第一章 魔女の街トロイメン



「――アデリエル!」

 名を呼ばれ、アデルはびくりとして目を覚ます。慌てて魔法書に伏せていた顔を上げると、そこには自分を見下ろすエスニダ叔母の厳しい表情があった。

「さぞかし良い夢を見ていたのでしょうね。勉強中だというのに、よく眠っていましたよ」

「え……?」

 眠って、いた?

 このごろ見る夢はやけに鮮明で、たまにどちらが現実でどちらが醒めれば消える幻なのかあやふやに思えるときがある。内容自体は覚えていないのだが、その手触りや、夢の中で自分が抱いた気持ちがはっきりしすぎて、夢だったような気がしない。

 このときも、ちょうど混乱の境にあり、アデルはぼんやりした顔でただ叔母を見上げるのみだった。その反応がいっそう叔母の怒りを煽ったのだろう、彼女は深いため息をつき、諦観とともに吐き出した。「失望しました、アデル」という最後の言葉を。

「あなたは我が一族のなかでも特に優秀な、魔女イレーナのひとり娘だというのに」

 エスニダの言葉は刃物のようにアデルの胸を突き刺す。

 純血の魔女の家系に生まれながら、アデルにはまったくと言っていいほど才能がなかった。叔母の娘、つまりアデルにとっては従姉妹にあたるメニエルが、言葉を覚えたとたんに羽ペンを宙に浮かせたり、花のつぼみを開かせることができたにも関わらずだ。

 母が幻滅するのも当然だろう。性格的にもうまが合わなかったという理由もあって、十五歳になると同時にアデルは叔母の家に里子に出された。だが結局、その叔母も匙を投げるのに二年とかからなかった。

「姉のたっての願いだったからあなたの教育を引き受けたけれど、やはりわたくしも力及ばなかったようで、残念です」

 嘆息交じりの台詞に責められているような気がして、アデルはいたたまれずに叔母の言葉を聞いていた。

 メニエルが、叔母の背後からべーと赤い舌を出している。いい気味、と言わんばかりだった。おそらく勉強している最中に眠ってしまったアデルのことを、告げ口したのは彼女なのだろう。

 思えばこの年下の従姉妹は、初めて出会った折にアデルを頭のてっぺんからつま先まで眺めた挙句に鼻を鳴らし、「わたし、陰気くさい女は嫌いなの」と言ってのけた娘である。アデルはよくよくこの性質の人間から嫌われる性分らしい。

「まったく、貴重な魔女の血が――」

 近年、魔女たちの存在は減少の一途を辿っている。

 魔女とひとまとめに言うが、それは女性のみを示す言葉ではなく、古来より知恵や秘術、すなわち薬草学をはじめとする天文学や占星術といった専門的な技、また治療や助産、祈祷や祭礼儀式といった生活に密接に結びついた行い――をひとびとの代表として執り行ってきた者達を広く指す。男性の場合、いささか古風な言い回しをすれば〈術師〉や〈賢人〉などと呼称される場合もある。

 そのなかでもアデルの家系は、呪文、あるいは複雑な紋様を用いることによって空中を歩いたり、火種のない場所で炎を熾したりと、知恵や知識では得られない――世に〈魔法〉と分類される――力を有している者を多く輩出してきた一族だった。そして、魔法を行使する力はおしなべて先天的な才能であり、血によってのみ継承される。ゆえに魔女の子は一部の例外を除いてすべて魔女となるが、必然的に血は薄まる傾向にある。

〝地に力は満ち満ちて〟と古い祭礼の歌にあるとおり、かつては偉大な力を有する魔女たちが各地に存在し、彼女らを頼って訪れるひとびとを導いていた。しかし幾百年、数世代を経ていくうちに純血の魔女は数を減少させ、もはや今、残っているものはひと握りのみとなってしまった。

だからこの血をまもり、絶えぬよう、受け継いでいくことが急務とされているのはアデルにも理解できるのだが。

(仕方ないわ、わたしは落ちこぼれだもの)

