第38話 猫妖精。

 結界で閉じ込められ、二人の教師が立ち去った頃には、すでに夕刻だった。日が十分に傾いてきている。時期、夜だ。

 こうしていても仕方がないと、袋の中をのぞくと、一通り必要なものが入っているようである。かなりたっぷりの食料と、これから寒くなると思ったからだろう、それなりの燃料が詰め込まれていた。多分、屋敷の中に器具などはあると思われる。


「とりあえず、こうしててもしょうがないし、寝床と食事をどうにかしようか」


 最悪、魔法袋の中に寝袋があるから何とかなるが、埃まみれになるのも嫌なので、簡単でいいから掃除をしたい。玄関周りを見ると、この屋敷はあまり掃除されていないようであった。


「そだな。ここじゃ犬でいても意味ないし、人間になってやるよ。手があったほうが便利だろ」


 そう言うと、いきなり人の姿になった。確かに犬の手は使えない。まあ、魔力でどうにかしてしまいそうだけれど。

 変わるや否や、そのまま僕を抱きかかえる。抱えられるのは今日、何回目だろう。十歳児の自尊心を傷つけるには十分である。乳幼児ではないというのに。


「グーグーさぁ、僕、歩けるんだけど」


 足をぶらぶらさせてみたが、びくともしないのが憎たらしい。人間で大人の姿のグーグーはかなりがっちりとしているのだ。子ども姿のときはそうでもないのに。

 ここのところ、僕の中での一番の課題は体格の向上である。なんでみんな、あんなに体格がいいのだろうか。


「知ってるよ。いつも乗ってるから、今日は逆でも構わんだろ。このほうが接地面が多いから、魔力が吸収しやすいしな」


 満足そうに舌なめずりすると、僕にほおずりする。もしゃもしゃした毛がくすぐったい。ぎゅう、と頭を押しやると、少し不満そうだった。


「はいはい。じゃ、さっさと行こうよ」


 そういうと、内部を見るために移動した。余分なものもあるかもしれない。そして、相変わらず、足音も立てないで移動する。犬のくせに。

 屋敷の規模は、屋敷という割にはそんなに大きくはなかった。材木などの質はいいようだが、質素な屋敷である。三階建てに加えて屋根裏があり、使用人用の部屋と貯蔵庫が地下にありそうな、典型的な中級貴族の街中の屋敷タウンハウスだ。

 ただ、グーグーの感じだと、背後にかなり大きな庭があるという。たくさんの植物の気配を感じるらしい。


「どっからいくんだ?」

「上から降りてきたらどうかな」


 そんなわけで、まずは一番上の三階に行った。通りすがりに魔石に魔力を通していくと、廊下が次々に明るくなる。ずらりと小さい部屋が並んでいるのは居住者の寝室用だろう。

 一番奥の部屋から見ていく。そうじゃないかとは思っていたが、そこは主寝室だった。シーツも何もなく、マットレスだけがぽつんと載せてある、大きな天蓋付きの寝台が鎮座していた。

 他の家具には埃避けの白い布がかけてある。全体的に装飾が少なく、実に簡素なつくりであった。白い布を退かし、大きな長持の中を探ると、シーツや布団は一応あるらしい。状態保存の魔法陣が刻んであったから、中身は虫食いなどはない。


「でっかい寝台だな。ここに寝るか?」

「そうだね。まあ、一応二階見てからのほうがいいと思うけど。…っていうか、こんなにあるのにグーグー、一緒に寝るの?」


 ほかにも部屋はいっぱいある。主寝室の寝台は大きいけれど、別々に寝ても構わないはずである。犬ならば構わないが、ごつい男と一緒に寝たいとは思わない。犬の時に比べるとやっぱり固いのだ。


「そうじゃないと守りになんないだろが。大丈夫、犬になってやるから」


 犬になるのであれば否はない。ぽかぽかおなかを枕にして寝よう。とりあえず、一旦、風魔法で埃を集め、浄化の魔法をかけておいた。途中でくしゃみが出たので、よっぽど掃除してなかったに違いない。自宅の地下室がかなり埃っぽいせいか、滅多に僕は埃に反応しないのだ。

 そのまま二階に行ったが、これといったものはなくて、個室と思われる部屋がいくつかあるだけだった。

 凝った家具や装飾からすると、多分客室だ。目には楽しく、豪華だが、埃のつもり具合がもっとひどかったので、主寝室を寝床にすることにする。今までの滞在者も、そうしていたに違いない。


「うーん、やっぱ、主寝室で寝ることにする」

「だな。ここらは後回しにして、今日はあそこでねよーぜ」

「そうだな。後は…台所かな。夕飯食べなきゃ」


 そのまま、厨房に行ってくれとお願いした。たいていの場合、地下にあるから、どんどんと下がっていく。

 予感は当たったらしく、階段を降り切ると、正面に厨房と思しき場所があった。それまでとは違い、金属の扉で、装飾がある取っ手がついている。


「匂いからするとここが厨房だな。…お?」


 妙な声を発し、がちゃ、とグーグーが扉を開けると、そこには巨大な猫がたたずんでいた。茶色の毛織のズボンとベストを身に着け、尻尾に赤いリボンがついている。金色の眼がきれいだ。


