暁に響く怨念の声-13


「そもそも、『早朝』という単語の定義について明確に認識合わせをしなかったのは、白上とのやり取りに限った話じゃないんだ。そのことには気づいているか?」


「え?」


 俺の言葉に対し、素っ頓狂な声を上げる黒田。どうやらまだ気づいていなかったらしい。

 もっとも、今回のお悩み相談において他人とやり取りを行った場面は限られている。

 故に、黒田が気づくのは時間の問題だった。

 

「…………食堂での聞き込み、かー…………」


 げんなりとした様子で答える黒田に、俺は首肯する。

 そう。彼女の言う通り、食堂での聞き込み…………つまり雲野織江、山野辺美咲、南川俊介の三人とのやり取りにおいても時間について明確に認識合わせをしておらず、やはり『早朝』という単語を用いるだけに留まっていたのだ。

 もはやここまでくると誰かひとりぐらいは時間について言及してくれても良いのにと思わなくもないが、聞き手側に責任があるのは明白であり、相手側に文句をつけるのはさすがにナンセンスか。

 そして黒田は再び自責の念に駆られたかように表情が沈んだ。

 白上とのやり取りに関してはともかく、食堂の聞き込みは俺のコミュ障を治すために黒田が提案したものであり、あまつさえは俺をフォローすると意気込んで実施したことだ。黒田が責任を感じるのは当然の流れだろう。

 俺としては黒田を責めるつもりはないし、何なら体力面以外は完璧に見えた彼女にも俺と同じような弱点があるのかもしれないと思うとちょっと嬉しくなったぐらいである。 

 いずれにしても、彼女だけが責任を感じる必要はない。俺にだって責任はある。


「まあ今回のことは、今後活動を続けていくうえでの糧にするってことで良いんじゃないか? 


 あくまで連帯責任であることを強調しつつ、フォローの言葉を入れてみる。

 俺の口からそんな言葉が出てくるのは以外だったのか。伏し目がちだった黒田は顔を上げ、驚いたように目を丸くした。

 それでもすぐに破顔し、安堵したような穏やかな表情を浮かべる。


「うん。ありがと。童」


「…………」


 そうストレートに感謝の言葉をぶつけられると、逆に反応に困ってしまう。

 思わず視線を逸らすと、黒田がくすくすと可笑しそうに小さな笑い声を上げた。

 だが、黒田はそれ以上茶化すようなことはせず、すぐさま本題へと切り替えてくれる。


「とりあえず、食堂で聞き込みをした三人に時間について今一度確認すれば万事解決……するんだろうけど、もはやその必要はないってことだよね」


「ああ。その通りだ」


 黒田の問いかけに、俺は首を縦に振った。


「まず、サッカー部キャプテンの南川俊介についてだが……実は今日の朝五時過ぎに、偶然彼と出くわして色々と話を聞くことができたんだ」


「朝五時か……やっぱり朝練かな?」


「ああ。だが南川曰く、五時から朝練をする人は稀らしく、南川自身もたまたま目が覚めたから早く出てきただけらしいんだ」


「なるほど? ということは南川君の証言はどんなに早くても朝五時以降……つまり香恋ちゃんの証言とは違う時間帯を差しているって考えてよさそうだね」


「だな。それに五時から定期的に朝練を行っている生徒にも話を聞いてくれたんだが、やはり『女の人の低く震えた声』を聞いたことはないらしい。そのことから、南川の証言は、朝練を行っていると考えても良いだろう」


「運動部員全員の証言、ね……」


 俺の発した言葉をオウム返ししながら、小首を傾げる黒田。南川の証言を、わざわざに置き換えたことに違和感を覚えたのだろう。

 もちろん、証言を置き換えたのには理由がある。


「ここで思い出してほしいんだが、食堂で聞き込みを行ったとき、南川はこんなことを言っていた」


『サッカー部を含めた俺たち運動部員がランニングをする際に掛け声を出すことはあるけど……それ以外は特にないな』


「まさか、掛け声って……」


 黒田は何かを察したように呟いた。そう。重要なのは、まさしく『掛け声』の部分である。


「そう。今日の朝にその『掛け声』を聞いたんだが、結構な声量だったんだ。少なくとも、程度にはな」


「…………そういうことね」


 俺の発言によって、黒田は確信したのだろう。得心したように小さく頷きながら、続ける。


「今回のお悩み相談の一番のテーマは『人の声』。もし香恋ちゃんが運動部員の掛け声を耳にしていたら、そのことに触れないはずがないよね」


「その通りだ。白上は『女の人の低く震えた声』について、『、毎日、はっきりと耳にしている』と述べていた。静寂の中、ということはつまり、運動部員の掛け声は耳にしていないということだ」


「一応、掛け声そのものを『女の人の低く震えた声』と聞き間違えたっていう線もあるけど…………掛け声自体は溌溂としているだろうし、そもそも男女様々な人が声を出すんだろうから、さすがにそれはないか」


 そう言うと黒田は三度、わずかに表情を沈ませた。

 要は食堂で聞き込みをした時点で、少なくとも白上のお悩み相談のメールと南川の証言は時間帯が食い違っていることに気づくチャンスがあったということだ。

 また反省ポイントが増えてしまったが、それは後で大いに反省するとして。


「そして同じように、運動部員の掛け声について言及していない人が他にもいる」


「雲野織江さんと、山野辺美咲さんだね」


 そう。この二人もまた、運動部員の掛け声について言及していなかった。

 それどころか、前者は「何にも聞こえてこない」、後者は「とっても、静か」と証言している。

 ということは、彼女らの証言は運動部員が活動する朝五時前…………つまり白上の証言と時間帯が合致する可能性があるということ。

 しかし―――、


「だが、山野辺は作業に集中するために、なるべく雑音を耳に入れないようにしていると言っていた。この発言内容から、恐らく耳栓やイヤホンのような物を装着していたんじゃないか」