 アデルは叔母に気づかれないよう、こっそりため息をつく。

「まったく、おまえがついていながらなんですか、ノア」

 作業台の上では、アデルの使い魔である白猫ノアが、自分も叱られているかのようにしゅんとしていた。おそらく眠ってしまった主人を起こそうと何度もアデルの名前を呼んでいただろうに、その結果がこの有様ではノアも立場がない。叔母の怒りの矛先がノアにまで及びそうになり、アデルは急いで口をはさんだ。

「叔母さま、ノアは悪くありません」

「お黙りなさい! 口ごたえは許しませんといつも言っているでしょう」

 頭ごなしに叱咤され、アデルは黙った。口ごたえなどしているつもりもないのに、どうしてわかってもらえないのだろう。歯噛みする思いでくちびるを閉じると、エスニダは今度こそあきらめきったようなため息をつき、

「トロイメンは知っていますか、アデル」

 と、唐突にある地名をあげた。トロイメン――西方にある大きな町の名前だ。都会というほどではないが、少なくともアデルの生家や叔母の家のあるここよりはずっと大きく、賑やかであることは知っている。

「はい」

「そこにパトリシアという高名な魔女がおられます。直接的にはわたくしも知りませんが、イレーナとも相談して、あなたをその方に預けることにしました。ご本人にも、すでにその旨をお伝えして、了承を頂いています」

叔母は懐から蝋で封じた一枚の羊皮紙を取り出し、急な展開にいまだ戸惑っている姪の手に押しつけた。

「委任状を書いておきました。これを持って、トロイメンへお行きなさい」

「えっ……でも」

「あなたのことは、今後パトリシア師にあずけます。わかりましたね?」

「……はい」

 否も、応もない。あのときと――母から家を放逐されたときとまったく同じだった。

 アデルは紙切れ一枚と小さな旅行用のトランクを持たされ、それまで世話になった家からふたたび放り出されたのだった。


        *


(これって、態の良い厄介払いじゃない)

 叔母の言いつけに従って、トロイメンの鉄道駅のホームに降り立ったアデルは、深々と嘆息した。

「疲れました? アデル」

 足もとのノアが心配そうに見上げる。思えばどこへ行くのにも、この使い魔だけはアデルにつき従ってくれた。生家を出るとき、はじめて顔を見合わせて以来、ノアはずっとアデルの一番の理解者だ。

「ううん、だいじょうぶよ」

 首をふるが、ノアの表情は晴れないままだ。

使い魔ノアにまでこんなに気を使わせるだなんて。わたしってどうしてこうなのかしら)

はあ、と無意識のうちにまたため息をついてしまう。ノアが気がかりそうな表情で主人を見上げたが、結局それ以上はなにも言わなかった。

 丸いドーム状の屋根をもつトロイメンの駅舎では、新聞売りや果物売りが練り歩いている。その間を縫うように、列車から降りてきた他の乗客たちとまじって、アデルは石造りの駅舎を出た。

そのとたん、華やかな音楽と紙ふぶきが、アデルの全身をつつんだ。

「あ、え、な、なに!?」

 驚きで戸惑っていると、つぎつぎに大勢の人の手がさしのばされる。

「トロイメンへようこそ、旅のみなさま!」

「さあ、魔女のお祭りだよ!」

「えっ、あの、ちょっと……!」

 驚くほどの人だかりだ。大半が若い男女だが、子どもも老人もいる。駅舎の入り口を輪になって囲むように、民族衣装らしきものを着た町の人々が駅舎から出てきた旅人を笑顔で出迎えていた。

「アデル、どこですか!」

「ノア!? 姿が見えないわ!」

 あっという間に人だかりに囲まれ、使い魔の姿を見失う。動揺と困惑でおろおろしていると、のばされた腕の一本がアデルの手をつかんで引いた。

「ようこそトロイメンへ、新しい魔女さん」

 まるで淑女をエスコートする紳士のように、その手の主はアデルを優しく誘った。

 長身痩躯の青年――のようだった。というのも、相手が目元を銀の仮面で覆っているために、容貌がよくわからないのだ。一見道化のように見えたのは、襟や袖にレース飾りのある、黒を基調としたシンプルな服に身を包んでいるためだった。

