第5話 川中島 雲行

   川中島 雲行


 「バス停を降りて徒歩5分にある4階建の自宅ビル。その3階にある会計事務所が川中島のオフィスだよ。ほらあれ」後ろから肩越しに指差した方に『川中島会計事務所』と書かれた看板があった。

「徒歩2分もかかってないね」バスを降りてまだ少ししか歩いてないのにシャツと背中の間の湿度が上がっている。インターホンを押して挨拶。この流れにもだいぶ慣れたものだと思った。少し前は押す前に結構ドキドキしてだけど今は何の躊躇もなく人差し指に力を入れられる。

「やあ、久しぶり」スーツにスキンヘッドの優しそうな40代紳士といった感じの人が出迎えてくれた。


「そうか、久しぶりとは言ったけど覚えてる訳ないか。あの時はまだ髪があったしな」肌色の頭部を擦って川中島さんがはにかむ。「それにしても早いもんだ。あの幼児がイケメンに成長してるとは。それは俺もハゲるわな」明るくしているが年上のしかも働き盛りの人にハゲネタをされると本当に反応に困ってしまう。下手に乗って怒られるのは嫌なのでスルーしよう。

 「会ってくれてありがとうございます。染谷さんについて色々教えてください」

「ああ、さて何から話そうか」


「猪狩はそんな事を言ってのか」ため息と鼻で笑う間の音を出して川中島さんは困った様に笑った。

「はい、あんまりいい印象はしなかったです」

「ははは、正直だな。若い頃は素直な方がモテるぞ」胸ポケットから加熱式タバコを出して身振りで吸ってもいいかと問われ、どうぞと掌で合図を返した。

「まぁ、腹黒いよりは悪戯好きなかなアイツは」タバコをふかして一呼吸おいて教えてくれた。「あえて猪狩の話に合わせていくつかエピソードを挙げるとするか」

 それからは今まで話を聞かせてくれたどの人達よりも楽しい時間だった。染谷さんが中一の時に教師の見えない所で悪さをする不良がクラスメイトの財布を盗んだ時に目撃者の一人として呼ばれた際に上手く他の生徒と話を合わせるように目撃証言をでっち上げ、それによって不良が退学になった話。

 染谷さんと同じ部活に所属していた性格の悪い同級生が高二になってハブかれ始めるその三年前から避け始めて自分が他の同級生たちから頼られない様に立ち回っていた話。この二つは事実だけなら腹黒いと十分に思えるが、川中島さんの巧なトークで逆に先見の明がある様に感じられた。

 川中島さんは話の合間に冷蔵庫からスポドリのペットボトルをこちらに投げた。遠慮する間も無く彼は缶コーヒーの蓋を開けて飲み干した。「まだまだあるぞ」

 高校の体育祭の時、二人の母校に独特な騎馬戦があって、何でもその騎馬戦は騎馬の上に乗る人の頭に紙風船をつけスポーツチャンバラの刀を持たせて行うものらしい。普通の騎馬戦のルールに加えて頭の紙風船が割れてもその騎馬は死亡扱い。人馬族はハンデとして刀は無しの素手で行う。

 体育祭の準備委員だった彼は自分のクラスを勝たせるためにスポチャンの刀に細工をしてそれが見事にハマり騎馬戦でクラスは全勝を収めた。ただ証拠の一つを回収し忘れて危うく不正がバレかけた。この話はすごくヒヤヒヤしてつい手に汗握ってしまった。

 また大学生の時に、巨大ネット掲示板7ちゃんねるの心霊板に『適当な心霊スポットでっち上げてオカ板住人釣ろうぜ』というスレッドを作り別の小さな掲示板の有志たちと協力し私鉄終点駅の近くにあるただの雑木林を心霊スポットにして立てあげた。しかもそれは僕も友達から聞いたことのあるそれなりに有名な場所だった。どんどん大事になり流石にヤバイと感じたらしくその雑木林近くにある神社に謝りに行きお祓いもしたそうだ。話が起承転結二転三転として当事者でも無いのに楽しくなりこれからの高校・大学生活に夢が膨らんだ。

「アイツは人外っ娘、ああ完全なスラングだから学校では言うなよ。今言えば普通にゲンコツ食らうから」

 次の話は、元々乗馬が出来る染谷さんが競馬場でばんえい競馬の馬を見てその大きさに驚き、いつか北海道の牧場でばんえい馬に乗って走り回りたいと友達と喋った。なぜかその話が彼は貧乳女子に価値はないと伝わりその翌々日昼休みにクラス委員長の女子がその件についてそれとなく染谷さんに問い正そうとしてその中で彼が「大きい方が気持ちがいいと思う」発言した。ここまでは大きな馬の方がいいと言う話と思っている男子と胸の話だと思っている女子の話のすれ違いに過ぎないが、しかし相手が悪かった。委員長は人馬族であるケンタウロスでありクラス一の絶壁女子だったのだ。かなりの剣幕で迫る委員長に訳もわからぬまま「だって背中に乗って腹這いになって体を預けた時に大きい方が・・・ 」言い切る前に委員長前足を持ち上げ踏みつける。間一髪でそれをかわし「何で委員長がキレてるんだよ。それに委員長はA位だろ」

