第9話 初めての契約。

 動物によっては喧嘩を売っていると思われてしまうかもしれないが、僕はその不思議な生き物から目が離せなくなってしまった。犬ではないが、形状的には犬が一番近い生き物だと思う。

 目が合っているのは淡い金色の瞳に血のように赤い目。印象的な虹彩異色症ヘテロクロミアだ。そして、ものすごく目つきが悪い。所謂、三白眼で、目が座っている。

 だが、怖くはない。ある意味愛嬌があるというか、昔、隣の農場で見た「ブサカワ」な飛び猫に目つきが似ている。あの子はネズミ捕りの名人で、たまに借りて、畑のネズミを狩ってもらったものである。たまに僕に持ってきてくれた栗鼠は外套の襟になっている。空を飛び、地をかける飛び猫は、農場では貴重な労働力だった。


「君は犬…かなぁ?ん~……狼?ちょっと小さい?どっかでこんな生き物見たことあるような気もするけど。このくっ付いているのは……鳥の羽っぽいし」


 ぼそぼそした黒の毛の中に張り付いているものは、よくよく見ると鳥の羽のようなものであった。天狼は確か羽があったはずだが、黒変種は見つかっていないはずだ。それに、ついている羽は黒い体毛と違い、茶が混じったものであった。

 それに、例え幼体にしても狼にしてはどこか猛々しさというか、スマートさが足りない気がする。どこかで、こんな生き物の話を聞いたことがある気がするのだ。ちんくしゃな犬の身体に鳥の羽……。

 実家の本の中で挿絵入りで見たことがあるような気がする。確か、異世界から来た賢者が書いた…と言われたものであったのではなかろうか。分厚くてちょっと汚らしい本だったが、とても面白かった。


『あんだてめぇ。人のことじろじろ見やがって。まだガキのくせに、学者みてぇな見方しやがる。ぶしつけな野郎だな』


 同世代の子どものような高めの声が耳に届く。犬(?)の言葉が急にわかるようになり、思わず目を見開いた。ものすごく口の悪い、チンピラのような口調だ。町中で店を開いているときに絡んできた下町の若い男たちに似ている。


「あれ、人間の言葉しゃべれるの?」


 僕が返すと、犬(?)の方が驚いた顔をして、こちらを見返して来る。目が真ん丸になるとちょっとかわいい。三白眼が緩和されて、犬っぽくなる。ついてに半立ちだった耳もピンと立つ。


『あ゛?!オレの言葉、分かんのか?!』

「えーっと、うん。わかるよ?」


 ばっちりと聞こえている。それはもう、一言一句はっきりと。

 背後で先ほどの女の子と叔父がこちらを見たのが分かった。女の子は驚愕したようにこちらを見ている。不思議そうにしている叔父を見ると、言葉はわかっていないようだ。女の子は頬のあたりを緊張させてこちらを注視している。まるで、一挙手一投足も見逃さないというように。頬のあたりに視線をチクチクと感じる。


『なんてこった。お前、普通な人間じゃないな?』

「ううん?ごく普通の人間だよ。あ、一応貴族でね、でも下っ端貴族なんだ」


 魔法生物にはうっかりと最初に名乗ってはいけないと父から教わっていたので、きちんと守る。つい最初にこぼすと、逆に支配されることもあるからだ。契約を結んでからお互いを披露する。

 かといって、うそを言ってはいけないというのだから、難しい。かわしてはいるが嘘ではないので、許容範囲だろう。


『馬鹿言え!こんな濃い魔力持ってて普通の人間だ?!まあ、その首輪みてーな奴と、あとは…。これは、封魔の封印か。おまえ、魔族用の封印されてるぞ?』

「えー?」


 そう言われて後頭部に手をやると、そこに、じんわりと熱を感じた。でも嫌な感じじゃない。これは僕のお守りだ。

 父が、僕が五歳になった時に施した。これはお前を守るものだと言われ、後頭部に施された。丸坊主にでもしないと見えない場所だ。普段は全く意識したことはないが、たまにじんわりと温かみを帯びるので、普通にお守り変わりだと思っている。