だが何より、服との対比も鮮やかな銀の髪がうつくしく、アデルの目を惹きつけた。

「お祭りだっていうのに、ずいぶんと地味な格好をしているね」

「!」

 仮面で目元を隠した青年が、芝居がかった口調で言う。瞳は見えなくても、そのくちびるのかたちから笑っていることがわかる。

 混乱していたのと、自分の姿を笑われたという羞恥に口もきけないでいると、青年は両手でアデルの肩に触れた。

「どうせだったら、そうだな。三、二、――」

 一、という掛け声とともに、アデルの姿がぱっと変化した。

 肩に羽織っていた旅用のコートは薄手のショールに、コートの下の灰色の普段着は、フリルやレース、リボンを使った若草色の明るいエプロンドレスに。そして履き古した皮のブーツはかわいらしい飾りのあるフェルトの靴に変わった。

 光沢はあるが重たいばかりだった長い黒髪も、こまかく編まれて結い上げられ、まるで舞踏会に招待された良家の娘のようになった。

「ほら、これでお祭りらしくなった」

 どこか誇らしげに青年が笑う。あまりの驚きで何も反応できないアデルの手をとり、別の女性に委ねる。

「かわいいかわいい。よく似合ってるよ。さあ、行っておいで」

「あ……」

 囁くような彼の声に背中を押される。肩越しになんとかふり向くが、たくさんのひとの波に紛れ、青年の姿はあっという間に見えなくなってしまった。

 周囲をよく見ると、アデルのほかにもドレスや燕尾服といった華やかな服装の人間がいる。おそらく先ほどの青年に同じように姿を変えられたのだろう。彼らは目を丸くしつつも、すばらしい手品のようだと笑って受け入れていた。

(いまのひと、いったい――)

「もっと楽しんで! お祭りなんだから!」

 疑問に頭を悩ませるひまもなく、今度はアデルの手をつかむ娘に白い花冠を乗せられた。

 まるで夕日で染め上げたように鮮やかな赤毛をした娘は、いくつもの花冠を腕にとおしていた。通りかかった人間の頭に、かたっぱしからそれを乗せていっているらしい。年齢はアデルと同じぐらいか、少し年上のように思えた。

「あ、あのっ、これは……?」

 頭にかぶせられた花冠を押さえながらアデルが訊ねると、赤毛の娘はさらりと答えた。

「魔よけよ、知ってるでしょ。フリーデの花」

 フリーデの花は知っている。だがアデルが聞きたいことはそれではない。

「これは魔女のお祭りなの」

「ま、魔女の?」

「この町の伝統なの。本当のお祭りはひと月後なんだけどね、今日は前夜祭ならぬ前月祭り。予行みたいなものよ」

 その返答にも、アデルの困惑は深まっていくばかりだ。

「まあせっかくだから参加していって」

 赤毛の娘は器用に片目をつむり、アデルの手をとってくるりと回転させた。アデルはそのまま、あっという間に踊りの輪のなかに放りこまれてしまう。

 押し合いへしあいする人々の間から、どこからともなくアコーディオンの陽気な音楽が流れ、手拍子と歓声がそれを迎えいれる。

(ど、どうしたらいいの)

 混乱していると、右隣にいたおじいさんがあきれ顔で話しかけてきた。

「何をじっとつっ立ってるんだい、お嬢ちゃん。輪になって踊るのさ。ほら、足はこう動かす」

「えっ、こ、こうですか?」

 すると今度は、左隣にいた浅黒い肌の少年がけらけらと笑った。

「へったくそだなあ。ちがうよ、ステップを踏むのさ」

「うぅ……、こ、こう?」

「そうそう、うまいうまい。簡単だからすぐに覚えられるって。ほら、また音楽がはじまるよ!」

「は、はい!」

 手をたたき、足でステップを踏むひとびとにまじり、アデルも見よう見まねで隣の人間と呼吸を合わせる。止まるとひとりだけ悪目立ちしてしまうため、否が応にも踊るしかなかった。

