第4話 猪狩雄介

   猪狩雄介


 足立区にある一軒家。案内された一室に壁一面に大きな水槽。その手前に4人がけのソファーで足を組んでいる男が猪狩雄介さん、である。背は高めで細身、短髪に赤縁メガネに細いつり目がこちらを覗き込む

「で、何が聞きたいんだっけ」堂々というよりは尊大な態度。聞いたところによると大手家電量販店の本社でエリアマネージャーをしているらしい。

「その、綾地さんから染谷さんの事を聞くのには… 」

「ああ、いいから、そういうの」話を遮られてしまった。「まず結論から話さないと就職面接の時に困るよ」

「はぁ」

「ま、いい。アイツについて聞きたいんだろう」はぁっと聞こえる様にため息をついて猪狩さんは話し始めた。


「あいつは中学一年の時に同じクラスで、言っちゃ悪いが中の下くらいの能力の人間さ。小学校と違って中高になると全員が周りを気にして比べ合う。やれ運動が出来るとか、テストの点が良いだとか、イケメンだとか。

 運動もテストも基準がしっかりあってどっちの成績が高いかすぐ分かるだろ。イケメンかどうかも好みはあっても最大公約数的に判断できる。俺はテストの点も体育の成績も言い方だし、喧嘩も強い。剣道四段あるからな。それに美人の彼女、今は夫婦であいつが事故る2年前に結婚した。可愛い子供もいる」そう言って立てた親指で後ろの水槽を指す。水槽の中で人魚の兄妹が縦横無尽に飛び回っていた。

 「完全勝ち組。ま、それもちゃんと勉強して努力して得たものだから疾しさもない。君はちゃんと勉強してるかい? しないと負け組になっちゃうよ」いかにも誇らしげに語る姿に目を細めて愛想笑いしか出来なかった。勝ち組負け組なんて言葉は前にバラエティ番組であった懐かしい言葉特集で聞いたきりで現実で使う人に初めてあった。「俺みたいに幸せになりたいなら都立じゃなくて偏差値の高い高校か大学に行くといいよ」

「・・・」

「猪狩さん達が通っていた頃の偏差値って40代って聞いたのですが… 」一瞬苦虫を飲む顔をした猪狩さん

「法改正前だから今の数字とは一概に比べられないから」少しイラつた様だ。高校生相手にわかりやすくマウントを取るなんて恥ずかしくないのかな。口に出さずににこやかな表情で無害な子供を装った

「全て数字で判断出来るわけじゃないから。あくまで比べる事の重要性を説いただけだ」

「はぁ」バツの悪そうな表情で猪狩さんは学生時代について色々話してくれたが綾地さんの言う通りで嫌っていた事は確かな様だ。

「そんなに仲がいいわけじゃない。あくまでクラスメイト、同級生、そんな仲だよ。アイツは別に大した実績があった訳でもないし、ちょっと変わった奴だよ。怖い不良でもオタクでも陰キャでも関係ないって顔でいつもいやがる。自分は誰とでも同等な存在だって考えられる特別な人間なんだ、って思ってる厨二病的考えの持ち主だよ全く。いるんだよね自分が頭のいい存在だと勘違いしてる奴。

 こっちがどんなにイジろうが、ミスを冷やかそうが気にも留めない。ムカツク存在だった」なんだろうこの人。ただの性格悪い人じゃないか。一応目の前で話している人の命の恩人に対してよくここまでこき落とせるなぁ。最初は自分も苛立っていたけどここまで来ると呆れて逆に落ち着いてしまう。

 「大人になっても俺が色々な情報仕入れて仲間内に小出しで披露していてもアイツは全部の答えを言っちまう。そのクセ自分が知らない事はすごい素直に聞いてくる。御朱印集めがブームになって俺が始めた時にアイツはもう10冊目に突入していた。ただ妖怪系の神社や曰く付きの神社ばかりを巡っていたみたいでそれをなじった時もそう言う考えは相性が悪いなんて堂々と言い返して来て」そういう姿が俺を特にイラつかせた。そう言いたげにしたところで水槽から水しぶきが飛び兄妹達が出てきた。

 七歳くらいの女の子が水槽から滑り台になっている部分を使い猪狩さん元へ降りた。猪狩さんから耳打ちを受け。赤い鱗のついた尾びれを左右に振り、進化の過程で小さな脚に変化したしりびれをよちよちと動かし近づいて

「お兄ちゃん。こんにちは。猪狩みぃ子です」

ちゃんと頭を下げて挨拶をしてくれた。僕もそれに答えた。挨拶が終わると彼女はそそくさと猪狩さんの後ろに恥ずかしそうに隠れてしまった。後ろから見ると黒いフリルの付けヒレをしていた。

「よしよし、ちゃんと挨拶出来て偉いぞ」タオルで頭を拭きながら撫でると嬉しそうにきゃっきゃと笑った。お兄ちゃんの方も降りて高学年男子らしい元気な挨拶をして妹の手を引いて奥にはけていった。お兄ちゃんの鱗は少し紫に近い赤色だった。

「可愛い子達だろう」猪狩さんはさっきと打って変わってすごく上機嫌だ。「自分は親バカにならない。甘やかさずにしっかりと躾をする。なんて豪語してたけど生まれた時からもうベタ惚れだよ。マーフォークと結婚するなら水辺じゃないと難しいなんて常識明治からあったらしいけど、今は科学技術やなんかでどうにでもなるから助かる。水槽だけじゃなくて色々な工夫をしたんだよ。この床も一見フローリングに見えるけど、靴下を脱ぐと分かると思うけど、珪藻土に特殊な加工がしてあって水分の吸収排出をするばかりかカビも生えない上マーフォークをはじめ人体への影響もない… 」オッホンと咳払いをして自分を戒めた様だ。

