第26話 不思議な図書館。

「図書館は別に急いでいなかったのだけれど?」


 顔にかかったピンク色の髪を払いのけ、少し不貞腐れたようにターシャが言った。つんとするが、今までの取りつく島がないのとは違う。つんけんしてはいるが、それなりに興味はあるようだ。


「そういわないで。打ち合わせもできるだろうし。談話室もあるみたいだよ」


 打ち合わせの場で、ターシャと落ち合うと、ヴィルトトゥムの部屋に行き、推薦状をもらってきた。行くまでに推薦状を完璧に整える手腕はさすがである。何気にあの先生は有能だ。ついでにターシャも登録するように言われ、今に至る。あの先生は、どうしてだか僕らを組で扱うのが好きらしい。


「まあ、付き合ってあげてもよくてよ。マール・ぺルラ・オケアヌスに一歩先んじることができるし、結果的にはいいことね。もー、一々突っかかってうるさいったら」


 この間までのあなたはどうなんですか、といいたかった。が、ここは大人しく黙っておいた。

 何でも言っていいことと悪いことがあるといい加減、僕も学んでいる。特に女の子同士の関係にくちばしを突っ込んではならないのだ。あの後も、一回取っ組み合いがあり、僕の髪の毛が少々犠牲になった。


「うん、じゃあ入ろうか」


 目の前にある巨大な建物を見上げながら言った。外壁は白いレンガで作られたがっしりとした建物で中央に大きな半球状の屋根がある。屋根は色鮮やかな焼き物でおおわれていた。複雑な模様のそれは、それだけで強固な結界になる見事なものである。

 ただ、あの下にもおそらく結界があると思われる。見事な多重結界だ。


「見事よね。うちの生徒以外は、許可されて登録し直した人しか入れないって本当かしら」

「うん、多分あの複雑な結界で選別してるんだと思うけど」


 おそらく人ではなくドヴェルグドワーフあたりの力を借りた代物だ。あの模様を焼き込むのはできるだろうが、あの薄さはなかなか人の手ではできない。ドヴェルグはとにかく器用な人々だった。

 たまに我が家に来ては、父に魔道具の設計を依頼していた。技術はあっても中の機構や回路を考えるのは父のほうが得意なのだ。


「そうなのね。じゃ、入りましょ」


 あれだけ見事な建物自体に、彼女はさほど興味はないらしく、さっさと進んでいってしまう。この建物の美しさをもう少し堪能したかったが、慌てて彼女の後を追った。

 これまた複雑な模様の階段を、案内表示に従ってのぼり、中央と思われるところへとたどり着く。他では見たことがない、大きなガラスが張られた入り口があり、その前に淡い灰色のローブを着た華奢で小柄な老婦人がいた。


「まあまあ、あなた達がマニュの紹介できた子たち?ガーゴイル・ビブリアに言伝があったから、うれしくて待ってたのよ。あの子、マニュが許可を出すってあんまりないの。わたくしはソフィエティア・クレメンティア・フォルトゥード、よろしくね。ソフィ先生って呼んでちょうだい」


 皺だらけの顔をくしゃくしゃにして、優しそうに微笑む。浅黒い肌の色や僕よりも小柄な背の高さからすると、ドヴェルグの血が入っているのかもしれない。声は見かけよりも大分若い感じであった。


「さ、二人とも問題なさそうね。じゃあ、手を出して頂戴。これを付けていただくわ」


 そう言うと、彼女は細い金色の腕輪を取り出した。それを僕とターシャにはめ、杖でトン、トン、とそれぞれをたたくと、ひゅんという音を立て縮み、手首に密着した形となった。


「これがないと入れないの。でも、悪いことすると、すぐに使えなくなっちゃうから、注意してね」


 僕は寮の入館証と図書館の入館所とでにぎやかになった手元をじっと見つめた。いささか邪魔だが、学年が上がると、これらを全部統合した複雑な腕輪を作ることになるので、それまでの我慢だ。


「あ、そうそう。そっちのワンちゃんにも許可を出して頂戴って言われているの。基本的には魔法生物は入れないのよ。でも、子だって聞いてるわ」


 そう言うと彼女は悪戯っぽく微笑み、グーグーの首輪に金環を嵌めた。

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 図書館は天国のようだった。我が家の、質実剛健であまり飾り気がなく無秩序な書庫とは異なり(本当に腐るほどあるが)、壮麗で美しく、整理されていた。なんとも見事だ。

 中央の半円状の塔は明かり取りらしく、透明なガラスが嵌めてあった。そして、それを利用した、火を使わない水晶灯が幾つもふわふわと浮いている。


「見事ね…いえ、ですわ」

「すごい!装飾画まで、見事ですね。それに、すべての壁面が本だ!」


 うっとりと周りを見つめる。装飾画は古今東西の知恵にまつわる物語や、本にまつわるものばかりだ。全部見まわしたくて、ぐるりと上を向いて回転すると、頭がくらくらしてしまった。


