その頃の。 ①

「ふふふ…できたできた」


 目の前に出来上がった新しい車椅子を見て、ヴィリロスはほくそ笑んだ。魔法と化学技術を融合させた、最新式の車椅子である。見た目も可動性も問題ないどころか最高だ、と自画自賛する。

 本人は微笑んだつもりなのだが、表情筋の所為かその中身の所為か、ほくそ笑んだ様にしか見えない。魔王感が半端ない。

 顔立ちも所作もすこぶる美しいのだが、どうにも性格が悪そうな男。それがヴィリロスだった。妻と息子に微笑むときだけ、柔らかな表情が浮かぶ。

 学生時代から、彼に対する評価は真っ二つであった。


「まあ、ヴィー様。新しいのが出来たのね」


 おっとりと妻であるコラリアが言う。三十路を過ぎたとは思えない、若々しく、愛らしい見た目だが、これで弓の名手で、凄腕の猟師だ。


「うん、これで都の石畳も移動しやすくなるだろう」


 諸事情から、あまり貴族の前に出ない方がいいヴィリロスとコラリアだが、こっそりと息子を尋ねるために都に遠出をするつもりであった。弟に頼んでルセウスを呼び出してもらうのだ。

 ついでに王都の周囲にいる昔馴染みにも会う予定だ。ひと月以上いられないのが難点だが、これを機会にいろいろと根回ししておきたい。まさか、息子が貴族として遇されるとは思いもよらなかった。

 家の管理は、以前こちらを管理していた、遠縁の男性がしばらく管理をしてくれるというし、問題はない。そんなこともあり、二人は絶賛旅支度中であった。

 息子に内緒、ということでわくわく感もいや増す。


「それにしても、本当にヴィー様、これでよろしかったの?」


 目の前の最新式の、そして世界で唯一であろう椅子を眺めながら彼女は夫に尋ねた。

 頭脳明晰で魔力抱負、容姿も抜群の彼だが、何かがどこかずれている。主に、センスという点で。

 新たな車椅子は、淡い茶に濃いこげ茶の斑点が散る、ループスリュンクスと呼ばれる巨大な山猫の柄だった。はっきりいってド派手である。

 もとの毛皮の持ち主は先日、魔力の豊富な餌として彼ら夫婦を襲ってきたところを、コラリアに仕留められた。無駄な殺生はしないが、自分たちの身の安全が第一なので、躊躇はしない。肉や内臓は薬品として、ありがたく使わせてもらった。

 そうして残った毛皮を椅子にかぶせて、魔力で丁寧に圧着したのだ。元が魔獣で魔力を帯びているせいか、単に手で行うだけよりも数段、魔力の通りがよくなる。もちろん反発はあるが、ヴィリロスの魔力を上回るものは、人でも動物でもめったにこの国にいない。


「好いだろう?これで移動すれば振動は少なく、段差も思いのままだ」


 この椅子は単に柄が山猫なだけではない。上部は普通に椅子なのだが、なんと、四つ足が生えていた。車いすの車の代わりである。四つ足は、腿から足の先まで丁寧に作りこんでいる。なんと、滑り止め代わりの爪も生えていた。

 しなやかさを持つ金属でループスリュンクスの骨格を模したものを作り、それに樹液で作った人造筋肉を巻き付け、毛皮をかぶせたのだ。爪は元の毛皮の持ち主のもので、出し入れ自由にした。これを魔力で動かす。


「なぜ、誰も思いつかなかったのだろうな。単なる車輪よりも便利だ。しかも狼や馬といったものより、こ奴らの動きは上下が少ない。すばらしい!」


 自分が作ったものを自画自賛する夫を見て、……不気味だからだと思うわ、と心の中でコラリアは突っ込んだ。

 斑点模様のド派手な車いすがぴょんぴょんと動くさまは、はっきり言って異様である。本人が満足しているから言わないが。

 もともとは誰よりも足が速く、戦場を駆け回っていた夫を知っているだけに、今の彼がもどかしさを感じていることも知っている。これで今よりも可動性が増すならば、見た目は小さな問題である。


「……それはともかく、ほかの準備はよろしいの?」

「転移陣も六枚ほど準備したし、荷物も問題ない。あとは盗難防止の魔術を全体にかけていくだけだな」


 秘術とされ、実際に使うには恐ろしく高額な転移魔法も、ヴィリロス本人が使えてしまうので、ただである。今回は妻がいるから自重して転移陣を使うが、一人だけならば勝手にどこにでも行ってしまう。それでも、大地を踏みしめることはかなわない。