「…………………………え、ええと。猫さん?ここには誰もいないって聞いたんだけど」

「猫じゃなくて、猫妖精ケットシーのプントにゃ。ソフィ…ソフィエティア・フォルトゥードに頼まれてやってきにゃ。犬と一緒なんて最悪だけど、ソフィのためだから、我慢してやるのにゃ!」


 ぴんぴんとひげと尻尾を立てて、自慢げに言う。その様子からすると、案外機嫌は悪くないようである。

 ついでにあちこちにとぶ話を頭の中で整理すると、要するにソフィエティアが僕を心配したので、先にこの屋敷に忍び込んでいたらしい。

 気づかなかったらしいグーグーは悔しかったらしく、仏頂面をしている。気配と匂いを消すのは十八番にゃ、と自慢げに胸を張った。

 こうして僕は、猫妖精とグーグーと微妙に仲が良くなさそうな二人(?)とともにしばらく一緒に暮らすことになった。

―――――――――――――――――――――

 プントは有能だった。寝室の準備をして来いと僕ら追い出すと、その間に袋の中身を確かめ、さっと整理をして、立派な夕飯を作ってしまった。しかも、結構おいしい。味は猫ベースならしく、かなり薄めだったが、おいしくいただけた。

 バカ猫だの生意気だの言っていたグーグーだったが、夕飯を食べてあっさりと毒舌をひっこめた。口に合ったらしい。皿をなめる勢いで、丁寧に食べていた。

 そして、今、僕の上に二人で寝ている。横じゃない。上だ。せっかく、隣の部屋をプント用に用意したのに、その方があったかいから、という理由で僕らは一緒に寝たのだった。


「お、重い…」


 翌朝、のしかかる重量で目が覚めた。妖精や精霊は、質量を調整できると読んだことがあるのだが、この二人は肉体があるせいか、ばっちり重い。

 しかもこの猫妖精は巨大なのだ。頭の骨は痛いし重いし、納得いかない。質量の調節ができるならば、してほしい。

 そして、僕は犬を枕にするつもりだったのに、枕にされている。


 ……解せぬ。


「プント、グーグー。起きてよ。重いってば」

「んに~?まだ、明け方にゃ~。ソフィならいつも寝てるのにゃぁ」


 夢うつつでごろりとプントが僕の腹の上で寝返りを打つ。頭蓋骨があばらを直撃した。もう少し肉をつけよう。僕には肉が必要だ。


「くかかか……」


 グーグーはいびきをかきながら腹を出しながら寝ている。どちらもピンク色の腹がとてもかわいいが、重かった。それでも、二人につられて二度寝し、結局起きたのは、いつもよりもだいぶ遅い、朝七時になったころであった。


「そうだ、これを渡しておくのにゃ。ヴィルトトゥムに、きちんと勉強させるように言われているにゃ」


 朝食後、プントが髭の手入れをし終えるとそう言った。

 放っておくと好きなことしかしなさそうだから、とヴィルトトゥムは計画を立てていたらしい。首に下げている首輪チョーカーから、くるりとリボンで結ばれた羊皮紙を取りだしてきた。

 それを丸まらないように上下を手で押さえ、目を通す。


「ええと…。一日目、午前中…杖の練習……。午後…杖の練習、だけ?」


 一日目から、三日目までにはそれしか書いていない。下には、知識は一年生としては十分なので、とりあえず、きちんと杖を扱えるようにしろ、と書いてある。しかも、自作ではないほうで、と。赤のインクで書かれ丁寧に波線まで引いてある。

 やらなければならないと思っていたことを言われると、なんとなくむかつくから不思議だ。


「おまえ、杖の使い方が下手だってきいたのにゃ。貴族がそれでどうするんにゃよ」

「わかってるもん」


 思わず口がとがる。杖の使い勝手は、本当に悪いのだ。


「ほら、そこの犬、連れて練習するのにゃ。昼は用意しておいてやるからにゃ」


 この屋敷の裏手には庭があり、どうせ整備する予定だから、建物以外破壊を気にせずに思う存分やれという。この屋敷の管理もフォルトゥードだそうだ。

 今まで、破壊するのが怖くてできなかったから、ちょうどいい。学長に爆発が起きても大丈夫な場所を聞こうと思っていたところだ。


「三時には終わっていいって書いてあるから、あとは探検しようっと。昨日、あんまり見れなかったし」


 と、いうことでプントが掃除や洗濯、炊事をやってくれている間に、僕はようやく本格的に杖の修業を行うことにし、裏庭に移動する。

 ちょっと張られている結界だけでは心配だったので、グーグーに結界に沿って障壁を張ってもらった。裏庭はぐるりと石垣がめぐらされており、その後ろにはたくさんの樹々が立っていた。すぐ裏が海だから、防風林かもしれない。