「う、わ…っと」

「ちょっと、ルル、大丈夫?馬鹿ねぇ、そんなのしたら眩暈がするに決まってるじゃない」

「あらあら。坊やは本が好きなのね。うれしいわ。でも、ちょっとそれは後にしてくれるかしら。……ね、あなたがた、わたくしがどんな風に見えるかしら?遠慮なく言ってちょうだい。体型とかいろいろね」


 はしゃぐのを軽くいさめられ、不思議な灰色がかった青いような瞳で見つめられる。じっと見つめ、その表面の奥にあるものを探っていく。


「失礼ながら申し上げますと、その、大変小柄な、三十代半ばくらいの女性かと…少々立派目の体格の、色の白い、ぽちゃっとした」

「え…?!」


 ターシャの言葉に思わず大きな声を出してしまい、口を慌てて覆う。僕が見る先生と、ターシャが見る先生とでは大分違うようだ。


「あら、坊やは違うようね。あなたにはわたくしがどんな風に見えるのかしら」

「え、と……壮年の、小柄で細い女性、に見えます。多分、ドヴェルグの血を引いていらっしゃると思います」


 僕がそう言うと、フォルトゥードはにっこりと笑い、ちりん、とどこからか取り出した鈴を鳴らす。途端に、同じようにフォルトゥードと同じく肌の浅黒い、だが体格はなかなか立派な、双子と思われる男性陣がやって来た。


「はーい、特別室にご案内!あなた達、この坊やを特別室に案内して頂戴。お嬢ちゃんはわたくしと一緒に談話室にね」

「「ええ?」」


 思わず二人して声を上げてしまった。

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 僕が連行されたのは、赤茶色の木で作られた本棚に囲まれた、赤と淡い金の絹の織りの布がはられた部屋だった。中央には同じ素材でできた机といすが置いてあった。窓が閉まっているせいか、古い本の匂いが部屋を満たしていた。懐かしいにおいに少しほっとする。


「ボクはドリュアス。こっちは弟のスヴァルト。ドリューとルトって呼んで。よろしくねー」


 長髪の方の男性がごく軽い感じでそう言った。グーグーごと抱かれていた僕は、短髪の、ルトと呼ばれた男性に、椅子におろされる。笑顔と無表情の違いはあるが、二人の顔はほぼ一緒だ。


「ルセウス・ミーティア・ルプスコルヌです。…よろしくお願いいたします」

「あら、いい子ー。ヴィリロスの子どもってしんじらんなーい」


 ぐいっとドリューが顔を寄せてきた。性別を判断しにくい整った顔。浅黒い肌にややとがった耳。森色の瞳。おそらく彼らは半アールヴエルフだ。


「父をご存知なのですか?」

「知ってるよー。自信家で傲慢なヤ~な奴だったなぁ。顔がよくて実力あるのが、また腹立たしいっていうかさ」


 遠い目でドリューが言うと、ルトがしたり顔でうんうんと頷いた。父はあまり評判がよろしくなかったらしい。まともな親になるとは思わなかった、とスティルペースも言っていたが、いったい父はここで何をしたのか。僕にとってはとてもいい父だったが、評判は芳しくないようだ。


「君の母親はコラリア・ルプスコルヌだろう?昔は二人でよくケンカしていたものだが、夫婦としてはうまくやっているのだな」


 初めて聞いたルトの声はなかなか渋かった。顔は同じなのにそれだけで印象が違って見えるから不思議だ。


「あ、はい。ものすごく仲睦まじいです。え…と、ところでなんで僕はこの部屋に呼び出されたのでしょうか」


 先ほどまでいたホールから、フォルトゥードと引き離され、僕だけここに隔離された。本を堪能することもなく、ターシャと打ち合わせすることもなしにいきなり連れてこられたのだ。


「うん。君のねぇ、魔力が危険水域に達していたからこの部屋に来てもらったんだ。この図書館は通常の学生が立ち入れるのは一層から七層まで。魔力の幅に応じて入れる場所が決まってる。大体、卒業時に立ち入れる平均は五層目まで」

「対象とする層にふさわしい魔力がないと、その層には立ち入れない。だが、お前はその七層に立ち入れるだけの魔力を持ってしまっている。術を使わずに、ソフィの仮の姿まで暴けるのはそれだけの力を持っている者だけだ」


 なんと!この図書館は七層まであるらしい。そして、きっと、といったからにはそれ以上の場所があるのだろう。いつか行けるかもしれない、そんな素敵な場所が。


 ――― ああ、なんて素晴らしい!!!


 初めてここに来てよかったと思った。知識の殿堂!

 その、空気を堪能すべく、手を伸ばし、うっとりと周りの本を眺めまわす。


「……ねえ、ルト。この子、ボクたちの言ってること聞いてると思う?」

「さあ。耳に入っているようには見えないが…」


 何か言っているのは聞こえたが、僕はそれに注意を払ってはいなかった。七層もあるという図書館に思いをはせ、完全に脳内で妄想を繰り広げていたのである。

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