第27話 謎の空間。
「ごめんなさいねぇ。ルプスコルヌ君と打ち合わせしたかったのでしょう?」
ターシャに見えていた姿も、ルセウスに見えていた姿も解いて、真実の姿を見せたフォルトゥードが頬に手を当て、おっとりとそう謝った。
「い、いえ。お気になさらないでくださいまし」
怒涛の展開に驚いていたターシャだが、教師に謝られてはそういうしかない。
目の前にいる女性は、小柄は小柄だったが、ほっそりとした、三十代後半くらいの女性だった。肌はルセウスの言っていたように浅黒い。大きな釣り目が妖精めいていた。
「こちらがわたくしの本当の姿よ。わたくし、ドヴェルグと南方のノトス地方の血が入っているわ。だから、この建物とは相性がいいのよ」
「ルセウスが、屋根が複雑な結界だと申しておりました」
「ええ、わたくしの母が作ったの。ざっと500年位前かしらね」
何てことないように言われた内容に、思わず「え」と言葉が漏れた。慌てて口元を淑女らしく抑える。
「うふふ。あまり人以外のものに慣れていないのね。けれど、最近は増えてきているから、慣れてほしいわ」
地方にはドヴェルグやアールヴ、そして獣人といった人々も多いが、都市部には少ない。逆に言えば、追いやられているのだ。最近は地位向上が叫ばれているが、それでもまだ追いついていない。
「すいません」
「なれていなければ、仕方ないわ。ところで、お茶はいかが?わたくしが昨夜焼いた焼き菓子もあるのよ」
彼女がパチンと指を鳴らすと、かなり大きな黒地に白のぶちの二足歩行のねこがお茶と焼き菓子が乗った盆を運んでくる。ターシャよりも頭二つは大きい。男性の服を着ているから、雄なのだろう。
――― か、かわいいぃ!!!
内心、ターシャは身もだえた。シッポに真っ赤なリボンを付けた、可愛らしくもつんとすました猫が、両手で盆を抱えてしずしずとやってくる。あまりに絵本めいた様子に心がときめいた。
ターシャは無類の猫好きなのだ。
「この子は
「プントさん、ありがとう存じますわ」
礼を言うと、ちらりと綺麗な金色の眼でターシャを眺め、つん、と鼻を上に向けた。愛想は悪いが何ともかわいい。
「まあ、プンちゃん。お行儀が悪いわよ」
「犬の、においがするのにゃ」
鼻の上に皺を寄せながら、プントは言った。耳が横に寝ている。いわゆるイカ耳である。たれ耳の猫のようになり、かわいさが増した。
「あら、ルプスコルヌ君のわんちゃんのかしら。大丈夫よ。今、ドリューとルトのところだから、当分来ないわ」
「…そうか。ならいいにゃ」
そう言って、プントはさっさと出ていってしまった。シッポがしたんしたんと不機嫌そうに揺れていた。赤いリボンが優雅にはためいている。
その様子の可愛らしさに、ターシャはほう、とため息をつく。プントの気持ちはよくわかる。実は犬は苦手なのだ。
「うふふ。猫だから、気まぐれなのよ。でも、かわいいでしょ?」
「はい!か、かわいいです!」
そのまま茶を進められ、茶菓子を食べる。ほんのりとアミュグの香りがする焼き菓子は、軽い食感で大層美味だった。
「ところで、なぜ私たちは離されたのでしょうか」
「ちょっと、ね。ああ、あなたは問題ないのよ。ごくごく普通だわ。努力家らしく、他よりちょっぴりだけ魔力が多いから、二層まで利用できるわね。素晴らしいことだわ」
素晴らしい、といわれつつ、ところどころ褒められている気がしないが、とりあえず頷いておく。
ターシャは自分の今の学年代表という地位が、才能というよりは必死の努力で賄われていることは大いに自覚していた。
「でも、あの子は少々特殊ねぇ。あの年にしては。それはとても素晴らしいことと同時に危険なことだわ」
そう言って、彼女は茶器に口を付けた。フラーグムの香料が入った白茶の香りがあたりにふわりと漂う。
「だから、ちょっと限界を知ってもらおうと思うの」
にっこりとフォルトゥードは笑う。
急に、ターシャは不安に襲われた。
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うっとりと周りを眺めまわしていると、ふと周りが暗くなった。それまでの本に囲まれた景色ではなくなっている。
「森…?」
一面、この辺りでは見かけない、事典でのみ見たことがある南方の木が生い茂っている。
薄暗い、湿った魔木の森の中だ。木々に絡みつく蔦やそばを舞う蝶を見ると、ノトスのあたりだろうか。
足元にいたグーグーを拾い上げる。大丈夫と思うが、はぐれると大変だ。
『こりゃ、なかなか見事だな。楽しめそうじゃないか?』
ぎゅっと抱きしめると同時にグーグーが頭の中に話しかけて来た。わくわくしたような、弾んだ声だ。そのまま肩に乗せる。
『これ、亜空間?幻覚?』
あわてず騒がす、周りを見渡し観察せよというのが、幼い頃から一貫した父の教えであった。
『さあな。自分で判断しな。お前が判断したら、それに従ってやるよ』
少々ムッとしながら、だがそれも当然だと思って、木々の様子を見ながら、匂いを嗅ぎ、周りの音に耳を澄ます。そうするうちに、多くのものが実際のものであることに気づいた。
つまり、厳格ではない。ここは、ノトスの密林の中か、それを再現した亜空間の中かだ。だが、転移した感覚はない。
そして、ドリューとルトの気配はするものの、姿は消え去っていた。
『この場を支配しているのはあの二人だね』