 笑っているひとびとの輪のなかで回っているうちに、アデルはなんだかいろいろなことがどうでもよくなってしまい、気がつけば自身も声をあげて笑っていた。――自分でも、久しく聞いていなかった笑い声だった。


        *


 はあはあと肩で息をしながら、アデルはやっとの思いで人だかりをぬけ出した。

 激しい喧騒と人の波にもみくちゃにされ、酔ったように足もとがふらつく。ようよう大通りをはずれた薄暗い路地に飛びこむと、執念で主人を見失うまいと追っていたノアが、同じく騒ぎの輪をぬけ出してアデルのそばに駆けよった。

「だいじょうぶでしたか、アデル?」

「な、なんとか……」

 ぐったりとしながら民家の塀に背中をもたれる。笑って歌って踊ったのだ、すさまじい疲労感だった。

「熱烈な歓迎でしたね」

 ノアもげっそりした顔だ。

「珍しいですねえ、魔女のお祭りなんて。魔女ってそれほど市民権を得ているものでしたっけ」

「わたしも、魔女なんて昔ながらに隠遁しながら暮らしているものだと思ってたわ。いまじゃ迫害されるようなことはなくなったとはいえ……」

「この町では違うんですね」

 だが大騒ぎしたせいか、逆に知らない町に対する気後れも憂鬱な気分も吹き飛んでしまった。どうとでもなるだろうという、捨て鉢とはすこしちがう、前向きな気分になっている。

 あらためて自分の姿を眺めてみると、身につけているものはすでに華やかな服装ではなくなっていた。トロイメンに到着する前から着ていた、灰色の野暮ったい普段着だ。

 いったいいつ魔法がとけたのだろう。まったく気づかなかった。ほっとすると同時に、少しだけ残念なような気もした。

 しかし、なにより驚いたのは、旅行用のトランクをちゃんと手に握ったままだったということだ。途中からその存在すら忘れ、踊りの輪のなかにいたときは他人と両手をつないでいたというのに。

 祭りの騒動からぬけ出してきたと同時に、手のなかに湧いて出たとしか思えなかった。おそらくこれも、すべては魔法なのだろう。あの銀髪の青年の仕業だ。

「世の中には、あんなすごい魔女もいるのね」

「え、何か言いましたか?」

 思わずぽつりとつぶやいたアデルを、ノアがふしぎそうに見上げる。アデルは慌てて首をふった。

「あ、ううん。ごめん。なんでもないの」

 首をふったと同時に、頭の上に乗せたままだったフリーデの花冠がずり落ちた。魔法で変えられた服はもとに戻ったが、冠はかぶったままだったのだ。

 とっさに押さえようとしたまさにそのとき、強い風が吹いてアデルの髪を乱した。

「あっ!?」

 花冠は地面に落ち、車輪よろしくころころと縦に転がっていく。慌てて拾おうとのばした手をかいくぐり、花冠は逃げる。

「あ、ま、待って」

 焦って追うアデルとノア。花冠は白い花びらを散らしながら地面を進み、誰かの足にぶつかったところでようやく止まった。

 小さな靴を見て、最初は子どもかと思った。だが、関節をぎくしゃくと折り曲げた手で花冠を拾い上げたのは、道化師の姿をした人形だった。

「え……?」

 身の丈はアデルの膝の高さほど。人形は黄色の星と月が装飾された赤い衣装に身を包んでおり、吊り手もそれを操る者もないというのに、二本の足でしっかりと地面に立っていた。木で出来た顔は無表情で、これといった喜怒哀楽は見られない。ひとつだけ特徴があるとすれば、瞳の下に描かれた青い大きな涙型の化粧だった。