「私はBだああぁぁっっ」


「それから昼休みが終わる10分前までの30分以上をアイツは逃げ続けた。学校の敷地内、校舎体育館プールに部室棟、校庭テニスコートに講堂旧校舎。障害物を上手く使って、不規則にコースを変えて委員長が走れなくなるまで逃げ切った」コメディからのアクションに僕は映画を見ている様だった。

「まあ、委員長があんなに怒ったのは女子にとって最大コンプレックスの一つである胸を突かれた事が同時に誇り高き武士の名誉を傷つける二重攻撃だったんだろう。アイツにとっての不運は話の内容を勘違いしている事に気付けなかった事と、周りが面白がってあえて指摘しなかった事と人馬族の先生が風邪で休んでた事だな」

「偶然って重なるんですね」

「事実は小説より奇なりってやつ。委員長は追いながら周りの物を投げつけて鬼の形相鬼気迫る。相撲部の鬼族がドン引きしてたからな」

「まるでお笑い芸人のコントみたいですね」

「そう言って貰えるのは嬉しい限りだ。そんな感じでなかなか運の悪い奴だった。そう運が悪かっただけなんだ… 」川中島さんは遠い目をして加熱式タバコにスティックを刺した。

「あの時も、たまたま新型の伝染病が世界的に流行して、多くの店が閉まっている中東京で最初に再開したゲーセンに初めて訪れた帰りに間違えて遠回りになる道を選んだら、たまたま車を盗んだ精神病患者に引かれるなんて、な」寂しさと悔しさが混ざった様な静かな語り口は一瞬こちらを責めたととられる言動をした事の謝罪をしている様だった。

「君を責める訳じゃないと前置きをした上で聞いて欲しい。幼児が道路に飛び出すなんて小学校から自動車学校まで教わるいわば常識的な行動だ。たまたま飛び出した君をアイツは救った。運転してた野郎の精神状態が通常じゃなくてもとっさの判断ミスで避けきれなくても不思議ではない。車が道路脇の山壁にぶつかった衝撃で壁が崩れてその岩の破片がアイツの腹を抉った。不運な偶然が重なった。ただそれだけなんだ」

「・・・」

「何か含みのある言い方ですね」

「あ、あの辺りは新興宗教団体が根城にしてる位のパワースポット、要は霊山で帝都でも1番心霊スポットの多い地域でもあるからなぁ」一瞬焦りが感じられた「連れて行かれたのかもなぁ。もし事故の原因だとか真実を調べる気なら辞めておけよ」こちらに正対して目をしっかり合わせて「助かった命を危険にさらす必要はないんだ」

「きっと大丈夫です、よ」川中島さんは目を見開く。しかしすぐに元に戻り

「アイツが守ってくれるとか? 」

「はい、きっと」

「何だろう、普段の俺ならそういった軽口は怒るはずなんだが。それに俺も何でアイツが守るとか言ったんだ」川中島さんは腑に落ちた様なそうでは無い様な感覚で今日は寝不足かもしれないとティシュの上に置いたタバコスティックの吸殻をまとめてオフィス端のゴミ箱に捨てに行った。

 その後ベンツで駅まで送ってもらう途中の車内ではラジオを聞きながら川中島さんは思い出話をしてくれた。

 

 「あれは警告だったのかな」

「俺は警告より心配されてた気がするが」

「あんなこと言うなんてやっぱり事故じゃないの? 」僕はかねてよりの疑問を口にした「川中島さんも言ってたけど流石に怪しいよ。それにたまたま飛び出したって言われたけどお母さんはあの時僕が、お化けが出て怖くて逃げたって言ってたし、そのお化けが誰かのお手製だったら」

「憶測だな。もし事故じゃ無いとしてもその証拠がない。だからこそ事故扱いなんだ。ただ… 」強風とセミが僕らの前を横切り顔を背けた「ただ確信してる。あれは殺人だ」証拠云々は無くても真実を確信しているその声に背筋が凍る。僕は嫌なはずの暑さを思い出すために軽口で

「もしかして僕、狙われてる… ? 」

「それなら何で12年たった今でも殺されてないんだ」

「確かに」即答されてほっとした。「次はお母さんだね」ある訳ないと思ってはいても他人の言葉で否定されるまで安心できない。そんな心情だった。もしも殺人だったとしても当時の事を知らない上覚えてない僕には何もできない。

「そう言えば川中島さんの名前の雲行_《うんぎょう》って何? 」

「日本書紀の衣通郎姫_《そとおりのいつひめ》の歌から取って、何でも、恋しい人が来てくれる期待を込めた歌らしい」

「何だか雅な名前だね」

「ただ同時にすごく強い妖怪が現れる時の歌でもあるらしい」

 少しばかりの恐怖心を煽るひぐらしの鳴き声。自宅最寄駅の改札を出て自転車を漕ぎ進め数分落ち始めの陽を進行方向を見据えた。向こうの空は藍色なのにこちらはオレンジ色、東雲って言ったけ、逢魔時を駆け僕は帰路を急いだ。

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