第42話 母との再会。
朝、目を覚ますと、隣にグーグーがいなかった。
いつもならば、くっついていないときには寒さを感じて目覚めるのにもかかわらず、今朝はぐっすり寝ていたのだが、その原因は明らかだった。
プントである。目が覚めると、目の前にあったのはグーグーに比べてやわらかい毛がみっしりと生えたプントのおなかだった。十分にあったかく、心地よかった。
いつか顔をうずめるのが夢だった猫のおなかである。僕はそこに沿うように寝ていたらしい。よく、プントに蹴られなかったものだ。
まだよく寝ている猫妖精をそっと伺い、そーっと顔を腹毛に埋めてみる。柔らかな猫の毛は犬に比べると密で、意外に苦しい。そして、少し料理のにおいとお日様のにおいがするものの、犬と比べてあまり匂いはしなかった。
しばし、ゆっくりとモフモフ具合を堪能してから顔を離す。顔に細くて柔らかな毛がいくつかついて、ちょっぴりかゆかった。
それから深呼吸する。息を止めていたので酸素が必要だったのだ。そして、体を起こしてあたりを見回した。
だが、グーグーの影も形も見当たらない。いつもする、お日様のにおいも感じられなかった。
「グーグー? いないの、グーグー?」
声をかけても反応がないのは、契約してから初めてだった。一瞬焦ったが、自身にまとわりつく魔力の気配があるから、契約が切れたわけじゃない。ちょっとだけほっとして、意外に自分がグーグーを大事に思っていたことに気が付いた。
なんとなく手持無沙汰で、扉の方をぼうっと見つめていると、後ろで動く気配がして、プントの目が空く。
「んにゃーうぅ。……起きたのにゃ?そんじゃ、朝ご飯にするかにゃ」
大きくあくびをして、縦横に伸びたり縮んだりしながら、プントがそういった。食べられてしまいそうに大きな口からは、存外華奢な前歯がのぞく。真っ白で立派な牙以外は意外に小さい歯だった。
「おはよ、プント。うん、ご飯にしよう。結構お腹減ってるかも」
お腹をさすってみれば、結構空腹だった。くーというささやかな主張を始める。意識するまではお腹は鳴らないのに、したとたんに鳴るのだから、不思議なものだ。
「いいことにゃ」
むふーっと息を吐きだしながら満足げに言い、眼が三日月のように細くなる。妙に見守られている気がする。プントはきっと僕の保護者枠である。
今朝は、初めて一緒に朝食を準備をした。尤も、前日にパンケーキの種を仕込んでおいてくれたから、載せる具材を準備して、種を焼くくらいだけれど。一緒に料理をするという行為が久しぶりだから、ちょっと楽しい。
「なかなかうまいにゃ。いつでもソフィの家来になれるにゃ」
「そう? 結構家事は慣れてるから、うれしいな」
手際をほめられ、頭を肉球で撫でられる。よく使っているせいか、思ったよりは固い。
それでもぷにぷに弾力のある巨大肉球は気持ちよかった。人ではなく猫に褒められたのは初めてである。ちょっと不思議な気分だった。
「プントはグーグーの行方知ってる?」
たずねると、ちょっとだけ目を動かし、ぷふっとため息をついてから教えてくれた。
「……あの犬は、お前の祖父のところに行っているにゃ。あの呪いの指輪の関係なのにゃが、遅れているようだにゃあ」
ふつふつと表面に穴が開き始めたパンケーキを、手際よくポンとひっくり返しながら、そんなことを言った。どうやら、以前、こっそり祖父のところに行ったことは、とっくにばれていたようである。
「すごいねぇ。知ってたんだ」
「猫の鼻をなめるんじゃないのにゃ。それくらいの裏工作はすぐにばれるのにゃよ」
会話をしつつも手際がいい。どんどんとパンケーキが積みあがっていく。
仕上げに涙草と呼ばれる辛い植物の根をすりおろしたものをクリームに混ぜ、絞り出して塩漬けの魚卵を飾る。
実に美しい朝食だ。二人で協力すると、こんな美しいものが出来上がる。母と一緒だったころを思い出した。
最近は味ばっかりで、盛り付けに工夫をしていなかったと反省する。雑な盛り付けでごめんなさい、先輩。
「そうなんだ。猫も鼻、好いんだね。それで、行った場所がわかるなんて、すごいなぁ」
添え物の長瓜や赤茄子を切りながらほめる。
「当然にゃ!」
愛らしいリボンがついたしっぽが、ピピンと立った。
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午後、ちゃんと自主的に訓練を終えて昼食をとっていると、人型のグーグーがくたびれた様子で帰ってきた。
埃っぽくて髪の毛の艶が悪いが、何なら迎えに行こうかと思っていたから、胸をなでおろす。正直なところ、結構ほっとした。
「お帰り、グーグー!」
ちなみにお昼は野菜を詰めた黒山鳥の足のカリカリ焼き。茸ソース掛けである。プントの茸好きは決定だ。季節だというのもあるんだろう。だが、正直、茸にはちょっと飽きてきた。おいしいけど。
「お前、俺様が苦労してんのに、いいご身分だな」