「に、人形?」

 ひとりでに動く人形に警戒したノアが足元で毛を逆立てる。アデルがおそるおそる近づくと、道化人形は服と同色柄の帽子を手に、まるで歯車かゼンマイで動くからくりのように、奇妙にぎこちない仕草でお辞儀をしてみせた。

『ヨウコソ』

 歓迎の言葉は、だがしかし発音も音程も微妙にはずれていた。何かうすら寒いようなものを感じ、アデルの背中がひやりとする。

『ヨウコソ、ヨウコソ。トロイメンヘヨウコソ』

 節をつけて歌うように繰り返しながら、人形はぎくしゃくした動きで踊る。くるくると、狂気と歓喜を表現したような螺旋の動き。花冠を手にしたままひとしきり回り終えると、ぴたりと止まり、真正面にアデルを見据え、道化人形はニィと口角をつり上げた。

『待ッテイタ! 新シイ魔女ノ到来ヲ!』

 ――新しい、魔女。

 ざわりとアデルの全身が総毛立ち、ノアが威嚇のうなりをあげる。

 人形は残忍な笑みを浮かべ、手にした花冠を引きちぎろうとした。腕の関節がぎしりと軋み、編みこまれた花の葉と茎がたわむ。壊れる――、アデルがそう思った瞬間、背後から第三者の声が割りこんできた。

「やめろ。それは彼女のものだ」

 ピタリと手を止め、人形は弾かれたように顔をあげる。

 アデルの背後から、長身の青年が姿を現した。珍しい銀の髪に見覚えがある。アデルの服を魔法で変えた、あの青年だ。

「返せ」

 彼が言う。いかにもさりげない口調だが、有無を言わさぬ迫力があった。

 人形はしばし手の中のものを眺めていたが、急に興味が失せたらしい。玩具に飽きた子どものような無頓着さで冠を投げ捨てると、足の関節を曲げ、全身をバネにして跳躍し、民家の壁をかるがると飛び越えてしまった。

 その姿が視界から消えると、青年はぱちんと指を鳴らした。すると、地面に落ちていた花冠がふわりと宙に浮かび、彼の手元へと飛んできた。

 手にしたとたん、すでに限界がきていたのか、冠はほどけ、ちぎれた花の茎と花びらがばらばらと地面に散らばった。

「ああ、遅かったか。破られたな……」

 無念そうにつぶやき、青年は唯一手に残っていたフリーデの花の一本を、呆然と見ていたアデルの髪に挿した。

「よくお似合いですよ、お嬢さん」

 その目元はさきほどのように仮面で隠されてはいない。灰色がかった紫色の瞳がわずかに細められ、こちらの姿を映している。

 年齢は、おそらく二十歳ぐらいだろう。凛とした眉に深い鼻梁。薄いがやけに優美な印象を与えるくちびる。男女問わず、これほど端整な造作をしている人間をアデルは見たことがなかった。

「災難だったね」

茫然自失のアデルに、彼はにこりと微笑した。見とれていたことにはっと気づき、アデルは赤面しながら慌てて視線をそらす。

「す、すみません」

 何に対する謝罪か自分でもわからないまま頭を下げる。青年はふしぎそうに首をかしげた。

「あっ、あの」

 話しかけようと顔を上げると、瞳を見つめて微笑まれた。急いでうつむ、動揺を隠す。

 さっきの人形がなんなのか知りたかった。それに、祭りで服を変えてもらったお礼もまだ言えていない。伝えたいことがあるのに、どうやって話せばいいのかわからない。女系家族で育ったアデルは、いままでほとんど異性と接した経験がなかった。

「何か訊きたいことがあるのかな?」

 質問を促すようだが、真正面から訊ねられるとかえって言いにくい。

「いえ、あの……や、やっぱり、なんでもありません」

 アデルが首をふると同時に、青年は何かに気どられたような表情で頭上を仰いだ。つられて見上げると、バサバサという羽ばたきの音とともに、空から黒いカラスが舞い降りて来た。大きな羽根をたたみ、いとも優雅に青年の肩に着地する。