「えっと、杖をまずふるって、なじませる…」


 前に言われたことを思い出し、じんわりと魔力を杖に流しながら、ぶんぶんと振ってみた。もちろん、贈られた上質な杖だ。

 どれぐらい降っていいかわからなかったので、腕がくたびれるぐらいまでぶんぶん振るうと、なんだか手となじんでくる。三十分くらいすると、反発が薄れ、自分の腕の延長のように感じられるようになった。

 なるほど、グラキリスが言っていたことは本当だったようで、ちょっと感動を覚えた。


「なじむまでに結構時間かかるな。毎回これやるのか?」

「うーん、ヴィルトトゥム先生の覚書によれば、だんだんやらなくていいようになるみたい。それに、この木がもともと魔木だからかなぁ。魔力抵抗があるのかも」


 実はあれ以外に、注意事項を書いた羊皮紙があった。結構ためになる。


「ああ、なるほどな。俺らは杖なんぞ使わんからわからんが、暴れ馬に乗るようなもんか」


 馬もなじませて、乗りこなすまで時間がかかるしな、という。魔木だから、多少なりとも意志的なものがあるのかもしれない、と言った。


「よし!馴染んできたぞ。ええと、呪文、呪文。やってみよう」


 足元に置いておいた、初級の教科書を見る。芝生が乾燥気味だから、水を出すならいいかだろう。炎も雷も、悲劇が起きる可能性がある。


「≪来たれ、恵みの雨よ≫」


 先になじませてあるから、今回は小川が流れる程度の意識で魔力を流す。だが、流した途端、ずるっという感じで引き出された。

 えっ!と思っている間に頭上にもくもくと灰色の雲が出現し、ドッシャーンとばかりに、局地的豪雨が発生した。全身びしょぬれになり、鼻にも水が入る。苦しい。


「ぶっへぇ! ふっぶしゅるぅっ! ≪止め!≫ ≪止め!≫」


 鼻に入った水に刺激され、くしゃみをしながらも慌てて止めた。何とか止まったものの、乾き気味だった僕の周りには泥と水ででろでろだった。


「ふははは! お前、制御下手だなぁ!」


 転がってグーグーが笑う。だが、そのまま腕を上すと、僕のびしょ濡れの服も地面も、きれいに乾いていた。一瞬で。さすが高位精霊を自称するだけある。


「笑ったのはむかつくけど…ありがとう」


 パンパンと埃と泥汚れを払う。たたくと、白っぽい汚れが落ちていった。


「どーいたしまして。つーか、その杖、今までとちがって、今日は馴染んでんだろ。そうしたら、そもそも流れやすくなってるよな。流す意識しないでやってみればどだ?」


 先に魔力の流れる道をつけていれば、流れやすくなっているので、無理に流す必要がない。その杖は媒体として非常に優秀なのだから、もっと気楽に力を入れずにやってみろ、とグーグーは言った。


「うーん、わかった。やってみる」


 流すことをせず、ただ持っただけにしておく。そして、同じように呪文を唱えると、今度は狙った位置に雲がわき、ささやかな雨ができたのだった。


「やったぁ! ありがと、グーグー!」


 思わずうれしくてグーグーに抱き着く。横になったままだった彼は意外だったらしく、僕という衝撃を受けて僕ごと転がった。

 そのままゴロゴロと転がり、建物の壁にぶつかる。ドーンという音がして、レンガにひびが入った。障壁が建物には張ってなかったのか、物理には弱いのか、衝撃だ。


「うわあ、どうしようっ。ヒビ入っちゃったよ」


 僕の下敷きになり頭を打ったグーグーを内心は心配しつつ、建物も心配する。借りている建物に損害を与えてしまった。どうしよう。いくらくらいかかるんだろう。


「お前は、もう少し、俺の心配をしてもいいと思うんだが」

「悪いとは思うけど、僕、弁償できるかどうか、そっちのほうが頭がいっぱい」


 君、丈夫そうだし、と言う。実際、頭はこすっているが、埃一つ、ついていない。多分、彼は常に体に薄い結界を張っている。


「お、お前ひどい奴だな」


 端正な顔が引きつった。


「悪かった、悪かったよ。ごめんって!……あ、れ?」


 クッション代わりにしたグーグーの上に乗りながら、レンガを眺める。通常ならばその後ろには木の骨組みなどがあるはずだ。だが、その後ろは奥に続くかのようにほの暗い。

 彼の上から退き、四つん這いで壁の前に行ってレンガを少しづつ外す。すると、恨みがましそうしていたグーグーが後ろからのぞき込んでくる。


「どかすか?」

「うん。これ、変だよね」


 よし、というと手をすっと動かす。レンガがどんどん外れ、僕の横に積みあがっていく。すると、その下には、人ひとりがようやく通れるほどの、真っ暗な空間が広がっていた。

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