 視覚とほぼ同時に、かび臭さにも似た、古い紙の匂いを嗅覚に強く感じた。長いときを経た、書物独特のかおり。しかも尋常な数ではない。

 まるで、千年もの眠りについていたものたちが急に眠りから醒めたように、アデルには思えた。

「わ、わあ、なんですかこれ!」

「すごい……」

 自然と感嘆のため息が漏れる。目の前に広がる光景に、ただただ圧倒されて見上げるばかりだ。

「なんて魔法の力なの」

 興奮と期待に胸をどきどきさせながら、アデルは本棚のひとつに近づいた。たわむれに本を一冊ぬきだし、手にとって眺める。新品なのではと思えるほど、表紙にはきずも汚れも見当たらない。

 表題には『妖精奇譚』とあった。トロイメン地方で使われている言語で書かれた童話集のようだ。隣を見ると『氷姫』、『狼と狐の知恵くらべ』、『ドーマ国戦記』、『千夜一夕物語』、……どうやら子どものための物語ばかりが並んでいるらしい。

「アデル、こっちにもまだまだたくさん本棚がありますよ!」

 たたっと駆け出して行ったノアが奥から叫ぶ。アデルはふっと周囲を見渡した。図書館。知の結晶。

(もしかして)

 ここが、必要としている魔女の前にあらわれるという、〈英知の館〉なのだろうか。それならば、カレッサの言葉の意味に得心がいく。まさしく魔女の技術の粋を集めてつくられた知の殿堂だ。

 だが、なぜだろう。はじめて来たはずなのに、アデルはこの場所を知っているような気がした。

(実家にあった図書室に似てるから、そう思うだけ?)

 子どものころ、好きでしょっちゅう入り浸っていた。だがもちろん、これほど広くはなかった。叔母の家に図書室はなかったし、ほかに思い当たる部屋もない。

 そのとき、バサッ、とかすかに音がした。見ると、ふたつむこうの棚の前に本が床に伏せた状態で落ちている。どうして落ちたのだろうとふしぎに思いながら、アデルは本を拾うために身を屈めた。

 その瞬間、首筋にひやりとするものを感じた。はっとして背後をふり返ったが、特に変わったものは見当たらない。周囲はしんと静まりかえり、誰かがいる気配もない。

 だがなぜか、視線を感じて落ち着かない。書架という書架に目が張りついて、こちらをじっとうかがっているような――。自分の想像にぞっとして、アデルは思わず身をすくませた。

(そうだ、ノア)

 いつの間にか、かたわらにいたはずの白猫の姿がない。慌てて拾った本を隙間に戻し、アデルは周囲を見渡した。

「……ノア?」

 おそるおそる呼びかけてみるが、返事はない。

「ノア、どこ?」

 急に迷子になったような気持になり、アデルは思わず声を張り上げた。そのとき、視界のすみをさっと何かが素早くよぎった。

「ノアなの?」

 棚のうしろに回ってのぞきこむが、何もいない。首をかしげていると、再び目の端に動く影がひっかかる。慌ててその後を追った。

「ノア!」

 見失った、と思うたびに謎の先導者は物陰から物陰へと移動し、思わせぶりにアデルを誘う。怖い話を読むとき、恐怖を覚えながらもページをめくる手が止められないように、不安と好奇心が煽られ、気づかぬうちにどんどん先へ進んでいた。

(ノアなら、こんないたずらなことはしない)

 頭ではとっくにわかっていた。だいいち、主人の呼びかけに答えないような使い魔ではないのだ。

 しかし引き返そうかと足を止めると、まるで挑発するかのように何者かの影が視界をよぎる。こっちだよ、こっちだよ、と。

結局、この謎を解明したいと思う気持ちのほうが勝って、アデルは歩き出した。規則正しく続く棚が視界を狭めているとはいえ、一方向にむかっているので迷う心配はない。

 そうこうするうちに、書架の列が途切れた。影が最後の本棚のむこう側にさっと回ったので、アデルも急いであとを追う。だが、そこには誰もいなかった。どんつきの、行き止まりにあったのは一枚の扉だ。

(また扉?)

