第24話 女友達。

 貴賓室と呼ばれる食堂で大満足して、教室に向かう。もちろんグーグーも一緒だ。あそこの食事は非常に質が高くて、母の味に少し似ていた。長い間ここで暮らしていたから、少し似たのかもしれない。

 どれでもいいよ、と言われたのでたっぷり頼んだところ、ヴィルトトゥムには非常におどろかれた。小食に見えるのに、と。

 さて、いよいよ中級魔法植物学の時間である。教室は一階の端にあり、教室奥の扉からは外の畑や温室に出られるようになっている。

 僕もこういう部屋が欲しい。

 教室に行くと、学年を飛び越えて色々な学生がいた。成人に近い者もいる。人数は少なく、十数人ほどであった。植物学は面白いのに、少数派らしい。


「あら、あなたもとってたの」


 そんな中にパンタシアがいた。嫌そうに声をかけてくる。別に声なんかかけてくれなくていいのに。だが、一年は彼女と僕しかない。他にはなす相手もいなかった。


「……やあ。ピエタスさん」

「あなたと一緒だとは思いませんでしたわ。いつも犬と一緒ね。いないと何もできないの?」


 肩に乗ったグーグーが嫌味に対して面倒くさそうに欠伸をする。僕も面倒くさいので、さっさと流す。

 もう一息彼女が言い募ろうとしたその時、向こうから白髪の紳士然としたおじいちゃんがやって来た。素敵な銀の杖をついてはいるが、歩みは早く、優雅だ。汚れてもいい、綾織の労働着を身に着けている。


「私がテレーノ・デムース・スティルペースである。本日より講義を開始する。ここにきているものは基礎は理解しているということで、さっそく実践だ。今年は一年もおるので、上級生は手助けしてやるように」


 基本的に前年度に基礎魔法植物学を収めた学生が来ているらしく、スティルペースとはほとんどの学生が顔見知りのようだった。まったく始めてくるのは僕とパンタシアだけらしい。


「今日はまず、旬の味覚のだ。うまく処理をすれば非常に滋養に富んだ食材になり、薬の材料にもなる」


 スティルペースが助手に指示をして持ってこさせたのは、秋の味覚のキノコ、灰樹茸はいじゅたけだった。まだ、木に張り付いたままの新鮮なものである。水分がたっぷりあってぷりぷりしてておいしそうだった。あれは牛乳と山鳥と煮込むと、出汁が出て最高なのだ。


「さあ、今日はこれを使えるように処理をしなさい。助け合ってもかまわんし、辞書も使ってもかまわん」


 助手が一人一人灰樹茸を配ってくれる。一人原木一本。腕の長さぐらいの枯れたように見える原木には、二十個ほどのキノコが生えていた。


「これ、は…。赤木茸…いや、滑りぬめり茸か?いや、しかし滑りはないな」


 明るいアルバリコッケに似た色をした髪の青年が、僕の隣で矯めつ眇めつキノコを眺め始めた。周りの人々も同じように観察し、それから辞書や教科書を繰り始めている。人によっては拡大鏡を取り出し、見分し始めている。


 ――― え、どう見ても灰樹茸でしょ?!


 思わず叫びそうになった。だが、そう言えば確かにキノコの名前は言われなかった。考えてみれば、普通の貴族はあまり料理どころかキノコ狩りなどしないのだ。知らなくて当然だ。


「わ、わかったわ!これ、紫茸よ。うっすら紫色だもの」


 淡い黄緑色の髪をした少女が声を上げ、それをきっかけに周りも一気にもぎ取りにかかった。紫茸は根元からぶっちりと千切るのがいいのだ。

 だが、灰樹茸にそれをしてはならない。


「あ、それは、止め…」


 そう言って止めようと途端、キノコが原木から離れて飛び回り始める。胞子をまき散らし、キーキー言いながら暴れ始めた。

 胞子が煙い。あまり吸い込むと、くしゃみがしばらく止まらないといいうおまけつきだ。


「なにこれ! 紫茸じゃないの?!」

「マジかよ?!ぶふぇっくしゅ……ッっ」


 阿鼻叫喚。

 周りが一気に混乱に陥る。

 みんな、くしゃみを連発していた。

 このキノコの学名はフングス・トリプディオ。別名・踊るキノコである。危害を加えると判断すると、跳ねまわりながら胞子をまき散らして攻撃を加えるという、不思議なキノコなのであった。いまだに植物なのか、魔物なのかという議論が交わされるものである。

