第5話 父の実家。
休みを取りつつ、馬車を飛ばして5時間ほどたっただろうか。飛ぶような景色の中に時々建物を見ていたが、急に森の中に入ったかと思ったら、30分ほどで停車した。
「ルル、着いたぞ」
自分だけ叔父さまなんて呼ぶのも心苦しいので、愛称であるルルと呼んでくれ、と頼んだら、嬉々として呼んでくれるようになった。意外にこの人は子供好き、というか面倒を見るのが好きらしい。
到着を告げるやいなや彼はさっさと降り、僕の方へ向かって実に優雅に貴族的に、その大きな手を差し出してくる。ところどころ、剣だこが見て取れた。
一瞬何をされているのかわからなかったが、そういえば、マナー本の中に幼い子供や女性に対しては手を差し伸べる挿絵があったと思い至り、手を彼の掌に乗せた。
「恐れ入ります」
乗せられたときはさほど気にしていなかったが、入り口に立ってみると馬車は思いのほか車高があった。確かにそのまま降りては怪我をするかもしれない。
そして、足を踏み出そうとした途端、脇の下に手を入れられ、持ち上げられる。思わず、ぎょっとして叫びそうになった。
「お、叔父様?!」
「あの人はそういうところは不器用だから、こんなことされたことはないだろう。まあ、仕方ないこともあるだろうがな」
いたずらそうに笑って言うと、眉間のしわが取れ、ずっと若く見えた。いつもそうしていればいいのに、と思う。
いつもの自分よりはるかに上に視点があるのは非常に新鮮だった。ある程度身体が大きくなってからは母はそんなことはしないし、父の車椅子の上は、あまり視点は高くない。
「本当ですね、新鮮です。でも、僕、もう十歳なのですが……」
「なに、お前程度、大した重さではない。大人しく抱かれておけ。私は一応軍人だからな」
いや、体重云々ではなく、年齢的に恥ずかしいから下ろしてほしかったのだが、妙にご機嫌のグラディウスはそのまま僕を抱えて屋敷へと向かう。
軍人というのは伊達ではないらしく、抱かれていても背中や尻の下には屈強な筋肉が感じられた。どうも着やせするタイプらしい。以前、よく見られなかった徽章も身分を示すものだけではなく、武功を示すものも入っていたに違いない。見損ねて残念だった。
ふと、視線を感じて後ろを見ると、獅子のような髪を持つ獣人がこちらを見ていた。馬車を操る御者のようである。その彼がこちらを見て、笑いをかみ殺していた。
ほら見ろ、やはりこの歳で抱っこなどというのは恥ずかしいのだ、と思わずうなだれてしまった。
だが、次の瞬間、抱きかかえられていてよかった、と思った。そうでなければ、腰を抜かしていたかもしれない。
目の前に展開されていた光景が自分の許容量を超えていたからだ。
……これは、個人の家と評していいものだろうか。
邸宅とかそんなものではない。もはや城である。左右対称に建てられている建物は巨大で、この距離では全体図が見えない。白の石造りの優雅な城で、要塞機能などはなさそうだ。正面玄関の上の窓は優雅な薔薇の模様で飾られており、ところどころに金がちりばめられている。下品にならず、程よく美しいのはさすがだ。
「さあ、行くぞ。お前の祖父と私の母が待っている」
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結構、色々な大人とうまくやれる自信があったのだが、その自信が揺らいだのは初めてだった。やはり井の中の蛙であったのだろう。
「まあ、この子がヴィリロスの子なの。ふうん、へえぇ」
今、僕は義理の祖母に眺めまわされていた。グラディウスの生母で、父の継母にあたるドルシッラである。所謂なさぬ仲だったようなので、ある意味仕方ない反応なのかもしれない。一方で、祖父にあたる人はじーっと黙ったこちらを見ているだけだ。
彼女は50歳を過ぎているとは思えないほどに若々しい。…というか若作りである。若いころはさぞかし美人であったのだろう。年甲斐のないゴージャスな巻き毛が視覚に攻撃的である。
「可愛らしいと言えば可愛らしいけど、あの子の子どもにしては地味で貧相ね。ヴィリロスは見た目だけはよかったもの」
父は、祖父の先妻の子なので、彼女との間に何か色々とあったのかもしれない。父に対しての敵意を先ほどからビシバシと感じる。
「母上、子どもにそんなことを聞かせてどうなるのです。これからは我らがこの子の後見人なのです。いわば親代わりなのですよ。いじめてどうするのですか」
「あら、いじめてなんかいないわ。真実よ。真実を言ったらいけないわけ?ねえ、そうでしょう。自分でもそう思うでしょ、ええと、ルーシーでしたかしら」
「ええ、父より地味だというのは確か、です。あと、ルーシーではなく、ルセウスと申します」
うん、まあ、確かに僕は父に比べれば地味であるし、母に比べると社交性に乏しい。友達も少ないし、田舎者なので、彼女のような一流の貴婦人にしてみれば物足りないのだろう。それが大人として正しい態度かどうかは別として。
一人っ子ゆえに二人に思い切り可愛がられ、近所の人にも可愛がられていた僕は、初めてさらされる純粋な敵意に素直に感心していた。本で読んだ悪役令嬢というのにそっくりだ。ただし、本の中の令嬢は十代だったが。
「まあ、可愛くない受け答えだこと。でもほら、この子だってそういってるじゃないの。本当なのよ。それに、あなたと旦那様が勝手に引き受けたことですもの。アタクシは特に関係ないわ!」
ここまではっきりした敵意だと、あまり傷つかないものなのだな、と思う。まあ、とりあえず相いれないのであれば近づきません、と思う程度だ。むしろ、観察対象としては非常に興味深い。
「おまえ、そこまでにしておきなさい。嫌ならば近づかなければいいだけだろう。ヴィリロスの時も、放っておけばいいのに構うから返りうちに合うのだ」
そこで、初めて祖父が口をきいた。父よりはグラディウスに似ている、体の大きな男性で、厳めしい。ただ、瞳は父にそっくりな色だった。
「プラテアド公爵様、これよりお世話になります。ご迷惑をかけて申し訳ございません」
「うむ、構わぬ。お前が私の孫であるのは事実だ。都では我が家を拠点にするといい。なに、すぐに学校が始まる。ドルシッラと顔を合わせる機会も少ないだろう。無視しておればよい」
「まあぁっ。バシリウス様、ひどいですわっ!アタクシをないがしろにしてっ。もう結構。トーニ、出かけるわ。馬車を出して頂戴」
子どものように頬を膨らませ、目を吊り上げて彼女が言う。典型的すぎて、感動だ。どうやら彼女は買い物で憂さを晴らしに行くらしい。
そう言うと、トーニというメイドに声をかけて、肩を怒らせながらもどこか優雅に去っていった。
「我が母ながら何と子どもっぽい。すまんな、ルル」
ふう、とグラディウスとともにバシリウスと呼ばれた祖父がため息をつく。だが、いつものことらしく、慣れた様子で肩をすくめた。
「いえ、構いません。ご迷惑をかけるのは事実ですから」
むしろ返してくれて、全然かまわないのに、と思って礼をする。学校に行かないでこのまま帰ってしまいたい。今のところ知識欲より家のほうが上だ。まだ我が家の本も堀つくしていないし。
「なるほど。あまり子どもらしくない、可愛らしくはないな。だが、そんなところがヴィリロスに似ている。まあ、早く慣れて甘えてくれ。せっかくの初めての孫だ」
そう言うと、祖父はポンと頭の上に大きな掌をのせる。言われていることは、褒められているものではないが、それでもどこか暖かかった。
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