 この向こうにも別の部屋があるのだろうか。アデルはドアノブをつかみ、回しながらゆっくりと扉を押した。

「……誰か、いるの?」

 殺風景な小部屋だった。奇妙なことに書架が一つもなく、正面奥の壁に一枚の大きな姿見がかけられている。

 そこにゆらりと人影がよぎったので、アデルは小さく息をのんだ。

 精緻な銀細工に縁取られ、くもりひとつなく磨き上げられた鏡の表面には、アデルの全身がくっきりと映し出されていた。左右逆さまにむかいあった少女はやや不安げな表情を浮かべ、卑屈な目つきでこちらを見返している。

(なんだ、わたしじゃないの)

 当たり前だが、鏡に映っているのは自分自身だ。しかし、こんなに大きな姿見を見るのは久しぶりで、アデルは思わず目をそらした。

大きな鏡は苦手だ。より正確に言うと、そこにあますところなく晒された自分自身の像を眺めるのが。

 魔女たちが呪具として扱うもののなかでも、鏡は特に大きな意味合いを持つ。物事を正確に反射して映す――という特性自体が強力な魔力を帯びており、おもに魔法を破るときや、他人に不利益を与える呪いに用いられることが多い。

(でも、どうしてこんなところに?)

 なんとはなしに不吉な予感を覚え、アデルは思わず後退しようとした。その背中を、ドンと強く突き飛ばされる。

「えっ!?」

 こらえきれず、アデルは奇妙な小部屋に足を踏み入れ、そのまま四つん這いに倒れこんだ。床に伏せる寸前、膝頭を打ちつけてしまい、脳天まで痺れるような痛みが走る。

「……っ――」

 だが、痛みに顔をしかめる間もなく、背後で扉が閉まる気配がした。肩越しにふりむき、アデルは絶句した。狭まりつつある扉の隙間からのぞいていたのは、くちびるを不気味にゆがめた小さな人形だった。

 瞳の下にある青い雫型の化粧。月と星模様の派手な衣装は一度見たら忘れられない。新しい魔女が来た、とトロイメンに到着したばかりのアデルを出迎えた道化人形。色違いだが、まったく同じ顔をした人形を、アデルはブルーノの家でも見ている。

(あの子は!?)

 人形はニィッと満足気な笑みを浮かべた。その顔が扉によってどんどん隠れていく。

「ま、待って!」

 痛む膝頭をおさえ、慌てて扉に飛びついたが遅かった。扉はぴたりと閉ざされ、握ったドアノブすら動かなかった。恐怖で全身が粟立つ。

「開けて! 誰か開けて! ノア!」

 ひとしきり扉をたたき、必死に叫んだが、なんの反応も返ってこない。どくどくと心臓が早鐘を打って、背中に冷たい汗が噴き出す。

(閉じこめられた)

 膝が砕け、アデルはその場にぺたりと座りこんだ。好奇心は猫をも殺すとは本当だ。深く考えもせず、うかうかと誘いに乗った我が身を呪った。

「どうしよう……」

 呆然としながらつぶやく。永遠にここから出られないかもしれないという恐怖以前に、事態についていけず思考がまとまらない。

(だいじょうぶ、落ちついて。少なくとも、ここにわたしがいることをノアは知っているんだもの)

 ノアが誰かを――カレッサか、ブルーノか、助けを呼びに行ってくれたら。時間はかかるかもしれないが、きっとここから出ることができる。だから大丈夫。

 そう信じようとしても、どうしようもなく心細かった。


 ――……ル。


 はっとして、アデルは顔を上げた。いま、誰かが自分の名を呼んだように聞こえたのだ。

 自分のほかに、何も存在していないはずのこの部屋で。

 ひとりぼっちでいることを心細いと感じたばかりなのに、今度は自分以外に誰かいるのが怖いと思うなんて。胸をおさえながら、アデルはおそるおそる背後をふり向いた。

 だがやはり、部屋の中には何も――ネズミ一匹の姿さえない。大きな鏡以外は。

(……鏡)

 勇気を出し、ふらふらとした足どりで鏡に近づくと、そこに異常はないか手で触れて確かめようとした。が、寸前でその指がびくりと止まる。

 反転した世界から、同じようにこちらに手を伸ばす少女が口の端をつり上げたのだ。それは本物アデルには決してできないような笑い方だった。罠にかかったネズミを眺める猫のような。

 そのくちびるがゆっくりと動いて、言葉をかたちどる。アデルはその意味を正しく汲んだ。

『ミ ツ ケ タ』

「あっ!」

 言葉と同時に、ずるり、とガラスの表面から白い手首がにじみ出てきた。

理解の範疇を超えた恐怖に、アデルは声も出ない。がたがたとふるえながら、慌てて後ずさろうとしたアデルの手首を、相手が素早くつかんだ。

「……っ」

 ぞっと怖気がした。まるでひとのものとは思えない、氷のような冷たい感触。ふりほどこうとしたが、ものすごい力で引き寄せられそうになる。アデルの喉からついに悲鳴がほとばしった。

