第23話 人型。
目の前に現れた青年は、どこか子どもっぽさをはらむ不思議な雰囲気を纏っていた。癖のある黒の短髪に、白い肌。白といっても、僕たちとは異なる。
特徴的なのは大きくきゅっと吊り上がった色違いの瞳。もちろん赤と黒だ。そこにとおる高い鼻梁。僕たちと同じ人種にも、サビーに流れる血にゆかりの人種にも見えるような不思議な顔立ちだった。
肉付きがいいというのではないが、骨格はかなりがっしりとしていた。そこに見事な筋肉がついている。そして、目の前にはかなりご立派なものがぶら下がっていた。
「そうじゃないかと思っていたんだ!あの出てきた時の変容の仕方。普通の魔犬とは思えなかったからね。この目で見れるだなんて…」
うっとりとした目でグーグーを見つめる先生は、服装も相まってかなり怪しい。性的思考には頓着しないが、あの目つきをした人はもれなくやばい人である。何度か市場でお目にかかったことがある。
「あのー。グーグーさ、とりあえず服着ない?……先生も落ち着きましょうよ。全裸の男が目の前にいたら、普通、捕縛ものです」
痴漢、と叫ばれて攻撃されても仕方ないと思う。
「全裸?……ああ、そうか。しばらく犬のまんまだったからな。ここ、数十年服着てなかったわ」
今まで全裸であることに気づいていなかったように言う。声は随分と低くなっていた。
「人間ってのは毛が無いから不便だな」
確かに、犬が服を着てたら変だ。貴族の女性の間では着せることもあるというが、着ていない姿が一番素敵だと思う。
ぐるり、と自分の姿を見回すと、次の瞬間にはやや時代がかった衣装をまとったグーグーが現れる。音もなく、父の着替えよりも早かった。
「ああ、素晴らしい!これは、亡国ルドゥン風の衣装だね」
前にグーグーがいたところもルドゥン風だった。
「……それにしても、魔法生物って人間になれるんだね」
よほど力のある魔法生物は人になれることがある、と以前本に記載があったのは覚えているが、本当だったらしい。つまり、かなり有能だということだ。
「いや、ルプスコルヌ君。普通はこんなに滑らかに人に変身しないし、流暢にしゃべることも少ないからね。よほど力を持っていなければね。スクートゥム君のカウダがそれに近いけど」
「カウダ?あいつは精霊化しかかってるからな。もう十年くらいしたら、完全になるんじゃないか?」
カウダってすごかったんだー、と思わず感心してしまう。確かに僕の知っている飛び猫とカウダは違っていた。しっぽが一本ではなくて何本もあった。
ヴィルトトゥムは僕らの会話の間にも、矯めつ眇めつあらゆる角度からグーグーを眺めていた。少しの間付き合っていたが、嫌気がさしたらしく、
「つーか、座ってもいいか、俺」
そう言って冷たい目でヴィルトトゥムを見下ろした。
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「で、なんでグーグーは僕を抱えてるの?」
どっかりと長椅子に座った後、脇に座っていた僕を抱えた。さっき僕がやったみたいに。そのままお茶を飲み始め、僕の手にも湯飲みを握らせたので身動きできない。
「いつもと逆もいいだろが」
「十歳なのに…」
ぶーたれると後頭部に鼻をつっこまれ、くんくんされた。確かに僕がいつもやっていることである。やられると微妙な気持ちだ。気を付けよう。
「さて、じゃあ本題に戻ろうか。……昨日のことは感謝する。僕ではきっと間に合わなかった」
一人がけの椅子を運んできてそこに座ると、先ほどまでの浮かれた様子は鳴りを潜め、教師としてヴィルトトゥムは感謝の意を示した。
「俺がやった方が手っ取り早いからな。妙な魔力が混じってたし」
一応契約者の僕を守ったらしい。なるほど。大した、魔法生物だ。
「それ!そのことが聞きたくて、君たちを呼び出したんだ。検証した結果、彼の燃やした残骸から、オケアヌス君以外の魔力も感じられたんだよ。ごく微量だけど」
「それ、グーグーもさっき言ってました」
来る途中に言っていた。だが、あの時、ほかの班員と違って、確かにキィは一人で作業をしていたのだ。
「薄すぎてわからねぇほどに魔力は薄めてあった。しかも燃えちまったからわからねぇが、おそらく条件が合う魔力に反応するように仕込んであったんだろ」
大した魔力ではなくとも、混ぜると危険、という相性があるのだという。それを利用したらしい。しかも、痕跡をうっすらと残しつつ、判別できない程度に薄めている。つまり、相当な手練れだということだ。
「…無差別かぁ。厄介だな。あれは廉価版の、あまり質の良くない羊皮紙で、備品部から大量に持ってきたものなんだよ。再生羊皮紙なんだ。……それにしても、あんまりなじみがない術だね。昔の書物で読んだ気はするが」
あれは助手の青年が運んできたが、教師の許可を得た者であればだれでも出入りできる場所で保管されている。やろうとすれば、誰でもできたということだ。