あらゆる場所に気配はあるが、紛れ込んでいて、どこにいるかは分かりにくい。
父がくれた、実家とつながっている魔法袋に手を突っ込んでみるがつながらなかった。どこかで寸断されている。逆に、つなげていない、単なる魔法袋は問題なくつながった。
つまり、ここは彼らが作り上げた亜空間だ。
『ああ、二人で一緒に使ってんだろ。双子だし、半アールヴだし、その方が効率がいい』
『でも、作ってあるってことは、どこかに出口があるってことだし…』
こういう者は、大方扉があるのだが、木が邪魔をしていてまるで見えない。だが…。
『いらないものはどけちゃえばいいよね?』
僕の前に立ちはだかるものは必要ない。邪魔なものはなくせばいい。
『お、おおう。そうだな。なかなか過激な思想だが』
『問題はやり方だよねぇ』
一応、見られているかもしれないので、≪炎よ宿れ≫とつぶやき、持っていた自作の杖の先に火をともしてから、木に投げつけた。だが、次の瞬間、仰天する。
木が増えた。なんと二つに増殖したのだ。もう二発ほど打ち付けてみると、六本増える。どうやら魔力で増えるらしい。
「あらー…」
なので、試しに吸ってみることにした。押して駄目なら引いてみろ。与えて駄目なら、吸ってみればいい。
懐から羊皮紙を取り出し、指先に魔力を込めて直接魔法陣を書き込む。それをぺたりと木肌に当て、古代語の方言のとある呪文を唱えた。
「≪その身の力を差し出し、我が贄となれ≫」
『おお、その呪文知ってるんだな。魔族の得意技だぞ』
『来る前に発見した古代の文献に書いてあったんだ』
羊皮紙に手を当てているとじわじわと魔力が流れ込んでくる。そのまま他者(物でも)の魔力を吸収すると、拒絶反応が起こることがある。なので、羊皮紙が媒体だ。間に挟むことで、時間はかかるが問題なく吸収できる。さっきの陣はそのためのものだ。
じわじわと大方吸い取りきると、目の前の木がザラリ、と灰のようになり、崩れ去っていった。
『うまくいったな』
『うん。この手が有効だね』
だが、困った。
『僕、今あんまり大がかりな魔法使えないんだよね。こないだ首締まったし』
この首にはまっているのは、いわば魔力調整のものだ。出力が多いと首が閉まる。それ以上出すな、ということらしい。
多分、これだけの大量の魔力を吸うと、あふれ出す。最近、魔力の出力が少ないから、僕の魔力量はかなりたっぷりとたまっている。
『……だからさあ、グーグー、ここいらの魔力すっちゃって?』
従ってくれるって言ったよね、というと腕の中のグーグーの眼が泳いだ。
『おい、これ、全体をか?』
『うふふ。どれくらいで枯れるかなぁ。たまには違う魔力食べたかったんでしょう?』
魔法陣かいてあげるからさ、と言い、地面に直接陣を書き始める。先ほどと同じものだ。ある程度巨大なものだったら、範囲も広くなるだろう。
『はあ……。いらねーよ』
頭の上で一つ大きなため息をつくと、グーグーは普段は見えないようにしている羽を広げ、体を大きく変化させた。
『見てろよ、コンチクショー!』
そう言うと羽ばたき、すさまじい勢いで魔力を吸収していった。
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「ふふ、あのコ、どれくらいで出てくるかなぁ。限界ってものを覚えてもらわなきゃね」
実に楽しそうに瞳を三日月型にして、ドリューは楽しそうに言った。いたずらやちょっとしたからかいなどが彼は好きなのだ。他人には迷惑だが。
「ああ。どれくらいで迎えに行くかを考えねばならないな」
本の世界を妄想していたルセウスのことを、二人で作り出した亜空間に閉じ込めた。あっさりと術中にはまってくれたから、拍子抜けしたほどである。
だが、彼の足元にいた黒い犬の魔法生物はなにやらこちらを見つめていた。些か気がかりだ、とルトは思案した。
「それまで、お茶でも飲んでよっか」
懐から水筒を取り出す。二重になっている蓋を外しておくと、ドリューはそこに暖かな茶を注ぐ。ふわりと爽やかな香りが立ち上り、鼻腔をくすぐった。
「普通の発想ではなかなかあの森からは出てこれない。今まで出てこれたのは、ヴィルトトゥム一人か。あいつの父親は面倒くさがって、中で楽しそうに野営をしていた」
ルセウスの父親のヴィリロスも対象だった。だが、彼は無駄な労力を嫌い、中で迎えが来るまで悠々と天幕を張り、楽しんでいた。
昔から空間魔法が得意で、幾つもの魔法袋を持っていたらしく、食料にも水にも全く困っていなかった。優雅に休暇を楽しんでいたのだ。
「ヴィリロスねー、変な奴だよ。あいつが親になったっての、ボク信じられないんだけど」
「だが、あの顔は間違いなくヴィリロスの子だろう」
「コラリア・ルプスコルヌの子でもあったねー。あの特殊な魔力が混ざり合うと、どう変化すんのかね」
ずずっと二人して茶をすする。胃の中までほっとした。結構、あの空間に人をねじ込むのは結構疲れるのだ。
「さあな? これからの見どころだ…ッ?」
呑気に語り合っていると、自分たちの魔力に違和感を感じる。
途端に、ぱきり、という音にならない音がして空間が開かれる。入り口だった机の上が急に発光し、巨大になった黒い犬とそれにつかまった少年が飛び出してくる。
それは、傷一つついていないルセウスであった。
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