「どうだった、ワズロア?」

 驚いたことに、青年はごく自然にカラスにそう訊ねた。いかにも人間くさい仕草でカラスが首を横にふると、彼はわずかに眉をしかめ、小さくつぶやいた。

「そうか。気づかれただろうな」

 それから視線をアデルに戻し、

「失礼。何かお困りのことがあるなら、おれでよければ相談にのるよ」

「いえ、いいんです」

 急いで首をふる。ワズロアと呼ばれたカラスが丸い瞳をきょろりと動かしてこちらを凝視したので、アデルは落ち着かない気分になった。

 成鳥にしてはやや小柄だが、湾曲した嘴は刃物にも似た鋭さがあり、指を差し出せば簡単に噛みちぎられてしまいそうだ。アデルの足もとでは、ノアが新たに登場したカラスを警戒し、毛を逆立てている。ノアが飛びかかるのではないかとはらはらしていると、青年がにこやかにアデルに話しかけてきた。

「トロイメンに来たのははじめて?」

「は、はい。今着いたばっかりで」

「そう。でもそんなに不安に思わなくていいよ、ここは魔女の町だから」

「魔女の町……?」

「そう。おれはもう行くけど、何か困ったことがあったらいつでも相談してくれ。力になれるかもしれない」

 そう言って、芝居がかった仕草でお辞儀をひとつ寄越した。

「おれの名前はソルジュ。近いうちにまた会おう、アデル」

 呼ばれた名前にぎょっとなる。しかし声を上げる間もなく、目の前にいたはずのふしぎな青年は煙のように消えてしまっていた。


        *


「ソルジュとかいうあの男、魔女だったんですね」

 ノアは先刻からしきりに尻尾を左右に揺らし、苛立ちをあらわにしていた。

青年とごく自然にやりとりを交わしていたカラスは彼の使い魔だったのだろう。即座に「同属」だと見抜けなかったことに、ノアは憤慨やるかたない様子だ。

「そうね。わたしなんかとはくらべものにならないほどすごい魔女だわ。一瞬で姿を消すなんて、とても高度な魔法だもの」

「でも虫の好かないやつでしたよ。なれなれしくて」

 ノアは鼻を鳴らした。うさんくさい男が主人に近づいてきたことがよほど気に入らないらしい。

「きっと悪いひとじゃないわ。助けてくれたのだし、親切心で声をかけてくれたみたいだもの」

「もうっ、アデルは人が好すぎます! あんな男、たしかに見てくれはよいんでしょうけど、性根はどんなものかわかったもんじゃありませんよ。おおかた――」

「ノアったら。あまり知りもしない人のことを悪く言うものじゃないわ」

 やんわりとたしなめると、ノアはしぶしぶ引きさがった。

「それにしても、なんだったんでしょうね、いったい。あの薄気味悪い人形も」

「そうね……」

 アデルは上の空で返事をした。

 明確な意志をもち、ひとりでに動く人形。物を操る魔法か、あるいはかりそめの命を無機物に吹きこむ魔法か。前者なら近くにそれを操る人間が必要だし、後者ならかつては錬金術としてあつかわれ、現在はほとんど失われた恐ろしく高度な魔法である。

 だが問題はそこではない。

(あの人形、わたしのことを『新しい魔女が来た』と言った)

 人形はアデルのことを知っていた。それに、あの銀髪の青年ソルジュもだ。名前だけではない、彼はここは魔女の町だから不安に思わなくてもいい、とも言ったのだ。アデルが魔女であることを知らなければ、そんな台詞は出ないはずだ。

 彼らはなぜアデルのことを知っていたのだろう。そしてそれは、一体どこで?