 母も知らない。他に誰にも言ってはいけないよ、と言われているから、母にすら言ったこともないのだ。それをこの小さな犬(?)は一発で見破った。ただものではない。口も悪いし。


『お前、たぶん魔族の血が混じってるわ。先祖返りかもしれねぇな』

「そーなの?うん、まあうちのあたり、結構国境沿いだから、あるかもしれないね」


 衝撃的なことを僕に告げながら、なんだか納得したようにうんうん、と頷く。妙に人間臭い。とりあえず、犬はこんな行動をしないだろうから、犬の形をしたなんかなんだろう。


『南の方か?』

「うん。そうだよ」


 我が家は国のはずれであり、二国と国境を接する領地だ。僻地といってもいい。夏は暑く、冬は雪深い。山があるために雪雲が雪を落としていく。その分、結構土地は豊かなのだが、冬ごもりの準備は必須だ。


『ほほう。ふん、ふ~ん。このにおいとすると、このあたりか!面白いな、お前。いろんな血が混じっているぞ』


 鼻をひくひくと動かし、僕のにおいをかぐと興奮したように、背中に張り付いていた羽のようなものがふわりと開いた。天使的な羽ではない。猛禽類のような羽根だ。 鷲のような羽、小柄な犬の身体。(口調はともかく)溢れる知性。頭の中で、本のページが輪郭をなしていく。

 あれは不思議な本だ。今は僕たち一家以外は手に取れない場所に保管されている、一種の希少本である。我が家の本は、求める人には多く貸し出されているのだが(制約はあるけれど)、一部の本は隔離されている。そのうちの一冊だった。

 その、犬のような不思議な生き物が書かれたのは、古い羊皮紙のページで、手で彩色がされているはずなのに、ほぼ茶色と黒で書かれたページだった。その中で、金と赤の色だけが冴え冴えとしていた覚えがある。そこにいたのは目の前の生き物に似ていた。もう少し、大きかった気がするけれど。

 

――確か、そこに書かれていたのは。


 口から、その名前がポロリとついて出た。魔力が含まれた特殊なインクで書かれ、なぜか両親は読めなかったその名前。知っている文字のはずなのに、解説は読めても名前は読めなかった。僕の頭の中にだけは、その名前がひらめいたのを覚えている。


「……グラシャ=ラボラス」


 その途端、ぱちんという音がして、目の前の生き物の前足に金色の輪がはまった。ぴかぴかっとした金色のきれいな輪っかだ。

 どこから現れたのかはわからない。ぱっとみて継ぎ目が見当たらない不思議な輪だった。少し経つと、だんだんと溶け込むように毛の中に見えなくなる。

 呆然と言った態で犬が、はくはくと口を開け、僕と輪の嵌った手をと見比べる。真ん丸な目がとってもかわいい。


「け、契約しちまったみたいだね、坊や」


 犬同様、呆然としたように少女が言った。その後ろ当たりでは、叔父がカップを取り落とした音がする。絨毯に落としたのでなければいいのだが。あのお茶はシミになりやすい。


『あ?!てめぇっ、何してくれてんだ!契約出来ちまったじゃねぇかよ。十にも満たないガキに使われんの、オレ?!』


 きゃんきゃんと犬が吠える。失礼な。僕はもう、十歳だ。あと、八年もすれば成人である。


「僕はもうそこまで子どもじゃないよ。もう十歳だ」

『ガキじゃねーか!すっげーガキだろうがっ。成人年齢まで何歳あると思ってんだよ!八年あるぞ!!」


 我が国の成人年齢は十八歳。つまりあと八年ある。だからと言って、子ども扱いは心外だ。僕は家事を大人一人分くらいはこなす自信がある。


「ルル!何をこの犬は吠えているんだ?」

「えー…えーっと。なんだか契約が不本意だったようで」

「うむ。私もこんないきなり誓約なしの契約など見たことはないな」


 そうして、僕は思わず知らず、グラシャ=ラボラスこと、グーグーの飼い主となったのであった。

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