その頃の ②
ようやく大熊蜂の蜜を取ってきて、コラリアが新たな瓶詰めを作り終えたのは、結局あれから二日後のことだった。
やっと王都に転移することができる。
恐ろしい値段を取ることのできる転移の術だが、空間魔法が得意なヴィリロスは、こともなげに使って見せる。本人だけならば何もいらないらしいが、他社を運ぶとなると工夫が必要なようで、転移用の札を用意していた。
札を持ったヴィリロスにつかまるなり、それに魔力を札を込める。次の瞬間にはもう、そこは王都のプラテアド家の地下室であった。
「お帰りなさいませ。ヴィリロスさま、コラリア・ルプスコルヌさま」
出迎えたのは、黒服に身を包んだ、プラテアド家の家令・カバジェッロであった。古参の、ドルシッラが嫁ぐ前からいる使用人である。ヴィリロスの苦労をよく知っている。
小さいころは何くれとなく構ってくれ、たまに遊んでくれさえした。ちょっと歳は上だが、兄貴分のようなものである。
「久しぶりだね、カバジェッロ。出迎えご苦労。父上かラーディは居るかな」
「お二方ともご在宅でございます。ドルシッラさまはご友人と温泉旅行にいらしておりますので、しばらくはお帰りになりません」
二人の不仲を知っている家令の抜け目のない気づかいである。生まれる前から知っているがゆえに、彼はドルシッラよりも断然ヴィリロス派であった。
「そうか。では、案内を頼む」
そのまま、二階に案内されて応接室に通される。相変わらず無駄に広くて豪華な家である。きっと、戸惑ったであろう息子に思いをはせる。
丁寧に挨拶をして中に入ると、当主であるバシリウスと異母弟であるグラディウスがいた。身なりはそれなりにパリッとしているが、些かくたびれているように見える。
帰ってきたばかりなのか、これから出かけるのかは分からないが、グラディウスは徽章も何もついていない、実用的な軍服のままであった。
「よく来たな」
「兄上、ようこそいらっしゃいました」
二人とも、一瞬ぎょっとしたようにヴィリロスの新しい自慢の椅子を見たが、次の瞬間には何事もなかったかのように挨拶してきた。しかし、グラディウスは全くコラリアを無視する。まったく大人げない。
「コラリア・ルプスコルヌ、よく来たな」
「御目文字叶いまして、光栄ですわ。プラテアド公爵」
そんな弟息子を無視し、公爵はさすがに嫁に挨拶をした。それに対し、実に優雅な礼をコラリアはして見せる。
「ところで父上。我が息子が帰ってくるのはいつごろでしょうか。明日には帰ってくるとラーディより聞いておりましたが、何だったらこちらから馬車を回させていただ…」
「そのことなんですが兄上!」
うきうきと心を弾ませながら訊いたヴィリロスの言葉を遮るように、グラディウスが大きな声を出した。頬のあたりがひきつっている。かなり緊張しているようだった。
見上げているにもかかわらず、普段は妻や息子に見せない、見下すような視線で弟を眺める。その視線を受けて、ウっとグラディウスがひるんだ。
高圧的なその態度を見かね、後ろでこっそりとコラリアは夫の背中をぎゅっと笑顔のままつねった。思い切り。
これは痛い。
「……コーラ…」
非難するかのように後ろを振り仰いだ夫を、上からにっこりを見下ろす。
「まあ、なんですの?ヴィ様。お話の最中でしてよ」
「なんでも……ないです」
自分が悪かったことを悟ったのか、ヴィリロスが不貞腐れながらも前を向く。にっこりと笑って夫に返す彼女は妙な迫力があった。
その様子に、ぶふっとバシリウスが噴出した。
「うわはは!いや、とんでもない小娘と思ったものだが、なかなかにいい女に育ったではないか。我々でも躾けられなかったその息子をしつけてくれるとは。礼を言おう、我が義娘むすめ」
豪快に笑う。その様子を横目で弟息子が信じられないという様子で見ていた。
「ありがとう存じますわ。…ところで、グラディウス・エルネストゥス・アストラ・ユベオー=プラテアド様。息子のことで何か?」
「……外出禁止になったのだ」
「「何かやったのか」ですの?!」
二人の声がそろったのが、印象的だったと、のちにグラディウスは言ったという。
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「…と、いうわけで、今回はあいつが悪いわけではない」
…と思います、と小さく付け足した。
兄を怒らせまいと必死のグラディウスの説明に、二人とも一応、納得をした。これ以上不特定多数に狙われるよりも、狭い範囲で囲ってしまった方がある意味安全だ。何をやらかすかわからないところがあるから、ちょっと怖いが。
命を狙われていることがもともとわかっていれば、実力がある教師が大勢いる学校内の方が安全だろう。もともと、そういう命の駆け引きがされている場なのだから。いくら気に食わなくとも、死人を出してはまずいから、必死に守るはずだ。
まあ、完全に安全とは言えないが。何せ学生時代のヴィリロスも王位継承の問題で命を狙われたものだ。主に王族から。ことごとく返り討ちにしてやったものだが。
「そうですの。まあ、その面白いワンちゃんがついていれば、命の心配はなさそうですわね」
いまだに単なる魔法生物か、せいぜいが精霊のなりかけにしか思っていないようだが、あれはそんなものではなく、かなり高位の精霊なのだとグラディウスは悟っていた。自分の命が惜しいから、そんなことは兄には告げない。
「それよりもあの首輪が問題か。魔力の扱い方は教えたが、仕舞い方は教えてないから、今は大変だろう。杖も、使わせた方がよかったか。まさか、貴族として遇されるとは思わなかったからな」
国王ににらまれているから、まさか、学校にお呼びがかかるとは思っていなかった、というのがヴィリロスとコラリアの正直な気持ちである。
「そうですわねぇ。魔力の使い方だけ教えて、そのあとは自由に生きてもらおうかと思っていたから、貴族的なことは最低限しか教えておりませんでしたもの」
だから、貴族ではなくても生きているようにしつけたのだ。貴族として妙にずれているのは、両親の教育のたまものでもあった。
そんな和やかな二人の様子を見つつ、グラディウスがおずおずと切り出して来る。屈強な軍人のはずだが、昔から彼は兄に頭は上がらない。
「その…それより、ですが、兄上が息子ルセウスに会いに来ると国王陛下バレました。どうやら張らせていたようで、私があの子に土産を用意しているのを見つかったのです」
申し訳ありません、と頭を下げると、一瞬また、ヴィリロスの眼が剣呑になり、再びコラリアにつねられる。
「…ッ!痛いぞ、コーラ。わかった!睨まないから、摘ままないでくれ」
「人のお話はきちんと聞きましょうって、ルルにも教えたのだから、ヴィー様も守ってくださいな」
グラディウスは生まれて初めて、この義理の姉のことをすごいと思った。幼い頃から、容姿端麗で天才児とほめそやされていた兄は、彼が物心つくころにはすでに傍若無人であった。
周りもそれを許容していたから、こんな何を見るのは、初めてだったのだ。
「と、いうわけでな。宰相経由でお前たちへの招待状を預かった。明日には登城せよとのことだ」
話がひと落ち着きしたのを見計らい、当代のプラテアド公爵が差し出したのは、白く輝くような上質な紙でできた、金の封蝋がされた封筒があった。そこに押されている紋章を使えるのは唯一、国王だけである。
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