「そっか。じゃあ山野辺さんの証言は、朝の五時以降を差している可能性はあるってことだね」


「山野辺が早朝に外出する目的は風景画を描くことだ。わざわざ視界の悪い五時以前の時間帯に外に出る理由がない。むしろ五時以降を差していると考える方が自然だろう」


 そうなると、怪しい人物はひとりに限られてくる。

 その者が早朝に外に出る目的は人形劇の練習。そして人形劇を趣味にしていることを秘匿にしている傾向にあった。

 しかし人形劇の練習となるとどうしても発声が伴うため、ばれないようにするためには人のいない時間帯…………つまり運動部員が活動を開始する朝五時前に実施する必要がある。

 そしてその人形劇の練習による発声を、白上は『女の人の低く震えた声』と捉えた。そう考えれば、一応筋は通る。

 一通り俺の考えを述べると、黒田は納得したように首肯した。


「じゃあ、明日張り込んでその人に話を聞くってことで良いのかな」


 ★   ★   ★


 俺がライトに照らした先にいたのは…………案の定、学校指定の紺色のジャージに身を包んだ、雲野織江の姿だった。

 先程「そういうことね」と呟いていたことから、雲野はすでに自分の置かれた状況を察したのだろう。気まずそうに苦笑を浮かべている。


「やっぱりわたしだったんですねー……。いやー、まさかこの時間に他の人がいると思ってなかったからなー……」


 項垂れながら、申し訳なさそうに呟く雲野。その発言が言い訳や誤魔化しの類ではなく、純粋に本音として零れ出た言葉であることは彼女の様子を見ればわかる。

 現に雲野は顔を上げると、俺のすぐ後ろに立っていた白上の存在に気づき、謝罪の言葉を口にした。


「もしかしてお悩み相談の相談者の娘かな。だとしたらだいぶ怖い思いをさせちゃってたよね……。本当にごめんね?」


「…………」


 しかしながら、なぜか白上から反応がない。

 不思議に思って視線を後方に向けると、戸惑いの表情を浮かべる白上と目が合った。


「……あ、いや。何でこの人、ベンチの後ろにしゃがみ込んでんだろうなあって…………」


「あー……」


 白上の言う通り、雲野はベンチの後ろ側にしゃがみ込み、背もたれの上から顔を覗かせるような体勢をとっていた。

 確かに傍から見れば奇妙な格好であり、疑問に思うのは当然のことだ。

 俺は理由を知っているので答えることもできるが……果たして俺の口からそれを言っても良いのだろうか。

 何となく雲野に視線を向けると、まるで俺の胸中を察したかのように小さく頷いてくれた。

 それを肯定の意だと解釈した俺は、白上の疑問に答えることにした。


「彼女…………雲野織江の趣味は人形劇をすることなんだ」


「人形劇?」


「ああ。そして人形劇には、演者が舞台の後ろに隠れて人形だけを登場させるスタイルがあるんだ。テレビとかで見たことないか?」


「言われてみれば…………夕方頃にそんな番組がやってるのを見たことあるかも」


 そう言いながら白上は雲野の方に視線を向ける。


「…………なるほど。ベンチの背もたれがちょうど良い高さになっていて、練習に打って付けってことだね」


「まあテレビで使っているのは基本的に棒使い人形で、こうパペット形式はあまり見ないけどね」


 雲野がそう補足してくれた。

 人形劇の人形にも色々と種類がある。俺が知っている範囲で言えば、上から針金や糸を通して人形を操る『マリオネット』。逆に下から棒や針金を使って操る『棒使い人形』。そして手に直接はめ込んで操る『パペット』等々、様々ある。

 確かにテレビの人形劇で使われているのは棒使い人形がほとんどだ。

 だが、棒使い人形となると手間もコストもかかるイメージがある。その点、学生が趣味の範囲でやるならパペットの方がお手頃なのだろう。

 それはそれとして、これでベンチの背もたれの後ろ側に足跡が残っていた理由にも説明がついた。

 この時点で、疑問点のを洗い出すことができたわけだ。


「………そう言えば、雲野。約束を破ってしまい申し訳ない」


「ん? ええっと?」


 唐突な俺の謝罪の言葉に対し、頭の上に疑問符を浮かべる雲野。


「人形劇を趣味にしていること、他言無用だって言ってただろ。だけど結果的に他の人に知られることになった」


「ああー」


 謝罪の意味を説明すると、合点がいったとばかりに雲野は声を上げる。

 それでも穏やかな表情を崩すことはなく、ちらりと白上に視線を送った。


「それは仕方ないんじゃないですか? わたしが彼女に迷惑をかけていたという事実がある以上、話さないわけにもいかないですし、このままバレずにっていうのはいくら何でも都合が良すぎますもん」


 それに関しては同意見だ。お悩み相談を受けた関係上、正体を暴いた暁にはそれを白上に伝える義務はあると思うし、だからこそこうして連れてきたという背景もある。

 だが、俺の謝罪の真意はそこではない。

 さて、どう伝えたら良いものかと軽く頭を捻らせていると、遠くから澄んだような声が聞こえてきた。


「ごめん。実は私も知ってたんだ」

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