「すまない。ちょっと興奮してしまった」

「大丈夫です。ご自慢の自宅なんですね」

「ああ、子供もそうだがこの我が家も話せば一晩では終わらない」少しご機嫌な様子だ「確実に減ってはいるが、戦後八十五年も過ぎたのにまだまだ多くの国で亜人種差別はある。どうかあの子達が大人になる頃にはそんな心配がなくなってくれるといいのだが」性格悪い人でもこうやってみると普通の優しくいいお父さんなんだなと感じられた「さて大体話せたと思うがどうだ」

「大丈夫です。ありがとうございました」

「それは何よりだ。子供達を置いて行けないから玄関までの見送りで我慢してくれ」

「気にしないでください」

 玄関で見送られる時上の階のベランダから先ほどの兄弟が手を振ってくれた。

「どうだ、いいだろう。この光景をアイツが見たら絶対に羨ましがるだろうな。」嫌いではいたのだろうが流石に少し寂しさを漂わせてた。「資格も年収も地位も女も俺の方が上なのに負け組のくせにそれを気にもとめない。俺の方が常識人で多数派な一般人。アイツだって普通の人間なのに俺の事を認めようとしない」

「・・・」

「他の人と同じだったと思われていたとかですか? 

「そう! それだ。俺はアイツや他の人より優れているのに認めない。下のアイツが俺を他人と同じ様に扱うなんて悪い冗談だよ、全く」綾地さん、この人と合わせてくれてありがとうございます。たった1時間位で今までで1番の反面教師に出会えました。

 「そうだ、アイツは本心を見せない腹黒だぞ。アイツの親友の川中島に聞いてみろ。俺の知らない腹黒エピソードがわんさか出て来るはずだ」

「何か腹黒いエピソードを知っているんですか」

「俺は知らない。だが絶対腹黒いはずだ」

「お父さん〜 私のヒレも黒いよ〜 」猪狩さんは聞こえてたのかと少し驚いた様子で

「それはみぃちゃんが自分で着けたからでしょうっ」

「あの、失礼しますね」

「ああ、恥ずかしい所を見せてしまった。ま、気をつけて帰りなさい」


「どうだった、猪狩から話を聞いてみて? 」彼の家を出てからの帰り道。まだ15時過ぎの高い太陽とアスファルトから照らされた国道沿いの歩道は気温以上の暑さを押し付けて来る。

「なんか偉そうなおっさん」だよな、とニヤニヤ笑いながら進む姿に口では言えない嫌な気分に僕はなっていた。

「なんでそんなに笑ってるんだよ。自分の思い通りにならない相手を一方的に嫌って、しかも実際知ってる訳でもないのに勝手に腹黒いとか決めつけてそんなのおかしいじゃないか」暑さで少し興奮しているのだと自分に言い聞かせた

「人間なんてそんなもんさ」少し遠くを見る様な目をして「世の中に色々な人がいて皆違う考え方を持って暮らしている。猪狩は勝手に嫌っているけどそれはおかしい訳じゃない。よくある考え方をする一人で最終的にそう結論付けただけだ」

「その考え方絶対良くない。変えさせないとダメだよね」

「それは違う。どんなに自分と違う価値観と考え方を持っていて、自分が正しいと思っていてもそれを押し付けるのはただの不寛容で傲慢な行いだよ」

「でも」

「俺も猪狩の考え方が正しいとは思ってないよ。猪狩は猪狩の、俺には俺の、お前にはお前の考え方がある。誰が正しくて誰が間違っているではなくて皆違う。それを認めて自分がどう行動するか決める。相手が間違っているから正す、じゃなくて相手の考えは自分と相容れないから妥協点を探す。正義なんて相対的なもの。それを押し通すのはただの我儘だよ」

「むむむ」言い負かされてさっきの興奮が冷め額の汗をハンカチで拭いた。

「まあ高校生には難しいかな。大人の_《たわごと》戯言だと聞き流しておいてくれ」またニヤついた。こっちの気も知らずにと思うがこの炎天下で熱くなる気はもう無い。

「子供を言い負かすのは性格悪いかな」自覚していると言わんばかりにけらけらとした顔が僕の背中に感じられた。

「そういえば暑くないの」駅前の大時計にある温度計は37℃を表示していた。

「昔は暑いの苦手だったなぁ。ただ大きくなるにつれて大丈夫になった感じがする。運動とか身体鍛えるとだんだん耐えられる様になっていったよ」

「そんなもんなの。僕はいぃぃっつも耐えられる気がしないけど」

「そんなもんだ。俺だって昔はもやしっ子ですぐ風邪引いてたし」

「ふぅん」

「早くクーラーの効いた所行こうぜ」

「耐えられるんじゃないの? 」

「それはそれ、これはこれ」僕もそろそろ限界だった。駅構内にあるコンビニに逃げ込み別世界の涼しさを感じたかった。「取り敢えずポカリ買って水分補給しとけよ」

「奢ってよ」

「無理無理、自分で払いな」

「ちぇ」奢れないのは分かってはいたけど暑さで判断が鈍ったことにしてドアの開閉ボタンを押し、日本の夏を一番感じるオアシスへ踏み込んだ。

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