「い、いやあっ! はなして!」

 そこへ、この事態を打ち破るように、背後の扉の向こうからノアの叫びが聞こえてきた。

「……アデル! そこにいるんですか、アデルっ!」

「ノア!」

 鏡面の少女が顔を醜くゆがめ、いっそう力をこめてきた。腕が痛むのにもかまわず、アデルは必死でもがき、激しく暴れた。

「た、助けて! このままじゃ向こうに、引き……こまれ……」

「アデル!」

 ノアにもどうすることもできないとわかっていながら、それでも助力を願わずにはいられなかった。アデルが悲愴な声を上げた瞬間、扉の向こう側で慌ただしく何かが動く気配がした。

「扉から離れろ!」

 ノアではない男性の声。バン、とはじけ飛ぶような音を立てて扉が開き、外からものすごい速さで黒い影が飛びこんできた。それはそのままアデルの横をかすめて通り過ぎ、鏡に勢いよく衝突する。

 がしゃん、と甲高い音を響かせてガラスが粉々に砕け散った。とっさに腕を上げて顔を庇おうとしたが、その前に腰をつかまれ、ぐいっと力まかせに引きよせられる。

「きゃあっ!?」

 混乱のまま、足がもつれて倒れそうになるところを、誰かががっしりと抱きとめてくれた。

「アデル、無事か!?」

 気づかう声に見上げると、銀の髪の青年がこちらを見下ろしていた。アデルは目を瞠る。

「ソ、ソル――」

「立てる?」

「あ、は、はい」

 問われて、自分が彼の腕に支えられていることに気づき、アデルは慌ててソルジュから身を離した。

「ワズロア!」

 アデルにはそれ以上かまわず、ソルジュは鏡の下に急いで駆けよった。粉砕されて散らばったガラス片の中央に、黒い鳥が横たわっている。彼の使い魔だとすぐにわかった。

 部屋に飛びこんできた黒い影はカラス、鏡を砕いたのはその嘴だったのだろう。正面から体当たりしたのなら、大きな衝撃だったはずだ。アデルが駆けよろうかと迷っていると、戸口に恐る恐る顔をのぞかせたノアが、待ちかねたように腕のなかに飛びこんできた。

「アデル!」

「ノアっ?」

「よかった、無事で! 本当に本当に心配したんですよ!」

「ご、ごめんね」

 甘えるように、ノアはアデルの胸元にぐりぐりと頭を押しつける。アデルも思わずノアの身を強く抱きしめた。そのあたたかさに心底ほっとして、涙が出そうになった。

「でも、どうしてここがわかったの? それに……」

 アデルはちらりとソルジュを窺った。なぜ彼がこんなところにいるのかと、二重に疑問がわく。ノアはわかりませんと首をふった。

「アデルを捜してうろうろしてたらあのひとが……、いきなり現れてついて来いと言ったんです。おかげで見つけられましたけど。アデルこそ、いったい何があったんですか?」

「それが……ノアを見失って捜していたら、いつの間にかここに。たぶん、おびきよせられたんだと思う」

「おびきよせられた?」

 誰にですか、とノアが聞く。アデルはぎゅっと眉根をよせた。

「前に見た、あの道化の人形に」

「ええっ? あいつがまた出たんですか!」

 アデルはうなずいた。ノアとはぐれてからの経緯を手短に話すと、聞き終えた使い魔は不安そうにひげをそよがせた。

「そんなことが……。本当に、なんなんでしょう」

 どういうことなのか、アデルにもわからない。だが、自分は何者かに狙われているのではないか、ということは薄々わかってきた。

(だって、あの鏡の向こうにいた誰かは言ったんだもの)

 ――見つけた、と。

 アデルはノアをもう一度ぎゅっと強く抱きしめ、床に放してやってから、アデルは屈みこんでいるソルジュに近づいた。彼は使い魔のワズロアをそっと抱え、ゆっくりと立ち上がったところだ。

