第25話 かけた常識。 

 あの日、パンタシア、いや、ターシャと和解して以来、授業は比較的順調であった。彼女が突っかかることが無くなったおかげで、他の同級生との連携もとれるようになったのだ。

 そう、魔法実践学初級以外は。これは連携とかではなく、純粋に僕の問題だ。

 魔法実践学初級を取っているのは、7人程度。もともと、この授業を取るのは下級貴族で満足な教育を受けられなかったものか、魔力を持っていたがために貴族の養子になった元庶民である。

 男爵とはいえ、爵位持ちがここにいるのは珍しい、と助手にまで馬鹿にされてしまった。まあ、同じ授業をとったサビーも同様である。ただ、彼の場合は他国の王族の血を引いているので面と向かっては言えないらしい。

 ついでに言うと他の授業は自作の杖を使うことを許されていた(黙認だけど)が、この授業だけは絶対に買い与えられたものでなくてはならなかった。

 担当教師であるシーリオ・グラキリスは、どうにも僕のことが気に食わないらしい。何かするとネチネチと嫌味を言われる。


「だ・か・ら!段階を踏めというのだ、段階を!何度言えばわかるのだ」


 今日もまた、叱責された。課題自体は複雑ではない。自分が持っている属性の水晶灯を均等に光らせる、という課題だった。僕の場合は、全部の属性を持っているので何色でもいいので、そういう意味では楽なはずだった。

 そう、杖がいいものでなければ。

 魔力が安定せず、多大なる集中力を要したものの、それでも何とかやり遂げた。綺麗に均等に光っていると思う。今日はうまくいった。


「も、申し訳ございません」


 だが、教科書に書いてある通りにはやったのだが、彼的には満足いかなかったらしい。何とか今日は杖も魔力も暴走させずに済んだのに。


「グラキリス先生、ルプスコルヌは書いてある通りにやっています。段階は飛ばしてないと思います」


 僕が謝ると、サビーがそういって、庇ってくれた。彼は魔力の扱いに無駄があるという理由で、ここに来た。僕よりはましだが、属性によって相当なムラがあるという。このクラスでは優等生だ。そして、物おじしない。


「下準備がなかった、そこが問題だろう。常識ではないか!常識のない者は好ましくない。常識こそが基礎。基礎こそが正義なのだ!」


 教科書云々のレベルではなかった。

 常識の問題だったのだ。この数回の授業で怒られた理由はそれだったらしい。ようやくわかったのは、サビーのおかげだ。準備運動的なものがなかったのが、いけなかったのだ。

 だが、僕はそんなものを今までやったことがない。


「魔力を体に循環させたら、杖に魔力をなじませ、試し振りをする。慣れないうちにはそうしなければならない」


 皆、何をやっているのかと思ったら、そういうことなのか。

 杖をもって念じているのはうまくいくように、と祈っているのかと思っていた。どうやら、それは常識の範囲内だからこそ、教科書には書いていないらしい。


 魔力の循環はやったことがあるが、杖になじませたことはなかった。杖を使ったことがない僕には、そこの常識が抜けていたのだ。


「分かりました。いったん消して、もう一度やり直してみます。≪消えよ≫」


 すると、勢い余って、サビーのものも消してしまう。光っていた水晶灯が消え、部屋が一気に暗くなる。


「うわぁっ!ごめん、サビー」


 慌てて謝るが、消えてしまったものは元には戻らない。本当に、申し訳なかった。


「しょうがないよ。もう一度僕もやってみるさ。練習にはなるだろう」


 本人は気にしていなかったが、グラキリスは違った。


「ルプスコルヌ!お前というやつは…。もういい。部屋を出ていきなさい。ほかのものの邪魔になる。この始末は、お前の成績から減点することでつける。自主的に練習し、もう少し杖が使えるようになってから来なさい」