「こちらも、大体はできましたわ」


 昔は各貴族の家に王都に直結する転移陣が常設されていたのだが、四代ほど前の国王が廃止命令を出し、すべて破壊されてしまった。今は各州に一つ、王国が管理する転移陣があるだけだ。

 頭脳と魔法方面に関していえば、目の前の男は恐ろしく有能であった。有能であったがゆえに、今ここにいるといってもいい。非常に複雑な彼の立場ならば、もっと凡愚であってもよかったのだ。


「あとは、お土産の食べ物くらいかしら」


 そう言ってたっぷりの荷物が入った掌大の小さな魔法袋を見せる。コラリア得意の裁縫で可能な限り小さくした、大容量の袋である。息子のルセウスが首から下げられるように、丁寧に編んだひもをつけている。


「でも、ほとんど準備はできているの。ルルの大好きなパスタも打ち直したし、干し野菜も干し肉もたっぷり準備したのよ。在庫の方を見たら、結構使っているみたいだったから」

「叔母上の孫と一緒に住んでいるというから、ふるまっているんじゃないか?」


 ぴょんぴょんと子どものように車椅子…いや猫椅子で跳ね飛ぶ。実に楽しそうである。ふかふかとした見事な毛皮は、衝撃をきちんと吸収していた。


「そうね。…あの子、魔力硬化症が直って本当によかったわ」


 まだ、結婚する前に、両親に出来損ないと怒鳴られて王城で悲しそうにしているアーギル・ルヴィーニに出会ったことがある。赤い髪が印象的なたいそう愛らしい子で、一生懸命なのに怒鳴らなくたって、と思った記憶がある。たった、二つか三つ。本当の幼子だった。


「本当になぁ。そういえば、面白い飛び猫を連れているらしいぞ。実に楽しみだ」


 跳ね飛んでいたのをやめ、地上で落ち着く。それから、いそいそとルセウスからの手紙を差し出してきた。几帳面な字がずらりと並んだそれは、コラリアも何度も読んだ。いろいろとやらかして大変そうだが、何とかやっているようである。基本的に生きる力は十歳までに、と思い、叩き込んできたから大丈夫だろう。

 その血筋から、貴族として受け入れられても、受け入れられなくても大丈夫なように、あらゆる方面の知識を身に着けさせた。庶民としても暮らしていけるように、この国を離れても一人で生きていけるように、と。

 常識を教えたにもかかわらず、あまり身に着けられなかったのは誤算だが、それはこの目の前の夫によるものが多いだろう、とコラリアは思っている。だが、夫と異なり素直な息子は、なんだかんだで溶け込んでいくだろう。


「色々と懐かしい食べ物があるとも書いてある。そう言えば、マニュ先輩が指導員になったといっていたな。あの人は、コラリアのプフェルの甘煮が好きだった」

「そう、そうね。………ところでヴィー様。準備をしていて気づいたのですけれど、プフェルの蜜煮の瓶詰をご存じないかしら。収穫期に作っておいたものの数が合わないの。マニュ先輩に持って行こうと思って多めに保管しておいたのだけれど」


 小首を愛らしく傾げ、ないのよねぇ、と呟く。

 浮かれていたヴィリロスの表情が固まる。にっこりと穏やかに微笑む妻からは、冷気が漂っていた。


「いや、その。あまり美味そうだったから…隣のセブとの晩酌に…。ええと、ごちそうさまでし…ッ」


 耳のわきを、光の矢がかすめていく。艶のある、美しいヴィリロスの髪がいくらか切れて、はらりと床に落ちた。


「……大熊蜂の蜜、採ってきてくださるんでしょ?ねえ、ヴィー様」


 プフェルの実はまだ時季だからあるが、大熊蜂の蜜は希少なのだ。とっておきの瓶詰を食べてしまった夫に対し、彼女はものすごく怒っていたらしい。


「い、や。その、このあたりの蜜は…あらかた採ってしまって」


 今年の分の蜜はほとんど加工してしまったし、この近隣のものはとってしまった。来年まで待たねばならない。

 新たに採りに行くにはもう少し南に行かねばならなかった。しかも今は夕刻。


「……採ってきてくださるわよね」

「は…ハイ」


 こうして、夫婦の出立は、数日遅れることとなったのであった。


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