「あの、その子……、ワズロアは大丈夫ですか?」

「かるい脳震盪を起こしているようだけど、死んではいないよ。きみも知ってるだろうけど、おれたちの使い魔はふつうの動物より丈夫だから」

 カラスの頭を静かに撫でながら、ソルジュは淡々と答えた。使い魔の容態を気づかいながら、同時に無事を確認して安堵したらしい。アデルは深々と頭を下げた。

「ありがとうございました。危ないところを助けて頂いて」

「いや、おれは何もしてないよ。礼ならこいつに言ってやってくれ」

「はい。そうします」

 アデルは素直にうなずいた。

「ソルジュさ……ソルジュはどうしてここに?」

 訊ねると、彼はばつが悪そうな表情になった。

「きみを訪ねて来たんだけど、予想よりも早い時間に店が閉まってたからね。あきらめて帰ってもよかったんだけど、なんとなく嫌な予感がしてさ。悪いと思いながらも中に入らせてもらった」

 なぜかわからないが、ソルジュは嘘をついている、と直感した。全部が嘘ではないが、事実のすべてを話しているわけではないと。

「そしたら家のなかが変なふうに別の空間とつながっていたから。もしかしたらアデルも迷子になってるんじゃないかと思って」

「別の空間……」

「魔女なら、きみも名前ぐらいは知ってるんじゃないかな。ここは〈英知の館〉さ」

 やっぱり、とアデルは思った。

「『必要としている魔女のもとにあらわれ、必要でないもののもとには決してあらわれない』」

「その通り」

 カレッサの言葉を引用すると、ソルジュは出来のいい生徒を褒めるかのようにうなずいた。

「わたしが必要としていたから、師匠の家と〈英知の館〉が繋がったんですか?」

「さあ、どうだろう。おれにはわからないけどね」

 とソルジュは肩をすくめた。はぐらかすような物言いがアデルのこころに引っかかる。追求しようと口を開いたとき、ソルジュの腕の中でカラスがもぞもぞと身動きした。

「お、寝坊すけがやっと目を覚ましたぞ」

 腕を広げてやると、ワズロアはばさっと翼を広げて肩の上へと移動した。主人の肩に乗ったワズロアはじろりとアデルを睨んだ。鳥の表情を読むのは難しいが、好意的な目つきでないことはわかる。ノアが主人に近づくソルジュを信用できないように、ワズロアにも思うところがあるのかもしれない。

「ありがとう、ワズロア。助けてくれて」

「……どういたしまして」

 礼を言うと、ぼそぼそとした答えが返ってきた。本意でなかったと言わんばかりに、声に不機嫌さがにじみ出ている。

「悪かったな、ワズロア」

 ソルジュが労わるようにその頭をなでようとすると、「今回だけだからな」とワズロアは翼で邪険にその手をふりはらった。

「こんなむちゃくちゃなことやるのは」

「わかってるさ、恩に着るよ。……ところで、あっちはどんな様子だと思う?」

「ありゃあ本体じゃないが、衝撃は大きかったはずだ。しばらくは動けないと思うぜ」

「ならよかった。一矢は報いたな」

「人形のほうはどうなった?」

「おれが来たのを知って撤退したようだ。あいつ、逃げ足だけは早いから」

「そうか」

 いかにも面倒だ、とばかりにワズロアは嘆息する。はたで聞いているアデルにはもちろんなんのことかわからない。

「あ、あの……」

 アデルが思い切って話しかけると、ソルジュとワズロアは同時にぴたりと口をつぐんだ。

「うん?」

 なんだい、とソルジュが首を傾げる。いささか白々しいとも思える仕草に、アデルはぐっと言葉に詰まった。

「どういうことなのか、教えてもらえませんか」

「何を?」

 とぼけられて怯みそうになる。助けを求め、足元のノアを見ると、言ってください、とばかりに大きくうなずいた。自分を叱咤して、キッと顔を上げる。

「さっきの道化の人形、以前も見かけました。わたしがこの町に着いた直後です。なのに、あの子はわたしが魔女だと知っているようでした」

「…………」

「それに、今回のことも。あの人形は、あんまり考えたくはありませんが、わたしのことを狙って、罠を仕掛けたように思えます」

 実際には罠とも呼べないし、うかうかと誘い出された自分が間抜けなのだが、ひとまずそれは横に置いておく。

「教えてください、あなたは知ってらっしゃるんでしょう。あの道化のことも、それに、あの鏡――」

 興奮して詰め寄るアデルを押しとどめるように、待ってくれ、とソルジュは言った。

「とりあえずこの陰気な部屋を出ないか。これ以上ここにいたら気分が悪くなる」

「……はい」

 促され、アデルはしぶしぶうなずいた。全員でぞろぞろと小部屋を出る。出たとたん周囲の風景は一変し、もとのパトリの家に戻っていた。驚いてふり向くが、鏡のあった小部屋も、無数の書架も、跡形もなく消えてしまった。

「あっ!」

「も、もとに戻った?」

「あそこは本来、〈英知の館〉にはない部屋だったんだ」

 驚くアデルとノアに、ソルジュが淡々と答える。

「この家と〈英知の館〉がつながったのとおなじ現象だよ。誰かがさらにあの小部屋を魔法で無理やりつなげたのさ」

 道のないところに、道をつなげる。それがどれほど強力な魔法なのか理解して、アデルは言葉を失った。だがそれを行ったのは、いったい誰?