 スティルペースはそれをにやり、と笑って視ていた。つまり、それを狙ってたんだろう。性格が悪いことに、うっすらと結界を張って、自分は胞子攻撃から防御している。


「それ、灰樹茸です。千切ろうとすると攻撃してきます!」

「何だって?!」


 慌てて他の千切りかけていた人々が手を止める。それを見澄まし、僕は胸に入れてあったハンカチで口元を覆いながら息を吸い、歌を始めた。僕の故郷で歌われる、伝統的な子守歌だ。皆、このキノコの収穫の時にはこれを歌う。

 そして徐々に薄くだが魔力を込めていく。なくてもいいが、効き目が早い。

 すると、飛び跳ねていたキノコが落ち着き、僕の元へとやってくる。皆、僕の原木のもとにやってきて、大人しく、横になっていった。


「ああよかった」


 全部が集まってきたのを見澄まし、歌をやめる。そしてマントの下から、いつも身に着けている収穫用の刃物を取り出し、キノコの石突部分を切り落としていく。本当はキノコは手のほうがいいのだけれど。今は時間を優先する。なぜだか、石突部分を切り落とすと灰樹茸は大人しくなるのだ。


「ふーっ、これで全部です」


 ぼくは一仕事やり終え、大量の灰樹茸を収穫して非常に満足だった。


「す、すごいわね。あなた」

「ほほう。その方法を知っているとは、珍しいな」


 そんな風にパンタシアに褒められた後、スティルペースが言った。目が合うと、にやりと笑われる。


「その歌は使えるほどの魔力を持たない庶民が使う方法だ。それを使うとは、君は養子かね?」

「一応、生まれは貴族ですが、庶民の生活にも親しんでいます。しかし、あれの原型は古代の子守歌です。歌詞ではなく。旋律自体が魔法になっている、珍しい型の歌なんです」


 元々は古代の王族のための魔歌だった。それが庶民に広がったといわれている。ぐずる子どもを眠らせるためのものだったという。ほぼ魔力を使うことができない庶民でも、あの魔歌ならばごく微弱な魔力が勝手に引き出される。だから、今でも使えるものがいるのだ。


「そこまで知っておるとは!……いや、気に入ったぞ、坊主」


 がははっと紳士然とした様子に似合わない声で豪快に笑う。


「ありがとうございます。坊主は僕の名前ではありません。ルセウス・ミーティア・ルプスコルヌと申します」

「そうかそうか。ルプスコルヌというと、コラリアもヴィリロスの息子だな!いや、あ奴らがまともな親になるとは。愉快愉快!!」


 両親のことを知っているらしい。まあ、結構なおじいちゃんだから、教わっていても不思議はないか。


「さて、魔歌以外のやり方はどうだ? ヴェリココ」


 ひとしきり笑うと、先ほどキノコを見分していた青年に問いかける。去年とった生徒らしく、気軽にはなりかける。


「ええ…っと、麻痺の魔法をかけてから足を切る、とあります」


 彼が植物百科の灰樹茸の頁を開きながら答える。確かに麻痺の魔法をかけるのが大抵の貴族のやり方だ。間違いではない。とにかく動きを留めればいいのだ。


「そうだ。だが、実は歌の方がいい。それはなぜだ?わかる者はおるかね」


 周りを見渡しながらスティルペースがこちらに問いかける。僕が口を開こうとすると、指で彼に制された。ほかの生徒に答えさせようというのだろう。


「ま、麻痺の魔法は対象を固くしますわ。食用にもなるのでしたら、柔らかい方がいいのでは。それに、か、固くなると魔力のとおりも悪くなりますから、素材としても扱いにくくなります」


 眼鏡をかけた、大人し気な女性が答える。びくびくしている感じだが、言っていることは的確だ。もっと堂々とすればいいのに。


「その通り。いいぞ、エラン。だが、もう一つ大きな要因がある。パンタシア・ピエタス。答えたくてうずうずしているようだな。言ってみなさい?」

「音の範囲ですわ!音は自分が思うよりもずっと遠くに行き渡ります。人では聞こえない範囲にも。この厄介なキノコを一網打尽にできます」


 以前、アディの家は魔歌や魔曲を研究する家だといっていた。パンタシアの家はそうじゃないらしいが、近くにいれば、いろいろ知っているのだろう。


「すばらしい!いいぞ。それだけの利点があるのに、魔歌が一般的にならないのはなぜだ?」

「旋律の再生が困難だからっすよ。だから、簡単なのしか残らなかったんしょ」


 みごとな金髪をした少し不良っぽい学生が言う。庶民っぽい口調が懐かしい。そう、魔歌は音程だけではなく、微妙な揺れなども再現しなくてはならないので、結構大変なのだ。


「そうだ。エルキスの言う通りで、旋律を正確に紡ぐのは結構大変だ。だが、逆に旋律を紡げれば庶民でもできる。膨大な魔力を必要としないからだ。使えるかどうかは別にして、誰もが魔力だけは持っているからな」