 ソルジュがアデルの髪に刺したフリーデの花にそっと触れる。魔よけの白い花。アデルの一番好きな薬草でもある。恐怖に負けてしまわないよう、アデルは小さな声で魔よけのまじないをつぶやいた。


        *


 日も暮れはじめたころ、ようやく辿り着いた家は木組みと煉瓦塀の造りで、薬草の束が意匠化された小さな看板が軒先にぶら下がっていた。よくよく見ると、そこには小さな文字で《魔女の薬草屋》と書かれてある。玄関の扉の表面には魔除けらしき緻密な紋様が彫りこまれ、いかにも魔女が住む家だと思わせた。

「ここよね……? 薬草屋とあるけど、お店なのかしら」

「そのわりにはお客もいないようですけど」

 手荷物を下におき、アデルはあたりをうかがった。民家が並んでいるというのに人の気配がほとんどない。周囲はひっそりと静かで、まるで時間が止まっているかのようだ。

「ごめんください」

 扉の横についた呼び鈴を鳴らしてみたが、反応がない。

 左腕に抱いたノアと視線を交わし、アデルはひとつうなずくと、扉の取っ手を握った。回してみると、動く。鍵は掛かっていないようだ。

 木戸をそっと押し開き、隙間から「すみません」と声をかけてみたが、やはり応答はなかった。

「留守みたいですけど、買い物にでも行ってるんでしょうかね」

「だとしたら鍵をかけて出ない?」

「かけ忘れたとか」

「お店なのに?」

 問答の末、おそるおそるのぞきこんでみたが、室内は真っ暗だった。誰かがいるような気配もなく、不気味なほどに静まり返っている。

 暗闇でも目の利くノアが断言した。「誰もいません。真っ暗ですよ」

「やっぱり留守みたいね。扉の前で待ちましょう」

 やってくる人間はいないかとアデルが路地のほうをふり向いたとたん、ノアが腕の中から飛び出し、隙間からするりと室内に身体を滑りこませた。

「ノア!」

 アデルは慌てて後を追う。足を踏みいれると、ギッと木の床がきしむ音がした。

 なかは薄暗く、一瞬目がくらんだアデルは棒立ちになった。闇に目が慣れるのを待って、あたりを見回す。

 入ってすぐの玄関は、何もない正方形の部屋だった。奥に続く扉がひとつ、中央に四角い作業台のような机と椅子がひとつずつあるほかは、家具が何もない。生活臭は感じられず、かすかに感じたのは、ミントやセージ、カモミールなどの薬草の匂いだった。それにまじって、どこかひんやりとしてかび臭いにおいも。

(まるで、誰も住んでいないみたい……)

 寒気にも似た不安に、アデルは身をふるわせる。

「アデル」

机の上に鎮座し、こちらに背を向けているノアが主人の名を呼んだ。

「もう、勝手に入っちゃだめじゃないの」

 叱りながらアデルが近づくと、ノアが見てください、と無言で卓上を示す。そこに、真鍮の鍵をおもしにして一枚の羊皮紙が置かれていた。

「……これは?」

 手にとって羊皮紙をながめる。窓からの光源でなんとか読める最初の文面には、魔女のことばで『親愛なるアデリエル』とある。どうやら自分宛らしいとわかり、アデルはそのまま読みすすめた。


『親愛なるアデリエル


まずは、はじめまして。そしてようこそ、新しい魔女さん。

 あなたへの出迎えが、こんなかたちであることを許してください。事情があって、私は現在ここにはいません。理由は言えないのですが、姿を隠さなければならなくなったのです。

 はじめて来た土地で心細い思いをしているあなたをほうっておくのはとても心苦しいのですが、しばらくの間どうか辛抱してください。

この家にはあなたに必要なものをすべてそろえました。なんでも好きに使って下さい。なるべく早くあなたの顔が見れることを願って。――出会える日まで。


                              パトリシア 


追伸、あなたに渡すものを隣人に預けてあります。長旅で疲れているでしょうから、落ち着いたらその方から受けとってください。事情も伝えてあります。   』


「そんな……」

 文末に署名があるそれは、紛れもなく新しい弟子へ向けた手紙だった。

 ノアが気遣うように見つめたが、アデルは言葉もないまま立ちつくすしかなかった。


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