「ええー。だって、なんでグーグーが苦労しているかなんて知らないもん」
呪いは返したんじゃなかったの?というと、ほっぺたをにゅいーんと引っ張られた。微妙に爪が刺さっている。フォークにさしていた鶏肉が皿の上に落ちる。
「ひたいよ~。はなひへって」
「ボクの作った料理に害をなしたら、刻むぞ、犬」
もがもがしていたら、プントがものすごい鋭い爪を出して、グーグーの首元に突き付けた。
いつもの「にゃ」という語尾もない。普通にしゃべれるんだ、と妙に感心した。声も低くなっている。「にゃ」というあれは一種のキャラクターなんだろうか。
「うっせぇ。猫かぶり。俺にも飯をよこせ」
ものすごくエラそうな態度で、昼食を要求する。へろへろしてている感じたから、相当空腹なんだろうと思う。
「埃を落としてこい。そしたら出してやってもいい」
少しの間二匹(?)はにらみ合いをすると、パッと離れ、僕のほっぺたも解放された。
―……あ~、痛かった。
食事がかかっていると素直なグーグーは、すんなりと要求に従う。魔法で全身を洗浄すると、一見美青年の出来上がりである。中身はグーグーだけれども。
「…で、だ。お前にはロスの家に行ってもらう。プント、工作を頼んだぞ」
「しかたないのにゃ。お前のためじゃないぞ。ルルのためにゃ」
昼食が出ると同時に、グーグーが言った。それ言っちゃっていいの、と一瞬思ったものの、何の問題もないらしい。なんだか、いつの間にか二人の間にはわかりあっている空気がある。ちょっとずるい。
「おじいさまのおうちに。まあ、いいけど。何か僕ができることあるの?」
取り立ててできることはないと思うのだが。
「ああ、お前じゃなきゃ無理だ」
「そうだろうにゃぁ」
―……何だろう?
うんうんとうなづきながら二人にそろって言われて、不思議に思いつつもそのままグーグーを眺める。今日も満足のいく出来だったらしく、あっという間にきれいになくなってしまった。
「んじゃ、行くか」
食べ終わるなり、口の周りにソースをつけながら、どや顔で言う。指摘をすると、一瞬で口の周りから汚れが消えた。
食休みもなしで、もう行くらしい。
「じゃ、ルル、気を付けるのにゃ。それから、これはお前のおじいさまに渡すのにゃよ」
ポンと両手サイズのかわいらしい袋を渡される。匂いからすると焼き菓子のようである。手土産なのだろう。至れり尽くせりだ。結構、プントは僕をかわいがってくれている。
「じゃあ、行ってきまーす」
「行ってくんぞ」
「犬、ルルのこと、ないがしろにするんじゃにゃいぞ」
けッとグーグーが毒づき、裏庭に連れていかれた。庭には特に変化はなく、次週を行ってた時と変わりない。
「んじゃ、入れ」
「うん」
こないだと同じように、気を付けながら地下に潜る。先ほどグーグーが戻ってきたばかりなので、入り口は開いたままだった。
中の階段はちょっと修復してあり、前回と異なり、随分と楽に降りることができた。
「じゃあ、そのまま俺の腰につかまっとけ」
「これでいい?」
ちょうどいい場所なので、ぎゅうっとだきつく。思ったよりも逞しい。腕が回るかちょっと心配だったが、ちょうどいいサイズ感だった。
「おう。しっかりつかまっとけ」
前回窒息しそうになったことを思い出し、青ざめたが、そういわれた次の瞬間には祖父の家の庭に立っていた。これって、転移ってやつだよねと言うと、にやりと笑う。なんでも、一度行ったところならばできるのだそうだ。
僕も早く覚えたい。父は難なくできるので、鍛錬次第ではできるようになるとは思うけど。
「おじい様の庭だね。この間より、ちょっときれいになってる」
色づいた葉が落ちていて、色鮮やかだ。そういえばもう、秋もだいぶ深まってきているのだなぁ、と思う。ここのところ犬猫に囲まれて寝ているから感じていないが、そろそろ布団も厚手のものに変えるべきだろう。
「じゃ、行くぞ」
そういって手を差し出してくる。つなげ、ということらしい。危なくないと思うのだけれど、改めてぐっとこちらに差し出されたので、一応つなぐ。別につなぐ年じゃないと思うんだけれど、どうしてみんなつなぎたがるんだろうか。
「いいか、離すなよ」
絶対だぞ、と改めて念を押され、不思議に思いながらもつないだまま、屋敷に入る。今度は庭からでなく、きちんと正面玄関からだ。
玄関にたどり着き、呼び鈴を鳴らすか鳴らさないかの時だった。内側から扉が開けられ、途端に何かに激突された。
衝撃に、一瞬息が詰まるが、すぐに解放され、顔をつかまれる。この手洗い歓迎方法は母だ。
「ま~っ!ルルちゃん。ひさしぶりだわぁ。お母さまよ!」
母だった。生身の母に会うのは誕生日の少し後、故郷をたって以来となる。にこにこと満面の笑みである。
「母上!」
「よぉくお顔を見せて頂戴!」
ものすごくうれしいけれど、母上はなんでグーグーの足、踏みつけてるのだろうか?
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