 農民は、音感のいいものから選別され、幼い頃から何種類かの歌を叩き込まれ、試験を突破したものだけがキノコ狩りを許される。

 普通にとれるキノコもあるが、灰樹茸のようなものもあるからだ。僕は母からそれを習った。僕の育ったあの地域はキノコの産地で、キノコ猟師は花形職業である。高給取りなのだ。


「庶民も侮れないのですわね」

「何を言う。私たちはたまたま貴族に生まれただけだ!我らの知らない知恵は、どの立場にもある。侮るものではない」


 ふん!と鼻白むようにスティルペースが言った。

 性格はあんまりよくないけど、僕、このおじいちゃん、意外に好きかもしれない。



「あなた、別に家柄だけじゃないのね。少し感心したわ。その…突っかかってごめんなさい」


 授業の後、教室を出ようとするときに、パンタシアに声をかけられてそう謝られた。

 思わず耳を疑った。信じれらなくて、彼女のことをまじまじと見つめてしまう。すると、極まりが悪そうに、彼女が視線をそらせた。


「失礼ね。悪かったと思ったらわたしだって謝るわ」

「あ、ごめん。意外だったから」


 素直に謝ると、彼女の肩の力がすとんと抜けた。緊張が解けた感じだ。


「…父がどれだけあなたのご両親、とくにあなたの父上に被害を被ったか、っていうのを私もアディも散々聞かされてきたの。父のされたことに私はムカついてたけど、アディは興味津々だったわ」


 彼女の話からすると、父はたぶん悪気があったというよりは、きゃんきゃんかみついてくる彼女の父を面白がってからかっていただろうことを想像できた。あれは、やっている本人は楽しいのかもしれないが、やられた方はかなり腹が立つのだ。僕も、一回やられて徹底的に無視したら、父は二度とやらなくなった

 そんなわけで、パンタシアは僕が家柄を鼻にかけ、いろんな教師に目をかけられているのだと思っていたらしい。

 僕は母が子爵という以外、全く自分の出自を知らなかったというのに、どうやって鼻にかけられるというのか。

 そして、何よりアディへの悪影響が怖かったのだと言った。好奇心が旺盛な彼は危険なものにわざわざ飛び込んでいく傾向があるという。


「考えてみれば父と子は別物なのよね。貴方の父親がちょっとばかりタガが外れた人だからって、貴方もそうとは限らないんだわ」

「そういってくれるのはうれしいよ。でもまあ、常識はないのかもしれないね、アディと君に比べると」


 こっちに来て、自分の常識がないということを散々言われたので、いい加減少しは自覚している。反省の真っ最中なのだ。


「でも、貴方、やることは突拍子もないけど、ちゃんと聞く耳は持ってるでしょ。いちいち直してるじゃない」

「あ、ありがとうございます?」


 意外な言葉に驚いた。僕の反省具合をそれなりに見ていてくれたらしい。


「でも、あの子…、アディは夢中になると飛び込まずにいられないの。聞く耳を持ってないのよ。困ったもんだわ」


 彼には快楽物質依存症スリルジャンキーの傾向があるらしい。だが、否定はできない。僕も目の前に禁書庫のカギをぶら下げられたら我慢できる自信はない。アディの気持ちはよくわかる。

 だが同時に小さいころからそれをしてはいけないともしつけられていた。父は面白がるが、母はそのところがこわいのだ。


「お互いに気を付けるようにはするよ」

「そうね。そうしてくれると助かるわ」


 何がどう作用したのかは知らないが、彼女の纏っていたとげとげが急になくなってしまった。きゃんきゃんかみつく子犬のようではなくなると、知的な表情が現れた。彼女のアディに対する感情は恋かと思っていたが、どうやらどちらかというと保護者的なものらしい。


「じゃあ、僕、次は護身術だから、行くね。ピエタスさん」

「ええ。……パンタシア、いいえターシャでいいわ。わたしもルルって呼んでいいかしら」


 彼女の頬が、淡い紅色に染まっている。ちょっと照れているようだ。


「もちろん。またね、ターシャ」


 女の子って怖いけど、こういうところはかわいいな、と思っていると、


『おまえ、けっこうちょろいよな。悪い女に騙されないようにしろよ。俺様は心配だぜ』


 頭の中にため息交じりのグーグーの声が響いた。

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