 思わずじっとグラキリスの顔を見たが、決意は揺らぎがないように見えた。冷えた目でじっと見降ろされ、ひどく心細い心地になった。


「申し訳、ございませんでした」


 これ以上、言っても懇願しても無駄だと思い、自分のしたことを詫びて部屋を後にした。背中に幾つもの視線が突き刺さった気がした。

___________________________________


「どうしようねぇ、グーグー。常識ってどこに行ったら手に入るのかなぁ」


 構内にある水の出ていない噴水のもとに座り、話しかける。教室を追い出され、そのまま部屋に帰るのもしゃくなので、黄昏ていた。

 ここ数日、遠慮していたが、気持ち的にそんなことは言っていられず、抱き上げて、頭を載せて頬ずりした。くしゃくしゃの黒い毛皮に鼻をうずめる。暖かく、少々日向くさい毛皮は心をひどく慰めた。落ち込んでいるのがわかったのか、今日はグーグーも何も言わない。


「お前の場合、常識っていうよりは一般的な習慣ぽいよな」


 珍しいことに、ぺろりと鼻の頭をなめてくれる。益々ぎゅっと抱きしめてしまい、グーグーの口からぐえっという声が漏れた。しかし、知らなかった、で済ませてはいけない気がする。なんというか、こう、基礎に入る前の基礎的なものを知りたい。


「そうなんだよねぇ。普通の家だと思ってたんだけどなぁ」

「いや、貴族が畑耕して、市場でものうってる時点で普通じゃないと思うぜ」


 まあ、そうかもしれない。


「お前の親の厚意が裏目に出ちまったんだろ」

「厚意?」

「お前の親は多分、貴族じゃなくても生きてけるような力をつけさせたんだろ」


 確かに、と思う。僕もそれなりにしつけは受けているが、それは貴族としてよりは貴族に面会する一般市民としてのものだ。貴族としてのものも、知識として入っているが身についていないとカウダに言われている。


「そーかも。叔父様が来た時もびくりしてたし」

「まー、知らないもんは知るしかない。お前の趣味が役に立つんじゃねーの?」

「…図書館?」


 知識を得る場と言ったら図書館だろう。我が家の本のたまり場、通称・本の墓場からも、僕は大量の知識を得たが、そういう場所がここにあるとは思えない。


「まだ許可が出てねーけどな」


 図書館に立ち入るのは許可がいる。汚損や破損をする可能性がある学生には許可が出されず、結果としてレポートも出せないで退学する羽目になるらしい。


「そうなんだよねぇ」


 一年生は全員、図書館利用手引きを受けて、担当者の許可が下り、さらに司書からの入館証がもらえてからしか、利用ができない。例外は指導をする教師の許可が下りた時だけだ。つまり、ヴィルトトゥムである。


「一回ヴィルトトゥム先生に相談してみるかなー」

「呼んだ?」


 思わずびくっと飛び上がってしまう。後ろを振り返ると、にこにこしたヴィルトトゥムがいた。今日はこの間と異なり、普通の地味な教師の格好である。こうしているとごく普通の先生だ。


「ヴィルトトゥム先生、ここで一体何を。まだ授業中ですよね」

「今日は早く終わったから、終わりにしちゃったんだ。だらだらやるの嫌いだからね」


 うきうきという言った。手には色々な資料を持っている。グラキリスが聞いたら怒りそうな言い草である。彼は神経質なほどに時間をきっちりと守る。


「はあ…、お疲れ様です」

「珍しく落ち込んでるね。今日は僕、もう、研究室行くだけだから、話聞くよ。何か聞きたかったんでしょう?」


 僕の名前が聞こえたし、といった。先ほどの独り言をしっかり聞かれていたらしい。

 それではと思い、そのまま噴水に腰を掛けて話をする。お礼代わりにあたたかなキトルスメンタのお茶を出した。

 そうして、話すうちに、彼の顔が笑いを含んだものになっていき、最後にはこらえきれない様にくっくっと笑い声を漏らす。


「先生! 僕は真剣なんですよ」

「いや、悪い悪い。グラキリス先生は頭が固い以外は、そんなにすごく悪い先生じゃないんだけど、君とは相性悪いかもね。なんといってもを愛しているから。妄信っているかね」

「なんだかもう、いちいち非常識だって言われるし…。だからどこに行ったら常識が手に入るかなって」

「それで図書館?いいよ。推薦状を書いてあげよう。君、この後は授業ないでしょ?確かピエタスさんと打ち合わせだったよね。二人で一緒においで」


 こうして、僕は少々早く、図書館への切符を手にすることができることになったのだった。

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