 強い魔法の力。アデルを「新しい魔女」と呼び、罠にかかったところを見つけたと言った。鏡の向こうに居た、自分ではない誰か。

(鏡……)

 ふと、鋭い光のようなひらめきが頭の片隅できらりと光った。

「……石の、目?」

 アデルが小さくつぶやいたその瞬間、ソルジュばかりかその肩を止まり木にしていたワズロアまでもがぎょっとしたように目を瞠った。

「きみは、いったいどこでその名前を知ったんだ?」

「それじゃ、やっぱりあれは石の目の――」

 言いかけたアデルの口を、ソルジュが慌てて手でふさいだ。

「そこまで。『魔女の名ひとつ唱えるときは』?」

「――『なべカマ暖炉にふたをしろ』」

 塞がれた口でもごもごと格言を続けると、ソルジュがようやく手を離した。

「そう、その通り。きみをここへおびき寄せたのは彼女らしい。あの道化の人形は彼女の使い魔だ。名前まではおれも知らないけどね」

「じゃ、じゃあ……」

「彼女は恐ろしく強いし、執念深い。この町に新しい魔女がやってきたとどこからか知って、狙っているんだろう」

 アデルは絶句した。

(やっぱり、狙っているのは、わたし?)

 カレッサは、かつて〈石の目の魔女ローセリナス〉は無差別に魔女を襲って魔力を奪っていたと言っていた。だが、自分の師であるパトリシアと対立し、敗れたのだと。

(でも、彼女は生きていて、トロイメンのどこかに潜伏しているって……)

〈石の目の魔女〉は今も魔力を欲している。そしてそのために、魔女の減ったこの町に新しくやってきたアデルに目をつけたというのか。

「でも、どうしてわたしなんかを……?」

 なんの力もない落ちこぼれなのに、と胸の中だけでつぶやく。

「なぜかはおれにもわからない。おれが知っているのは、彼女が魔女と見れば襲うことと、魔法の力を必要としているということだけだ」

 声もなく青ざめるアデルと、そんな主人をおろおろと見上げるノアに、ソルジュは苦笑したようだった。

「大丈夫だよ、そんなに怯えなくてもいい。彼女も四六時中きみを見張ってるわけではないだろうし」

「でも……」

 不安な色を隠せないでいるアデルを見つめ、彼は「そうだ」と手を打った。ごそごそと懐を探る。

「よかったら、これを渡しておこう」

 近づいてきたかと思うと、彼はいきなり腕をつかんだ。驚いたアデルが逃げる隙も与えず、すばやく袖をまくりあげて手首に輪を通した。

「これはなんですか?」

 手首を眺め、困惑しながら質問すると、「お守りだよ」と返された。

「おまもり?」

 アデルの髪に似た黒い糸を編んで作った腕輪のようだった。留め部分のところに、赤いザクロのような石が穴を開けて通してある。いにしえの魔女たちが好んで作ったという魔除けの輪に似ていた。

 ソルジュはにっこりと笑って、

「そのなかにはおれの髪を一本編みこんであるから、気やすめぐらいにはなると思う」

「気やすめ、ですか?」

「うん。もしまた魔女に襲われそうになったとき、きみをすぐに助けられるように」

(わたしを、まもる?)

 どういうことなのだろう、とアデルは手作りらしい腕輪を見つめた。だが、気休めだろうとたんなるお守りだろうと、ソルジュがアデルの身を案じてくれたものには違いなかった。

「……ありがとうございます。大事にします」

「うん」

 深い感謝の念をこめて礼を言うと、ソルジュは目を細めた。そのまなざしは間違いなく、あたたかいものだと断言できた。ことん、とアデルの胸の奥の奥で、何かが動いたような音がした。

「あの、でも、どうしてここまで気にかけてくださるんですか?」

目線を合わせて問うと、ソルジュは苦笑とも、気まずさともとれるような曖昧な表情でわずかに視線を逸らした。

「どうして、か。そうだねえ……」

彼は思案するように首をかしげ、いたずらっぽく笑ってこう答えたのだった。

「兄弟子だから、かな」



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る