「あれは、この国が制圧した、シャルムの上級呪術師の秘術だ。ただ、古代の呪術師は普通に使っていたから、古文書を読み解く力があればなんとかなる。普通、禁書だがな」
おそらくはこの国の禁書庫にもあるだろう、と言った。国王所管の、最高機密が詰まった僕のあこがれの書庫である。数百年前の国力が最高の時に権力に有無を言わせて、時の権力者が古今東西の禁書、貴書、奇書などを集めた世界最高峰の図書館である。
「それを恨んでる人が入り込んでいるってことなの?」
「そうとは限らない。わざとそれを装ってるってこともある」
そう言いながら、ヴィルトトゥムは茶菓子を出してくれた。春の果物を貴重な白砂糖で漬けこんだ贅沢な菓子だ。
出された途端、貴重なそれをグーグーはわしづかみにして口に放りこむ。もったいない。
「ほら、お前も食え。口開けろ」
唇に、フラーグムの砂糖漬けがぎゅうぎゅうと押し当てられ、仕方なく開けると、甘ったるいそれを口の中に突っ込まれた。
舐めて、表面の砂糖が取れると、水分が抜けてねっちりとした中身が現れる。中身は思ったよりも甘酸っぱくておいしかった。
「……それとな、アレ、無差別じゃない。多分お前を狙ったもんだぞ、ルル」
もう一個突っ込まれたフラーグムをむぐむぐと咀嚼していると、そういう声が頭の上から降ってくる。
「えっ?」
上を思わず見上げると、手元の湯飲みが落ちそうになり、グーグーが魔力で浮かせてくれた。
「どういうことかな?」
「こいつとキィは魔力の見かけが似てるんだ。キィもこいつと同じで、あ平均的にどの性質も使えるんだ。珍しいだろ。ただ、こいつの力は強すぎで、相手の魔力を上書きしちまった」
得意を作るのはいいが、どれも平均以上には使えなくてはいけない、と父に躾けられたので、僕はどの性質の魔力も使える。逆にどれかに特化はしていないのだけれど。
それを言うと、ヴィルトトゥムは珍しいことなのだ、と言った。ヴィーの奴め、とも言っていたが。
「今年が珍しいんだよ。そういう学生は本当に数が少ないからね。通常は人学年に一人いるかいないか。要するにある程度は情報を手に入れられる立場で、学園内を行き来できる手練れってことか。候補者が多すぎるな」
教師陣だけでなく、生徒も候補に入るからだ。高学年では助手の助手のようなことをすることがある。もちろん制約はあるが、一定の情報には触れられる。だが、キィの情報までは知らないということは、再機密事項に触れることまではできてないはずだ。
「とにかく、ルプスコルヌ君。これから、グーグーなしで出歩くのは禁止だ。外出も当面禁止だよ」
「ええっ!」
初めての外出はすぐそこに迫っていたというのに、僕は学園に捕らわれの身になってしまった。
初めての外出日には叔父と出かけることになっていたのに。王立図書館の入館証も作る手続きをして、またおいしいものを食べさせてくれるといっていたのに!
あんまりだ!と抗議したものの、ヴィルトトゥムの決定は覆らない。
だめもとで、叔父とパフェを食べに行くのを楽しみにしてたのに、とうるんだ瞳で見つめるが利かない。
菓子を買ってきてもらえと言われる。そう言うことを気にする相手じゃないから、と。
ヴィルトトゥムと叔父は旧知の仲らしい。
納得できなくて、ぶーっと頬を膨らませると、グーグーがつんつんつついてきた。よく見ると、犬の時と同じように爪が黒に染まっている。
「やめてよ、グーグー。くすぐったい」
「いーだろ?お前もいつも俺のこと撫でたりつついたりしてんじゃねーか」
つつくだけでなく、ムニムニと摘まみ始まる。でも、好きなだけ触れる毛並みがうれしくて、彼のことを撫でまわしていたことは事実なので、拒否できない。甘んじて受ける。
「さあ、ルプスコルヌ君。午後から授業だろう。お昼でも一緒にどうだい?」
さすがに指導員らしく、予定を把握しているらしい。彼自身は今日は研究日で仕事がないそうだ。だが、あんまり一緒には行きたくない。
即答はしなかったが、顔には出ていたらしく、ヴィルトトゥムが苦笑した。
「おごってあげるから。ね、貴賓室に行こう?」
貴賓室、という言葉が気になった。自分で払う気にはならないが、おごってもらうならば別である。一度は行ってみたかった。
「はい、ありがとうございます」
「お前、現金な奴だな」
上から人のことを眺めながら、呆れたように言う。グーグーは、結構贅沢好みで、僕の節約癖を貧乏くさいと偶にけなす。
「ヤダなぁ。節約上手って言ってよ。抑えるところ、抑えないと」
野菜くず一つだって無駄にしない。肥やしになったり、掃除につかえたりするのだ。細かいものを集めて袋に入れてだしをとっても美味しい。
「君……コラリアに似てるね」
「そうですか?嬉しいなぁ。母上はやりくり上手で、憧れなんです!」
完璧な主婦である母を思いながらうっとりというと、頭上ではグーグーが噴き出し、ヴィルトトゥムは口の端をひきつらせた。
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